いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

見せ方が大事

2009年06月04日 19時42分28秒 | 俺のそれ
いい線いってるとか、惜しいって感じとか、そういうのは世の中にはありがちだと思う。でも、商品として価値を高めなければ「企画倒れ」とか「残念無念の撤退戦線」とか、啼かず飛ばずで終わってしまう。なので、勝たねばダメ。大勢の注目を集めないとダメ。人々のココロに届く何かでないとダメ。

たとえば、

 「ニート」
 「パラサイト・シングル」
 「バカの壁」
 「下流社会」
 「web2.0」
 「ガラパゴス化」

などというような、明瞭なコンセプトみたいなものと誰かの感情をくすぐるような中身を兼ね備えているというのが、ヒットの条件なのではないかな、と。価値観と評価と賛否と嫌悪感と崇拝と、その他モロモロがあるのかもしれないけれど、そういう引っ掻き回し感というか、平たく言えば「釣り、釣られ」っぽさの容易度が大事かな。やはりそういう見せ方をやっていかないと、世間の大多数のは振り向いてもらえないんじゃないかな、と。

だから、知ってもらいたいなら、まず見せ方を考えろ、ということになるかも。
そういうのは、才能とかのような個人の能力・立場なんかに依存するかもしれないので、平凡な人たちが何かを達成しようとしても難しいんじゃなかなと思う。勿論、中には成功を収められる人が登場するかもしれないが、それは確率的には「極めて稀」という、超「選ばれた人々」しか存在しないだろうな、と思うよ。普通では無理。


ま、判りやすく届ける能力は大事だ、ということで。
ただ単に、似たようなことを書いたとか考えたというだけでは、あんまり価値はないだろうと思うし。多くの人々にとっては、例の使い古されたフレーズ「2、3分で理解できるように言って」「今北産業」「1行で書いて」みたいになることが多いのかもしれないかも、ということですね。でもね、ごく少数の方々にだけでも届くなら、それはそれでいいんじゃないかな、とは思います。なったことがないから判らないんだけれども、売れっ子の人――例えば「クサナギ」君みたいになってしまえば、それはそれで苦労があるんだろうし。

名も知れぬ酔っ払いのオジサンとかだったら、脱いで素っ裸で道頓堀川に飛び込もうとも警察に連行されたりはしないかもしれんから。たとえ連行されたとしても、お説教されて終わりでは。あんなに報道陣が詰め掛けて、逮捕報道とか検察移送とかを報じたりはしないでしょう?だから、大勢を相手にする立場に置かれる人々は、苦痛も受けねばならないのだろうなとも思うわけです。気楽にはしていられなくなってしまうかもね、と。そういうのは、その立場になった者だけしか判らないだろうな、とか思うんですよ。



前フリが長くなりましたが、こういうのも注目を集めることがまず大事で、中身は二の次でもいいのではないかと思えたりもします。

はてなブックマーク - ちきりん氏の分析は妙ちきりん? - himaginaryの日記


ま、良し悪しは自分の頭で考え、確かめろ、ということがあると思う。
本物の専門家以外が書くのだから、別に「そういうもんでしょ」と思って読めばいいだけだし。本気で完璧を気にして書くのなら、誰も何も書けなくなってしまうよ。そんな完成度を一般人全部に求めてもしょうがないでしょう。


自営業の減少の話は、拙ブログでも随分前に書いたけど、だからどうというものでもなかった。所詮は素人の書きなぐりの域でしかないもんね。しかもオメガ級だし(笑)。

このヘン
少子化と労働問題5(追記あり)

少子化と労働問題6


この記事中では、比較していた年が90年と04年だから条件違うし、05年以降には正規雇用は増加していったし、今となってはまた数字が変わってきているだろうと思うから、個人レベルで正確性を期するとなるとそれはそれで大変だろうと思うし。

ま、いずれにせよ、ニーズのないものをいくら書いても、あんまり意味はないと思う。
注目されるというのは、ニーズに合致しているとか、読ませる文章、才能、存在とか、そういったものがあるからで、多少の間違いとか何とかなんて大した問題じゃない。マスコミが間違いを多く流しているのよりは、まだマシだし。たとえどんなに正しかろうとも、読まれなければ存在価値はあまり高くない。言ってみりゃ、「読まれてナンボ」だ。


間違った意見が流通してしまうのを打ち破れないのは、打ち破れない側が悪い。
社会とは、そうなっている。
正しさが決めるわけではない。