ふむふむと納得できるし共感できる意見にお目にかかる。
東大教授とかになられるような立派な方であるのだから、きっとすごく賢いんだろうなとは思うけれど、いってみりゃごくごく普通のご意見が書かれているような気がした。
それは、経済学なんか知らない子どもが発するような疑問だ、ということだね。
ま、私のような凡人には及びもつかないような「天才びと」が考えることですから、理解のレベルが違うとは思いますけれどもね。
>ECONO斬り!! 経済学の「科学性」について - livedoor Blog(ブログ)
こういう普通のご意見が遠い過去に存在していたのに、どうして日本の経済学の世界というのは今の如き惨状なのか、というのはちょっと憂慮しますな。別に経済学の世界には興味もないし自分には無関係だから、そっちの世界だどうなろうと知ったこっちゃないんだけどさ。
ただ言えることは、経済学という分野でメシを食べている人々の多くは、あまり役に立たないということはいえるだろう。ド素人同然が多いか、それ以下だ。「それ以下」というのは、屁理屈程度をさも正しいかのように害悪を振りまく連中が多いためだ。
例えば政府の経済対策に対して、学者たちが出した「模範的15兆円の使い道」といったコンセンサスなんか、ただの一つも見たことがない。政府のやってることは間違いだ、とか、全くの無駄だ、とか、そういった批判はあるけれども、理路整然と「これにいくら、これにいくら」「最大効果が得られるのは何兆円まで」というような、「まともな意見」など見たためしがない。
学者だの経済ナントカだの、肩書きばかりくっついているけれども、政策担当者としての意見は、誰一人出してないんじゃありませんか?もしあると言うのなら、どういう学者さんたちが一致した意見で、どういう政策なのかを出せばいい。それぞれに学術的論理の裏付けを持っているのであろうから、経済学的正当性は説明によって誰しも説得可能なのであろうよ(笑)。それが論理的に正しい政策決定なのではないか?
結局は、適当に反対だ反対だと言ってる連中も、いかにも学問って面で理屈っぽく言ってる連中も、万年野党の連中も、何を言っても似たり寄ったりってことでは(笑)。そのココロは、
「誰も答えを知らない」
知らないクセに、間違いだけは指摘できるんだね。
いくらミクロの精緻さを積み重ねても、現象の答えには簡単に辿り着けるわけじゃない、というのも、前に書いた通りだ。
>マクロとミクロは両輪
>「法学が経済学を笑う」の図
いくら分子レベルでの解明が進んでも、それが生体全体を観察した時の反応を全て規定できるわけではない。たとえばイオンチャネルの分子構造や作用機序や機能なんかが解明されても、ある薬を投与された人の血圧がどうなるかとか、ある刺激でどういう生理的変化が観察されるか、といったことは、必ずしも単一で正確に判るわけではない。むしろ、マクロ的な観察結果とミクロ的な機序解明なんかの協同があればこそ、ということの方が多いのではないか。基本的原理は分子レベルで解明されていくとしても、ある人の病状を改善できるかどうかは「判らない」のだよ。要するに、そういうようなことだ。
経済学分野に何が欠けているかといえば、積み上げ効果では。共通理解や認識が積み上げられてきていない。それは検証という過程がないからだ。
東大教授とかになられるような立派な方であるのだから、きっとすごく賢いんだろうなとは思うけれど、いってみりゃごくごく普通のご意見が書かれているような気がした。
それは、経済学なんか知らない子どもが発するような疑問だ、ということだね。
ま、私のような凡人には及びもつかないような「天才びと」が考えることですから、理解のレベルが違うとは思いますけれどもね。
>ECONO斬り!! 経済学の「科学性」について - livedoor Blog(ブログ)
こういう普通のご意見が遠い過去に存在していたのに、どうして日本の経済学の世界というのは今の如き惨状なのか、というのはちょっと憂慮しますな。別に経済学の世界には興味もないし自分には無関係だから、そっちの世界だどうなろうと知ったこっちゃないんだけどさ。
ただ言えることは、経済学という分野でメシを食べている人々の多くは、あまり役に立たないということはいえるだろう。ド素人同然が多いか、それ以下だ。「それ以下」というのは、屁理屈程度をさも正しいかのように害悪を振りまく連中が多いためだ。
例えば政府の経済対策に対して、学者たちが出した「模範的15兆円の使い道」といったコンセンサスなんか、ただの一つも見たことがない。政府のやってることは間違いだ、とか、全くの無駄だ、とか、そういった批判はあるけれども、理路整然と「これにいくら、これにいくら」「最大効果が得られるのは何兆円まで」というような、「まともな意見」など見たためしがない。
学者だの経済ナントカだの、肩書きばかりくっついているけれども、政策担当者としての意見は、誰一人出してないんじゃありませんか?もしあると言うのなら、どういう学者さんたちが一致した意見で、どういう政策なのかを出せばいい。それぞれに学術的論理の裏付けを持っているのであろうから、経済学的正当性は説明によって誰しも説得可能なのであろうよ(笑)。それが論理的に正しい政策決定なのではないか?
結局は、適当に反対だ反対だと言ってる連中も、いかにも学問って面で理屈っぽく言ってる連中も、万年野党の連中も、何を言っても似たり寄ったりってことでは(笑)。そのココロは、
「誰も答えを知らない」
知らないクセに、間違いだけは指摘できるんだね。
いくらミクロの精緻さを積み重ねても、現象の答えには簡単に辿り着けるわけじゃない、というのも、前に書いた通りだ。
>マクロとミクロは両輪
>「法学が経済学を笑う」の図
いくら分子レベルでの解明が進んでも、それが生体全体を観察した時の反応を全て規定できるわけではない。たとえばイオンチャネルの分子構造や作用機序や機能なんかが解明されても、ある薬を投与された人の血圧がどうなるかとか、ある刺激でどういう生理的変化が観察されるか、といったことは、必ずしも単一で正確に判るわけではない。むしろ、マクロ的な観察結果とミクロ的な機序解明なんかの協同があればこそ、ということの方が多いのではないか。基本的原理は分子レベルで解明されていくとしても、ある人の病状を改善できるかどうかは「判らない」のだよ。要するに、そういうようなことだ。
経済学分野に何が欠けているかといえば、積み上げ効果では。共通理解や認識が積み上げられてきていない。それは検証という過程がないからだ。