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1敗の意味~予選最終戦

2009年06月18日 15時11分27秒 | いいことないかな
サッカーの日豪最終戦の感想などを。


アウェーでの一戦で、消化試合だったこともあるかもしれないが、作戦負けという印象。

前半、最終予選で初めてゴールをこじ開けた唯一の国となった日本が、1点リードで折り返した。豪州は最終予選で初めてのビハインドを背負った、ということになる。向こうにとっても、楽な状況ではなかったはずだ。
こういう試合では、戦術、指示やアドバイスといったものが重要になってくる。特に、実力差があまり大きくない対戦であればこそ、戦術的な駆け引きが効いてくることもある。


まず、最も気になったのが、ケーヒルに同点と勝ち越しの2度も得点を許したことだ。過去の教訓は活かされてこなかったのだろうか、と思わずにはいられない。勝利よりも、出場している選手の出来具合とかを見極めたい、という特殊な要因があったのかもしれないが、前回の後半1点リードで、ラスト10分に3得点を許して敗北したゲームを彷彿とさせるのである。あの時もケーヒルだったわけだ。あれから学習したのだろうか、と疑問に思う部分はある。

後半立ち上がりで豪州がリズムを掴んでいたように見えた。あれはハーフタイム中に監督から指示が出て、もう少しシンプルに攻めを考えていこう、ということにしたのかもしれない。簡単にいえば、あの時と同じく「ハイボールを使え」ということだったのではないか。高いボールには日本選手が割りと競り負けるので、ヘッドで繋いでチャンスを作る、という組み立てを増やしてきたのだろうと思う。

さて、監督の立場となって考えると、中澤がいないのだからDFラインには今ひとつ不安があるかもしれない。そうすると、少なくともケーヒルにマンマークのスペシャリストを貼り付けておこう、という風に考えても不思議じゃない。「1-0勝ち」というのは、まさに守備の勝利なのだから、攻めあぐねている時に打開策を出すか、相手の攻め手を封じるか、どちらを重視するかによるだろう。2枚のボランチが、機能が不十分とか働きが薄いとか、そういう「遊び駒」状況があるのであれば、少なくとも1枚外してマンマークをピッタリ貼り付けておくのではなかろうかと思う。

この一手を出すチャンスは何度かあったのではないかと思う。
後半の立ち上がり頃か、同点にされた後か、だ。
右サイドの内田が抑えきれない、とか、阿部も急造ラインなので選手の動き回るのを全部面倒みきれない、という状況なのであれば、マークを徹底する以外にはないからね。常にピッタリ張り付かれていると、相手だって嫌だろうしね。勝つ、というのは、そういう「あの手この手」を駆使するということに他ならないわけだから。特に敵地での試合であればこそ、そういう試合運びというものについて考えるべきだろうね。

結果から見ても、阿部がそこまでカバーしきれていなかった、というのは明らかで、一人のせいにするべき問題ではないけれど、ちょっと荷が重すぎたというのはあると思う。そうであればこそ、ボランチの攻めへの貢献を犠牲にしても、ディフェンスのバランスを重視するべきだったのでは。そうすると、ヘッドで競り負けとか、マーク外れてとか、そういうミスが減らせるのではないかと思う。


星勘定は事前の予想通りで、『4勝3分1敗』というピタリ賞だった。
ね?だから言ったでしょ(笑)。


つーか、これはホントにただの偶然だから。
悪い予言じゃないよ、呪いの予言とかでもないし。

まさか、オレのせい?(笑)