若きサッカー日本代表チームが、先日のイエメン戦で前半2点リードを許す苦しい展開だったからといって、これを大袈裟に危機だというのではない。日本代表チームは、大型エースの平山が前半終了間際に1点を返すと、後半更に2点を奪って平山のハットトリック達成で勝ち越し、結局は3-2で運良く勝利できた。イエメン情勢は、サッカーの試合と同じく勝利できるかといえば、これは中々難しい問題のようである。
昨年末、米国はクリスマス・テロという危機に見舞われた。米国にとってここ暫くは、イエメンを巡る問題が重要課題となるだろう(少なくとも、日米関係とか普天間基地問題なんかは、瑣末と言っていい)。これについて、少し書いておきたい。
よくまとまっている参考記事はこちら。
>焦点:イエメンの対アルカイダ戦争、米国を待ち受ける落とし穴 ワールド Reuters
以下、各論。
①アデン湾を巡る米国戦略の変遷
先日、たまたま93年のソマリアの『ブラックホーク・ダウン』の話(沖縄海兵隊はソマリアの二の舞を望むのか)を取り上げたが、まさしく今のソマリアの無政府状態を招いた遠因がこの時代にあったのである。
米軍及び情報部関連の軍事的戦略としての中東政策というものが、アメリカにはあったのであろうと考えている。
父ブッシュ政権時代の、湾岸戦争での成功体験というものが、恐らく米国の軍事関連利権者たちの脳裏に強く刻みこまれたのではないだろうか。そこで、イラク周辺から、新たな焦点を求めていったものではないかと思う。
遡れば、まずイランでの失敗というものがあったわけである。親米政権を擁立させたり、イラン国内騒乱を煽動したりする活動は失敗に終わった。イランに対抗させる為に、イラクの「本当は好ましくないフセイン政権」を支援して、敵対させたりもしたわけだ。しかし、残念ながらこの活動も失敗に終わるわけである。それは、フセインの離米というか、そこそこの力を持たせたら、言うことを聞かなくなるというのは、昔からよくある話ではあるからだ。そうして、暴発したイラクは、遂に米国の手によって成敗され、止めを刺されたということになったわけである(これはイラク戦争まで待つことになったのであるが)。
90年代前半のハイライトと言えば、やはり湾岸戦争であり、米国の軍事力はソ連なき後の世界にとっても「大変貴重で重要なもの」であるという認識は、世界中に認識されることになったわけである。これこそが、米軍関連の「輝かしき成功」体験だったのだ。そういう力は「今まで以上に必要とされたい」と願うわけである。
そうすると、93年のソマリアという事態が大変よく見えてくるように思われるのである。
米国の軍事的戦略としては、焦点をアデン湾に移していったのである。そして、極めて政情不安定で危険なソマリアを利用することを考えるに至ったものと思われる。特殊部隊を送り込んで、特定の政治的地位にある人物を拉致・殺害するというような特殊作戦を考えることは、基本中の基本なのだから(ゲームの世界ですら、いくつもの謀略があるのだし、笑)、その実施に踏み切ったものの痛手を蒙ったのである。
ソマリアの失敗は、単に軍事作戦をミスった、というだけのものではない。それだけなら、何度でもトライすればいいだけだし、もっと違った手立てを考えたってよいのだから。そうではなくて、米国内の大きな反発を招いたことが「最大のミス」だったのだ。
しかも、クリントン政権に取って代わっていたことも災いした(笑)。たぶん、父ブッシュよりも軍事的政策や軍事行動などへの関心は低い上に、あまりそういう手法を好んではいなかったのではないかな、ということだ。なので、国内情勢(米国内世論)を見て、すぐさま手を引いたということであろう。そうして国連軍も撤退することになって行ったのではないか。
②90年代のイエメンへの介入
しかしながら、まだ諦めない人たちはいたのであろう。続いて、目を向けられたのが、アフガンゲリラの供給地として成果を上げていたらしい、イエメンだった。特に、サウジとの境界付近の北部イエメンは、サウジの安全保障という点から見ても、非常に重要ということもあった。ソマリアでの介入が失敗に終わったことで、対岸のイエメンに舞台は移ったのである。
湾岸戦争直後くらい頃であると、恐らくイラク支持の反米傾向を持つサレハ政権は転覆させた方がよいのではないか、という判断が米軍側にあったのではないだろうか。そこで、統合間もないイエメンでの内戦勃発となったわけである。
元々、アフガンゲリラ戦士とすべくイエメン人やサウジ等の周辺国から集めた連中を、戦士に育て上げたのは、介入していた米国だったのではなかったか?
そうすると、イエメン国内での「独立運動」の煽動工作というのは、まさしく典型的な介入形態なのである。94年の南イエメン独立紛争は、そういった背景から勃発した可能性すらあるのではないだろうか。
それに、南イエメンは元はイギリス植民地であったので、これも米国が介入してみたくなる理由だったのではないか。南部勢力に支援して独立紛争を惹起させ、親イラクを表明するサレハ政権を転覆させるという「戦争を生み出す」のは、まことに理に適っているわけだ(笑)。
しかし、これもうまく行かず頓挫したのだ。叛乱軍は鎮圧され、独立戦争は消えたのだった。
その後、米国の介入方針がどうなったのかは判らない。少なくとも、クリントン政権が終わるまでは、あまりあちこちに手を付けないようにはなっていたのかもしれない。けれども、90年代前半くらいまでに米国の蒔いた種は、後の刈り取りを待つことになるわけである。テロリスト養成の培養器を設置したのは米国であり、その培養器が生み出したテロリストによって、アルカイダ等のテロ対策に米国自身が追われることになるのである。
③イエメン介入の方針転換
いつの頃からかは、判らない。今世紀に始まったアフガン戦争以降の、対テロ作戦の一部として、やむなくサレハ政権を支援し、イエメン国内のテロリストたちを討伐すべき、という方向に変わっていったものと思われる。かつては「転覆すべし」と思われたサレハ大統領の後ろ盾につく、ということを、米国が選択したのだ、ということである。2000年の米軍艦「コール」爆破事件が起こったが、この時期には既に政権支援に変わった後だったであろう、と推測している。まさにアデン港で自爆テロ攻撃を受けたからである。
こうして、米軍のサレハ支援体制が始まったわけである。イエメン国内の掃討作戦などを進めることになったわけである。サレハ政権は安全と金と力を手に入れたということだ。代わりに、国内のアルカイダ勢力を炙り出していく作業を米軍と共同で行うということになったものと思う。その延長上にあるのが、サウジとの国境線確定という動きであろう。サウジと米国の関係を考えれば、米国が後ろに付くということは、そういうことだ。
イエメン国内では、これに対する反発というものがあった。
まずは、反米感情である。これはいかんともし難い。
それから、サレハ大統領の独裁的な内政への不満である。以前の南部独立派の残党などは残っているであろうし、サレハ大統領のやり方というものに反対する勢力はいたる所にいるに違いない。そういうことも、テロを隠す温床となってしまっている(テロ摘発に非協力的になり、作戦の妨げとなる)かもしれない。
そして、イスラム教の対立というものがある。北部イエメンというのは、シーア派の分派で「フーシ派」(上のロイター記事では「ホースィー」となっている)が多いらしく、「シーア派vsスンニ派」の対立というようなのと似た構図があるようである。これはサウジとも関連することである。
④サレハ政権の窮地
フセイン政権は葬られた。湾岸諸国にとって忌々しい存在は、とりあえず取り除かれることになった、ということである(イランは、今はおいておく)。イラクへの米国の介入は、とりあえず止められることになった。けれども、「ソマリアの海賊」で判るように、アデン湾に再び不安定の火種が生じているのである。
イエメン国内では、サレハ政権と支援する米国という関係になっているが、これに対立する勢力がいくつか生じている。過去のくすぶり続ける火種である。
第一には、前述したように、北部のフーシ派勢力がある。
昨年11月には、サウジとの軍事衝突を招き、サウジの空爆が実施されたと報じられた。しかも、このフーシ派に裏で支援をしているのがイランではないか、という疑惑もあるようだ。これは、シーア派勢力のイランとしては有り得る話である。反米を掲げるイランにとっては、サレハ政権は米国の腰ぎんちゃくであるとしか思えないのであり、その政権を転覆させようという勢力に支援したくなるのは当然とも言えるであろう。
第二は、南部の独立派勢力である。打倒サレハという目的で一致するなら、国内の政権打倒勢力を結集することも不可能ではないかもしれない。政治的に勝利すればよいので、軍事的に米軍や政府軍を倒すのは必須ではない。この勢力が米国にとってプラスとなるかどうかは、不明であろう。親米政権が消える可能性だってある。
第三は、アルカイダのテロ一派である。米国が躍起になっているけれども、簡単には手出しし難い問題なのである。イエメンでは、昨年などにも日本邦人誘拐事件などが発生しており、テログループが存在しているのはその通りだろう。また、グアンタナモ基地の収容者の移送先として、イエメン政府が受け入れ表明をしていたが、これは元々が収容者の大半は「イエメン人」というような事情だからであろう。多分01年くらいから、イエメン国内の掃討作戦をかなりやってきていた、ということが窺われるのである。
今後に、イエメン政府軍が国内テロ掃討作戦をやっても、米軍が直接手出しするわけにはいかないし、北部と南部とからの「挟み撃ち」状態になってしまっているのに、その上「アルカイダ掃討作戦」という「3正面作戦」はかなり厳しい、というのが、ロイター記事などの解説である。北部勢力はサウジが軍事的に攻撃を仕掛けるほどに、「深刻な問題」に発展しているようであるし、これはイエメン政府軍の治安維持能力がその程度しかない、ということの裏返しと考えられるだろう。
もしもサレハ政権が倒れるようなことがあると、ソマリアに続いて対岸のイエメンでも無政府状態に近い混乱を生じることになるかもしれず、航海の危険性はこれまで以上に広がるかもしれない。
⑤日本が関与するとすれば
今後の取組み方については、米国をはじめ諸外国との協調が必要になるかもしれないが、アデン港やモカ港(コーヒーのモカの由来だそうです)周辺の治安改善を図ることが必要になるだろう。報道では、海保の巡視船を供与するなどの案が検討されているらしいが、これは一つの手であるとは思う。以前の東南アジア海域で海賊が多数発生していた時にも、やはり旧型巡視船の払い下げだったか無償提供だったか、行われたことがあった。これとほぼ似たような協力ということになるだろう。
日本で巡視船を新型に入れ替えて、旧型船をイエメンに提供してアデン湾の治安向上に繋げるということになる。訓練も海保で受け持つといったことになるだろう。
また、イエメン国内の不安定は、金がないことに影響されていると思われるので、南部側の不満を緩和する意味においても、アデン港などの中核地域での「仕事の供給」というものが必要となるだろう。積極的にサレハ政権を支えたいかというと、これも頭の痛い問題ではあるけれども、無政府になるよりはマシ、ということになるだろうか。どこかの島の天然ガスの採掘権とかはどうなっているのか知らないが、そういう掘削事業なんかも一緒に推進するというようなことも考える必要が出てくるかもしれない。
あとは、イランの説得に向かうべきだろう。
フーシ派支援だけじゃなく、核開発問題でもイランを避けて通ることはできないのだから、日本のできることをやるべき。核廃絶を支持するなら、そういう取り組みを真剣にやれ、ということは言えるだろう。麻薬密輸根絶もアフガン問題に関与するので、イランの摘発協力を求めるべきだ。
見返りには、経済協力が得られる、という約束をすればよいのではないか。
ちょっと追加(13時頃):
こちらの記事も非常に参考になります。米国の受け止め方、反応というものがよくわかります。
>米国とアルカイダと手製爆弾 靴底からペットボトル、そして下着まで JBpress日本ビジネスプレス
簡単に言うと、
「これは、戦争だ」
みたいなものでしょうか。
米軍の特殊部隊は、再びソマリアやイエメンで活発に動いているみたい、ということらしいです。
昨年末、米国はクリスマス・テロという危機に見舞われた。米国にとってここ暫くは、イエメンを巡る問題が重要課題となるだろう(少なくとも、日米関係とか普天間基地問題なんかは、瑣末と言っていい)。これについて、少し書いておきたい。
よくまとまっている参考記事はこちら。
>焦点:イエメンの対アルカイダ戦争、米国を待ち受ける落とし穴 ワールド Reuters
以下、各論。
①アデン湾を巡る米国戦略の変遷
先日、たまたま93年のソマリアの『ブラックホーク・ダウン』の話(沖縄海兵隊はソマリアの二の舞を望むのか)を取り上げたが、まさしく今のソマリアの無政府状態を招いた遠因がこの時代にあったのである。
米軍及び情報部関連の軍事的戦略としての中東政策というものが、アメリカにはあったのであろうと考えている。
父ブッシュ政権時代の、湾岸戦争での成功体験というものが、恐らく米国の軍事関連利権者たちの脳裏に強く刻みこまれたのではないだろうか。そこで、イラク周辺から、新たな焦点を求めていったものではないかと思う。
遡れば、まずイランでの失敗というものがあったわけである。親米政権を擁立させたり、イラン国内騒乱を煽動したりする活動は失敗に終わった。イランに対抗させる為に、イラクの「本当は好ましくないフセイン政権」を支援して、敵対させたりもしたわけだ。しかし、残念ながらこの活動も失敗に終わるわけである。それは、フセインの離米というか、そこそこの力を持たせたら、言うことを聞かなくなるというのは、昔からよくある話ではあるからだ。そうして、暴発したイラクは、遂に米国の手によって成敗され、止めを刺されたということになったわけである(これはイラク戦争まで待つことになったのであるが)。
90年代前半のハイライトと言えば、やはり湾岸戦争であり、米国の軍事力はソ連なき後の世界にとっても「大変貴重で重要なもの」であるという認識は、世界中に認識されることになったわけである。これこそが、米軍関連の「輝かしき成功」体験だったのだ。そういう力は「今まで以上に必要とされたい」と願うわけである。
そうすると、93年のソマリアという事態が大変よく見えてくるように思われるのである。
米国の軍事的戦略としては、焦点をアデン湾に移していったのである。そして、極めて政情不安定で危険なソマリアを利用することを考えるに至ったものと思われる。特殊部隊を送り込んで、特定の政治的地位にある人物を拉致・殺害するというような特殊作戦を考えることは、基本中の基本なのだから(ゲームの世界ですら、いくつもの謀略があるのだし、笑)、その実施に踏み切ったものの痛手を蒙ったのである。
ソマリアの失敗は、単に軍事作戦をミスった、というだけのものではない。それだけなら、何度でもトライすればいいだけだし、もっと違った手立てを考えたってよいのだから。そうではなくて、米国内の大きな反発を招いたことが「最大のミス」だったのだ。
しかも、クリントン政権に取って代わっていたことも災いした(笑)。たぶん、父ブッシュよりも軍事的政策や軍事行動などへの関心は低い上に、あまりそういう手法を好んではいなかったのではないかな、ということだ。なので、国内情勢(米国内世論)を見て、すぐさま手を引いたということであろう。そうして国連軍も撤退することになって行ったのではないか。
②90年代のイエメンへの介入
しかしながら、まだ諦めない人たちはいたのであろう。続いて、目を向けられたのが、アフガンゲリラの供給地として成果を上げていたらしい、イエメンだった。特に、サウジとの境界付近の北部イエメンは、サウジの安全保障という点から見ても、非常に重要ということもあった。ソマリアでの介入が失敗に終わったことで、対岸のイエメンに舞台は移ったのである。
湾岸戦争直後くらい頃であると、恐らくイラク支持の反米傾向を持つサレハ政権は転覆させた方がよいのではないか、という判断が米軍側にあったのではないだろうか。そこで、統合間もないイエメンでの内戦勃発となったわけである。
元々、アフガンゲリラ戦士とすべくイエメン人やサウジ等の周辺国から集めた連中を、戦士に育て上げたのは、介入していた米国だったのではなかったか?
そうすると、イエメン国内での「独立運動」の煽動工作というのは、まさしく典型的な介入形態なのである。94年の南イエメン独立紛争は、そういった背景から勃発した可能性すらあるのではないだろうか。
それに、南イエメンは元はイギリス植民地であったので、これも米国が介入してみたくなる理由だったのではないか。南部勢力に支援して独立紛争を惹起させ、親イラクを表明するサレハ政権を転覆させるという「戦争を生み出す」のは、まことに理に適っているわけだ(笑)。
しかし、これもうまく行かず頓挫したのだ。叛乱軍は鎮圧され、独立戦争は消えたのだった。
その後、米国の介入方針がどうなったのかは判らない。少なくとも、クリントン政権が終わるまでは、あまりあちこちに手を付けないようにはなっていたのかもしれない。けれども、90年代前半くらいまでに米国の蒔いた種は、後の刈り取りを待つことになるわけである。テロリスト養成の培養器を設置したのは米国であり、その培養器が生み出したテロリストによって、アルカイダ等のテロ対策に米国自身が追われることになるのである。
③イエメン介入の方針転換
いつの頃からかは、判らない。今世紀に始まったアフガン戦争以降の、対テロ作戦の一部として、やむなくサレハ政権を支援し、イエメン国内のテロリストたちを討伐すべき、という方向に変わっていったものと思われる。かつては「転覆すべし」と思われたサレハ大統領の後ろ盾につく、ということを、米国が選択したのだ、ということである。2000年の米軍艦「コール」爆破事件が起こったが、この時期には既に政権支援に変わった後だったであろう、と推測している。まさにアデン港で自爆テロ攻撃を受けたからである。
こうして、米軍のサレハ支援体制が始まったわけである。イエメン国内の掃討作戦などを進めることになったわけである。サレハ政権は安全と金と力を手に入れたということだ。代わりに、国内のアルカイダ勢力を炙り出していく作業を米軍と共同で行うということになったものと思う。その延長上にあるのが、サウジとの国境線確定という動きであろう。サウジと米国の関係を考えれば、米国が後ろに付くということは、そういうことだ。
イエメン国内では、これに対する反発というものがあった。
まずは、反米感情である。これはいかんともし難い。
それから、サレハ大統領の独裁的な内政への不満である。以前の南部独立派の残党などは残っているであろうし、サレハ大統領のやり方というものに反対する勢力はいたる所にいるに違いない。そういうことも、テロを隠す温床となってしまっている(テロ摘発に非協力的になり、作戦の妨げとなる)かもしれない。
そして、イスラム教の対立というものがある。北部イエメンというのは、シーア派の分派で「フーシ派」(上のロイター記事では「ホースィー」となっている)が多いらしく、「シーア派vsスンニ派」の対立というようなのと似た構図があるようである。これはサウジとも関連することである。
④サレハ政権の窮地
フセイン政権は葬られた。湾岸諸国にとって忌々しい存在は、とりあえず取り除かれることになった、ということである(イランは、今はおいておく)。イラクへの米国の介入は、とりあえず止められることになった。けれども、「ソマリアの海賊」で判るように、アデン湾に再び不安定の火種が生じているのである。
イエメン国内では、サレハ政権と支援する米国という関係になっているが、これに対立する勢力がいくつか生じている。過去のくすぶり続ける火種である。
第一には、前述したように、北部のフーシ派勢力がある。
昨年11月には、サウジとの軍事衝突を招き、サウジの空爆が実施されたと報じられた。しかも、このフーシ派に裏で支援をしているのがイランではないか、という疑惑もあるようだ。これは、シーア派勢力のイランとしては有り得る話である。反米を掲げるイランにとっては、サレハ政権は米国の腰ぎんちゃくであるとしか思えないのであり、その政権を転覆させようという勢力に支援したくなるのは当然とも言えるであろう。
第二は、南部の独立派勢力である。打倒サレハという目的で一致するなら、国内の政権打倒勢力を結集することも不可能ではないかもしれない。政治的に勝利すればよいので、軍事的に米軍や政府軍を倒すのは必須ではない。この勢力が米国にとってプラスとなるかどうかは、不明であろう。親米政権が消える可能性だってある。
第三は、アルカイダのテロ一派である。米国が躍起になっているけれども、簡単には手出しし難い問題なのである。イエメンでは、昨年などにも日本邦人誘拐事件などが発生しており、テログループが存在しているのはその通りだろう。また、グアンタナモ基地の収容者の移送先として、イエメン政府が受け入れ表明をしていたが、これは元々が収容者の大半は「イエメン人」というような事情だからであろう。多分01年くらいから、イエメン国内の掃討作戦をかなりやってきていた、ということが窺われるのである。
今後に、イエメン政府軍が国内テロ掃討作戦をやっても、米軍が直接手出しするわけにはいかないし、北部と南部とからの「挟み撃ち」状態になってしまっているのに、その上「アルカイダ掃討作戦」という「3正面作戦」はかなり厳しい、というのが、ロイター記事などの解説である。北部勢力はサウジが軍事的に攻撃を仕掛けるほどに、「深刻な問題」に発展しているようであるし、これはイエメン政府軍の治安維持能力がその程度しかない、ということの裏返しと考えられるだろう。
もしもサレハ政権が倒れるようなことがあると、ソマリアに続いて対岸のイエメンでも無政府状態に近い混乱を生じることになるかもしれず、航海の危険性はこれまで以上に広がるかもしれない。
⑤日本が関与するとすれば
今後の取組み方については、米国をはじめ諸外国との協調が必要になるかもしれないが、アデン港やモカ港(コーヒーのモカの由来だそうです)周辺の治安改善を図ることが必要になるだろう。報道では、海保の巡視船を供与するなどの案が検討されているらしいが、これは一つの手であるとは思う。以前の東南アジア海域で海賊が多数発生していた時にも、やはり旧型巡視船の払い下げだったか無償提供だったか、行われたことがあった。これとほぼ似たような協力ということになるだろう。
日本で巡視船を新型に入れ替えて、旧型船をイエメンに提供してアデン湾の治安向上に繋げるということになる。訓練も海保で受け持つといったことになるだろう。
また、イエメン国内の不安定は、金がないことに影響されていると思われるので、南部側の不満を緩和する意味においても、アデン港などの中核地域での「仕事の供給」というものが必要となるだろう。積極的にサレハ政権を支えたいかというと、これも頭の痛い問題ではあるけれども、無政府になるよりはマシ、ということになるだろうか。どこかの島の天然ガスの採掘権とかはどうなっているのか知らないが、そういう掘削事業なんかも一緒に推進するというようなことも考える必要が出てくるかもしれない。
あとは、イランの説得に向かうべきだろう。
フーシ派支援だけじゃなく、核開発問題でもイランを避けて通ることはできないのだから、日本のできることをやるべき。核廃絶を支持するなら、そういう取り組みを真剣にやれ、ということは言えるだろう。麻薬密輸根絶もアフガン問題に関与するので、イランの摘発協力を求めるべきだ。
見返りには、経済協力が得られる、という約束をすればよいのではないか。
ちょっと追加(13時頃):
こちらの記事も非常に参考になります。米国の受け止め方、反応というものがよくわかります。
>米国とアルカイダと手製爆弾 靴底からペットボトル、そして下着まで JBpress日本ビジネスプレス
簡単に言うと、
「これは、戦争だ」
みたいなものでしょうか。
米軍の特殊部隊は、再びソマリアやイエメンで活発に動いているみたい、ということらしいです。