いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

種を植えてみた

2007年05月07日 23時24分36秒 | いいことないかな
先日、何種類か植えてみた。

これまで、数種類の植物を全滅させてきたので、今度こそ、と思っていますが、今回も失敗に終わるかもしれない…。

元気だったアレも、長年生き延びていた○○も、…ゴメンね、植物たち、と思っているが、かなり死亡してしまったのは事実なんだ…


今回こそは、と思っているが、どうなるかね。


育て方に大いなる問題あり、なんだろうな~やっぱり。



今度は海保の情報漏れ??

2007年05月06日 12時31分00秒 | 社会全般
海保にイヤミを言ったのは誰?
まさか警察関係者?(笑)

NIKKEI NET:社会 ニュース

こちらの記事では、『流出したのは、職員が過去に担当していた調達資機材の仕様に関する情報などで、同庁が詳しい内容を調べている。外部から同庁に「情報が流出しているのではないか」との指摘があり、判明した。』となっています。「調達資機材」というのが何なのか、ということですが、明らかになったからといって保安上の大問題というのはあまりなさそうな気がしますがどうなんでしょうか。


ひょっとして、SSTの装備について漏れたとか「お年寄り」は考えてしまうのかもしれないが、恐らく詳しい人たちにとってはほぼ「公開情報」だと考えられているんじゃないかと思うが。「ググレカス」とか言うわけではないですが、普通に直ぐに見つけられるようだし(笑)。

特殊部隊!

雑誌の写真があれば、見られてしまうのはしょうがないんじゃないかと。結構映っちゃってるよ。
本などでも書かれているんだろうし。


それはそうと、立て籠もり事件以降、あの事件関連の報道は殆ど消えたでしょ?長崎の事件は続報があるんだが、町田の一件は緘口令が守られているようで良かったですね>警視庁どの(笑)
ああ、毎日のヨイショ記事はあったか。


日本の「警察力」~SAT&SIT

警視庁幹部はウソが下手だね(笑)

海保に八つ当たりしてもしょうがないでしょ(笑)。
「やっちゃった」のは警視庁なんだから。



医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その6

2007年05月04日 03時02分05秒 | 法と医療
これまでの続きです。

医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その1

医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その2

医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その3

医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その4

医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その5



5)医調委における審判

患者・遺族側、医療側、行政機関等から「調査申立」があれば調査開始となる。あらゆる証拠に基づいて、事実認定と過失責任の判断を行う。最終的には「事故調査報告書」として厚生労働大臣に提出することとする。この事故調査報告書の確定前には、当事者の意見を述べる機会を与えなければならないものとする。ここで双方から医調委に対して反論等があれば出されることになる。この意見を必ずしも参考としたり反映する必要はなく、医調委は独自の判断で「事故調査報告書」を出すものとする。この段階で、医調委の決定に従うとするならば、この結果に基づいてこれ以後の処分等を進めていく。

しかし、事故調査報告書の内容について同意できない、ということも考えられる。それは患者・遺族側かもしれないし、医療側かもしれないが、要するに「納得いかない」と考えるならば、審判請求を行う。これは独禁法の審判と同じようなものを考えている。呼び名とか制度として別な形が望ましければ、違う形式としてもよい。取りあえず今は審判の形を取るものとして話を進める。事故調の場合には、審判という手続はないので、事故原因や事実関係の認定などに異論や係争がある場合には、どのように解決するのかちょっとよく判らない。例として、患者側は「そのような説明を聞いてなかった」と言い、医療側は「説明した」と主張するような場合には、水掛け論的になるので事実関係の認定は難しくなる。他にも、患者側が「輸血したのは~をした後だった」と主張し、医療側が「いや、~する前だった」というような食い違いなどがあるというようなこともあるかもしれない。過失責任の判断において、これら事実が重要な論点であれば、その事実関係の係争は残される可能性はある。

そこで、不服であると考えるならば審判請求を行って、審判を行うものとする。これは実質的には裁判と同じようなものである。形式的には公取委の行っている審判と同様でよいのではないかと考えている。ここで事実認定や過失責任について確定することとし、「審決」が出される。判決みたいなものである。基本的には以後の裁判においても、審判での事実認定は拘束されるものとする。この審決に対してどうしても不服であるとするならば、以後は裁判での係争となる。これも公取委の手続と同じである。

ここまでの流れをまとめると、
①調査し、調査報告書案(仮称)ができあがる
②この報告書案に対して意見を述べさせる
③提出するべく報告書をまとめる
不服がなければ、以後の処分等に入っていく。
④不服であれば審判請求が出される
⑤審判の結果「審決」が出される
不服がなければ、以後の処分等に入っていく。
⑥不服であれば訴訟提起となる

⑥以降の裁判は高裁からスタート(つまり2審から)となります。被告は医療機関側とかではなくて、医調委となります。行政事件訴訟法に規定される抗告訴訟ということになります。上述したように事実認定は拘束され、立証責任は原告側が負うこととします。

大半は③又は⑤の段階で同意が得られることになると思われ、その時点で「事故調査報告書」は確定し、厚生労働大臣に提出されるものとします。この調査報告に基づき、刑事・民事・行政責任の範囲を決めていくことになります。


6)刑事告発

この条件としては、
①看過し難い重大な過失がある
②犯罪性がある
③社会的に重大と考えられる医療倫理違反
のいずれかに該当するものであるとします。

医調委の告発なしに、主たる違反類型の刑事処罰はできないものとします。この点が重要で、医調委が「刑事罰をもって臨むのが相当」という判断がなければ刑事罰を与えることはない、ということが基本になるのです。ここでは社会的背景や患者や医療機関の置かれている状況などといった「価値判断」も含まれることになるので、法解釈の適否という不毛な現状からは脱却できるであろうと思われます。


7)民事上の責任

「事故調査報告書」に基づき過失が確定しますので、大きく2つに区分されます。「過失あり」と「過失なし」です。「過失あり」の場合は損害賠償請求が可能となりますので、後は賠償額の問題になります。「過失なし」については、「無過失保障対象」か「何もなし」(以後、「却下」と呼ぶことにする)のいずれかに区分されることになります。まとめると、

①過失あり―賠償
②過失なし
 ア:無過失保障対象―賠償
 イ:却下―賠償なし

となります。
ここでのポイントとしては、②のアであり、過失がなくとも保障するべき対象が存在する、ということです。これは概要の部分でも触れましたが、医療行為に伴って生じる合併症で被害を受けてしまうものを対象とします。具体的には、福島での事件のような、「想定外の大量出血」といったものです。1万例に1例とか数例程度でしか発生しないような、稀な医源性の合併症によって引き起こされるものも含まれます。

従って、②のイ以外では賠償額の問題に収束できますので、これ以後には事実関係の係争はなく、交渉は比較的容易になるのではないかと思われます。手続としては、裁判所における示談とかADRのような仕組みを用いることとし、そこで賠償額の決定を行うものとします。予め医調委が「参考となる賠償額」を提示(報告?)することにしても良いかもしれません。その賠償額では不服である場合には、損害賠償請求訴訟の取扱いとし、通常の裁判と同じく行いますが、ここでも「事実認定の拘束」を受けるものとして、それを争うことはできないものとします。単純に賠償額のみ争う、ということです。これであれば、裁判は簡潔に済むことになるであろうと思います。この可能性は少ないのではないかと考えています(多くの遺族は額を不服として医療裁判を行っていることは少ないように思われるので)。

無過失保障において問題となってくるのではないかと思うのは、薬剤の重篤な副作用の取扱いについてでしょうか。発生頻度にもよりますけれども、副作用について完全にゼロにはできないとして、誰がどの程度まで責任を負うべきなのか、ということが問題になってくるからです。医療行為に起因するものであれば、医療従事者の賠償責任保険で、ということで対処可能でありましょうが、薬剤そのものに起因している場合には投薬した医師等に直接の原因があるわけではありません。そであるなら製薬会社が賠償責任を負うべきということも考えられ、すると別に保険を整備すべし、ということになるのかどうか、それとも同じ保険制度にしておいて、製薬会社に保険料負担を求めるべき、ということにするべきなのかどうか、ここら辺はよく検討が必要になるのではないかと思います。保険制度全体の制度設計について、よく検討し見直しを図るべきなのかもしれません。「賠償責任保険制度」の設計という論点については、医療の問題とは少し離れますので、専門家の方々に考えて頂ければと思います。


8)行政への対応

医調委の大切な役割としては、行政施策への働きかけができることがあります。従来の裁判であれば、当事者間の解決に繋がるとしても、行政施策の変更というのは殆どが期待できませんでした。それを改めよう、ということです。医調委の対応について、論点ごとに述べてみます。

①注意(警告)
事故調査の申立がなくても、調査研究(前述した2)の⑥)によって医療事故を発生させる危険性があると考えられ、医療機関において注意するべきであると認める時には、注意(警告と呼ぶのか?)を行うことができる。厚生労働省は医療機関に対して、この注意(警告)を通知・指導する。医療事故を未然に防ぐことを目的としたものであり、紛争削減に資するものである。

②勧告
事故調査報告書に基づいて、当該医師及び医療機関に対して適切に対処することを求める勧告を厚生労働省に行う。勧告内容としては、ア行政指導を求める場合、イ改善命令を求める場合が考えられる。アに該当するのは、無過失保障の対象となったものや過失内容が軽微であって、改善命令を求めるには至らない場合とする。これら以外で過失が認められたものについては、イの改善命令を出し再発防止策を求めるものとする。この場合についても、「~をしなさい」と行政機関側から命令するものと、「改善しなさい、よってその改善策を策定し提出しなさい」というものと分けた方がよいかもしれない。厳しいものは、例えば「別な専門医が着任するまで心臓外科手術患者の受け入れを停止しなさい」といった具体的命令が有り得るのではないかと考える。過失があまり大きくないならば、「~手術の実施環境を改善しなさい、その改善策を自分たちで策定して出しなさい」という命令で対処する、といった具合だ。

③建議
事故調査報告書で行政施策上影響の大きいものが原因となっていることが明らかとなった場合に、厚生労働大臣に対して建議するものとする。例えば、奈良県で「たらい回し」と報じられた事件のようなものであろうか。産科医療の救急搬送体制を都道府県が整備するべきである、といったことを求めるものである。或いは、○○の確率を低減する為に、「~ができる医療従事者を増やす施策を講じるべきである」ということを求めたりする、ということになろう。

この他、行政処分に関する意見(勧告?)を出すことが考えられる。医師個人に対しては、医道審議会への意見(勧告)を出す必要があるが、医道審議会の処分決定は年に1回とかなので対応が遅く問題があるかもしれない。医師個人への処分は、医師免許取消、医業停止があるが、これでは不十分であると考える。医業停止期間をもっと短くしてもいいので、医師の研修を義務付けて事故再発防止とすることの方が重視されるべきではないかと思われる。事故調査報告書が確定し医調委からの意見が出されたならば、処分決定を迅速に行い、比較的短期間(概ね3ヶ月以内?)の医業停止と同じくらいの研修期間を課すことにするべきである。研修は指定医療機関において行うものとする(事前に選定しておく。大体は大学病院とか大きな市中病院などで、実態的には研修医の研修機関とほぼ同じであろうか)。免許取消とか医業停止期間が長期に及ぶもの(大体1年以上?)は年に1回の決定でもよいかもしれないが、それ以下の処分については適宜決定を出すように変えるべきである。

医療機関に対する行政処分については、重いものであると保険医療機関の取消、病院の各種指定取消ということはあるが、必ずしも両罰的に(医師個人が処分を受けても医療機関にも責任があったと言えるかどうかは別問題の場合もあるので)処分をするべきものとは言えないだろう。事故原因の調査結果に応じて適切に処分決定がなされるべきである。基本的には、改善命令で対応することが多くなるであろう。


以上、制度について考えてみたが、専門的見地からの検討が必要であるし、もっと詳しい方々が検討するのが望ましい。
ただ、現状のままで放置しておくとか、不満を募らせていっても解決への道はほど遠く、何らかの「形」として提案できるようにする方が議論は進むであろうし、意見を受け入れられやすいのではないかと思う。その点だけ考えて、自分なりの考え方を書いてみた。

つぎはぎで書いたので、文体がオカシイ(いつもか、笑)のですが、どうぞご容赦下さい。



医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その5

2007年05月03日 22時22分08秒 | 法と医療
これまで、問題点について見てきたので、これからは制度設計について考えていくことにする。

1)概略

本シリーズで書いてきたように、医療側、患者・遺族側、司法側、行政側のそれぞれがバラバラになっており、これらを繋ぐ役割が存在していないことが問題の中心であると思う。そこで、これらを連結できる組織を整備することとする。この組織は委員会設置法で設置可能なものを考えている。米国の破産裁判所や日本の海難審判庁のような組織を作るよりも、委員会形式の方が設置が容易なのではないかと思う(現実にどうなのかは判らないが)。大雑把な組織の性格をいうと、公正取引委員会(以下、「公取委」と呼ぶ)や航空・鉄道事故調査委員会(以下、「事故調」と呼ぶ)を参考例としたものを想定している。

この委員会において、医療に関する民事訴訟の全てを処理することは想定しておらず、基本的には従来の民事訴訟は残される。定義は難しいのであるが、「医学の介入しない(介入するべきではない?)範囲」についての問題・係争は、通常の民事訴訟で処理されるということである。例えば、美容形成手術をした結果、患者が「術前に想定していたよりも美しい顔にならなかった、どうしてくれる、損害賠償せよ」というような主張をするような場合であろうか。

新たに設置する委員会の名称であるが、「医療事故調査委員会」とか「医事問題調査委員会」とか、適切な名称を考えて頂ければいいのではないかと思う。取りあえず、この委員会の名称を今後は『医調委』と呼ぶことにする。

医調委は患者・遺族、医師・医療機関又は行政機関の申立(申請?請求?、正確な呼び方は専門の方々に考えてもらいたい)があれば、調査を開始するものとする。医調委の調査によって事故原因の究明を行い、過失・責任等についての判定を行う。調査結果に基づき、「刑事告発」すべきと判断されれば、刑事処罰の対象として取り扱われる。それ以外においては、刑事処罰を受けないものとする。

医調委の調査結果から、過失認定、無過失保障、何もなし、の区分を行うこととする。過失があれば損害賠償請求の対象とするのは当然として、責められるべき重大な過失のない場合であっても「医療行為」に起因する合併症で被害を受けた場合には保障対象とする。このいずれかに該当する場合には、それ以後事実関係の係争は行わず、賠償(保障)額は示談(ADRのような制度?)か、その額が不服であれば損害賠償請求訴訟とする。過失責任がなく、また医療行為に起因した被害もない、「何もなし」である場合(呼び方として「却下」「棄却」とか似たような用語があるかもしれませんので正しく決めて下さればと)には、申立者には金銭は支払われないが、通常の民事裁判のような「裁判費用」が発生することはない(勿論、医調委で扱うべき事案に該当せず、ということもあるので、その時は通常の民事事件として裁判をやってくれ、ということになる)。

行政機関に対しては、調査結果に基づいて勧告・建議を出せることとし、必要な施策を講じることを求めることができるものとする。これを受けた行政機関(厚生労働省・厚生労働大臣)は、通知・通達を出したり、当該医師・医療機関に対して行政指導を行うことや改善命令(再発防止策の提出など)を出すものとする(都道府県・保健所等、下級機関でもよいだろう)。医道審議会に対しては、医師免許取消、医業停止、医業停止+指定する研修機関での再研修義務付け等、勧告できるものとする。

以上のように、刑事・民事・行政責任について、医調委で総括的に対応していくことで、これまでよりも専門的な判断が可能になり、行政施策上において「変えていける」可能性は高まるであろう。事故再発防止という観点からも、刑事・民事訴訟に頼ってきたことに比べれば望ましいのではないかと思う。科学的立場からの原因究明、再発防止、行政施策、被害者の保障・救済、これらを一体的に行えるようになること、これが重要であると考える。


以下からは各論的に述べていくこととする。

2)医調委の目的・役割

主として2つを考えている。1つは従来から存在してきた医療事故に関する紛争である(無過失であっても取りあえず事故と呼ぶことにする)。もう1つは、医療行為についての違法性の有無の判定である。参考までに、事故調の条文(設置法)を見てみると、次のように規定されている。

(所掌事務)
第三条  委員会の所掌事務は、次のとおりとする。
一  航空事故の原因を究明するための調査を行うこと。
二  航空事故に伴い発生した被害の原因を究明するための調査を行うこと。
三  航空事故の兆候について航空事故を防止する観点から必要な調査を行うこと。
四  鉄道事故の原因を究明するための調査を行うこと。
五  鉄道事故に伴い発生した被害の原因を究明するための調査を行うこと。
六  鉄道事故の兆候について鉄道事故を防止する観点から必要な調査を行うこと。
七  前各号の調査の結果に基づき、航空事故及び鉄道事故の防止並びにこれらの事故が発生した場合における被害の軽減のため講ずべき施策について勧告すること。
八  航空事故及び鉄道事故の防止並びにこれらの事故が発生した場合における被害の軽減のため講ずべき施策について建議すること。
九  前各号に掲げる事務を行うため必要な調査及び研究を行うこと。

これを土台として考えると、
①医療事故の原因究明
②医療事故に伴い発生した被害の原因究明
③再発防止
④施策の勧告
⑤施策の建議
⑥調査研究
ということになろうか。

これに加えて、事故調にない役割として、「⑦医療行為の違法性の有無の判定」を必須としておきたい(これはある種の「法令適用事前確認手続」(ノーアクションレター)にも該当するかもしれない)。これまでは厚生労働省の疑義解釈によって「通知」の形(通達もあるかも)で法令解釈が出されていたが、このレベルに問題があると思われるからである。厚労省の回答は実務とかけ離れているとか、実態にそぐわないとか、色々と問題が多すぎるからである。「内診行為問題」などがその1例である。従って、疑義については厚労省が受けるが、医調委に意見を求めることとし、医調委が「看護師は~をやってよい」という具合に判断を下してそれを厚労省に伝え、最終的にはその意見を元に厚労省が回答する、ということにするべきである。個別具体的な医療行為の違法性を判定するのは、専門性と豊富な臨床経験が必須であり、それがなければ適切に判断することはできない。

以前、看護師の内診行為問題で医師が起訴された刑事事件があった(参考記事)が、この事件では「保健師助産師看護師法第30条違反」ということで起訴された。「助産師以外は内診行為を行うことが違法である」とする解釈を出した厚労省の通知に基づくものと考えられた。個別の医療行為について、同法30条規定や医師法第17条規定に反するか否かといったことは、警察や検察には判定できないのである。本来的には、例えば詐欺事件とかニセ医者事件のような「無資格営業」という線引きの明瞭なものについて適用するのであると思う。


3)医調委の調査権限

公取委や事故調などに定型的に見られる権限を附与することでよいと考える。大まかに書くと、
①関係人や参考人の意見・報告の聴取
②鑑定人(外部専門家)の鑑定
③証拠類全ての保管権
④立入調査権
となっている。条文の表現方法には若干の違いはあるものの、大体共通した調査権限である。

①は事件の直接的関係者や病院管理者等、同地域の医療従事者等、想定では範囲に制限はほぼないと思う。委員会が必要と考えれば意見を聴くことはいくらでも可能である。公取委では警察のような取調ということではなく、任意の意見聴取という形が多いようであるので、実際の運用上でも任意の聴取ということになるであろう。正当事由なき拒否等があれば、罰則規定の適用は必要(形式的には条文中に罰則規定を盛り込む必要はあるということ)であろうが、通常の医療従事者では考え難いであろう。参考人としては、同僚医師とか近隣病院の同じ分野の医師といったことも考えられるであろう。「検査」、「質問」規定は必要であるなら入れておくべきだろう。

②の鑑定人であるが、これまでの裁判における鑑定人と意味合い的には似ているだろう。ただし、選任は医調委に委ねられるのでこれまでよりも運用は容易になる。専門分野の学者、臨床医、学会等に意見を求めることが可能であると思う。裁判での鑑定人は大学教授などであったりすることが多いだろうが、必ずしも「臨床経験が豊富」とは限らないので、一般臨床家からの意見を求め難い面があったかもしれない。所謂「教科書的意見」や「実践的ではない意見」というものが出されてしまうことも多々あった、ということである。そういうことの改善は期待できるようになるであろう。

③はこれも当然のもので、証拠保全とか提出と同じ意味合いである。医調委で必要と認める証拠類は全て預かり、調査終了まではその保管権を持つことになるであろう。「~の提出を命じ、~と留め置くことができる」とか何とかの条文で規定されるものである。事故調での規定では保全措置や立入禁止措置なども含まれている(事故現場などの大きい範囲が調査対象となる為だろう)が、現実に必要な範囲で条文に規定すればよいであろう。

④についてもありがちな規定であるが、立入調査において「何をどこまで調査できるのか」ということは細かい規定を見たことはないので、関係している範囲において制限はないと考えるのだろう。それであれば、①で触れた「検査できる」という規定はあまり意味はないかもしれないな、と思うのだが、別に規定されている法律は複数あったはず。法律の用語としては、厳密に規定されているのかもしれない。

他には、事故調で見られる「委託」という規定であるが、これはあった方が良いと思う。設置法では次のように書かれている。

(調査等の委託)
第十五条の二  委員会は、事故等調査を行うため必要があると認めるときは、調査又は研究の実施に関する事務の一部を、独立行政法人(独立行政法人通則法 (平成十一年法律第百三号)第二条第一項 に規定する独立行政法人をいう。第十八条において同じ。)、民法 (明治二十九年法律第八十九号)第三十四条 の規定により設立された法人、事業者その他の民間の団体又は学識経験を有する者に委託することができる。
2  前項の規定により事務の委託を受けた者若しくはその役員若しくは職員又はこれらの職にあつた者は、当該委託事務に関して知り得た秘密を漏らしてはならない。
3  第一項の規定により事務の委託を受けた者又はその役員若しくは職員であつて当該委託事務に従事するものは、刑法 (明治四十年法律第四十五号)その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。

例えば、薬剤に関する事件があって、その因果関係を調査したりする場合に、「委託」することで調査時間短縮、専門性の高い調査などが期待できる。「タミフル騒動」のような場合に因果関係の特定をすることは大変であり、そういう場合には「厚労省研究班」とか「○○大学」とか当事者以外に依頼して調査の一部を担わせることも必要になるからである。委託の場合には、「誰が請け負ったか」「どのような内容であったか」ということは非公開とするべきで(不利益を受けないとも限らない、中には同業者たちの逆恨みとかあるかもしれないし)、守秘義務を求められることも当然である。完全匿名であるが故に、公平な結果は期待できるのではないかと思う。多くの事故調査を行う必要があるかもしれず、そうなれば医調委の組織内部だけでは手が回らなくなる可能性がある為、委託を利用できる部分は利用した方が迅速な処理に繋がるであろう。


4)医調委の構成メンバー

手続関係にもよる(後述する予定)のだが、大体公取委に近い構成を想定している(あまり大掛かりにならなくてもいいけど)。基本的には実務経験の豊富な医師、法曹界の人(弁護士、判事経験者)が必須である。行政との折衝とか、行政の法規に関連する部分があるので、それらにも精通している人は必要であろう。

医師は主として技術的なこと、実務上のキーポイントを判断するのに必要であり、事件の本質に迫れるのは医師のみであると考えるので、メンバーということになる。但し、委員に選任される人は「両院の同意を得て」という形になる為に、名誉職というかある種の飾り的な面があるのであれば、やはり学識経験者(普通はどこかの大学教授だろう)ということになるかもしれない。手足になって調査するのが「優れた医師」であるなら、調査報告書をまとめたり実質的に動く人が正しく判断できていれば大丈夫かもしれないが、やや心配は残るか。

法曹を入れるのは、「法的判断」を求められることが大半になるので必然となる。医師等学識経験者は技術的・自然科学的判断を担い、法的側面を支えるのはこれら法曹ということになる。個別の医療行為の適法性についての判断や、刑事告発する事例の選別など、法学的問題とは切り離せない役割を持つので、合議制(非公開とする)として「突っ込んだ意見交換」を徹底的に行って、結果を出す、ということである。過去の判例、通知、疑義解釈等、広い範囲について検討する(時には、過去の判断を破棄・覆す必要性が出てくるかもしれない)ことになるので、かなり大変であろうと思う。

行政処分や勧告・建議を出すことになるので、医療行政政策について意見を出す、つまり部分的には「政治に口を出す」ことになり、そこら辺の役割はやはり「行政専門の人」が必要になるだろう。ただ、事務局関係は必ず行政の人が付くことになるので、委員会の委員に行政専門だった人を置く必然性はないかもしれない。しかし、医調委の役割として刑事・民事・行政の全ての分野にまたがっていることは確かであるので、行政関連の役割が低くなるという訳ではない。


長くなったので、取りあえず。


高野連はオカシイよ

2007年05月02日 23時04分53秒 | 教育問題
特待生制度は判明した分で334校、7千人以上の規模であった模様。

この前にも書いたが(奨学金や特待生制度は悪いことなのか?)、この制度そのものが「諸悪の根源」ではないであろう。夏の甲子園に出場できるのは、毎年900人くらいで、重複出場がないとして3年間で2700人くらいだ。春の選抜で1700人くらいなので、合計しても4400人にしかならない。つまり、奨学金を受けている生徒の4割くらいは出場できない。春夏とか、夏連続とか重複出場者がかなりいるから、制度利用者の半分かそれ以下の生徒しか出場できないのだ。


高野連は貧乏人のチャンスを潰すことが正しいことだと思っているらしい。貧乏人は野球を諦めろ、ということだ。


金で生徒を集めるのが悪いって?
だったら、アメリカの名門大学とか、みんな「あくどいことをやっている」ってことだね。「野球留学」がそんなに悪いことなのか?他のスポーツ選手だって、競技の指導者やトレーニング環境とか、色々な面を考慮して決めてるじゃないか。勉強できる人だって、「いい学校」に入ろうとあちこち行ってるじゃないか。それと何が違うのだ?受験に有利な進学校に、「堂々と」選んで行ってるじゃないか。


高野連のトンカチ頭は、どうかしてる。
トヨタが作った中高一貫だったかの私立学校があったと思うが、あれだって「あちこち」から集まってるんじゃないの?「勉学や人間形成や指導者やその他モロモロ」の条件を見て、行きたいと思う人が集まってくるんでしょ?高野連が盛んに批判している「野球留学」みたいなものと何が違うって言うんだ?

憧れの先生、監督、選手、そういう人たちのいる学校に行きたい、と願う生徒がいても不思議じゃないし、そこに奨学金制度があれば「貧乏人」であっても行けるチャンスが生まれるじゃないか。


もしも奨学制度があるから入学してきた「野球部員」がいて、入学前の約束として「授業料の免除があるからその高校に行ける」と思っていたのに、入学した後になってから、「やっぱり払ってくれ」なんていうのは、それこそ契約違反ということにはなりませんか?債務不履行なんじゃないの?高校が「授業料の全部、又は一部」を給付することは「不法原因給付」ということにはならないでしょ?きっと。入学予定の生徒が、高校野球では「特待制度や奨学金を受けた人は野球部員になれない」とか「対外試合や公式試合に出場できない」と正しく知っていたのにその制度を利用しようとした、というような特殊な場合じゃなけりゃ、生徒側に問題があったとは思われない。そうであるなら学校側は契約違反なのだから、その損害を弁償しなけりゃならないんじゃないの?すると、結局「金品を受取った」ということになってしまうのではないですか?

そういうのをどうするんだよ、高野連は。代わりに払ってくれるのか?

顧問弁護士とかにきちんと確かめるべきでは。
場合によっては、高野連を提訴することがあってもいいと思うが、どうなんだろうか。私立学校の団体とかで考えた方がいいと思う。野球憲章というのは、法律じゃないから、一種の慣習のようなものではないのでしょうか?その慣習にどれほどの正当性があるか、強制力が認められるのか、そこら辺は法的な問題でしょうから私には全然判りませんが、生徒側が余りに可哀想です。だって、過失は何もないんですもん。それを「何ら悪い事はしていない」のに、学校を信じて入学してきたら「試合に出られなくなりました」って、それはオカシイですよ。


高野連の役員たちは、自分たちが何か絶対的権力者のように振舞っているが、他団体の意見聴取もしないとかでいいのか?高野連の上部団体は何をやっているんだ?日本野球連盟みたいなのはなかった?そういうところは、何か言ってやれよ。8千人くらいの高校生が「お先真っ暗」のどん底の叩き落とされることになるかもしれないんだぞ?日本の野球を殺す気か?早急に何とかするべきだ。



地下には何が遺されているか

2007年05月02日 10時53分18秒 | 俺のそれ
何の脈絡もない話。因みに脈絡膜も無関係(笑)。

空は広くていいな、と思うが、地中は暗く限界が決まっている。ちょっと悲しい。

「屋上」や「消える飛行機雲」があるなら、「地下駐車場」とか「地下水脈」とか「燃えるマグマ」とかあると嬉しい。

深い、深ーい地層階の住人になってしまうと、永遠に日を浴びることはない。それが宿命。

シムシティでもそうなんだが、地上より上の高層部分に比べ地下は発展性が乏しいし。

恐らく、自分のいる階層が矢印よりずっと深いところなんだな、と思った。

確かにそうなのだ。

化石になるくらいしかないのかもしれない。



医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その4

2007年05月01日 20時04分01秒 | 法と医療
説明の仕方が悪かったかな、と気になることがあって、もうちょっと書いて行きたいと思います。

参考:
裁判における検証レベル

Terror of jurisdiction ― 司法権力が医療崩壊を加速する

医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その1

Terror of jurisdiction ~加古川事件について




加古川事件の「90%の確率で救命できた」というのと、「90%の確率で○○という技術が提供される」というのは違うのですよ。また例で考えてみたいと思います。

・降水確率90%

(正規の用語は定義を知りませんので、ご容赦下さい)
降水確率を単純に「ある日に雨が降る確率」ということにします。すると、「降水確率90%」であれば、バラツキはありますが、100日を取り出して調べると、雨が降る日は圧倒的に多くて90日くらいは実際に雨が降りますが、雨が降らない日は10日前後存在するわけです。降水確率90%であっても、です。こうした100日のグループを数多く調べてその平均を出していけば、そのグループの数が多くなればなるほどより90%丁度に近づいていくでしょう。

「降水確率90%」を対象となる日として、それが100日あるとします。対象日を、D1、D2、D3、…D100、と割り当てたとします。この時、「降水確率90%」という条件から、「どの日が雨が降らないか」ということを「事前に予測」することは困難です。仮に、D50は「雨が降るか降らないか」ということは(結果が出ているので)「事後的には判る」けれども、事前にどちらかを判定することはできません。もしも判定する要因が別に存在するとすれば、例えば「雲の量・面積」「気圧変動」「風速」「風向き」等の何らかの決定要因を見つけ出し、それに基づく条件を追加して、判定するということになります。でも、もしも、もっと別な要因が判っているとすれば、そもそも「降水確率」をもっと正確に決定できることになり、初めからその区分を用いておけばいいことになります。別な呼び名を割り当てて、それを「降水確率’」とすれば、新たな要因を加えた条件で判定すると、「降水確率’」は94%、とか、前の「降水確率」よりも精度が上がることになります。

加古川事件の裁判官は、「このD50という日は雨が降る」ということを事前に決定できるとしているものです。それが可能である、ということであれば、事前に決定できる要因について示し、立証するべきでありましょう。


・期待と結果は違う

期待水準はある程度規定することができると思いますが、結果について約束することは困難なことが多いのではないかと思います。

またカレー屋でスミマセンが、これが100軒あるとします。すると、「カツカレーが食べられる確率」というのは、客観的に判定できます。90軒でメニューに「カツカレー」がある場合、ある人がランダムにこの100軒を訪れるとすれば、「カツカレーが食べられる確率」は90%である、ということです。カレー屋に行く前に、「カツカレーが食べられるであろう」という期待として、90%の確率で期待できると言えます。

ところが、結果となると事前に約束することは難しい面があります。とあるカレー屋があって、非常に多くの客が来たとします。メニューは1つしかなく全く同一の「カレー」を食べた評価として、「美味しい」と答えた割合が90%、残り10%は「不味い」と答えたことが判っているとします。ある客が1人やってきて、そのカレーを食べた時何と答えるかを事前に決定できるでしょうか?「美味しいと答えるであろう」確率は90%でしょうけれども、「不味いと答えない」と何故判るのでしょうか。

判決としては、「カツカレーが食べられるように、メニューに入れるべき、作れる技術を有するべき」という水準を求めることは、可能であろうと思われます。社会的に「カレー屋ではカツカレーが食べられるべきである」という要請が強ければ(望ましければ)、それを判決に入れるかもしれない、ということは理解可能であるからです。しかし、問題となるのは、結果を約束する、というものなのです。裁判官の理屈では、90%の客が「美味しい」と答えているのだから、全ての客で「美味しい」と答えるはずで、「不味い」と答えた場合には過失と認定する、ということなのです。「美味しい」「不味い」を決定する要因というのは不確実であって、割合的には少ないけれども「不味い」との答えをゼロにはできず、それを少なくする努力はしているものの大変困難なのです。でも、裁判所はそれを「ゼロにできる」ということを主張しているのですよ。


・司法権力は結果を確実に決定できる特殊能力を持っている

ある疾病Sがあるとします。ある期間において、この疾病Sの死亡確率は10%であることが知られています。治療法としては、a1、a2、a3、…aN と色々あるものとします。どの治療法を行ったか(単独か、複数の組み合わせか)、或いは何も治療を受けていないか、規定できないけれども、死亡する確率は10%であるものとします。ここで、ある患者Pが疾病Sに罹患していて、他の死亡要因は皆無であるものとします。

この患者Pは死亡することは有り得ますか?
事前に「死亡しない」ということを決定できるでしょうか?
「疾病Sを有する人」1万人を集めて調べると、恐らく1000人前後の人が亡くなる、ということは事後的に判りますが、その1万人に含まれる特定の患者Pが事前に「どのような結果になるか」ということを確実に知ることは難しいのです。
しかし、加古川事件での裁判官の論理では、「死亡することは有り得ない」かつ「事前に決定できる」ということなのですよ。

治療法でa1を選択せず、a2を選択したので死亡した、とか、何らかの原因を特定できるのであれば、その論理を明らかにしてもらいたいですね。もし、本当にそれが可能であるならば、「完璧な治療法」を確立できるでしょう。すなわち、降水確率100%を事前に完全予測できる「何らかの理論」を発見したのと同じようなものではないかと。普通医療というのはそうした予測が極めて難しく要因が多くて複雑であるが故に、「何が原因なんだろうか、何を変えればいいのか」ということを探求しているのであって、そんなに簡単に結論が出るものであるなら誰も苦労はしないだろう。司法権力は特別な能力を有していて、Aさん、Bさん、Cさん、…それら全員について事前予測が可能なのだそうだ。それは本当に正しいと言えるだろうか?


・因果関係をどう考えるか

原因と結果が明瞭で必然的に起こるものであるなら、そもそもこうした疑義を生じたりはしない。それが明らかではないにも関わらず、裁判所の論理では「明らかである」と決定することに大きな問題があるのである。

いくつか例で考えてみよう。

○スイッチ入れる-風呂に水を注入-水が風呂から溢れた
風呂に水を入れていく時、溢れることが有り得るのだから、「溢れないように見張ってろ」とか「定量注入装置を付けとけ」とか「注意できないならスイッチを入れるな」と求めることができる。過失もはっきりしている。

○後ろを見ずに車がバックする-誰か轢く-死亡
ミラーを見ていれば気付いた、安全確認をしていれば防げた、というようことが明らかなのであれば、「ミラーを見なさい」「バックする前に後方確認せよ」ということを求めることができ、「見ていなかったのは過失」と認定できる。判り易い。

○青酸カリ投与-窒息-死亡
青酸カリを投与しなければ死亡しなかった、というのは必然で、「投与したことは過失」と認定できる。これも簡明である。「投与前に確認しなさい」とか「青酸カリの管理は厳重にやれ」とか求めることができる。

○筋弛緩薬投与-呼吸停止-死亡
これも必然的な結果であり、呼吸停止が起こるのだから「投与するなら呼吸させなさい」とか「呼吸させられないなら投与するな」ということを求めることになり、過失認定できる。

○錠剤Aを服用-下痢-脱水
この原因特定は難しいだろう。下痢となったので脱水、というのは一連の流れとして「相当の因果関係を持つ」ことは判るとしても、錠剤Aを服用した為に下痢となったかどうかは判らない。錠剤Aを服用した全員が同じ現象なのであれば、因果関係があると推定されるかもしれないが、1人だけ見ても、他の要因を否定できない限り、錠剤Aを原因と特定できない。錠剤Aはダイエット製品とか、普通の医薬品などがあったりするが、錠剤Aの作用(副作用)に関係なく、服用者が偶然カゼであったとか消化器系の疾患であったとか、別な理由があるかもしれない。そうであっても、裁判によっては「錠剤Aの副作用に下痢と書いてあるので、Aのせいだ」と認定されたりするかもしれない。他の要因を否定しきれていないにも関わらず、原因と決定してしまう、ということである。

錠剤Aの副作用として下痢の発生頻度が1%未満である時、「下痢の原因は何か」と考えるのではなく、「(副作用として書いてあるのだから)下痢の発生が予期できたのに、下痢を防げなかったので義務違反」という理屈を適用するのです。他の99%は「起こってないじゃないか」と。更には、「下痢を予防する薬を”内服しやすい環境”になっていなかったので義務違反」とかのかなり飛躍した理屈を持ち出されることさえあるのだ(万能な用語としての「義務」―際限なき義務化)。

○手術Bを実施-大量出血-死亡
出血というのは、多くの分野の手術において「合併症」として起こりえるものである。その程度の差はあれども、起こる。このある種の「副作用」発生をゼロにすることはできない。にも関わらず、司法の理屈では、「副作用の発生が知られているのだから、防げるはずだ」ということであり、極めて稀な「大量出血という重篤な合併症」について「起きることは許されない」ということである。

方法として、医療行為というのがcomplication発生を回避できないのであり、「薬の副作用発生」ということと意味合い的には同じである。大昔のように、外科的治療法が存在せず、「薬だけを使う」という医療であれば、副作用発生を回避できないのと同じである。治療法に名前を付けて治療法1、治療法2、…と割り当て、治療法1とは「薬物1を投与すること」、治療法2とは「薬物2を投与すること」、というようなものなら(中には「薬物xとyとzを複合して投与」というものもあるだろうが、治療として想定し得る全ての組み合わせを考えることは可能である)、「治療法1には合併症が発生する確率は~%」という具合になるのである。薬が「夢のような薬物」でない限り、良くないことは起こってしまうのである。ゼロにはできないのだ。「adverse event」が全くない「完璧な治療法」というものが存在しない限り、『「治療法N」におけるcomplicationの発生確率は0%』ということを達成できない。

内科的治療法においては、薬物の副作用等が存在することから「adverse event」を含むものである、ということが理解されるとして、外科系の治療法になった途端に「iatrogenic complicationは全て回避できる」という発想に繋がるのは何故なのかとは思う。治療法の割り当てを外科系も含めて「治療法n」まで果てしなく拡大していった時、取扱いとしては同じようになると思えるのだが。

薬を用いて重大な副作用が発生した時、「薬を用いなければ、副作用は発生しなかった」というのはその通りで、ならばその薬の重篤な副作用を全て未然に防げるかというと、それは難しいのである。例えばタミフル騒動みたいな場合に、「副作用があることは知られていたのに防げなかったのだから、事後的に処方した医師を刑事告訴する」ということですか?司法権力の考えることというのは、そういう発想しか持ちえないのです。「薬飲んだ→飛び降りた→飲まなければ死亡することはなかった=因果関係はあった=過失認定」ということですよ。「手術した→出血した→手術しなければ死ぬことはなかった」も同じなんですよ。


司法が求めることというのは、完璧な預言者であり、未来を正確に決定できる超能力者になれ、ということです。因果関係の推定も、原因探求も、根本的に間違った発想に基づいて行われており、それを是正させることはできません。裁判官権限はあまりにも強力であるからです。判決文についての詳細な検討が積み重ねられているならば、統一性も整合性もあるかもしれませんが、そういうことはあまり行われていませんし、法学関係・法曹関係の中で100人が同じものを判断したら「90%の確率でこうなる」というものではなさそうです。大体がバラバラです。つまり裁判はやってナンボの「でたとこ勝負」、ということで、その程度の「正確性でよい」というのを法曹界では「当然である」と考えている、ということでしょう。


・お詫び

最後に、お詫びしなければならないことがあります。加古川事件の記事の中で、次のように書いてしまいましたが、完全な誤りでした。どうもすみませんでした。
『第一に、日本全国で70分以内に転送可能かつPCI を即時実施可能な医療機関網が整備されているのか。大都市だけの特殊な事情で時間基準を語られても現実には実行不可能である。「○○分以内に治療を受けられれば助かった可能性」を語る時には、普遍性のある基準を適用するべきである。70分以上とか2時間以上行かないと無理だという地域もあるのなら、それらは「治療を受けられる権利、助かる権利があったにも関わらず、国や自治体がPCI を実施可能な医療機関を整備しておかなかったことは不法行為に該当する」ということなのか?』

この理由を述べておきます。
判例において、重要な指摘が存在しておりました。
「臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきもの」
(最高裁平成四年(オ)第二〇〇号同七年六月九日第二小法廷判決)
ということでした。
即ち、①全国一律の絶対的基準で考えるべきものでない、②医師の専門分野、③所属診療機関の性格(一般開業の診療所か、基幹病院か、大学病院か、等ということであろう)、④所在地域の医療環境特性、⑤諸般の事情、によって医療水準を考える必要がある、ということです。従いまして、日本全国云々とか、普遍性のある基準とか、医療機関網未整備は不法行為とか、これらは全部出鱈目でありました。上記①~⑤に則って考慮すべきことであるので、加古川事件の場合であれば加古川事件の当該地域における「医療基準」が存在する、ということになります。その基準は「加古川の当該地域のみ」で通用するものであって、他の地域においては個別に考慮するべきことなので、1つの判例での「医療基準」を他に当てはめてみるというのは、殆ど意味をなさないかもしれません。他地域の医療従事者の方々が心配してもしょうがないということですね。でも、別な地域にある裁判所の裁判官が「重要な判例」として参照してしまうかもしれませんけど。