ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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韓国の連座制&遡及法を考える④ 本間九介「朝鮮雑記」(1894)にみる連座制の事例から考えたこと

2016-06-03 23:46:21 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 → <韓国の連座制&遡及法を考える③ 北朝鮮の連座制と<成分>、金日成の「輝ける家系」等

        

 もうひと月以上経ってしまいましたが、久しぶりにすずらん通りのアジア文庫に行ってきました。内山書店のビルの、現在は2階にあります。
 そこで平積みになっていたのが上左の本。
 今年2月に「120年ぶりの復刊」とのふれ込みで刊行された本間九介「朝鮮雑記」(原著は1894年刊)です。復刊といっても原文そのままではなく現代語訳になっています。しかし豊富な挿絵は原書のままです。帯にもあるように、あのイザベラ・バード「朝鮮紀行」の4年前に出版されながら、以後“幻の書”とされていたとのことです。

 私ヌルボがこの本のことを知ったのは2008年です。この本は、今回の日本での現代語訳よりずっと早く、その2008年6月に韓国語訳(上右画像)が刊行されました。韓国紙「毎日経済新聞」のサイトに<日本浪人が見た1893年朝鮮の風景>と題した紹介記事が載りましたが、記事原文はその後削除されています。しかし、→コチラの2ちゃんねるの掲示板で(あの) 蚯蚓φ★さんが訳文を載せてくれています。
 おもしろそうな本なので、図書館等にあるかなと思って探しても見つからず。しかし<近代デジタルライブラリー>に収められていることを知りました。(→コチラ。)
 ただ、文語体&旧字体で画像も見づらいのでところどころ拾い読みした程度だったので、アジア文庫でこの現代語訳を見て迷わず購入し、思った通りの興味深い内容でイッキ読みしたというわけです。

 その内容ですが、この本間九介という人は実に好奇心旺盛だったとみえて、実にさまざまなところに目を向け、観察し考察したことを記述しています。
 まさにネタの宝庫なのですが、今回は1つに絞って取り上げます。(今この本が手許にないので、原文をそのまま載せます。)
 ※この本についていろいろ知りたい方は→コチラや→コチラのブログ記事参照。

<塞翁の馬>
 京畿道安城の両班秉轍は余の知人なり、昨春大科を經て第一に及第し、朝散大夫に任せられ、成均館出勤を命ぜらる、知人相會して之を慶賀す、數日にして又命あり曰く、其官を奪て江原道江陵に配竄すと、其理由書に曰く、汝の叔父曾て朝旨に違ひ天主教を奉じ、斬に處せられたるの罪人なり、其醜族の姪を以て、敢て科擧の試場に列す、其罪輕からず即ち江陵に配すと、人間萬事、塞翁の駒の如し、昨日の慶、今日の吊、余復何をか言はん唯氏貧、官を受くるも賄賂を獻じて長官に媚ぶるの餘なかりしを憫むのみ、


 つまり、筆者の知人の韓人がせっかく科挙に合格して官職を得たが、ほどなくして「叔父が天主教(カトリック)禁教に背いて斬罪に処せられたことを秘密にして科挙を受けたのはけしからん」という理由で江陵に追放刑となってしまった、というもの。

 私ヌルボ、この本の韓国人の大食やケンカのようす等々の記述を見て「昔も今も変わりないなー」と思いましたが、上のくだりも同様です。
 朝鮮王朝時代は大逆罪や国家反逆行為を犯した者は、その親兄弟だけでなくいとこや6親等・8親等の親族まで罰したそうですから、上記のような事例も当然だったのでしょう。
 また、天主教迫害といえば時期的には興宣大院君により8千人以上が捕縛・処刑されたという1866(~71)年の丙寅教獄の頃と思われますが、すると本間九介が現地で取材した20年以上前のこと。その間、1880年代前半にはキリスト教信教も容認され、(プロテスタントも含めて)布教活動が活発化しています。したがって、この筆者の知人の韓人のケースはキリスト教禁止に関連するものではありません。あるいは、記事から推量されるように、官吏が賄賂をあてにして彼の個人情報から見つけたネタということなのでしょうか?
 いずれにしろ、こうした理由をもって科挙に合格したほどの優秀な人材を処罰するとは、本間九介が理不尽に思うのは当然です。
 もちろん現代日本人の私ヌルボも。・・・ということでふと思ったのが、この100年以上も前と同様のことが今の韓国や北朝鮮でも形を変えつつも続いているのではないか?ということ。
 それは相手方の考え方がヘンだ、間違っているということではなく、「そんな何十年も前のことは関係ない」とか、「そんな会ったこともないような遠い親戚や何代も前の先祖なんて自分とは関係ないし、関係づける方がおかしい」と考えるのは自分が日本人だからで、韓国や北朝鮮ではそうは考えない人がわりとふつうにいるのかもしれない、という相対的な視点です。
 そう考えると、最近の日韓間の「歴史認識」や「補償」等々をめぐる齟齬の基底にあるものがわかるような気がしてきました。
 これがこの<韓国の連座制&遡及法を考える>シリーズのきっかけでした。

 前回の記事では「あと1回」と書きましたが、とりあえずここでひと区切り入れて、あともう1回まとめの記事を書くことにします。

 →<韓国の連座制&遡及法を考える⑤ 「先祖=自分」、「過去=現在」という仮説>
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韓国の連座制&遡及法を考える② 韓国内での<パルゲンイ(赤)>狩り

2016-05-30 19:11:07 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 → <韓国の連座制&遡及法を考える① 最近の「親日」論難の事例>

 1つ前の記事(その後の追加・訂正あり)で、韓国内での「親日派」とその子孫の追及が主に政界での反対派に対する攻撃材料として使われている例をあげました。

 ところが、「親日派」批判の声がとくに高まってきたのは軍事政権が倒れて民主化が進んだ1990年代以降のことで、それ以前はもっぱら「反共」が絶大な力を持っていました。反共が「国是」とされ学校でも反共教育がふつうに行われていたために、その威力は現在の「親日」追及よりもずっと強力でした。
 往時の反共教育についての関連記事は→コチラです。そこでも書きましたが、1992年私ヌルボが初めて韓国に行った時たまたま話をした釜山の人が「北韓でもふつうの人々が暮らしているということですよ」と言っていたのは、その少し前までの韓国では、子供ならずとも「北韓」の人間はツノが生えた鬼のようなヤツラと本気で思っていたということだったのでしょう。

 そんな時代(李承晩政権~軍事政権時代)に「パルゲンイ(빨갱이)」は徹底的に排除されました。つまり日本で言うところの「アカ」
 「パルゲンイ」=社会主義者です。しかし38度線の北に自らの意志で行った「越北者(월북자.ウォルブクチャ)」もほぼ同義で用いられるようになってしまいました。その中には李承晩政権を忌避した民族主義者等も含まれているのですが・・・。
 社会主義者や「越北」した人たちの中には、朴泰遠(パク・テウォン)、李泰俊(イ・テジュン)、洪命熹(ホン・ミョンヒ)、林和(イム・ファ)(←松本清張「北の詩人」のモデル)といった作家・詩人や李快大(イ・クェデ)のような画家もいますが、圧倒的に多くの無名の人々がいて、韓国に残されたその家族まで国によって差別された点は、ほぼ<大物>人士に限られる今の「親日」批判どころではない悲劇を生みました。

 韓国の有名人では、作家の李文烈(イ・ムニョル)や映画監督の林権澤(イム・グォンテク)は父親がその「パルゲンイ」だったことが知られています。また「恐怖の外人球団」で有名な漫画家の李賢世(イ・ヒョンセ)は叔父が越北し、朝鮮戦争当時は人民軍の兵士としてやってきたりしたため家族内にも深刻な葛藤が起こったそうです。
 ※李文烈(1948~)の父親は共産主義者で、朝鮮戦争当時独りで越北。彼の小説「若き日の肖像」には苦しかった青春時代が反映されています。その作品中に父親が越北したという人物も登場します。(ヌルボの感想文は→コチラ。)
 ※林権澤(1936~)の家庭については佐藤忠男「韓国映画の精神」(岩波書店)に詳しい。父は左翼の活動家で、→雑誌「新東亜」のインタビュー記事によると日本刀を下げた刑事が家に土足のまま上がってきて家探しをしたこともあったそうです。父はその後病を得て自首し、まもなく世を去ったとのことですが、林権澤は「パルゲンイの息子」と差別され、17歳の時家を出て釜山で靴商売をする等苦労が続いたそうです。こうした彼の経験は、映画「太白山脈」(→コチラ参照)に反映されています。「人民軍部隊が,彼らを歓迎するパルチザンの生存者たちに高圧的な態度を取り、パルチザンを失望させる場面は、朝鮮戦争時代の監督の実体験が反映されているのだそうだ」とあります。
 ※李賢世については→コチラのインタビュー記事(韓国語)参照。
 上記3人は後に世に認められて<有名人>になりましたが、世間から後ろ指をさされるのみならず、公務員になれない等々のハンディを負わされて不遇な人生を送った人は大勢いたと思われます。
 フィクションの世界で思い浮かぶのは、大ヒットしたTVドラマ「砂時計」(1995.SBS)の主人公の1人パク・テス(チェ・ミンス)。陸軍士官学校を受験しますが、亡くなった父親が共産主義者だったことを理由に不合格になり、結局はヤクザになってしまいます。
 小説では、(ヌルボは未読ですが)趙廷来の大河小説「漢江」にもそんな「パルゲンイ」の息子が登場するそうです。

 今は韓国社会も大きく変わり、「パルゲンイ」をことさらにあげつらう人は少なくなりました。とはいえ、今度は「従北(종북.チョンブク)」と名称を変えたラベルが登場し、そのラベルを「活用」した2013年の統合進歩党・李石基(イ・ソッキ)議員に対する国家保安法違反についての有罪判決と翌年の同党強制解散は保守政権下であいかわらず続いています。しかし少なくとも連座はこの従北ではないとみてよさそうです。
 ※その中で、例外的な発言をしているのが1つ前の記事でも名前を出した軍事評論家の池萬元(チ・マンウォン)氏。2008年に非公開で8億5千万を寄付してきたことが報じられて注目された女優ムン・グニョンについて、彼女の祖父(05年死去)が朝鮮戦争の時のパルチザン活動や1971年の統一革命党再建委員会事件に関わって計30年間服役した非転向長期囚であり、彼女が出演したドラマ「風の絵師」や映画「美人図」も背後に何らかの左翼の意図がある、などと主張していたとか。こうしたことに関連して池萬元が「パルゲンイ」の連座制を唱えている・・・というのはホントなんでしょうか? ほとんど「トンデモ論」といった感がありますが・・・。

 次に、現代の「連座制」と「遡及法」といえば(たぶん)ほとんどの人が思い浮かべるのが「例の国」なんですが、それは続きで、ということにします。

 → <韓国の連座制&遡及法を考える③ 北朝鮮の連座制と<成分>、金日成の「輝ける家系」等>
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韓国の連座制&遡及法を考える① 最近の「親日」論難の事例

2016-05-29 09:54:46 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 3つ前の記事(→コチラ)で、映画暗殺」のポイントは「反日」ではなく、「親日」批判だということを書きました。

 それに関連して、この10数年の間の「親日派」をめぐる問題の具体的事例を拾い、考えてみました。とりあえず、それらを時系列で並べてみます。

[2003年]
・国立光州博物館の李健茂(イ・ゴンム)館長を盧武鉉大統領が国立中央博物館長に任命した。すると、彼の祖父の歴史学界の泰斗・李丙燾(イ・ビョンド)の親日行跡議論に関連して批判的な声が上がった。(結局2003~06年中央博物館長在職。)

[2004年]
・当時与党だったウリ党は、野党ハンナラ党の代表となった朴槿恵に対する圧迫手段として、それまで中佐以上とされていた親日真相究明法の対象とされる軍人の階級を少尉以上に引き下げた。これは日本軍の中尉だった朴正煕元大統領をその対象とするのがねらいだった。
・ところが、そのウリ党の議長シン・ギナム議員の父親シン・サンムクはかつては日本名を重光國雄という日本軍憲兵伍長で、その親日行為がメディアで報じられるとシン・ギナムは議長を辞職した。
※シン・ギナム議員の父親の「過去」を明らかにした(保守誌の)「新東亜」の記事(→コチラは現在も読める)、こうした「親日」批判が反対派を攻撃する政治的手段として用いられていることがわかります。

[2005年]
・盧武鉉政権により旧親日派資産を没収するという「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」(→ウィキペディア)が制定された。

[2006年]
・上述の李健茂の兄・李長茂(イ・ジャンム)が国立ソウル大学の総長候補となった時も同様の批判が起こった。「オーマイニュース」は<親日派の子孫、ソウル大学総長に任命は正しいのか?>という記事(→コチラ)を載せている。
 ※李長茂・李健茂兄弟の祖父李丙燾(イ・ビョンド.1896~1989)は、早稲田大で津田左右吉の薫陶を受けた歴史学者。戦後はソウル大学教授を長く務め、実証的な研究を旨として韓国の近代的歴史学を主導した人物。(→韓国のウィキペディアを見ると、この一族はスゴイです!)

[2014年]
・女性歴史学者イ・インホが新KBS理事長として選任されると、祖父のイ・ミョンセの親日行跡を問題視して新政治民主連合の議員や市民団体から理事長を辞退すべきだとの声が上がった。祖父は儒学者・企業人であり、太平洋戦争で朝鮮人を動員するために作った団体の創立発起人で親日派の巨頭で、民族問題研究所(編)の「親日人名辞典」にも名前が登載されている人物である。
 イ・インホはそのままKBS理事長として在任。現在に至っています。→「中央日報(日本語版)」の関連記事(→コチラ)の見出しは<時代に逆行する「新連座制の亡霊」>と追及に批判的なのはやっぱり保守紙。

[2015年]
ホン・ヨンピョ新政治民主連合議員の祖父ホン・ジョンチョルは、2009年親日・反民族行為真相究明委員会が発表した日本植民地時代末期親日・反民族行為関係者704人の名簿に含まれた。これに対しホン・ヨンピョ議員は8月10日「親日派の子孫として謝罪する」と公開謝罪文を発表した。
 彼は「司法連座制はなくなったとしても、日帝の植民地支配に対する国民の胸の中の怒りの傷は癒えていないので機会が届くたびに、事実を明らかにして謝罪し反省することが子孫である私の運命だと受け入れています」と強調した。(→コチラ参照。)
チン・ソンホ元セヌリ党議員も、「祖父の日帝強制占領期間での行為を国民に対し申し訳ないと考える」とEメールを送ってきた。
・この2人と対照的なのが金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表で、彼は親日行為をした自分の父親の金龍周(キム・ヨンジュ)元全南紡織会長を評伝で愛国の志士として美化している。
 ※上の3人については8月の「ハンギョレ」の記事<親日反民族行為者の父を美化する韓国与党代表>(→コチラ)の記事による。その見出しの文言からもわかるように金武星代表を厳しく批判しているのに対して、2015年10月の「東亜日報(日本語版)」の記事(→コチラ)は<金武星氏、父親の親日批判に「息子として胸が痛む」>と金武星代表に寄り添った内容になっています。このあたりは進歩系新聞と保守系新聞の図式が即座に読み取れますね。
 全体的にみて進歩系の側の「親日派」批判が執拗なのは、先の「暗殺」についての記事にも書いたように、「親日派」批判が現在の保守陣営及び政財界の権力層批判につながるからです。
 「ハンギョレ」の記事は「朴槿恵大統領も父親の朴正煕元大統領の親日行為を謝ったことはない」と批判めいた書き方をしていますが、日本だとこのような本人ではなく父親や祖父の所行をもって非難することは筋違いの中傷とみなされるでしょう。韓国でもそのことは若干は意識されているようで、祖父や父の行ったこと自体ではなく、それに対する本人の見方が問題とことわり書きのような書き方をしている例がいくつもありました。

 また、池萬元(チ・マヌォン)という元軍人の保守系評論家がいて、ときどきお騒がせな発言をしたりしていますが、その彼が2004年「日帝強制占領下の親日反民族行為真相究明に関する特別法」を批判した発言中で「歴史を評価するためには『何が間違っていたのか』を評価すべきで、『誰が間違っていたか』を評価してはならない」と言っている(→コチラ)のは(私ヌルボも含め)多くの日本人が同感するのではないでしょうか?

 ところで、上記のような「親日」論難の各事例ですが、一般的な日本人の考え方にそぐわないのが「今の価値観を過去に遡って適用する」点と、「悪事を行った者の子孫に責を負わせる」点、つまり「遡及法」「連座制」の問題です。

★「連座」は韓国語では「연좌」。日本の歴史用語では犯罪者の親族に刑を及ぼすのを縁座それ以外の関係者に及ぼすのを連座と呼んで区別していましたが、今では前者も後者の一部として用いられているようです。韓国語だと縁座の読みも連座と同じ「연좌」で、辞書にも両方の漢字語が載っていますが、→韓国ウィキペディアの説明文をはじめ用例をみてみると一般的に両方の意味を含む語として用いられているようです。

 この「連座制」については過去日本にもありました。「連帯責任」といったものは今でも一部に残っていますが、上記の「縁座」は現在ではないのではないでしょうか? ところが韓国や北朝鮮では「親日」問題の他にもあります。
 「遡及法」にしても、現代の基準で過去を測るといった思考法はいろんな例が思い浮かびます。
 つまり、韓国内の「親日」問題を「反日」感情とだけ関連づけて見るのではなく、もっと広く韓国の伝統的な歴史認識・家族&民族観等といった大枠の中で理解する必要があるのでは、というのが(概してひかえめな性格の)私ヌルボの言いたいことです。

洪盛原(ホン・ソンウォン.1937~2008)という作家が1996年に発表した小説「されど」(本の泉社.2010)は、地方の町を舞台に、対立する2つの名望家のそれぞれの先々代が<親日派>だったか<独立功労者>だったかということが、まさに現在の政治に関わる問題として描かれている作品です。しかし、→コチラの記事に書いたように、そうしたレッテルの<貼り方>は問題としていても、レッテルそれ自体の意味は掘り下げられていない点や、50~70年も前の祖父の所業が現代に大きな影響を及ぼしたりしていることを疑問視していない点等々、私ヌルボとしては不満の多い内容でした。

 次回は「親日」以外の材料から考えてみます。

 → <韓国の連座制&遡及法を考える② 韓国内での<パルゲンイ(赤)>狩り>
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韓国の運転免許制度事情 「簡単すぎる」試験、年内に改定の見通し

2016-02-23 16:00:28 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 2月18日(木)免許証の更新で二俣川の運転免許試験場に行ってきました。
気が乗らないことをしなければならないのはすごく苦手で、かなり前から気にはかかっていたものの、結局足を運んだのは期限切れ4日前。

 今まで何度も来た試験場ですが、講習の教官の話では1963年にできて今年で63年目とのことで、近く移転したがんセンターの跡地に新しく建てて移るのだとか。というわけで、次に来る時にはこの建物はありません。で、一応写真を撮っておきました。
 とくに今回は、目の酷使によりドライアイ気味で視力がちょっと心配だったのですが、無事通過。やれやれ。私ヌルボ、「運転が示すあなたのお人柄」の標語そのままの優良ドライバーですが(笑)、過去減点ゼロはたぶん1回だけで、今回は30㎞/h制限の道を10㎞/hちょっとオーバーしたことが1度あって1時間の講習受講。大体そんなもの。で、毎度思うのは、この1時間の講習が全然タイクツではないこと。実際のドライブレコーダーによる事故等の記録で構成された映画(30分)、自己診断(13分)、講義(17分)といった内容で、講義も「危険行為を繰り返す自転車運転者の講習第1号は大阪の人で、2号は東京」とか「環状交差点は県内ではアリーナの近くと金沢区柳町(←知ってる!)の2ヵ所」とか、フムフムと聞いているうちに終わっちゃいました。この1時間に比べると、高校の(ふつうの)授業はいかに長く感じられることか・・・。

 さて、運転免許といえば韓国関係で最近話題になっているのがその簡単すぎる試験をめぐるあれこれ。たとえば2015年8月27日<レコードチャイナ>の「50メートル直進で合格」韓国の簡単過ぎる運転免許試験に、中国人が大挙押しかけ」と題した記事(→コチラ)。
 「2011年に国民の負担軽減を目的に運転免許試験が大幅に簡略化されて以来、中国から免許取得のため訪韓する人が増えているが、一方で安全に対する懸念も高まっている」という韓国・YTNテレビの報道を伝えています。あまりに簡単に、また安く免許を取得できるので、中国等から大勢免許目的で来るようになり、上海市は韓国での取得免許を認めない方針を決めたとも・・・。
 また、今年1月31日の<IRORIO>「簡単に取れすぎて怖い?韓国の運転免許試験」という記事(→コチラ)には、「日本の場合、数ヶ月間教習所に通うか、合宿で2週間程度」はかかるのに「韓国では全く運転知識や技術がない人でも最短3日間で取得できてしまいます」というその試験がいかに簡単かを示すとともに、「免許取得1年未満のドライバーの事故件数が、2010年8,200件から2012年9,200件と24%増加」しているという数字をあげています。
 ここで、とくに「簡単になった」というのは技能検定のことです。

 日本では、免許を取るには、次の[A][B]の2つの選択肢があります。
[A] 自動車教習所で、①技能検定(教習所内) ②技能検定(路上) ③運転免許センターで学科試験
[B] 運転免許センターで、①技能検定(センター内) ②技能検定(路上) ③学科試験


 韓国でも、日本と基本的に同じです。ところが2011年韓国道路交通公団は次のような内容の「運転免許試験制度の改善」を発表し(→コチラ参照.韓国語)、これに基づいて道路交通法が改正されました。

「運転免許試験場内の技能試験」を大幅に縮小する。道路走行試験(路上)と重複し、実際の運転にさほど役立たない。教習所(韓国語では運転専門学院(운전전문학원))での技能講習を25時間から8時間に減らす試験場内の技能試験はOECD加盟国では韓国と日本にしかない制度で、米英などでは学科試験や適性検査に合格すると練習免許を受けて、道路で運転の練習をして試験を受けることができる。自動車は道路を走行するためのもので、運転の練習も当然道路ですることが望ましい。
○試験場内の技能試験は簡素化するが、ほとんどの先進国で実施されるように道路走行試験は厳格に行い、交通安全が担保されるようにする。
○試験場内の技能試験が難しいため、大半は自動車教習所を利用しているが、このために少なくとも9日、平均76万ウォンほどの費用がかかり、時間的・経済的負担になっている。庶民の生計と学業のため、この負担を軽減しなければならない。


 ・・・というわけですが、この字句の通りとくに若年層の負担軽減が第一目的だったのか、李明博大統領(当時)の「人気取り」政策だったのか、あるいは別に「何か」ねらいがあったのか?
 それとも「こんなめんどくさいことをやってるのはあの日本とウチらだけだ!」という意識も大きく(?)作用したのか?(笑)
 ※この数字を見ると、たしかに日本の免許取得に必要な時間と費用は相当なものであることはたしかですが・・・。しかし、試験場での「一発試験」が今より簡単なレベルになるのも韓国の例を見なくても問題はあるでしょうね。ちなみに一発試験の合格率は5%くらいだそうです。

 で、どれだけ簡単になったかというと・・・。
 上図は2011年の改定以前の技能試験コース。(日本人にしてみれば)まあこんなところだなと思いますが・・・。
 ところか、改定後のコース(下)を見ると、アリャリャです。


 なんだ、これは?と笑っちゃうレベル。
 1.停止状態で運転装置の操作。エンジンかけ、ギアを変更し、ヘッドライトを点け、ウィンカーを動かし、ミラーを調整し、ワイパーを操作し確認します。あ、まずシートベルト着用を忘れると即アウト、ですね。
 2.走行状態で運転装置操作。突発時を想定し急ブレーキをかけます。といっても、全部で50mの距離なので、その先を左折して・・・。
 3.試験終了。アラ、もうオシマイ。S字、坂道発進、車庫入れ等々初心者が苦手とする項目は皆無です。

 では、「厳格に行う」という道路走行試験はどうなのでしょうか?
 昨年夏頃から(?)、韓国の各メディアでは「簡単すぎる免許試験」を批判的に取り上げていますが、今年1月8日の「朝鮮日報」には「目をつぶっても受かるという運転免許・・・5分の動画だけ見て技能試験'満点合格'」という記者自身の体験記事(→コチラ)がありました。その動画では「50m走行ではアクセルは踏まずにブレーキから足を離すだけでよい。下手にアクセルを踏まない方がよい」といった実戦的な方法を教えてくれたとかで、首尾よく満点合格とこと。次の筆記試験でも、スマホで模擬試験を取り込んで3回やってみた後、本番では86点で合格。30分後の発表で高得点者になっていた、とあります。そしていよいよ最後の難関の道路走行試験。5つのコースごとに15分内外の動画を視聴した後試験用乗用車に乗り込んだのは「生まれて初めての運転」とのことで「試験場を出るのに手足がぶるぶる震えた」
とは! 「アクセルとブレーキがあまりにも軽かった」という記者氏、急発進と急停車を繰り返し、結局途中で合格ラインの70点を割ってしまって不合格に。「幸いなことに脱落した」というのは本人だけの感想ではありません。
 他の韓国ブログにあった道路走行試験の図を下に貼っておきます。
 これを見ると、コースの途中には初等学校(小学校)や老人会館もあったりして、上記の記者のような未熟な運転者の車が走行するにはどうみても危険です。

 2011年の改定の年には、「朝鮮日報」も「日本で免許を取るには450万ウォンもかかるが韓国では50万ウォンですむ」とか「だから東南アジアの労働者や、時には日本人も韓国に来て免許を取る」といったことを肯定的に報道していました。(→コチラ。) ところがここに至ってメディア&世論は批判一色のようです。これを受けて
今年1月27日韓国警察庁は「初心者ドライバーの安全運転能力の向上のため」今年下半期に施行予定という「運転免許試験改善案」を発表しました。(→「東亜日報」参照。) そこで提示された試験場内技能試験のコースは下のようなものです。
 要するに、ある程度難しくなるということ。具体的には
 ①コースを300m以上に延長する。
 ②次の5つの評価項目を追加する。左右回転・信号交差点・スロープ・前進加速・直角駐車


 ・・・と、このようなニュースが伝えられた後、「免許を取るなら今のうち」とばかり多数の受験者が試験場に押し寄せているそうです。さもありなん。
 うーむ、この記事もまたちょっと深入りしすきたかも・・・。

 午前中に新しい免許証を受け取った私ヌルボ、精神的に疲れたこの日の午後、今度は体力的に疲れる所に行ってきました。というのが次の次の記事になるはずです。

★この記事をまとめる中で知った韓国と日本の普通免許の相違点(私ヌルボがちょっと興味を持った事柄)
 ○日本では、バスやタクシーなどの運転者が第二種運転免許で、その他一般の免許が第一種運転免許だが、韓国ではバスやタクシーなどの運転者の方が第一種である。
 ○視力について。日本では両目で0.7以上、・・・とだけ思っていましたが、厳密には片目でそれぞれ0.3以上で両目なら0.7以上。また片目が0.3以下でも、もう1つの目の視力が0.7以上で左右の視野が150度以上ならOKとのことです。で韓国の場合は、左右いずれかの視力が0.5以上で、もう一方の視力が0.8以上
 ○免許の更新は日本では5年ごとだが、韓国では10年ごと! 手続きの期間は、合格(または更新)から10年後の年の1月1日~12月31日の1年間。
 ○交通違反や事故等による罰点が基準を超えると免許が取り消される。その基準は1年間120点、2年間200点、3年間270点の累積減点。ちなみに、20㎞/hを超える制限速度違反は罰点15点。血中アルコール濃度0.05%以上0.1%未満の飲酒運転は罰点100点。※日本では0.05%以上でで免許取消。
 罰点は免許更新手続とかとは関係ないのかな?(講習等)
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[韓国]哀しい流行 スジョ・ビンゴゲームに挑戦(?)してみる

2015-12-28 23:23:14 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)

 一応1つ前の記事の続きです。上の表みたいなものは、この秋頃から韓国で話題の<スジョ・ビンゴゲーム(수저 빙고게임)>です。
 수저(スジョ)とは、숟가락(スッカラク.匙)젓가락(チョッカラク.箸)のことです。したがって、直訳すると<匙&箸ビンゴゲーム>となります。
 5×5=25のマスのそれぞれに記された文の内容が自分の家や家族に合致していればチェックしていって、タテ・ヨコ・ななめのビンゴが何本かできるかどうか・・・というものですが、やっていくうちになんだか哀しくなってきます
 つまり、このヒンゴゲームは、主に若い人たちが自分の生まれ育った家庭がどんなレベルにあるのかを測るものなのです。

 で、なぜ<匙&箸>なのかというと、西洋の「銀の匙をくわえて生まれてきた」という表現を元に、自分の生まれた家庭のレベルを金の匙&箸・銀の匙&箸・銅の匙&箸・土の匙&箸の4段階に分けてランク付けした<スプーン・ビンゴゲーム>と訳しています。)
 それぞれのレベルを分ける数字は次のようなものです。(※大雑把にいえば、ウォンの数字を1ケタ減らすと日本円になる。)
  金の匙&箸=資産20億ウォン以上 または世帯年収2億ウォン以上
  銀の匙&箸=資産10億ウォン以上 または世帯年収1億ウォン以上
  銅の匙&箸=資産5億ウォン以上 または年収5500万ウォン以上
  土の匙&箸=上記に属さない場合
 銅のレベルでも相当高い数字ですが、→コチラの記事(韓国語)によると、金の匙&箸の上にダイヤ匙&箸というランクができたとか。資産30億円以上 または年収3億ウォン以上です。

 しかし、この25の文を見ると、必ずしも資産に直結するものに限らず、生活の「質」に関わるものが多いことに気づきます。カーペットの穴やカビ等に対処するような心の余裕、時間の余裕があるか等々・・・。また、すべてが子供の立場ではどうしようもない、いわば宿命といったものです。
 
 さて、<수저 빙고게임>で韓国サイトを検索してみると、このゲームをやってみた人がそれぞれ自分の結果を画像で公開しています。右はその一例です。こんな画像が30見つかったので、集計してみました。冒頭の画像の25個の枠の右下の赤字の数字です。
 チェックされたマスの数の平均は約15個なので、右の例はわりと少なめですね。ちなみに一番少なかった人が5個。これは抜群。逆に一番多かった人は23個が2人。これは悲惨! ビンゴが1列でもできれば<土の箸&匙>とされるのに、8列も生じています・・・。

 私ヌルボ自身、意味が今ひとつ理解しきれていない文もありますが、留意点や気がついたことを列記します。

・韓国人は日本人のようにほぼ毎日入浴する習慣がないので、浴槽のない家はふつうにある。シャワーはあり、またトイレも同じ所にある。したがって30人中17人が「家に浴槽がない」というのも、決して「驚くべき数字」ではありません。
・アルバイトの略語は韓国語ではバイトではなく、알바(アルバ)。韓国では大学の授業料のことを登録金(등록금)といいますが、その額は日本よりやや低めか、ほぼ同水準。(→コチラ参照。)
 アルバイトをせざるをえず、それでも大変な学生も大勢いて、大きな問題になってします。下画像は人気漫画家カンプルが描いた漫画。アルバイトをしても足りないので学資ローンを借りざるをえないとか。借金の額は約1000万円になる・・・ということが記されています。

<中古ナラ(중고나라)>というサイト(→コチラ)は知りませんでした。電気製品・衣料品・雑貨・本等の他、中古車も扱っているのですね。(日本でも最近アマゾンとかヤフーでやってるか。そういう時代になったんだな・・・。) →10万ウォンでこんな中古車もあります。カワイイのでちょっと見てみて下さい。
 一方、詐欺事件も起こったりしています。(たとえば→コチラ。)
・数が一番少ないのが「テーブルクロスがビニール」というものですが、個々読んでみると、「テーブル(食卓)自体がない」という人も複数いました。1人用のお膳ならまだしも、「食器を床に置いて食べる」とか・・・。
ウォシュレット(←韓国ではふつうビデ(비데)という)については、<韓国の「例の」トイレットペーパー事情>と題した過去記事(→コチラ)のコメント欄でいろんなやりとりがありました。そこで「アパート(←マンションのこと)の場合は2割程度はウォシュレットなのかな?と思います」と書いてしまいましたが、ここでは大体3分の1といったところ。あるからといってすごいリッチというわけでもなく、なくてもプアとはいえないレベルでしょうか。
・家賃について。「保証金が1億ウォン」とはすごく高い印象をうけますが、これは伝貰(전세.チョンセ)という韓国独自の方式で、最初にどかっと高額の保証金を出しておけば、その家を出る時に全額戻してもらえるというもの。その間月々の家賃は不必要で、家主は保証金を運用して別途収入を得るという仕組みです。近年伝貰は運用効果があまり期待できなくなったため減ってきて、ふつうに毎月家賃を払う月貰(월세.ウォルセ)が多くなっているそうです。
・「家にカビ」が約6割か。私ヌルボがしばしば利用している安モーテルの場合もそんな比率かも・・・。あ、実はわが家もそうだったりして・・・。

 ・・・というわけで、1つ前の記事に引き続き私ヌルボ、韓国の厳しい状況についてあらためていろんな事実を知ったわけです。で、なんとなく市立図書館3Fで12月25日付「朝鮮日報」を見ると、「韓国の大学生、3割はクリスマスにアルバイト」という記事が目に入りました。これは日本語版に載ってます。(→コチラ。) 「クリスマスから年末年始にかけての時期は、大学生や就職浪人たちにとって稼ぎ時となる」そうですが、大学院生Sさん(24)もその彼女も「学費や生活費を出すだけで精一杯」なんですと。
 ところが別の面を見ると、でかでかと<青年雇用・非正規職に目をそむけて・・・もらえるものはすべてもらう現代自動車労組>という見出し。(下画像)
 ざっと目を通してみると、平均賃金は9700万円にもなるそうですよ。トヨタ(8351万ウォン)やフォルクスワーゲン(9062万ウォン)をも上回る数字。→コチラの記事(日本語)にその理由・背景等が描かれています。(←「なんだかなー」の記事。) まあたしかに<貴族労組>なんでしょうが、それよりもっと批判すべきところがあるんじゃないのかなー?
 グローバリズムの中で競争に「勝ちぬくために・・・」というが、なんでどこの国でも労働者が生活が脅かされるほどのしわ寄せを被らなければならんのか? 労働基本権についてもきちんとしたグローバルスタンダードが確立されなければ・・・。
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「ヘル朝鮮」をはじめ、今年の流行語が示す若者が生きにくい韓国社会の現実

2015-12-28 13:53:41 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 今年の韓国を代表する流行語、そして今の韓国社会を端的に示す言葉はやはり「헬조선(ヘル朝鮮)」でしょう。<ヘル>hell、つまり「地獄のような朝鮮」という意味です。
 元はというと、2012年頃に掲示板サイト<DCインサイド>に登場した新語で、とくに歴史ギャラリーで2014年1月から放映された時代劇大河ドラマ「鄭道伝」についてのスレに登場して昔の朝鮮王朝時代の悲惨な状況等について用いられていたようです。それが今年夏頃から急速に広まったのは、多くの深刻な問題を抱えた韓国社会を表す言葉として人々を捉えたからでしょう。
 「非正規職労働者が850万人、最低賃金未満を受ける労働者が230万人、青年失業者が100万人」といった数字に表れている労働&就業問題、高齢化が進む中での医療費・年金等の福祉問題、相変わらずの教育に関する諸問題等々・・・。
 その中でも、特にしわ寄せをくらっているのが若者たちです。
私ヌルボ、三抛世代(サンポセデ)の抱える悩みは日本の若年層と共通>という記事(→コチラ)を書いたのが2012年11月でした。恋愛結婚出産の3つをあきらめた世代」という意味です。ところが、その後放棄せざるをえないものが増えていきました。マイホーム就業人間関係、そして将来への夢や希望。<三抛世代>は<五抛世代><七抛世代>と数を増し、最近は<N포세대(N抛世代)>にまで至っているそうです。
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 8月6日の「オーマイニュース」の記事(→コチラ)によると、「ヘル朝鮮を地獄と比較することは、地獄にも失礼だ」との声もあるそうです。「地獄は少なくとも罪を犯した者が罰を受ける所なのに、ヘル韓国は「有銭無罪・無銭有罪」だから」
 そんな若者に対して、<꼰대(コンデ)>すなわち「現状を知らず昔の自分の経験と価値観だけで意見する年寄り」노오력(ノオリョク.努~力)しろ!」と言うが、努力しても報われないのがまさに今の韓国だ、というのが若者たちの声です。
 ※この「ノオリョク(노오력)」は、9月4日の「京郷新聞」の記事(→コチラ)によれば朴槿恵大統領が子供の日のイベントで「国が発展して国民が快適に暮らすための努力を続け、大統領までになった。本当に切に願えば全宇宙が助けてくれる」と言ったのがきっかけになって広まった言葉とのこと。

 <財閥ドットコム>の昨年の調査によれば、韓国の株長者最上位100人中85人は世襲財閥一族でした。特に保有資産1兆ウォン以上のスーパー富豪上位10人はすべて財閥家出身の <継承型`金持ち>でした。逆に庶民は不可欠の生活費の他に大学の授業料、伝貰(チョンセ=借家の保証金)の資金、医療費などで借金を抱えています。所得下位20%の所得に対する負債の比率は、2010年に143.1%で、翌年には201.7%まで増えました。(→コチラの記事参照。) このように、年々階層の固定化が進んでいます。

 日本でも、世代間の不平等化の固定化or増幅が問題化してきたのは80年代頃からでしょうか? その後90年代末に中流崩壊が話題となり、2006年に「格差社会」が流行語大賞の上位にランクイン。この分野でも韓国は日本の後を急速に追いかけてきていますね。

 そんな社会状況の中で挫折し幻滅した若者がネット社会で<ヘル朝鮮>等の自嘲的な言葉を流しているとのことです。他にも<亡韓民国(망한민국)><犬韓民国(개한민국)>というのもあります。そういえば、<DCインサイド>によると2014年の流行語も1位は<센송(センソン)>でした。「조센징이라 죄송합니다(チョーセンジンで悪かったですね)」の縮約語です。2位の「미개(未開)」も韓国のこと指している自虐的な言葉です。(→「ヘラルド経済」参照。)

 まあ<DCインサイド>というサイトの特性もあると思いますが、そこで生まれた新語が一般にもそれなりに広がり、マスメディアでも注目されるのは、社会にそんな要素が確実にあるということを物語っています。

 ネット上では、今年5月にある男性キム氏(30)がその名も<ヘル朝鮮>というサイトを立ち上げました。(→コチラ)。
 このサイトのタイトル画像(下)を見てみると・・・。

 <헬조선 오늘의 한마디(ヘル朝鮮 今日の一言)>の下に大きく죽창 앞에선 모두가 평등하다(竹槍の前では皆が平等だ)>というスローガンが記されています。その左の竹の絵は何かと思ったら、たしかに竹槍です。
 しかし竹槍とは穏やかじゃないですね。<プレシアン>が8月6日付の「怒る20代30代コチラ.韓国語)で管理者のキム氏との書面インタビューの内容を報じていますが、その中にこの竹槍の意味についても訊いています。それに対してキム氏は次のように答えています。
 各種の武器は特定の意味を持っていると思います。 たとえば剣は武力や規律を象徴しています。鉄槌は洋の東西を問わず厳格な権力の象徴となりました。
 槍は歴史的に生存権を象徴します。槍の中でも最も低級な竹槍は生存を越えて<最後の抵抗>のような感じがします。したがって「竹槍を持とう」というヘル朝鮮のフレーズは、極端に突き上げる私たちの社会の現実に膝を屈した私たちのサイト利用者たちの強烈なほどの自己破壊的な放棄宣言と思えばいいです。他の選択肢がないという意味を持ったヘル朝鮮のキーワードであるわけです。あえてより簡単に言えば、すでに数多くの嘘に疲れた私たちのサイト利用者たちの「おまえも1突き、俺も1突き、一緒に死のう!」というような比喩です。どうですか? あまり危険ではないですよね?

 竹槍は、甲午農民戦争(1894)の時の東学農民軍の武器でした。そのことと関連付けて、10月25日付の「ハンギョレ」コラム(→コチラ)は、このスローガンについて東学が掲げた「人乃天」の思想、つまり「身分差別のない世の中」に目を向けるものとして見るのが正しい、と記しています。また先に引用した<オーマイニュース>の「地獄にも劣るヘル朝鮮」という記事でも、この東学の<人乃天>の平等思想を引き合いに竹槍に理解を示しています。

 さて、この<ヘル朝鮮>のサイトは深刻な内容ばかりでもなく、笑いの要素もあります。この中の「脱朝鮮」掲示板で一番の人気を集めているのが右の画像。「脱朝鮮は不可能です」という文字とともに、犬が包丁をくわえて走ってきて「ご主人様、早く自殺を!」と叫んでいる絵が笑えます。(なんという忠犬! 笑いごとでもないですが・・・。)

 以上、「ヘル朝鮮」やそれに関連する流行語を集めてみました。この延長で、今秋頃から流行している<スジョ・ビンゴゲーム(수저 빙고게임)>というのがあるのですが、これについてはすぐ→次の記事で・・・。

★おまけ <ヘル韓国>のサイトの投稿動画で、今年の大ヒット映画「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の字幕を「ヘル朝鮮」関係に変えたパロディ「ヘル朝鮮 憤怒の2030」が人気です。YouTubeにあったので貼っておきます。[2020年7月21日]YouTubeの動画がなくなっているので、カカオトークの動画(中身は同じ)のリンクを貼っておきます。→コチラ
[ハングル字幕の日本語訳]
  このHELLで俺はコンデたちから必死で逃げている。7抛世代、すべてを捨てて我々に残されたものは「脱朝鮮」。
  おまえたちはただ、「努~力」を通してのみ、この弱肉強食の世で生き残れる。
  我々は既得権の奴隷じゃない! 奴隷じゃないのだ!
  韓国がそんなに嫌なら北朝鮮にでも行けだと!
  英語幼稚園・英才教育・テコンドー・ピアノ・美術学院・国際中学校・内申・遂行評価・特目高・中間考査・期末考査・奉仕活動・修能・名門大・TOEIC・資格証・対外活動・スペック・就職・昇進・結婚・出産・育児・マイホーム計画・子女教育
  ヘル朝鮮? あえて祖国をけなすとは
  我々の時はもっと大変だった!
  韓国がいかに暮らしやすいか!
  俺のように順応して生きろ!
  生き残りたいか?
  移民しろ!
  熱心に勉強して希望大学に行っても
  努力を重ねて良い技術を身につけても
  我々に残るものは
  借金、失業、拍動にあえぐ人生
  いかに努力しても 変わるものはない
  腐敗した政治圏と政府
  人間を奴隷扱いする企業
  我々が脱朝鮮を夢見ると
  世間は我々を「脱鮮」と呼び、「極端な祖国非難」と批判する
  なぜ祖国を侮辱してはいけないのか
  現実は愛国心を持とうとしても持てない地獄なのに
  「ヘル朝鮮」コミュニティ
  5月のオープン後毎月10~20%の勢いで成長
  1日訪問者2~3千人
  この中の60%が20~30代
  この国の若者たちが考える
  大韓民国
  社会矛盾を指摘すればパルゲンイ(アカ)、敗北者とされる国
  若者が苦しければ青春とされる国
  義務や山のようで、権利はない国
  ヘル朝鮮 憤怒の2030
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「ジャップ」? 「韓国に劣る法制度を持つ日本」? 最近の朝鮮日報(日本語版)の不適切な見出し

2015-11-19 23:52:23 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 gooブログには<アクセス解析>というのがあって(他のブログにもあるか)、 毎日どの記事に何PVのアクセスがあったかがわかるようになっています。
 11月14~15日、「朝鮮日報」の知日派記者・鮮于鉦(ソヌ・ジョン)論説委員についての記事(→コチラ)へのアクセスが急に増えているのでその理由を探索したところ、14日付の「朝鮮日報 日本語版」の<「ジャップ」が東京裁判を検証!? 米国の胸中やいかに>という鮮于鉦氏の記事(→コチラ)によることがわかりました。見出しの「ジャップ」という言葉がなんともキョーレツで、カチンときた人は多かったと思います。しかし記事本文はとりたてて過激というレベルでもなく、この「ジャップ」という言葉も、ある文書中の「数ある裏切り者の中でもジャップは最悪」というキッシンジャーの言葉として紹介され、記事の結語で「・・・・米国の胸中が気になる。「ジャップは最悪」と、また怒っているのだろうか」と再び用いているにすぎません。(それでも問題視する人もいるでしょうが・・・。)
 しかし、この見出しの文言だと、鮮于鉦論説委員自身、あるいは「朝鮮日報」が日本のことを「ジャップ」と罵っているように受け止められかねません。
 ところで、世界一の数を誇る日本人の新聞購読者ですが、新聞記事を書く記者と見出しをつける記者(整理部デスク)は違うということはどれだけ知られているでしょうか?
 ましてや<日本語版>。韓国版の元記事(→コチラ)で確かめたところ、見出しはたんに<도쿄재판 '검증'(東京裁判 '検証')>と、'検証'に‘ ’がついている程度の穏当なものなっています。
 記事を書いた記者もデスクがつけた見出しを一応は見て確認すると思いますが、外国語版の見出しまでは見ていないのではないでしょうか? ・・・と考えると、この<「ジャップ」云々>の見出しを鮮于鉦論説委員が見たかは大いに疑問があります。

 さて、上記の14日の記事から5日後の今日19日にも「この見出しは何だ?」という記事が「朝鮮日報 日本語版」に登場しました。<韓国に劣る法制度を持つ日本が問う韓国の法治主義>です。(→コチラ。)
 この記事が現時点でのアクセス数第1位というのはよくわかります。「韓国に劣る法制度を持つ日本」とはね~。(笑) ・・・と、私ヌルボも思わず(笑)をつけてしまいましたが、嘲笑の(笑)ではないので誤解なきよう・・・。
 このコラムの筆者は辛貞録(シン・ジョンロク)論説委員なのですが、本文を読んでみると日本で開かれた両国の記者たち(朝・読・毎の論説委員)との討論会の席で日本側から出された「韓国は本当に法治主義国家なのか?」という発言について書かれたものです。その中で「韓国に劣る法制度を持つ日本」に該当するのは次の部分です。

 日本といえば「解釈の見直し」という理解しがたいやり方で憲法の内容まで変えてしまった国だ。だからといって法治主義ではないとは言えないが、制度そのものだけを見れば韓国よりも抜け穴や粗が多い。だから、その質問が自己矛盾であることは明らかだ。それでも日本人記者たちはこの質問を真顔で韓国側に突き付けてきた。

 この記事ですが、日本の法制度を批判はしているものの、「制度そのものだけを見れば」とただし書き付きで、総体的に「韓国に劣る法制度」と決めつけてもいないように思われます。全文を読んでも日本側に強く憤りをぶつけている論調ではなく、「話はずっと空回りし、お互い「壁を見ながら話をして別れた」という印象すらした」といった無力感の漂うコラムで、どうもこの見出しも記事内容には合っていないと思われます。<韓日の法意識の較差を痛感>としても何ら問題がなさそうなんですけどねー・・・。
 もしやと思い、この記事もまた元の韓国語の記事を見てみました。(→コチラ。)
 するとソチラの見出しは<"한국 법치주의 맞느냐"는 日 기자들의 질문("韓国は法治主義なのか?"という日本記者たちの質問)>ではないですか! 日本語版の見出しとは全然受ける印象が違います。
 上述のように、見出しは整理部デスクが付けるのですが、この<日本語版>では東京駐在のごく少人数がチェックするだけで本決まりになるのでしょうか?

 私ヌルボ、現今の日韓間の感情的な摩擦は「根も葉もある」ことと認識していますが、このようなしょうもないことでそれを増幅させることは避けてほしいものです。記事を書いた記者に対する(誤解に基づく)反発も生んでしまいます。もし見出し担当者が日本人読者の受けとめ方に考えが及ばないとすれば、それは日本語能力の不足と、日本人の国民感情といったものに対する理解不足というものです。

 ・・・というわけなので、日本人読者も見出しの文言のみで感情的にならないように留意したいものです。
 同じ討論会に参加した日本側の記者の感想はどんなものかなと少し気になりましたが、そうした記事は伊万里ところないようです。
 
 ※韓国(の政府やメディア等)を批判すると「右翼」とか「嫌韓」と見られたり、日本の政府等を批判すると「反日」「親韓」などと見られたりしがちですが、私ヌルボはそんな安直なレッテル貼りとは無縁でいたいと思っています。
 ※「日本といえば「解釈の見直し」という理解しがたいやり方で憲法の内容まで変えてしまった国だ」という指摘についてはヌルボも同感です。
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[韓国語と韓国文化] 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ④差別語や自嘲の言葉として

2015-10-02 23:52:17 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 → 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ①

 → 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ②

 → 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ③

 「ドリ(돌이)」「スニ(순이)」がテーマなのに、前回の記事ではコンドリ・コンスニのことよりも80年代の<偽装就業者>や孔枝泳のことをたくさん書きすぎてしまいました。で、今回は軌道修正。

 前回少しだけ書いたように、コンドリ(공돌이)コンスニ(공순이)は70~80年代の工場労働者を示す言葉として、また差別的なニュアンスを込めて用いられました。「공」は工場の「工」です。
 そして30年以上経った今。コンドリ・コンスニの語は多少ニュアンスは変わったようです。つまり、工場での機械化が進んだことで労働の質も変わり、現在では専門的な知識・技術を持った人たちが工場で働いているので、とくに劣等感を持ったり差別の対象とされたりといったものではなくなり、<愛称>(?)あるいは<便宜上>(?)として使われる軽い言葉になっているようです。・・・というのは<ナムウィキ>の「コンドリ」の項目(→コチラ)の説明に拠るものですが、「往時(1970~80年代)を経験した年配者は昔の認識のままの人が多いので要注意!」とも記されています。
 また、現在は工学系の学生(理系の高校生を含む)をコンドリ・コンスニと呼ぶこともあるそうです。ただ、工大生同士がこの言葉を使う分にはいいのですが、「他人からそう言われると不愉快」というのもわかるような気がします。※関連でレプトリ(랩돌이)レプスニ(랩순이)という語もあるそうです。「レプ(랩)」laboratory(研究室)の略。研究室通いの理系院生を指す言葉のようですが、一般的な言葉ではなさそう。
 もっと一般的な言葉にはムンドリ(문돌이)があります。こちらは文系の学生のこと。昔からあった言葉ではなく、コンドリが一般化した後にその反対概念としてできた言葉です。コンドリ同様、当初は軽蔑的なニュアンスがあったそうです。(←とくに文系の就職難の時代。)

 以下、コンドリ・コンスニ以外に、時代の変化とともに新しく生まれた「ドリ」「スニ」語を拾ってみました。

ピョンドリ(편돌이)ピョンスニ(편순이)コンビニ(편의점.ピョニジョム.便宜店)のアルバイト店員のこと。週末連続で夜勤とかのきつい勤務もあり、店によってもさはりますが、概して仕事自体は大変ではないとか・・・。しかし最低賃金(時給5580ウォン)さえ支給されないケースもあるようです。

<青年ユニオン(청년유니온)>という青年世代の労働組合にピョンドリ(병돌이)ピョンスニ(병순이)という言葉に関わる記事がありました。(→コチラ)。「병(ピョン)」は「病院(병원)」「病(병)」です。記事の筆者が以前酒の席で、お医者さんを相手に「医師や看護師といったピョンドリやピョンスニ・・・」と言うと、そのお医者さんはすごく怒って「人の命を預かる貴い仕事を蔑む言葉をなんで口にできるんだ!?」と非難されたとのことです。
 筆者にしてみれば、長時間病院でゆとりのない労働をしている、という意味で使った言葉とのことですが、上述のような齟齬があったようです。

韓国で8月から公開されている「危路工団(위로공단)」という映画があります。イム・フンスン監督によるドキュメンタリーで、女性労働者の約40年間の歴史をたどりつつ、現在の彼女たちの置かれている厳しい状況を描いたものです。その中で、ソウル市の120茶山(タサン)コールセンター(120 다산 센터)の担当職員が自分たちのことをコルスニ(콜순이)と言ったそうです。120茶山(タサン)コールセンターは2007年設置されたソウル市の苦情処理担当部署で、120は電話番号、茶山は朝鮮時代後期の実学者・丁若(チョン・ヤギョンの号)です。ところが、その担当職員は市の正規職ではなく、民間委託業者3社からの間接雇用非正規職で、「最低賃金、残業、感情労働の沼」の中で働いているとか・・・。(参考→<レイバーネット>の記事。) つまり、こうした過酷な労働実態がかつてのコンスニと変わらないという意味でコルスニと言っているというわけです。

タンスニ(탕순이)も辞書にない言葉です。この場合の「탕(タン.湯)」とは何のことなのか、私ヌルボ最初はわかりませんでした。いろいろ検索してみると、どうも「증기(蒸気湯)」のことのようです。日本でいうところのソープランド。そこの従業員がタンスニ(탕순이)。つまりはソープ嬢。10年ほど前の記事を見ると、売春で摘発されたとか、また女性専用の蒸気湯が「雨後の竹の子のごとく」増えていて(→コチラ)、男性従業員のことをタンドリ(탕돌이)と呼ぶとかのニュースがありました。また当のタンスニの「タンスニ、タンスニとバカにしないで! タンスニも人間よ!」といった訴えもありました。

チプトリ(집돌이)チプスニ(집순이)「집(チプ)」はもちろん「家」家に籠っている人、つまり「引きこもり」。公式には「은둔형 외톨이(隠遁型一人ぼっち)という言葉があるようですが・・・。

ケムドリ(겜돌이)ケムスニ(겜순이)。これは見ればおよそ見当がつきます。「겜」は「게임(ゲーム)」の縮約語。ゲームにはまってる人・・・でしょう。

パスニ(빠순이)は、カタカナで検索してもそれなりに(1500件くらい)ヒットします。「スターの追っかけ」をしている女性ファンのこと。オッパ(오빠.お兄さん)を追いかけるオッパスニ(오빠순이)が簡略化してできた言葉だそうです。男性の追っかけはパドリ(빠돌이)。なお、→コチラの記事によると昔はバー(바)で働く女性を蔑んで用いた言葉だったそうです。

 上記以外のドリとスニの用例を見てみると、イヌ等のペットの名前はそれなりにあるようですね。
 ようやくこのシリーズも終わり。で、ドリ・スニの意味を一応分類してまとめておきます。
  [1] 伝統的な男性・女性の名前
  [2] 組織・団体や、催しのマスコットの名称
  [3] 低く見られている職業に対する蔑称または自嘲の言葉
  [4] 低賃金・長時間労働を強いられている労働者
  [5] ペット、人形、幼児等の愛称


※自分用のメモ。私ヌルボがスニという名前を記憶に留めた最初は、在日の歌手・李政美(イ・ジョンミ)のカセット「キム・ミンギ(金敏基)を歌う」(1988)に収録されている「川辺で(강변에서)」の歌詞の「우리 순이가 돌아온다(私たちのスニが帰ってくる)」という一節です。
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[韓国語と韓国文化] 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ③80年代のコンスニ(女子労働者)と<偽装就業者>

2015-09-25 03:50:53 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 この「ドリ」と「スニ」シリーズを書くことにしたきっかけは、韓国の総合誌「新東亜」2015年7月号掲載のノチャサ(노찾사)「四季(사계)」についての記事(→コチラ)を読んだからです。この記事はキム・ドンニュル西江大教授執筆の<歌がある風景(노래가 있는 풍경)>というシリーズの中の1つです。主に40歳代の思い出の歌を取り上げ、その歌にまつわるエピソードや時代背景等を書いているものです。(2013年11月号にスタート。)
    

 ノチャサ(노찾사)は韓国の1970~90年代の民主化闘争を土壌として韓国歌謡史に大きな流れを形成した<民衆歌謡>つまり<運動圏>のフォークを代表するグループです。正式グループ名は노래를 찾는 사람들(歌を探す人たち)ですが、ノチャサ(노찾사)の略称で親しまれてきました。
 彼らの歌う「四季(사계)」は韓国では(世代にもよりますが)よく知られている歌です。しかし日本では全然、に近いようなので、とりあえずは聴いてみてください。

 アップテンポの歌なのに哀調が籠ってますね。コメントを見ても「ㅠㅠ 슬퍼요(哀しいです)」というものがいくつもあります。この「新東亜」の記事冒頭にも、以前筆者(キム・ドンリュル教授)が久しぶりにこの歌を聴いていると、横にいた小学生の娘さんが「お父さんとても悲しい」と目に涙を滲ませて言ったそうです。
 そうした感想も歌詞を見ればナットクなんですが・・・。
 最初の部分だけ紹介します。
 빨간꽃 노란꽃 꽃밭 가득 피어도/ 하얀 나비 꽃 나비 담장 위에 날아도/따스한 봄바람이 불고 또 불어도/ 미싱은 잘도 도네 돌아가네
 흰 구름 솜구름 탐스러운 애기 구름/짧은 셔츠 짧은치마 뜨거운 여름/소금 땀 피지 땀 흐르고 또 흘러도/미싱은 잘도 도네 돌아가네

 赤い花黄色い花 花畑いっぱい咲いても/白い蝶花蝶 垣根の上に飛んでも/暖かい春風が 吹いに吹いても/ミシンはよく回る 回り続ける
 白い雲綿雲 小さな雲/半袖シャツ ミニスカート 暑い夏/塩の汗脂汗 流れに流れても/ミシンは回る 回り続ける


 「四季」というタイトルだけ見るとなんだか長閑そうな歌かと思いますが、これは長時間低賃金労働に追われていた70~80年代の縫製工場で働く女子労働者の過酷な労働を歌ったもので、上は春と夏。あと秋・冬と続きます。季節と関係なくミシンは回り続けるのです。以前、何だったか韓国の記事を読んでいたら、この歌が知られ始めた頃会社の同僚から「何が回るんだって?」と訊かれて「ミシンですよ」と答えたら、「ミシン??」となおも首を傾げていたことがあったということが記されていました。多くは恋愛を素材としていた韓国歌謡で、こんなミシンが登場する歌詞はめずらしかったのでしょう。

 「上に掲げた「新東亜」の記事のタイトルページの背景に使われている写真も当時の工場のようすです。見出しの文字は「この地のヒョスニ(효순이)たちに対して言葉を大切にしなければならない」。「효순이」は「孝スニ」つまり孝行娘の意。女子労働者の多くは家族のため地方から上京して就職した<孝行娘>だったというわけです。(九老(クロ)をはじめとする工業団地では女子労働者が大半だったので、記事では「효순이」はあっても「효돌이」の語はありません。) 彼女たちの労働環境は劣悪で、「蜂の巣(벌집)」とよばれた2、3坪ほどの狭い部屋で寝起きしていました。最近(2013年)九老工団労働者生活体験館が設立され、再現された「蜂の巣」を見ることができるとのことです。
 ※→コチラの記事の写真参照。
 九老工業団地での労働者の仕事や生活については申京淑(シン・ギョンスク)の小説「離れ部屋(외딴방)」でうかがい知ることができます。彼女自身70年代後半の16~20歳の頃九老工団の1労働者でした。その小説で「37の部屋の1つ、私たちの離れ部屋」と書いているのがその「蜂の巣」です。工団入口には「機械は30%、労働力は70%」という標語が掲げられていて、「ラインは24時間回っていなければならない」というのがすべての工場の業務原則1条とされ、徹夜作業の時には労働者の眠気を覚ますため<タイミング>という覚醒剤が工場の入口に用意されていたそうです。
 まさに四季を問わず「ミシンはよく回る、回り続ける」だったのですね。

 ・・・と、例によってここまでは長~い前置き。 やっと「ドリ」と「スニ」についてですが、記事中の中見出しに出てきます。
 「コンドリ(공돌이)」「コンスニ(공순이)」。「ドリ」「スニ」つまり男性及び女性の場労働者のことで、70~80年代に実際に用いられた言葉です。

 この言葉は私ヌルボもこれまで目にしたことがあります。しかしこの中見出し全体の文言は「自発的(자발적)コンドリコンスニ」については初めて知りました。
 前後の文を読むと、1970年代末から「学出(학출.ハクチュル)」(=学生運動出身)とか「ハクピリ(학삐리)」(=庶民の側からの学生の呼称)と呼ばれた多くの大学生たちが自分の履歴を隠して九老工団の労働現場に身を投じ、労働者の組織化や待遇改善闘争に乗り出したとのことです。筆者(キム・ドンリュル教授教授)はこれを「韓国の特異な時代精神(Zeitgeist)の象徴」と記しています。
 彼らのことをメディアでは<偽装就業者>、労働現場では<学のある人(먹물.墨汁)>、政権側は<左傾容共勢力>と呼んだそうです。そして企業では<偽装就業者>を探出すために指針まで配布されたとか。たとえば「履歴書の字が学歴に比して上手い」とか「眼鏡をかけて学生っぽい身なりをしている」とか「学生街のスラングを無意識に使う」とか「指にペンだこがある」とか「労働法にくわしい」とか「わけもなく同僚に親切」等々。
 以前にも1930年代の識字運動のような知識青年たちの運動もありましたが、80年代の場合は集団的・組織的な運動が特徴的で、組織が彼らに事前学習をした上で現場に送り出したということで、労働者自身が政治的に自立できることを目指したのが特徴的とのことです。

 ・・・と、ここまで記事内容を抜き書きしつつ、ふと思い浮かんだのが人気女性作家・孔枝泳(コン・ジヨン)のこと。映画化された「トガニ(るつぼ)」の原作者です。彼女は学生時代(延世大英文科)学生運動に関わり(NL派??)、また一時上記のように労働現場に入った経験があるということを以前何かで読んだことがあります。
 今韓国サイトを検索してみると、昨年(2014年)10月の「京郷新聞」の<50歳を迎えた九老工団>という企画の中の孔枝泳のインタビュー記事(→コチラ)が見つかりました。<孔枝泳「24歳、運命のように近づいた九老工団・・・作家の道に導きました」>という見出しがついています。
 この記事によると、裕福な家庭で育ち、明朗で優秀で、「模範的」な生徒だった彼女の大学進学は1981年。つまり386世代の最初の世代です。新入生の彼女にとって大きな衝撃だったのはドキュメンタリーを読んで知った前年の光州民主化運動の真実。まさに彼女の20代は「不正義の時代」と重なり、思索の果てに否応なく青春彷徨に突入します。九老工団が彼女の方に一歩一歩近づいてきたのがその頃。1986年の冬に先輩から声をかけられて工場に入ることを決心します。以後6ヵ月、経済や哲学等の学習を受けます。「トッポッキ会を作りなさい」といったような組織化の具体的方法も教わります。そして電子部品会社に就職。12時間2交代のコンベアベルトで立ちづめの過酷な仕事。足が腫れ、貧血で倒れる者も多かったとか、それを管理者は「起きろ!」と足で蹴るとか、暴力が日常化している所。しかし給料は月10万5千ウォンと最低賃金以下。またトッポッキ会のために市場に行ったものの、そこの餃子は(育ちのよかった)彼女にはとても食べられず絶望感を感じたりもします。
 そのように現場に入る前から頑張ってきた彼女ですが、わずか1ヵ月で<偽装就業者>ということがあっけなくバレてクビ。その経緯はというと、自分と同じ<学出>と思しき労働者が「一杯やろうよ」というので飲み屋に行ったところ、「63年生まれというと大学入学は82年なの?」と訊くので「いえ、81年」と答えると、彼はその後そんなに話もせず店を出てしまいます。つまり彼は会社側の手先で、彼女はそのワナに簡単にひっかかってしまい、翌日すぐ追い出されてしまったというわけです。
 翌1987年、彼女は九老区庁不正選挙糾弾デモで連行され龍山警察に10日間収監されます。そこを出てすぐ一気に書いたのが九老工団とデモの経験を元にした短編小説「東の空が白む夜明け(동트는 새벽)」。これがデビユー作として1988年創作と批評社から刊行されます。また1994年発表の長編小説「サバ(고등어)」も履歴を偽って工場に入った学生運動家たちの物語です。(どちらの作品も未訳。)

 ・・・うーむ、やっぱりこの時代ならではのエピソードだなー。
 それにしても、先に名前を挙げた申京淑が1963年1月12日生まれで、孔枝泳は同年同月の31日。わずか19日の差ですが、地方(全羅北道井邑)の貧しい農家出身で、コンスニそのものだった申京淑は夜間高校から大学に進学したので入学年は孔枝泳から1年遅れ。すでにその頃から、いや、そのずっと前から対照的だったわけです。

 コンドリ・コンスニの話に入ったらすぐにまた別方向にそれてしまいました。やれやれ。あと1回続けることにします。

 →<「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ④差別語や自嘲の言葉として>
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何だ? この<女性専用>というエリアは・・・・   ★韓国の禁煙事情

2015-07-13 17:13:32 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 すでに終わったかのような4月のソウル4泊5日の旅関係の記事が実はまだ続くのです。
 4月21日、国立中央図書館に行くためその最寄りの地下鉄高速ターミナル駅で降りました。ところが広すぎる地下街で右往左往。地上に上がったところ、ビルの横側のなんだか殺風景な空間へ。そこで目に入ったのが<여성전용(女性専用)>という表示のある、簡単に区画されたコーナーです。(下画像。)
 「何だ、これは?」と思って横にまわると・・・。
 タバコのマークでわかるように「女性専用」の喫煙コーナーなんですね。しかし見てみると女性は1人だけであとの数人は皆男性のような・・・。これも「細かなことにはこだわらない」韓国人らしいところでしょうか??(笑)
 少し先に行って、コチラは「男性専用」、じゃなくて、たんに「吸煙指定場所(SMOKING AREA)と表紙されています。(※韓国では普通「喫煙(끽연)」ではなく「吸煙(흡연)」という言葉を用いています。
 日本の禁煙状況について日常的な喫煙者ではない(つまり隠れスモーカー)である私ヌルボはよくわかっていませんが、日本ではとくに「女性用」の喫煙室等が設けられているという例はないのではないでしょうか?
 韓国が女性の喫煙に厳しい社会であるということはいろんな本等にも記されています。街で喫煙している女性を道を行く年輩の(と限らない?)男性が注意するという光景もままある等々。
 <ソウルナビ>の記事(→コチラ)にも、「ここ数年で女性が外で吸っている光景を見るようにはなって来ましたが、まだまだ道端や公共の喫煙スペースで堂々と吸っている女性の姿は少ないように思います。女性はタバコを吸わない、という考えがあるのか、日本よりも女性が喫煙することにとても厳しい国だと感じます」とあります。しかし、続けて記されているように、「カフェやコーヒーショップに行くと、ほとんどが女性」で、また「トイレに専用の灰皿、またライターまで設置してあるところも多い」のだとか・・・。

 ところが、このところ韓国では禁煙区域の拡大、罰金制度の強化、吸殻のポイ捨ての取締り強化等々、喫煙者にとっては厳しい施策が次々と打ち出されています。
 今年1月1日の<聯合ニュース(日本語版)>(→コチラ)によると、今年から韓国ではタバコが一斉に2000ウォン値上げされた上、これまで面積100平方メートル以上の飲食店に限られていた禁煙が、面積に関係なく全ての飲食店にまで広げられました。違反者には10万ウォン、店の経営者には170万ウォンの過料が科せられるとのことです。
 喫煙といえば、サークル仲間の愛煙家T兄(ヒョン)からこの5月束草に行った時に禁煙指導員のオジサンに注意されたという話を聞きました。
 彼は食堂が全面禁煙になったことは知っていたので、外に出て吸っていたところ、胸に名前を付けた指導員のオジサンが近づいてきて、「ここは禁煙区域になったんです」とか「罰金が・・・」等々といった説明をするので、わざとカタコトの韓国語で「外国人なので何も知りませんでした」「すみません。今後気をつけます」「今回ばかりは大目に見てください」等々平謝りして、なんとか罰金は免れたそうです。
 2014年1月の「中央日報」(→コチラ)には、下の画像のような束草の禁煙指導員の写真が載っていました。

 また今年5月の<NEWSIS>の記事(→コチラ)によると、束草市の禁煙区域がさらに拡大して、街を含む公共の場所の喫煙禁止区域拡大されたとのことで、喫煙が摘発されれば5万ウォン以下の過料を払わなければならいそうです。束草市がとくに厳しいのかどうかはわかりませんが、禁煙キャンペーンが強化された矢先で、店の外とはいえ禁止区域で堂々と喫煙していたT兄が注意されることになったのもまあ当然ですね。
 ところで、この<NEWSIS>の記事に載っていたのがこの写真(下画像)。
 このキャンペーン用の垂れ幕がT兄は目に入らなかったのかな?と思いつつ、よく見るとこれは束草ではなく「鍾路区」と記されているではないですか。
 いろいろ探してみると、2013年9月の<wooritvnews>の記事(→コチラ)で同じような垂れ幕の写真がありました。鍾路区が仁寺洞を禁煙区域に指定し、その宣布式を行ったという記事です。
 そして今。その鍾路区でも、喫煙に対してさらに厳しい施策が進められています。
 私ヌルボが高速ターミナル方面に行った翌日の4月22日午前10時半頃、たまたま教保文庫光化門店の東に新築された光化門Dタワーの下の道をちょいとのぞいてみると・・・。
   
 大勢の会社員たちがたむろしています。何をしているのかというと、右の写真のようにもちろん喫煙。
 建物内が禁煙になったので、このように外に出て吸っているというわけ。
 しかし、こういう状況に対する批判もあるということは以前何かで読んだし、ましてやこんな目立つ所でこんな大勢が・・・となると、きっと問題化されそうだな、と思いました。
 すると案の定。5月28日の「東亜日報」に「愛煙家の解放区に転落した中学川」という記事(→コチラ.韓国語)が掲載されました。
 中学川とは、清渓川に注ぐ幅3mほどの細い川で、上の写真ではよくわかりませんが、光化門Dタワーの下を北から南に流れています。記事では、その鍾路区庁〜清渓川の340mの区間は「風が心地よい」等で近隣の会社員たちの間で「絶好の喫煙場所」とされるようになり、退勤時には数百人も集まってスパスパやってる、と伝えています。で天気によっては煙がたちこめたり、それ以上にポイ捨てされた吸殻が歩道や川底にたまって清掃が大変とか・・・。また同様の問題は付近の寿松洞(スソンドン)の他、武橋洞(ムギョドン)でも起こっていると書かれています。
 そして7月9日の<アジア経済>に「鍾路区が禁煙区域を追加指定」という記事。(→コチラ。)
 そこに掲載されている写真が、まさに上記の中学川沿いの光化門Dタワーの前あたりではないですか。
 横断幕には「中学川歩行路 禁煙区域指定予告」「-吸煙時、過怠料(過料)として10万ウォン賦課-」とあります。そして7月末までの予告期間を経て禁煙区域となり、禁煙指導員・取締り要員を配備して「啓導(계도)」「取締り(단속)」そして禁煙キャンペーンを併行して実施する計画とか・・・。

 私ヌルボ思うに、この禁煙運動についても「これが正しい」と思ったらひたむきに取り組む韓国人らしさがあらわれているようです。
 <コメディの皇帝(코미디의 황제)>といわれたイ・ジュイル(이주일.李周逸)が肺癌で亡くなったが2002年でした。たしか月刊「マル」の表紙に病床の彼の写真が用いられていました。その頃から禁煙が大きな社会問題とされるようになってきたと思います。
 しかし、<コネスト>の記事「韓国のタバコ文化」(→コチラ)によると2013年の韓国の成人男性の喫煙率は43.7%、女性は7.9%。「男性の喫煙率はOECD加盟国では2番目に高い数値で、韓国は世界的にも喫煙率が高い国」とのことです。ちなみに厚生労働省の統計(→コチラ)によると日本の喫煙率は男性が30.3%、女性が9.8%です。50年前の男性の喫煙率は8割以上、20年前は約6割だったことを思えばずいぶん低下したものです。しかし韓国ではタバコの値上げや禁煙キャンペーンにもかかわらず喫煙率はあまり下がっていないとか・・・。まあこの数字にはいろんな背景、要素といったものがありそうだからなー・・・。
 で、私ヌルボの見解。この先(少なくとも10年くらい?)、完全に喫煙を禁止するのは無理でしょう。また「根絶」に向けて頑張っちゃうというのもいかがなものか? 基本的に私ヌルボ、0%とか100%を実現すると必ずいろんな無理が生じるし、そんな施策は正しくないと思うから。「健康に悪い」といっても本人が承知の上で吸っているのをやめさせることはできないのでは・・・。もちろん喫煙者が受動喫煙とか吸殻とかについてマナーをきっちり守ることは大前提ですけどね。
 しかし、中学川から締め出しをくらった喫煙者たち、これから先どうするんでしょうね?


【横浜駅東口の喫煙場所です。横浜市民でも非喫煙者の皆さんはご存知ないかも・・・。】
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紫雲丸事故とセウォル号事故のその後 - 李成権駐神戸総領事の考察と提案は・・・・

2015-05-15 17:22:44 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 5月11日(月)は多くの犠牲者を出した紫雲丸沈没事故からちょうど60年ということで、高松で追悼法要が営まれたこと等が報じられました。(→コチラ等。)

 紫雲丸の沈没事故といっても、今は知らない人の方がずっと多いのでは? 私ヌルボは子どもの頃児童用の「学習年鑑」で見た記憶があります。高松から宇野に向かって航行していた連絡船で、濃霧の中で貨物船第三宇高丸と衝突・沈没した事故で、168人が死亡しましたが、うち100人は修学旅行中だった島根・広島・愛媛・高知4県の4校の小中学生計100人でした。
 ※ウィキペディアの<紫雲丸事故>(→コチラ)に事故の詳細が記されています。「就航から9年間に5度」も事故を起こしたのですね。その船名のこと等も含め、ホントに呪われた船といった感があります。船員の犠牲者2人のうち1人は中村正雄船長で、「退船を拒否し、ブリッジに残り船と共に海中に沈んだ」とは初めて知りました。

 この紫雲丸事故関係の報道に接して、私ヌルボ、最近横浜市立図書館で読んだ韓国誌「新東亜」5月号の記事を思い出しました。駐神戸大韓民国総領事館の李成権(イ・ソングォン)総領事による「참사로 배우는 일본 참사로 싸우는 한국(惨事で学ぶ日本 惨事で争う韓国)」と題された記事です。
        
 ※この記事は<新東亜>のサイトで見ることができますが、無料で見られるのは最初の部分だけです。(→コチラ。) しばらく後で全文を無料で見られるようになるかも・・・。

 この寄稿の冒頭で、李成権総領事は次のように記しています。

 2012年8月日本の神戸総領事として赴任した直後、私をとりわけ驚かせたことがある。小学生の娘が現地の学校に入学するとすぐ水泳を教わり始めたのだ。趣味ではなく学校で正式の授業で水泳教育をやっているのだが、それも全校生が皆教わっているとのことだった。韓国だったなら保護者たちから「勉強をする時間もないのに、ムダに時間を浪費している」という声が上がるのではないか。

 昨年のセウォル号事故の後、韓国の学校ではほとんど水泳教育が行われていなくて、おとなでも泳げない人はとても多いということがネット内でも話題になりました。
 ※今年3月の「韓国人「カルチャーショック!日本の学校にはプールがついている」と題した<カイカイ反応通信>の記事(→コチラ)は、韓国人の側からの反応がとても興味深いです。(元は韓国サイト<イルベ>の記事→コチラ。)
 李成権総領事は、このような日韓の水泳教育の違いを単に「そうなのか」だけで済ませず、日本が水泳教育に力を入れるようになった理由を探ったところ、セウォル号惨事のような船舶沈没事故が契機だったことを知りました。それが紫雲丸事故だったのです。多くの犠牲者を生んだ事故の要因として航海士の不注意だけでなく児童の水泳未熟もあげられ、以後小学校のプール設置が推進されて現在では90%近くに及び、水泳教育が推進されてきました。
 ※記事中に松井敦典鳴門教育大教授による<プールの普及率と水難事故の発生件数>の推移を示すグラフも掲載されています。→コチラ参照。
 ※韓国と日本の水泳教育の違いについて友人に話し始めたら「軍事教練の関係?」という言葉が返ってきました。後で臨海学校の歴史についてちょっと調べてみると、成城中学校が1925年に逗子市(当時)初声村に開設したのが最初。陸軍士官学校・幼年学校をめざす教育を旨としていた学校ということとたしかに関係ありそうです。なおプールの初めは江戸時代の藩校の日新館(会津)、続いて明倫館(萩)。また子どもの川遊び等の文化ももしかしたら関係するかもしれませんが、そこまでフロシキは広げられません。

 さて、紫雲丸事故だのプール設置率だのまで調べた李成権総領事ですが、
 強調したいことは、われわれも学校にプールを設置せよとか水泳教育を導入せよということではない
 ・・・と続けているのはアレレ、と思いましたが、
 日本はある事故が発生した時、ふたたび再発しないように、あるいは再発しても人命と災難被害が最少となるよう「目に見える」対策を施したという点を強調したいのだ。
 つまり、水泳教育等のことは長~い前置きだったのですね。(このブログ記事のようです。)
 李成権氏は、セウォル号事故の後韓国では責任追及や特別法制定等々をめぐって党派対立が激化する等の混乱が続く一方で、再発防止や安全意識向上に向けた方策がなおざりにされていると指摘します。(まあ誰もが同じように見ているでしょうが・・・。)
 ここで李成権氏が範とすべき例としているのが1995年の阪神・淡路大震災についてのもろもろ。(※その被害総額10兆円は当時の韓国の政府予算54兆ウォンの約2倍だったとか。)
 今も残されている地震発生の時刻で止まったままの建物外壁の時計や、芦屋・西法寺のドラム缶(←震災直後風呂の代用品)の追悼の鐘(→コチラ参照)のこと。(後者は知りませんでした。)
 あるいは天然記念物とされた、野島断層を保存して公開している北淡震災記念公園(→コチラ)や、記憶や記録を集大成し伝達するため設立された人と防災未来センター(神戸)(→コチラ)も紹介しています。
 また学校で安全教育や防災訓練が行われているばかりではなく、一般人を対象にした訓練もあって、神戸で今年行われた<シェイクアウト訓練>には150万人の市民中33万人余が参加したことも記されています。(上掲の画像右は神戸のスーパーでの訓練のようす。
 これらの分析を通して李成権総領事が最も印象的だったのは「人々の安全意識を鼓吹するための努力」だったとのことです。
 そして彼が提言しているのは「災害記念館」の新設です。1993年の西海フェリー沈没事故(死者・行方不明292人)、94年の聖水大橋崩壊事故(死者32人)、95年の大邱地下鉄ガス爆発事故(死者10人)、同年の三豊百貨店崩壊事故(死者502人行方不明6人)、そして2014年のセウォル号沈没事故(死者295人行方不明9人)・・・。こうした<人災型事故>に関するすべての資料を集め、展示して、原因を説明したり、災害にどのように対応すべきかを知らしめる。また統一記念館や戦争記念館のように修学旅行生たちが見学できるようにもする。

 以上がこの寄稿のあらましです。
 関連で少し調べてみたところ、セウォル号の事故後韓国では学校安全教育の強化をはかる法改正が進められ、初等学校3年生を対象に「安全水泳教育」実施に取りかかっているようです。
コチラの記事(韓国語)によると、富川市では2015年度から初等学校3年生全員が校外のプールに行ってクラスあたり週2回2ヵ月間の合計32時間の水泳教育を受けるとのことです。
 しかし、指導者や費用等の問題を考えると全国的に一斉にスタートというのは無理のようです。学校プールの設置ともなると膨大な予算も必要だし、先に李成権総領事が書いていたような保護者の意識の問題もあるし・・・。

 最後に私ヌルボの感想。セウォル号の惨事後、たとえばウ・ソックン「降りられない船- セウォル号沈没事故からみた韓国」(クウォン)を読んで韓国人の中にも冷静に事故の原因や背景を考察している人がいることを知りました。(←当然ですけど・・・。) この李成権総領事の寄稿も神戸に赴任した自身の経験に基づいた具体的な提言で有意義なものだと思います。
 日本人として(という発想はしないのが私ヌルボの常ですが)面映ゆい点もありますが、気になるのは2011年の東日本大震災のこと。この寄稿では全然触れられていません。はたして諸資料を網羅し、適切に分析・説明した資料館が造られるのか? それ以前に、とくに原発事故について再発防止に向けたコンセンサスといったものがあるのか? それが形成されていないまま再稼働に踏み出しているのでは? 非常に重大なことであるにもかかわらず、基本がおろそかにされているように思います。

※余談ですが、李成権総領事の経歴(→コチラ参照)を見ると、「2001~03年河野太郎衆議院議員秘書」というのがあって、一部で「問題視」されているようです。

※「新東亜」5月号の別のページに、「韓日災害対策法比較分析した本を出刊 李成権駐日本神戸総領事」という記事がありました。(下画像)
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えっ、韓国の建築現場では設計図通り建てるとはかぎらない? (+韓国人の法意識)

2015-03-22 21:57:28 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 対馬の盗難仏像の返還問題、元徴用工に対する戦後補償問題等、日本人の常識からは疑問を感じざるをえない近年の韓国の司法判断に対して「国民情緒法」という言葉がよく使われています。ウィキペディア(→コチラ)の説明にあるように、「国民情緒」を優先して「罪刑法定主義を否定」し、憲法さえも超越する韓国の法の軽視の風潮を揶揄した言葉です。しかし、これは日本の誰かの造語ではなく、韓国内で金大中政権の頃から広まった言葉であるという重要なことが書かれていません。したがって、「反日的法解釈」としてのみ理解されるおそれがあるかもしれません。

 で、その「国民情緒法」が韓国の国民の間ではどう考えられているのだろうかと疑問に思って韓国雑誌や韓国サイトの記事をいろいろ読み漁っていると、月刊誌「新東亜」の2月号に<判決の誤りを常識により覆すだと?(판결의 오류를 상식으로 뒤집겠다고?)>という記事がありました。(→原文はコチラで読めます。)
 「国民情緒」という言葉こそ出てきませんが、韓国人の法意識を、具体例をあげつつ、その国民性や伝統的価値観等から説明していて興味深く読みました。
 今回は、この記事の本題ではなく、日韓の法意識の違いを説明するためにあげている建築方式の例が興味深かったというか、はっきり言って「驚いた」ので紹介します。
 とりあえず、その部分をまるごと訳出しました。

    《並たいていではない主体性》
 しかし、最近韓国と日本を比較した研究によると、韓国人は日本人に比べて自己主張が強く、自分が統制することを好み、自分の存在感が認められることを好む。このような特性は、韓国人が業務で柔軟かつ臨機応変に処することが非常に強いと評価されることと関連がある。韓国人は、現場で突然接する問題に積極的に対応して、自分の判断ですぐに仕事の処理をする点に強みがある。
 日本や西欧に行けば、定められた原則のとおりに、または規定による手続きをふまえないと何もできず待たなければならないことが多い。日本の建築放送を見ると、家を建てる時すべての材料が設計にしたがってあらかじめ裁断されて届けられ、現場では組み立てだけをする光景がよく見られる。このような作業を可能にするには、所定の設計に合わせてすべての人が一糸乱れず少しの誤差もなくことにあたる習慣が必要である
 ところが韓国の建設現場は、このような作業を行う技術がないのではなく、このようなプロセス自体を好まない。多くの建設現場で設計通りに工事は行われてはいない。前もってすべてが作られて組み立てだけするのではなく、現場の状況に合わせて柔軟に対処できる余地を持とうとする。そのまま決められた通りにするよりは、自分が思ったままに(마음대로)決定できる機会を持つことを望む。
 もちろん、現場で思ったままに下すその決定は、まさしく自分が正しいと信じることによるものだ。設計者と現場責任者の間には常に緊張が生じる。「おまえが現場に対して何を知っている?」という経験豊富な現場監督の口出しが常に聞こえてくる。このような主体性がまさに韓国経済の高速成長の秘訣の一つだ。
 このような主体的特性により、韓国人は司法部の判断をそのまま信じて従うより、個々人が、自分だけの司法判断を下すことを好む。巨大な組織の中で規範と原則によって自分の行動が決定され、自分の存在感が失われることを決して受け入れることができない韓国人は、司法判断においても自分だけの原則に沿った自分の判断が認められることを願う。自分の判断と一致していない判決は正しくもなく、自分の存在が無視されるように感じられ、到底耐えられない。だから静かに悲しみと怒りを飲み込む日本とは異なり、韓国人は人に聞こえるほど泣き叫び、当然人は聞いたふりをしてくれると期待する。

 ※筆者は、韓国人の特性やそれによる法意識を必ずしも肯定的に書いているわけではないので誤解なきよう。

 建築にはド素人の私ヌルボ、この記事を読むまで建築現場での設計者側と施工業者(直接的には現場監督)との関係性が日本と韓国で大きく(?)異なるということは全然知りませんでした。
 「工事理」や「工事理」という言葉の意味(→参考)等、若干付け焼刃で仕入れた知識では、設計者側が当然建築現場に足を運び、間違いなく設計図通りに工事が進行しているかを確認するわけですが、韓国では記事にあるように現場監督がその場でいろいろ自分の経験を武器に「物申す」ことが多いということでしょうか?
 もちろん韓国にも建築士がいて建築法もありますが、現場での慣行といったものがかなり違うのかな? ここらへん、正確なところは専門の方にお聞きしたいところです。

 韓国の建築といえば、いろいろ思い起こしたのが過去のいろんな事故のこと。
 たとえば→コチラの記事ではあの三豊デパートの崩落、聖水大橋の崩壊等々、たくさんの事故を写真入りで紹介しています。
 昨2014年5月には、牙山(アサン)で竣工間近のオフィステルが大きく傾いたことが報じられました。中央日報日本語版の記事(→コチラ)によると、「設計では基礎を頑丈にするために太さ40センチの鉄柱69本を打ち込むことになっていたが、実際はこれより10本少なく施工を行った」、また「設計図では厚さ1mのコンクリート基盤を積むことになっていたが、60cmしか設置しなかった」そうです。
 ※→関連記事。今年1月産経新聞「ビル傾く手抜き工事、韓国建設現場“あり得ない実態”」
 上記の事例など、施工の状況のチェックは一体どうなっていたのか、設計・施工のどちらにどれほど責任があるのかがよくわかりません。
 同様の建設現場の不正を伝えたニュースは2014年10月にもありました。「トンネルの要「ロックボルト」、設計の3割しかない区間も」という朝鮮日報(日本語版)の記事。(→コチラ(会員制)。または→コチラ。) 高速道路のトンネル工事で用いるロックボルトを設計よりも数千本から数万本ずつ少なく使用し、多額の工事代金を詐取した建設会社12社の社員が一斉に摘発され、ある土建会社は設計通りの本数の代金を発注者の韓国道路公社に請求して約8400万円を詐取したとか。また建設会社は発覚恐れ書類を改竄したり、道路公社と施工監理業者は資材の搬入数さえ確認せず等々、つまり設計&施工の会社ぐるみで、あきれるほど大がかりな犯罪です。
 国民の安全を犠牲にしたこのような大きな詐取事件だけでなく、建築現場での小規模の資材の横流しの事例はたくさんありそうで、以前何かで読んだことがありました。

 この「新東亜」の記事では、韓国がOECD加盟国中で腐敗指数も非常に高く、交通法規違反による交通事故と死傷者数も多い理由を次のように述べています。
 これらは一部のとくに不道徳な国民や地域・組織等に限定されるものではなく、「国民大部分に共通する特性」と考えた方がよい。つまり「個々の国民が規定、法律、原則より自分の判断を優先する」ためである。
 あえて罪を犯したり法律を無視しようというものではないのだが、決定の瞬間になぜかそれでも大丈夫そうな感じがする。「危険とは思えないんだけど」「この程度ならやってもいいのでは」「こうするのがよさそう」といった判断がごく自然になされる。 「法を破る」のではなく「私が主体的により良い判断をする」のだ。


 現場の人たちの経験知に根ざした職人精神(韓国語では匠人精神(장인정신)といったものが発揮されると「いい仕事をするねー」という評価につながるのでしょうが、「この程度なら手抜きしても大丈夫だろう」という根拠のない楽観的観測という形での「現場の主体的な判断」がはびこるとセウォル号沈没のような大事故にもなるわけで、実に厄介な「国民大部分に共通の特性」ですが・・・。(と書くとほとんど嫌韓サイトと同じような書きようになってしまいますね。)

 日本でも、半世紀以上前の家屋の建築現場では今のようにフェンスで囲うこともなく、道すがらかんなや墨壷(!)を使っているようすに見入ったりもしながら、出来上がっていく過程がわかったものです。昼飯時にはお酒なんかも飲んだりしてた、かな?
 他のいろんな業種でも、製造・セールスだの、学校だと就職指導だの、直接担当者の裁量部分が昔は相当大きかったと思います。それが責任体制とかコンプライアンスとかが重視される時代になって、個人裁量部分はずいぶん狭まってきました。ヌルボのような「昭和の人間」にとっては、融通が利かなくなったというマイナス面を痛感したことが多々ありましたが、まあ時代の流れというものですね。
 韓国の場合も、上述のような面は(ヌルボの持論の)「日本の24年遅れ」という時代の差によるところもあるかも、とも思いますが、やっぱり「新東亜」の記者も指摘しているような「国民大部分に共通する特性」なんですかねー。
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[リッパート米大使襲撃事件]②韓国語で「雨降って地固まる」と大使。もっと適切なことわざがありそう?

2015-03-20 23:55:07 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 3月5日に襲われたリッパート駐韓アメリカ大使。右頬長さ11㎝、深さ3㎝の傷を負って約80針の縫合手術を受け、10日退院し、記者会見に臨みました。その話の内容等は中央日報(日本語版)(→コチラ)等参照。
 ハンギョレ(日本語版)(→コチラ)を読むと、警察が記者たちの荷物を無断で厳しく検査して抗議されたことが詳しく書かれているのがハンギョレらしいところ。しかし、今になって厳しく警備しても「後の祭り」というか「泥棒を見て縄をなう」というか・・・。韓国のことわざでいえば、
 소 잃고 외양간 고친다 (牛をなくして牛小屋直す)
ですね。
 ・・・と、ここで韓国語のことわざが頭に浮かんだのは、上記の記事等で伝えられているように、この記者会見の最後でリッパート大使が韓国語で「비온 뒤에 땅이 굳어진다(雨降って地固まる)」と語ったそうなので。このことわざに続けて「같이 갑시다(一緒に行きましょう)」としめくくってますが、話の少し前の方でも自分のことを「동네 아저씨(町内のおじさん)」「세준 아빠(セジュンのパパ)」と呼んでくれ」とちょこちょこと韓国語を交えていたりして、なかなか如才ないところを見せています。
 ※リッパート大使は今年1月生まれた長男をジェームス・ウィリアム・セジュンと名づけました。つまりミドルネームを韓国式の名前セジュン(세준.洗俊)にしたというわけ。この経緯や産後によいとされるワカメをいただいたこと等々は、彼のブログ<The Lipperts in Korea(韓国のリッパート一家)>(→コチラ)中の記事「세준이가 태어났어요!(セジュンが生まれました!)」(→コチラ)に赤ちゃんの写真入りで書かれています。とくに事件後、韓国人からたくさんのコメントが寄せられている点にも注目です。
 上記ブログでも、また自分のツイッター(→コチラ)でも随所にハングルの文章があり、今日も愛犬グリグスビーの「午後散歩をして楽しかったよ!」というハングルのツイートをリツイートしてます。(今やイヌもツイッターをやってるのか(笑))
 で、リッパート大使の韓国語の実力はどんなものかな?と、この記者会見の動画を見てみました。

 うーむ、やっぱり英語なまり(?)というか、まあそれなりに・・・ですかねー?
 彼の経歴を見ると、スタンフォード大学で政治学を専攻して修士号を取得した後は北京大学で中国語を勉強して・・・って、あら、そうなの!? 以下中略で2014年5月に国防長官首席補佐官だった彼が駐韓米大使に指名された、・・・ということは、それまで縁がなかった韓国に来てまだ1年にもなってないということか。つまり、事件に遭ったこの機会に付け焼刃的に仕入れた韓国語ではないんですね。

 韓国人が好きなことわざを話に織り込んだのもなかなかのものですが、ただ、この「雨降って地固まる」というのは私ヌルボとしては若干違和感があります。べつにアメリカと韓国がケンカしたわけでもなく、金基宗容疑者が自身の非を悟って親米に鞍替えしたわけでもないですからね。
 むしろ、この場合は「禍転じて福と為す」の方が適切だと思います。韓国語だと、
  전화위복(転禍為福)
ですね。
 ネット検索したところ、3月8日の中央日報に文在寅(ムン•ジェイン)、リッパート米大使見舞い… "転禍為福の機会にしなければ"」という見出しの記事がありました。(→コチラ(韓国語)。)
 新政治民主連合・文在寅代表がそう言ったのかと思って本文記事を読んでみると、彼が引用したことわざは「雨降って地固まる」で (・・・って、これを大使が憶えていて2日後に使ったというわけか。なあんだ)、「禍転じて福と為す」と言ったのは同行した金星坤(キム・ソンゴン)議員でした。(大使も「危機の中にチャンスがある」というアメリカのことわざを紹介したとか。Every crisis being an opportunity in disguise.かな?)

 さて、ここでアメリカにとって具体的に為すべき「福」とは何かと考えると、もちろん米韓同盟の維持・強化。大使の前の職位を見てわかるようにもちろん軍事的な面が要。この事件直後朴槿恵大統領やセヌリ党、保守系メディアがこぞって米韓同盟強化を訴えたばかりか、進歩陣営を代表する文在寅代表も13日のニュース(→連合通信(日本語版))によると「南北統一後も在韓米軍必要」と述べたとのこと。大統領選で朴槿恵に惜敗した進歩陣営の代表格のこの発言に対する支持層の反応も気になるところですが、アメリカ側にとってみれば文字通り「福」がもたらされたと見てよさそうです。
 ここでもうひとつ私ヌルボの頭に浮かんだことわざが「転んでもただでは起きぬ」。これに相当する韓国語のことわざはあるのかなあ? 넘어져도 그냥은 일어나지 않는다 と直訳して説明すればわかると思いますけどね。

 事件&政治の考察だか、韓国語のベンキョーだか、よくわからん記事になってしもた・・・。
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[リッパート米大使襲撃事件]①韓国メディアの分裂 何が「テロ」? 何が「従北」?

2015-03-16 23:37:10 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 3月5日。他の記事を書くつもりでいたところで耳に入ったのが例のリッパート駐韓米大使襲撃事件。日韓双方の新聞記事やネット内の情報をあれこれ漁っているうちにもう10日経ってしまいました。
 以下、個人的総括として知ったこと、考えたことを整理してみました。
 テーマで分けると、
  ①あいかわらず深刻な韓国メディアや世論の左右対立
  ②したたかなリッパート大使
  ③犬肉、扇の舞、バレエ等々、韓国人らしい「快癒祈願」
  ④あいかわらずの「陰謀説(謀略論)」登場

 ・・・といったところです。

 イッキに書くと長くなりそうなので、とりあえずは①から。
 韓国内の左右両陣営間のミゾの深さは別に今に始まったことではありませんが、この事件に対する世論の受けとめ方、メディアの報道の仕方、政党・政治家の対応もまさに対照的です。
 [右]保守陣営=与党(セヌリ党)
 [左]進歩陣営=野党(新政治民主連合)

という2大政党のみならず、
 [右]保守陣営=朝鮮日報・東亜日報・中央日報
 [左]進歩陣営=ハンギョレ・京郷新聞

のように左右明確に色分けされた新聞をはじめとして、メディアの論調も対照的です。
 記事等で用いるキーワードからして特徴的です。具体的には、次の赤字の用語。

 <A> 保守系メディアはこの事件を「テロ(테로)」といい、進歩系メディアは「被襲(피습)」等と表現している。
 <B> 保守系メディアは「従北(종복)」という言葉を当初からさかんに用いている。それも金基宗(キム・ギジョン)容疑者個人が「従北」というだけでなく、従北派集団や、彼らの温床となっている(?)という進歩系の政党・政治家に対する批判も始めている。もちろん、朴槿恵大統領やセヌリ党も、この機をとらえて野党に攻勢をかけている。進歩系メディアはこのような「従北追い立て(종북몰이)」を強く批判している。

 ※とりあえず「追い立て」と訳した「몰이」は、狩猟等で獲物の獣や魚等を追い立たてることをいう。

 日本のメディアも同様ですが、「テロ」はそれ自体明確な非難の意が込められていますからね。
 それに対し「被襲」の方は単に襲われたという客観的事実を示す言葉です。
 事件を伝えた紙面の見出しをみると、朝鮮日報・東亜日報・中央日報・ソウル新聞・世界日報・国民日報・韓国日報と、ほとんどの新聞が「テロ」という用語を使用しています。

【朝鮮日報の1面。大きな見出しには「韓米同盟を刺した従北テロ」とキーワードを入れ、インパクトの強い写真を載せています。】

「テロ」と書かなかったハンギョレと京郷新聞は、朝鮮日報等の「従北追い込み」も批判

 「テロ」という言葉を使わなかった少数派は、ハンギョレ「米大使被襲 凶器となった‘極端な民族主義’(미국대사 피습…흉기가 된 ‘극단적 민족주의’)」と、京郷新聞「襲撃された米国大使 それでも“一緒に行こう”(습격당한 미국대사 그래도 “같이 갑시다”)」くらいのものです。
 「テロ」という言葉の使用に異を唱える京郷新聞の記事(→コチラ)の中に、「アメリカ側も事件を韓米同盟と無関係な個人の偶発的逸脱と見ていて、「テロ」とは規定していない」という理由があげられていました。
 東亜日報もこのようなアメリカ側の対応を一応報じてはいますが、論説では「だからといって国内野党がこれをテロではないと格下げすることは不適切」と述べています。
 たしかに、アメリカにしてみれば事件を「テロ」と規定すると、その背後関係の調査も含めて厳しい処断を韓国側に求めることになるわけで、それよりも「被害者」という「有利な」立場を利してソフトに対応した方がよかろうという政治的判断は当然あったと(私ヌルボは)思います。
 ※ヌルボ個人としては、「テロ」は極力使いなくない用語です。(たぶん)平均以上に非暴力的人間なので、いわゆる「テロ行為」を弁護する気持ちは毛頭ありませんが、「テロ」と規定すると相手に対する理解・コミュニケーションを自ら遮断することになっちゃいますからねー。また、何をもって「テロ」とするのかもアイマイだし・・・。北朝鮮による拉致を「テロ」とよぶようになったあたりから違和感を感じています。テロには刃物や銃砲、爆弾といった物が密接不可分のものとしてあるように思っていたので・・・。

ハンギョレが「テロ」という言葉を使った事例もある

 ところで、「テロ」という用語を使わなかったハンギョレが昨年12月のニュース記事でこの語を用いたことがありました。12月10日全羅北道益山市の教会で開かれたシン・ウンミさんという韓国系アメリカ人の女性のトークコンサートの場で、高校3年の男子生徒が爆薬の入った鍋を投げつけ、2人が負傷した事件です。
 シン・ウンミさんは2011~13年計6回北朝鮮を訪れ、2012年6月から進歩系ニュースサイトのオーマイニュースで「在米同胞おばさん、北朝鮮に行く(재미동포 아줌마, 북한에 가다)」と題した北朝鮮見聞録を連載しました。これが注目されて書籍化され、優秀文学図書にも選定されました。その後も彼女はメディア等で北朝鮮を称揚する発言を繰り返して注目されてきました。
 ※この連載は今もオーマイニュースのサイトで読めます。初回は→コチラ(韓国語)で読めます。また2013年9月からは続編「在米同胞おばさん、また北朝鮮に行く(재미동포 아줌마 또 북한에 가다)」が連載されました。初回はコチラです。なお、この連載について説明したブログ記事は→コチラ
 ※事件についての日本語記事2つ。→<WoW!Korea>と→レイバーネット。後者は「テロ」と書いています。
 このレイバーネットの記事にもあるように、爆発物を投げたのがイルベ(日本の2ちゃんねるに相当する右翼的(?)とされるサイト)での活動の前歴を持つという高校生でした。
 ※シン・ウンミさんはその後1月10日韓国法務部から強制退去命令受けアメリカに出国しました。今後5年間は韓国への再入国が禁止されるとのことです。(→ハンギョレの関連記事。) 著書は推薦が取り消された上、図書館等からの回収が文化体育観光部により指示されました。
 ・・・以上が<シン・ウンミ トークコンサート 爆発物事件>のあらましですが、この事件を「テロ」と報じ、またこの高校生を「テロ」行為に追いやったのが朝鮮日報の「シン・ウンミ=従北」報道だと批判したのがハンギョレでした。
 ・・・ということを知ったのが当のハンギョレ(日本語版)の3月10日付の「テロと襲撃、そして従北攻勢」と題したコラムでした。(→コチラ。)
 その記事には、上記のような「テロ」と「襲撃」の使い分けについて、次のような反省・自戒も書かれています。

 政治的な意図がある暴力事態に対して、一方はテロとしながら、他方は襲撃というのは論理的な一貫性が欠けているように映るかもしれない。特に「極右志向」の高校生による爆発物の投擲はテロと非難しながらも、「革新志向」の活動家による米国大使への攻撃は襲撃というのは、味方の庇護との批判を免れない。米国大使事件の場合は、被害者と米国の方がテロという用語を使わないのに、私たちがあえてテロとする必要があるのかと言えなくもないが、すべてを人のせいにするわけにはいかない。陣営論理に基づいて恣意的で不公平な言葉を使うと、報道機関は国民の信頼を失うことになる。(これからは)記事を書くとき、客観的な実体を示せるよう、より厳正な言葉を選んで書くように努力する。

 ただ、この文に続けて「保守政権と保守言論の従北攻勢を批判しているのは、陣営論理に陥って革新勢力の肩を持つためではない。従北攻勢が激しくなればなるほど、韓国社会の民主主義は後退し、南北関係はもちろん国際関係にも莫大な支障をきたすことを憂慮しているからだ」と強く主張しているのは、ハンギョレの面目躍如といったところ。「従北追い立て」による思想チェック、言論統制は民主主義の理念に反するというのはたしかにその通りだと思います。
 そしてハンギョレがさらに「ハンギョレらしさ」を前面に出した記事が3月13日付の「米国大使襲撃さる…それでも言うべきことは言おうと題したコラム。(→コチラ。)
 朴槿恵大統領や保守メディア等は、この機会をとらえて金基宗容疑者が「韓米軍事演習中断」を叫んだことを逆利用して「韓米同盟の強化」まで唱えているのに対して、このコラムは1992年盧泰愚大統領の時のチームスピリットの中断(←これは知らなかった)と、翌年の再開を「最悪の決定」と評しているグレッグ元米大使の証言を引き合いにして、南北対話を進展させるため韓米軍事演習の中止を主張しています。

 ことほどさように、韓国メディアの左右のミゾが深いことは、韓国ウォッチャーには周知のことでしょうが、それでもニュースに接する時は要注意ですね。
 この事件の金基宗容疑者の犯行について、朝鮮日報には専門家の見方として「かねてからの計画的な犯行であり、刃渡り25㎝という凶器の長さからも殺害の意図があったと推定される」という記事(→コチラ)を載せましたが、これもまた朝鮮日報らしい前のめり的記事だと思いました。
 韓国の新聞各紙は日本以上に自紙の読者に迎合的な記事を書く傾向があるようで、これだと右の人はどんどん右に、左の人はどんどん左になるばかりじゃないかな?

 今回も長々と書きましたが、「ではアンタはどちらの味方なんだ?」と言われるかも。一応理念的には「左」の方ですが、韓国の「左」は概して民族主義的傾向が辟易とするほど強くて、北朝鮮に甘すぎる点が如何ともしがたい。ということで、どちらの味方でもありません。

 以下は補足というか、蛇足というか・・・。
 朝鮮日報のウェブサイトの主な記事には「100자평(100字評)」というタグが付いていて、読者が感想・意見を書き込めるようになっています。またハンギョレのサイトには<토론마당(討論広場)>といって読者がさまざまな意見を投稿できる場があります。たとえば政治関係は→コチラ
 これらを見てみると、ホントに左右どちらにも突出した意見が目につきます。金基宗は南北統一が達成されたら義士とされるだろうとか、金基宗は極刑に処し従北の跳梁跋扈を許すな等々。(まあ2ちゃんねるの政治論議もなかなかのものですけど。)
 日本ではやや右・やや左の人も自分では中道と言ったり、自分でもそう思っている人が多く、またそんな「中道」の人が国民の大多数を占めていると思いますが、韓国の場合ははっきりと左右に大別されているようで、それぞれの現代史の歴史認識にも大きなミゾがあるといっていいでしょう。日韓の歴史認識のミゾはとても埋まりそうにありませんが、韓国内の左右の歴史認識の違いもいつまでも続きそうです。

 そんな中、今日の朝鮮日報(日本語版)に載っていた「韓国が対日批判の名分を失った5年前の「事件」」というコラム(→コチラ)はとくに今回の事件を日本とからめて書いていて、興味深く読みました。筆者は最近イギリスから帰国したという文甲植(ムン・ガプシク)先任記者です。
 彼は「もし私が日本の新聞記者なら」と前置きして、「一部の韓国人は金基宗容疑者を『独立運動家』安重根や尹奉吉と同列に扱っていると皮肉っていたはずだ」とか、5年前にあった出来事(同容疑者が日本大使にコンクリート片を投げ付けた事件)を思い起こさせた上で、「なぜ韓国の大統領が日本大使の見舞いはしないで、米国大使の所にだけ見舞いに行ったかについて弁明を要求すると思う」と書いていますが、韓国人記者としてはめずらしい視点でしょうね。
 また、次のような記述には私ヌルボも共感を覚えました。

 ちょうど300日間、英国に滞在して感じたのは、英仏・英独・独仏という三つの国の歴史は韓日関係よりもはるかに複雑で遺恨が深いということだ。しかし、この三つの国の国民たちが互いを「この野郎」「あの野郎」とさげすむところは見たことがない。
 それは、彼らが歴史を忘れてしまったからではない。相手を完全に許したわけでもない。三つの国の人々は「感情」よりも「理性」、「悪口」よりも「法律」、「対立」よりも「和解」の方が利益になるという事実を冷静に受け入れただけなのだ。


 ただ、この元記事の100字評(→コチラ)の中に、「文記者のように語ると親日派、売国奴と烙印が捺されるのが今の大韓民国だ」というものがあったのは「やっぱりなー」です。

 ※一応、参考として。<「従北」と「親日」 魔女狩りが横行する、病める韓国社会>=趙世暎(チョ・セヨン)[東西大学特任教授、元韓国外交通商部東北アジア局長]→コチラ
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韓国の学校の朝礼について考えてみる① すごくリッパな韓国の学校の朝礼台にびっくり!

2015-02-13 18:50:39 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 1つ前の記事で初等学校3年生を主人公にした「方言の味」という児童書を紹介しました。
 その本の中でちょっと気になったのは「조회대(朝会台)」という言葉。日本ではもちろん「朝礼台」というのがふつうですね。で、ハングルで検索してみると조례대(朝礼台)89万件に対して조회대(朝会台)908万件で、10倍以上조회대(の方が多く、コチラが一般的に用いられているということのようです。
 また日本の学校ではその集会のことを「朝会」とも「朝礼」とも言っていますが(半々くらいか?)、韓国の場合はこれも「조회」あるいは아침조회(朝 朝会)」とよんでいます。「조회」だと「照会」と同音なので紛らわしいからか、「아침조회(朝 朝会)」の方がより一般的のようです。なお<韓国ウィキペディア>では「조례(朝礼)ともいう」と書かれています。

 上記のような呼称もさることながら、私ヌルボがまず驚いたのは朝礼台が日本とは全然違うこと。
 日本語で<朝礼台>と入力して画像検索(→コチラ)した結果の最初の方は次のようなものです。
 別に載せるまでもなかったかも。おなじみの台ですね。

 次に<조회대>で画像検索検索(→コチラ)してみると・・・。
 なんか、すごいですね。日本のような簡単に移動できる小さなものではなくて、費用と手間をかけて造った、大きくてかなりの高さがある「建造物」です。
 ※韓国の学校から注文を受けて朝礼台を設計したという日本人建築家のブログ記事(写真付き)は→コチラ。なかなかオシャレな朝礼台です。
 ↑これはある初等学校(小学校)の体育の授業風景。上から見るとずいぶん高く感じられます。

    
 ↑これは中学校の行事だかで競売大会をしているところ。
 このように、朝会以外にもいろいろ利用されているようです。
 右の写真のように階段が2つ付いているのがふつうのようですが、朝会の場で賞状授与等を行う時に、上がる人と降りる人を分けるためなのでしょう。

 ・・・さて、ここで私ヌルボ考えたのは、この日韓の朝礼台の形態の違いは何によるものか?ということ。歴史的政治的背景と関わりがありそう、ということで韓国サイトをいろいろ見てみました。そしてわかったことは・・・。以下は続く、ということで。(いつになることか??)
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