ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[韓国の<聖地>上海 ②] 現行憲法前文にある「大韓民国臨時政府の法統」の意味を考える

2014-02-05 23:19:29 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 9月に<上海という韓国の<聖地>①>を書いた後4ヵ月以上ほったらかしになっていましたが、つい3日前に<朝鮮半島の南北統一問題と、安重根記念館の関係など>で上海臨時政府のことにふれたことでもあり、この際ちゃんと続きを書くことにしました。

 大韓民国臨時政府(上海臨時政府)は1919年三一独立運動勃発の翌4月、李承晩・呂運亨・金九などによって上海で設立された臨時政府です。
 たとい弱体なもので国際的な支持や承認を得たものではなくても、日本の統治期に存在したこの上海臨時政府こそが現在の大韓民国という国の淵源である、というのが今日の韓国の、公的な歴史的アイデンティティである、ということです。
 ※それをファンタジーと言うなら言え。<建国神話>はおしなべてファンタジーではないですか!・・・と私ヌルボ、韓国になりかわって居直り正論を唱えるにやぶさかではないのですが、どうもファンタジーについての認識が日韓間でかなり隔たりがあるようで・・・。

 さて、①の記事でも記したように、「大韓民国臨時政府の法統を継承する」とされたのは大韓民国成立時の1948年ではなく、1987年の第九次憲法改正によって憲法前文に記されたのが最初です。
 また大統領が上海臨時政府旧址という「聖地巡礼」を始めたのも1992年の盧泰愚大統領からです。
 では、なぜ「その時期」だったのか、ということを考えてみることにします。

 上に第九次憲法改正と書きましたが、憲法の基本理念が大きく変わったのは5回です。
 以前全斗煥政権時代を描いた「第5共和国」というドラマがありました。で、現在はその後だから第6共和国です。
 つまり、最初の李承晩政権を含めると6つの性格を異にした政権が推移してきて、それぞれの政権の理念が憲法に反映されているのです。そして、そのエッセンスが盛り込まれているのが憲法前文です。

 主な項目ごとに、6つの憲法前文を対比したものが次の表です。
  
制憲憲法
(1948.7)
3次改憲
(1960.6)
5次改憲
(1962.12)
7次改憲
(1972.12)
8次改憲
(1980.10)
9次改憲
(1987.12)
大韓民国の成立



李承晩(大統領)


第一共和国
4・19革命で李承晩が亡命した後


許政(大統領代行)


第二共和国
1961年の5・16軍事クーデター後


朴正煕(国家再建最高会議議長)

第三共和国
1972年10月の「十月維新」後


朴正煕(大統領)


第四共和国
1980年の5・17クーデターで実権を握った全斗煥の軍政

全斗煥(大統領)


第五共和国
民主化運動の高まりの中で制定された憲法

全斗煥(大統領)
これにより直接選挙で盧泰愚大統領選出。
第六共和国へ
三一運動により大韓民国を建立して世界に宣布した偉大な独立精神を継承し・・・三一運動により大韓民国を建立して世界に宣布した偉大な独立精神を継承し・・・三一運動の崇高な独立精神を継承し・・・三一運動の崇高な独立精神を継承し・・・三一運動の崇高な独立精神を継承し・・・3•1運動により建立された大韓民国臨時政府の法統と不義に抗挙した4.19民主理念を継承し・・・
4.19義挙と5.16革命の理念を継承し・・・4.19義挙と5.16革命の理念を継承し・・・4.19義挙と5.16革命の理念を継承し・・・
平和的統一の歴史的使命平和的統一と民族中興の歴史的使命祖国の民主改革と平和的統一の使命
正義・人道と同胞愛で民族の団結を強固にし・・・正義・人道と同胞愛で民族の団結を強固にし・・・
すべての社会的弊習と不義を打破し・・・すべての社会的弊習と不義を打破し・・・
「檀紀4281年」7月12日この憲法を制定同左「1948年」7月12日に制定
(以後も同じ)
他のすべてにある「民族の団結を強固にして」という文言がない。

 こうしてみると、大きな民衆闘争、あるいはクーデターというドラマチックな出来事による政権交代が何度もあったがゆえの憲法改正であることがよくわかります。
 (日本国憲法がこれまで1度も改定されずにきたことは、世界的にみて「ふつうではない」と否定的に語る人たちがいますが、それだけ国情が安定していたということです。)

 上述したように、韓国の場合は1948年の建国から現在の第6共和国まで、指導者とその施政理念等が大きく違っていて、それがそのまま憲法に反映されていることが前文の文言だけでもうかがわれます。
 朴正煕~全斗煥時代の「5.16革命の理念を継承し・・・」はお手盛りそのものですね。
 第四共和国以降「平和的統一」という言葉が入っているのも一考に値するのでは・・・。
 最初の憲法から「三一運動」という言葉はありますが、続く文章の差異には意味がありそうです。

 それらはとりあえずおくとして、上記のように9次改憲で「3・1運動により建立された大韓民国臨時政府の法統と・・・」という新しい文言が入りました。

 この時の改憲は、もちろん軍事政権に終止符を打った民主化運動の1つの帰結として行われたものです。
 したがって、その80年代の民主化運動を担った人たちの見方考え方が反映しています。

 建国以来の国としての存立理念は、思い切って単純化して書くと、次のようなものでした。

・北朝鮮及び社会主義は不倶戴天の敵である。(朝鮮戦争こそ、その実例。)  
・北朝鮮と対峙するためにアメリカと密接な関係を維持することは不可欠である。(だからベトナム戦争にも参戦した。)
・経済発展のために、アメリカはもちろん、日本の支援も当然受け入れる。
・日本の統治期は当然否定的に教育するが、そのことが両国間のバトルとなるような場面は、1980年代の「教科書問題」以前はなかった。
・70年代までは、「韓民族」であるという民族としてのアイデンティティより、「韓国の国民」という国民としてのアイデンティティの方が強かった。

 ※朝鮮戦争を背景にした映画「戦火の中へ」について書いた過去記事で、私ヌルボ、「1945年の<光復>で民族独立(「解放」ではあってもは「独立」はしていない??)マンセーを叫んで喜んだはずの同胞同士がなぜわずか5年後に殺し合ったのか?」という疑問を提示しましたが、要はその当時は戦争を否定するほどの「同じ民族、同じ仲間」という強い意識がなかった、ということですね。

 ところが、80年代民主化運動の担い手たちはどう考えたか?

・歴代の軍事政権は、反共を口実に民衆を抑圧し、人権を否定する政治を続けてきた。 
・軍部による光州民主化運動弾圧を、アメリカは座視(容認? 支援?)した。(→釜山アメリカ文化院放火事件(1982)) ※以後、反米軍基地闘争等の反米世論は高まり、今に及ぶ。
・「反米」といえば、北朝鮮の方が一貫して反米でがんばっているではないか!
・「親日派」の排除についても、北朝鮮では徹底していたではないか! 韓国ではむしろ「親日派」がずっと政界・経済界で幅を利かせている。
 ※「反米」が民族主義と結びつく例は1950~60年代の日本共産党にみられる。「民族行動隊の歌」なんてタイトルは、今の目で見れば右翼の歌とだれもが思うでしょう。私ヌルボ、学生時代に民青の人を相手に「祖国と学問のために」という日共系全学連の機関紙の紙名について議論したことを覚えています。
・その北朝鮮では主体思想を柱として金日成が「民族」を旗印にして働きかけている(ようである)。


 あ、この民主化運動の主な担い手というのは、端的にいえばいわゆる<386世代>ですね。

 さて、このような民主化運動の高まりが結局軍事政権を倒し、そして諸勢力のそれなりの妥協もたぶんあったりして成立したのが1987年の憲法。

 ここではすでに<反共>は絶対の国是とは言えなくなってしまっています。386世代にとって朝鮮戦争は生まれる前のことだし、金日成も言ってることはよさそうだし・・・。
 さりとて、北朝鮮の<金日成神話>のような強力な抗日闘争の物語があるか?と考えた時に、それまで以上に注目されたのが金九と上海臨時政府。
 金九は抗日運動家で、真珠湾攻撃の翌日には対日宣戦布告をして(実効性はなかったが)、反共民族主義者で、李承晩の手先に暗殺されるまで南北の分断に反対して・・・と、<神話>の素材としてはまさにうってつけの人物です。
 ※金九→ウィキペディア。ついでに、彼を暗殺した安斗煕(アン・ドヒ)については→コチラ。ついでのついでに、その安斗煕を撲殺した
朴(パク・キソ)については→コチラ

 で、ようやく本論。
 私ヌルボ、1987年の憲法改定でこのように「上海臨時政府の法統」という文言を新しく入れたのは、左派・民主勢力に対して保守側が主導して提示し実現した新機軸かな、と思いました。
 ところが最近いろんな韓国サイトの記事を読んで、そうではなく、むしろ左派・民主勢力の意思が強く反映されたものであることを知りました。
 また憲法前文に入れたこの「大韓民国臨時政府の法統」という文言に疑義あるいは異議を唱える人たちも少なからずいるということも・・・。

 ・・・と、本論に入ってたった5行ですが、諸事情により今回はここまでです。(ありゃりゃ、ですが。)
 あと2回は続きます。
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朝鮮半島の南北統一問題と、安重根記念館の関係など

2014-02-02 15:54:39 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 1月30日発売の「週刊文春」(2月6日号)も<怒りの総力特集「韓国の「暗部」を撃て!」>と威勢よく看板を掲げて以下のような内容の記事に8ページも費やしています。
 ①「安倍はストーカー」韓国政府 ダボス会議妄言録/「朴槿恵は対話能力ゼロ」韓国発暴露本の衝撃度
 ②日本刀で少女恫喝 慰安婦マンガをフランスに大量輸出
 ③安重根記念館で共闘「中韓反日キャンペーン」最前線ルポ
 ④“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に
 ⑤「靖国失望」ケネディ大使に叱られて喜ぶマゾ新聞

 これだけ各雑誌で同様の記事が続いても、多くの読者はまだ食傷気味にもなっていないのかな? 私ヌルボとしてはあんまり引き込まれるような内容でもなかったのですが・・・。

 朴槿恵大統領は1月6日に国内では就任以来初の記者会見を開き、22日にはダボス会議で基調講演をしました。
 それらを伝える日本メディアの多くは「反日発言」の有無に重点をおいているようです。読者の関心もその点にある、という前提でしょう。

 しかし、たとえば朝日新聞・武田肇記者のツイートには次のようなことが記されていました。

武田 肇 다케다 하지무 ‏@hajimaru2 1月5日 突然ですが、1年ぶりにソウルに来ました。昨日、久しぶりに友人(30代の韓国人女性)とお茶したら、会話がすっかりかみ合わず。私「日韓関係が悪化し、残念で…」 友人「えっ、何のこと?」 私「韓国で反日感情が高まっているのでは…」 友人「本当に? 私が知らないだけかな?」 1 →

武田 肇 다케다 하지무 ‏@hajimaru2 1月5日→私「韓国民は安倍首相に不安を感じているとか?」 友人「ごめん。あんまり関心がなくて」 私「…」 友人「それより朴槿恵大統領が韓国を壊すんじゃないかと、心配で、不安で。労働者への弾圧はひどいし、国情院の事件とかめちゃくちゃで、ああ、あと4年もどうやって我慢したらいいのか…」 →2

武田 肇 다케다 하지무 ‏@hajimaru2 1月5日→私「その朴大統領のために、日本では嫌韓という言葉が広がっているのだけど」 友人「どうして?」 私「恨み千年論とか、外遊先で厳しい日本批判を続けているとかで、不信が不信を呼んで」私「親日派なのに、なぜか安倍総理と仲が悪いとは聞いたような気がするけど、そこまでは知らなかった」 3→

武田 肇 다케다 하지무 ‏@hajimaru2 1月5日→私「それに、対馬の仏像問題とか、米国での慰安婦像建立をめぐる問題もあり、日本では韓国に対する感情が悪化していて」 友人「なにそれ?慰安婦問題がもめているのは昔からのことでは?」 私「韓国が軍事的驚異になると心配する人までいて」 友人「それは北朝鮮じゃないの?信じられない」→4

武田 肇 다케다 하지무 ‏@hajimaru2 1月5日→私「結構、日本では話題のテーマなんだけどなあ」 友人「そうなの? 隣の国なのに、いろいろ考えいることが違うのね。私も武田氏みたいに国際ニュースに関心を持たないとね」私「…」5終


 また、1月31日「毎日新聞」の記事((大沢文護客員編集委員<記者の目>:<[北朝鮮・張成沢氏粛清]日韓関係改善の好機>)によると、「韓国の有権者のうち、歴史問題や領土問題を投票の基準としているのはわずか8%」とのこと。何かで見ましたが、韓国の一般市民の日本に向ける関心は、日本人が思うほど高くはないように思えます。ちょっと<自意識過剰>かも・・・。

 ぼちぼち本論。
 で、朴槿恵大統領が1月6日の記者会見でもダボス会議でも共通して強調したのは南北統一問題。
 記者会見では「南北統一は<テバク>だ」と言いました。<テバク(대박)>とは、数年前以来の新語で「大当たり!」「大もうけ!」「やった!」という意味です。またダボスでは「統一は南北朝鮮ばかりでなく周辺諸国にとってもプラスになる」と訴えました。

 南北統一問題については、6日の記者会見より前、1月1日の「朝鮮日報」で1~3面にわたって大きく特集記事が組まれ、その後も継続記事が掲載されていました。

    
 【1月1日の「朝鮮日報」1面。写真は中部戦線DMZ(非武装地帯)の北側から鉄柵を越えて南側に降りてくる鶴の群れ。】

 この「朝鮮日報」の記事中のアンケート調査の結果からも明らかなように、韓国の国民は<南北統一:「分断維持すべき」が2倍に 「早く統一を」20年間で半減>と、近年ますます統一には消極的になっています。(→「朝鮮日報(日本版)」)

 統一問題には冷めた世論は当然承知の上で朴槿恵大統領や「朝鮮日報」がずいぶん<本気>で統一問題についてアピールしているのはもちろん最近の北朝鮮情勢を見ての上でしょう。

 1月1日の「朝鮮日報」で、南北の統一についての各国の識者たちの発言を紹介した記事の見出しに"눈사태처럼 올 통일… 지금 준비 안하면 北은 중국의 속국 될 것"(雪崩のようにやってくる統一・・・今準備しなければ中国の属国になるだろう)」という文言がありました。

 つまり、国民(あるいは政府首脳等)が望むが望むまいが、北朝鮮が崩壊する可能性が増してきており、またそのような状況下で中国の影響力が韓国として座視できないほど大きくなっている、という判断から朴槿恵大統領も「朝鮮日報」も新たな世論形成に打って出たということでしょう。

 実は、この問題については日本経済新聞社編集委員の鈴置高史氏が1月30日付で<このままでは北も南も中国の属国だ 「北の自壊」に公然と備え始めた韓国>という興味深い記事を書いています。(→コチラ。)
 ※鈴置高史氏の<早読み 深読み 朝鮮半島>はどれもおもしろいです。前回(1月16日)は<靖国で「しめた!」と叫んだ韓国だが・・・>(→コチラ)。

 さて、このような南北統一問題と直接関係ないかのようにみえる中国・ハルビンの安重根記念館の建設ですが、つい先日(1月30日)の「毎日新聞」の連載コラム<木語>で金子秀敏専門編集委員が<北朝鮮の人、安重根>と題して興味深い記事を書いています。(→コチラ。※会員制)
 会員でないと読めないので、一応記事の要旨を記しておきます。

 昨年(2013年)6月、朴槿恵大統領は訪中した際、習近平国家主席にハルビン駅に安重根記念碑、重慶市に光復軍(上海臨時政府の軍隊)総司令部記念碑を建てることを要望した。 
 この2つのモニュメントを合わせると、反日とは別の意味が浮かび上がる。
 韓国の憲法には、現在の韓国は「大韓民国臨時政府の法統を継承している」と記されている。 要するに、抗日独立武力闘争の本流は韓国だから、朝鮮半島を統一する権利は韓国にあるということだ。2つをセットにすると、朝鮮半島の唯一合法政府は南にあることを示す法統のモニュメントになる。しかも、それを中国に作らせれば、中国がこの法統を認めたことになる。朴大統領の狙いはこれだろう。
 一方、北朝鮮にはもちろん金日成の「抗日パルチザン伝説」がある。中国共産党軍はその抗日パルチザンの兄弟軍だった。1950年に北朝鮮軍が38度線を破って南進したときも中国は義勇軍を派遣した。北朝鮮を正統と見なしていたからだ。北朝鮮にすれば、韓国の法統モニュメントを建設するとは中国の裏切りだ。
 中国は1月19日、ハルビン駅内に安重根義士記念館を開館した。韓国紙によると、重慶の光復軍総司令部の復元も決めた。(→1月23日「中央日報(日本版)」)
 韓国メディアは「外交勝利」で高揚している。
 北朝鮮の官製メディアは26日「中国が安重根烈士の壮挙をたたえたのは極めて正当」と記念館を容認した。安重根の生まれ故郷は黄海道で、もともと北朝鮮の人だ。だが光復軍への言及はなかった。


 金子秀敏専門編集委員は、昨年7月の<木語>でも朴槿恵大統領の訪中について、同趣旨の記事を書いています。
 それについては、本ブログでも取り上げたことがありました。(→コチラ。)
 その過去記事のネタとなった「文藝春秋」(2013年10月号)の座談会で、松本健一先生が「(韓国が)独立戦争らしきものを求めると、金日成の抗日ゲリラ伝説くらいしか見いだせない。だから、韓国が国家の正当性をいおうとすると、北朝鮮と手を組むしかないわけです」というピントはずれの発言をしていますが、だからこそ逆に、北朝鮮の<建国神話>に対抗すべく、独自の<建国神話>を90年前後からせっせと構築してきたわけです。

 北朝鮮と中国との関係がギクシャクしてきている現在、また張成沢処刑にみられるような北朝鮮権力層内の不安定要因がさまざまに伝えられる現在、「<抗日の同志>でしょ」とモニュメント建設等により中国にすりより、北朝鮮をソデにして中国との結びつきを強化するとともに、「南北統一は周辺諸国(もちろん中国も含む)にとってプラス」と宣伝する・・・、とまあこういった外交戦略の構図が見てとれます。
 ・・・といっても、韓国政府や韓国メディアがそのように説明してくれてるわけではないし、ただそう考えると合点がいくな、ということを上記の金子秀敏氏や鈴置高史氏の記事や韓国各紙の記事を読んで思った次第です。

 そういえば、リンク先の過去記事の続きをまだ書いていませんでしたね。近いうちに書きます。

[2月5日]さっそく書きました。
 →[韓国の<聖地>上海 ②] 現行憲法前文にある「大韓民国臨時政府の法統」の意味を考える
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韓国でも急増する無縁死  とくに多いチョッパンチョン(ドヤ街) (上)

2013-12-06 20:52:27 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 横浜市立図書館で月刊「新東亜」11月号を開くと、第49回新東亜ノンフィクション公募最優秀作の「男、一人で死ぬ 無縁故死亡者83人の記録」が目にとまりました。
 審査員にも注目された6人の大学生の共同執筆によるもので、韓国でも増えている<無縁死>の問題を、個々の事例を取材し、分析した記録です。
 ※この記事は<新東亜>のサイトで読むことができます。(→コチラ。)

 このノンフィクションは、2012年3月~13年5月までのソウルの無縁故死亡者83人について調査し、とくにその中の7人についてそれぞれの事情を詳しく記しています。
 とくに筆者たちが注目したのが、83人中男性が77人を占めていること。ソウル市の独居老人の71%は女性なのに・・・。
 その理由・背景について、失業や事業の失敗によって生活を維持できなくなったことが大きいと分析しています。その結果離婚されたり、子供からも棄てられたり・・・。
 無縁故死といっても、実は縁故者はいるのに遺体の引受けを拒否される事例が大半で、その数が増加しているといいます。

 日本では、2010年NHKスペシャルで放映された「無縁社会 ― “無縁死”三万二千人の衝撃」が大きな反響をよびました。(→コチラ。)
 韓国でも、日本と同様の高齢社会となり、また伝統的な家族や地域の人間関係も大きく変わりつつあって、<孤独死>や<無縁死>も共通の社会問題となってきたというわけです。

 昨年9月の「朝鮮日報」(日本語版)の記事「無縁故者の「直葬」、韓国でも増加傾向に」(→コチラ)によると、ソウルの無縁故死亡者(身元未詳や、遺体引受人のない死亡者)は、2009年206人、2010年273人、2011年301人、2012年282人。
 東京23区内の場合は、65歳以上の独居者が自宅で死亡したケースは2002年に1364人だったのが2008年は2211人。孤独死≠無縁死(正確には孤独死∋無縁死)ですが、まだソウルの方が数字的には少ないようです。

 さて、上記の「新東亜」の記事中に無縁故死亡者83人のリスト(→コチラ)があり、そこに「住居形態」という項目があります。
 その内訳は、チョッパンチョン(쪽방촌)滞在者が16人、考試院(고시원)生活者が8人、旅館(여관)に長期投宿3人、1間の住宅(주택 단칸방)及びチョッパン(쪽방)生活者22人、アパート(아파트)生活者5人。

 考試院(コシウォン)は、元はといえば公務員試験受験者用の勉強部屋で、→コチラの記事では主にそのような説明をしていますが、それが経済的に苦しい人たちの生活の場所になってきて、その状況は<レイバーネット>中の「現代版貧民窟、考試院」と題した記事(→コチラ)に詳述されています。
 また、おなじみのブログ<大塚愛と死の哲学>では2009年に「追跡取材:「1坪人生」送る会社員が急増」という見出しの「朝鮮日報」の記事を紹介しています。(→コチラ。) このブログでは、2011年には「死よりも先に無縁化が来る社会」と題した記事(→コチラで今回のこの記事と同じテーマを扱っているし、ホントに鋭敏な情報感度です。

 考試院はヌルボ自身1度宿泊したこともありますが、それ以上に無縁故死亡者が多かったというチョッパンチョンのことはよく知りませんでした。
 ということで、続きはそのチョッパンチョンについて書く予定です。 ※2017年5月現在、続きはまだ書いていません。
 (しかし、このテーマは他人事ではないゾ。気が重くなってくるなー・・・。)
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韓国の人口当たり自殺率は世界一の高さ ・・・・ 「生命の橋」麻浦大橋のこと等

2013-12-01 16:44:47 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 11月23日(土)の「朝鮮日報」の読書欄で大きく取り上げられていたのがチョン・ジョンファン(천정환 자살론)成均館大教授による新刊書「自殺論(자살론)」でした。

      
           【大きな見出しは「自殺・・・選択か、社会の傍観か」。】

 この記事の本文は→コチラで読むことができます。

 チョン・ジョンファン教授によると、「自己啓発の言説は、個々人の人生を事業として対象化して、一人で負うべき責任の負担を増大化した。世渡りと自己管理は近代の幕開け以降続いてきたが、新自由主義の深化がそれをより深刻で残酷なものに再構成した」とのことですが、それはおいといて、私ヌルボがまず注目したのはそこに載っている写真です。
      
   【キャプションには「ソウル漢江大橋に自殺予防の言葉が刻まれている。1日40人が自ら命を絶つ韓国はOECD諸国の中で自殺率(10万人当たりの自殺者数)1位だ」と書かれています。】

 橋に記された言葉は「夜明けは必ずやってくる」です。

 漢江の橋からの投身自殺というと、思い出されるのが映画「彼とわたしの漂流日記」(原題「キム氏漂流記」)です。(内容紹介は→コチラ。)
 失業した男が投身したものの失敗して漢江の中の島のパム島に漂着して・・・という設定の映画です。後で調べたら、パム島は西江大橋(서강대교)の下ですが、撮影した橋は元暁大橋(원효대교)だそうです。

 つまりは、それだけ漢江の橋から投身する人が多いということで、その対策として上の写真のように橋に自殺を思いとどまるような言葉が記されるようになっているのですね。

 韓国サイトで関係記事をいろいろ読んでみたところ(→コチラ等)、漢江の橋から投身自殺を試みた人の数は2009年201人、10年193人、11年196人、12年148人で、13年は7月末までで102人に上っているとのこと。
 そして09年以降漢江の橋の中で一番自殺を試みた人の数が多かったのが麻浦大橋(마포대교)の110人。以下漢江大橋(한강대교)64人、西江大橋(서강대교)58人と続いています。

 とくに麻浦大橋は月当たり1.8人が投身しているということで、市は最近この橋を「生命の橋(생명의 다리)」として改装し、自殺防止キャンペーンを展開して市民や各種メディアの注目を受けていると報じられています。
 その「改装」が具体的にはたとえばこのようないくつもの呼びかけのメッセージ。センサーで歩行者の動きを感知して、歩幅に合わせて自動的に点灯するようになっているそうです。

       
    


 そして橋の中央部には、下のような造形物も設けられました。

     
         【左奥のハート印は募金箱です。】

 なぜ麻浦大橋での投身が多いか? →コチラの記事(日本語)によると「他の橋より歩行者の接近が容易」、「ヨイドの証券街が付近に位置している」、「地下鉄の駅からも近い」という理由があげられています。

   
  【西江大橋と麻浦大橋、国会議事堂に近いというのも何か関係があるのでしょうか?】

 「生命の橋」麻浦大橋の自殺対策の続きです。
 次のメッセージは一連のものになっています。

   
       【「電話があるじゃないの」】

   
       【「さあ、あなたの話」】

   
       【「一度話してみて」】

 そしてその先にあるのが・・・。

   
       【「生命の電話」 】

 実際に、この電話での会話を通して自殺を踏みとどまった人が何人かいたそうです。

 またCCTVの設置も拡大し、救助率は過去4年が5割強だったのが今年は90%以上にアップしたとのことです。

 麻浦大橋でのこのような対策に続いて漢江大橋でも同様のキャンペーンも始まり、俳優のハ・ジョンウ、ソウル大キム・ナンド教授、声楽家のチョ・スミ、漫画家のホ・ヨンマン等の著名人44人のメッセージが寄せられ、またここにも「生命の電話」が設置されました。

        
    【「私が応援します」と記されたハ・ジョンウからのメッセージ。】

 しかし、ここまでキャンペーンを展開しなければならないとは、それほど韓国内では自殺の問題が大きな課題になっているということですね。

 9月の聯合ニュースの記事によると、韓国の2011年の自殺者数は1万5681人。2008年から4年連続で増加しています。
 日本の場合、2012年の自殺者数は27858人。韓国の倍以上も多い数字ですが、自殺率は21.8人で、上掲の写真のキャプションにある通り韓国の自殺率の方が日本を上回って世界1位になっています。
 ウィキペディアの<国の自殺率順リスト>という項目によると、主な国々の自殺率は次の通りです。※(  )内の数字は調査年。
1位:韓国33.5(2010) 2位:リトアニア31.5(2009)  3位:カザフスタン26.9(2007) 4位:ベラルーシ25.3(2010)  5位:日本21.8(2012)  18位:フランス17.0(2006)  27位:中国13.9(1999)  41位:アメリカ11.1(2005)  44位:インド10.6(1998)  50位:ドイツ9.4(2007)  52位:イギリス9.2(2008)  68位:スペイン6.1(2007)  72位:イタリア5.2(2007)

 これを見ると、日本の自殺率が韓国より低いといっても世界の中では非常に高い数値であることがわかります。つまり、自殺が多いこと(とくに男性中高年層の自殺率が高いこと)は日韓共通の現代的課題といえます。

 近年(この約10年)の社会環境、とくに労働をめぐる状況の変化がまず理由の1つとして考えられるところですが・・・。
 一方、日本や韓国よりも人々の生活が苦しいと思われる国々でも自殺率ははるかに低い国はむしろふつうです。現実の社会状況だけでなく、信仰や思想的な背景、家族をはじめとする人間関係のあり方等々、いろんなことが関係しているようです。
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[韓国の<聖地>上海 ①] 韓国は歴史の中に「戻るところはない」という古田博司教授の発言は疑問が・・・ 

2013-09-22 23:49:49 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 「正論」その他の右寄りの雑誌ではほぼ毎号のことですが、「文藝春秋」10月号でも「日中韓百年戦争にそなえよ」という大仰なタイトルで識者たち7人による座談会を組んでいます。
 顔ぶれは大和総研副理事長・川村雄介氏や元駐韓国大使・小倉和夫氏を含め、皆過去or現在大学で教職にあった人ばかり。
 その人たちが「くり返される歴史認識問題の本質を論じ尽くす」ということですが、読んでみるととくに目新しい知見や注目に値する発言はなく、最近の中韓のモロモロにイラついているor憤っている多くの読者の感情に沿った内容でした。
※この特集記事に対しては、→コチラのブログ記事が内容の概略とともに良識ある感想を載せています。

 その中で、今回私ヌルボがとくに疑問を感じたのが、中韓との歴史観をめぐる対立についての古田博司筑波大教授と松本健一氏の次の発言です。

 古田博司 だから、私は、歴史のなかに国家の未来像を求めるという尚古主義事態をやめた方がいいと思うんですよ。中国は清代に戻れるとしても、韓国はどこに戻ったらいいんですか。かわいそうじゃないですか。先の大戦は、日本の一部だから敗戦国だし、独立戦争を戦ったわけでもない。日韓併合以前に戻っても、清の属国であることには変わりない。過去に栄光を探すのではなく、現在、そして将来、世界の人々に尊重される国家であることをめざして、そこに誇りを見出すべきなんです。歴史の中に未来はないんですよ。
 松本健一 たしかに、独立戦争らしきものを求めると、金日成の抗日ゲリラ伝説くらいしか見いだせない。だから、韓国が国家の正当性をいおうとすると、北朝鮮と手を組むしかないわけです。


 「過去に栄光を探すのではなく、現在、そして将来、世界の人々に尊重される国家であることをめざして、そこに誇りを見出すべきなんです」という点は私ヌルボも同感ですが、「先の大戦は、日本の一部だから敗戦国だし、独立戦争を戦ったわけでもない」とか「独立戦争らしきものを求めると、金日成の抗日ゲリラ伝説くらいしか見いだせない」とは、古田・松本両先生は今の韓国の憲法前文が次のような文言で始まっていることをご存知ないのでしょうか? 古田先生が知らないはずはないと思うのですが・・・。

 悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し、・・・・

 古田教授自身が他の所で言っているように、日韓歴史共同研究委員会の場でも韓国の学者は歴史のことを「イヤギ(お話)」と平気で言っているくらいだから、「日本の一部だから敗戦国だし、独立戦争を戦ったわけでもない」という史実よりも、「かくあらねばならぬイヤギ」が最優先で憲法で提示され、学校教育の場などで教えられるのです。
 そのキーワードが大韓民国臨時政府です。
 大韓民国臨時政府とは、1919年李承晩・呂運亨・金九などによって上海で設立された臨時政府です。(→ウィキペディア。)

 上記の古田教授の発言に対する韓国の立場からの反論はすぐ予測がつきます。

 「日本の一部だから敗戦国」だって? 日韓併合条約からして違法であり、したがって植民地でなく「強制占領」だった。 
 また日中戦争勃発後、上海から重慶に移った臨時政府は光復軍総司令部を創設し、1941年12月9日対日宣戦布告をした。
 したがって、
①臨時政府は当時の国際的な承認を得ていなかった。②戦闘行為に参加していなかった。③臨時政府内での内輪もめもあり、金九自身が「乞食の巣窟」と言ったほど弱体なものだった。
 ・・・等の弱点はあるとしても、上述のことから「日本の一部」というのは虚構であり、また「敗戦国」ではなく「戦勝国」だった。だからサンフランシスコ講和条約にも「戦勝国」としての参加を望んだのである。(認められなかったが。)


 また、松本健一氏の「独立戦争らしきものを求めると、金日成の抗日ゲリラ伝説くらいしか見いだせない」というのも、それは松本氏がご存知ないだけです。韓国の歴史教科書を見れば何人も登場しています。
 たとえば、金玉均の従弟で俳優ソン・イルグクの曾祖父(!)でもある金佐鎮金天については、昨年彼の肉筆日記が出版されたことが報じられました。(→コチラ。) その他、満州での抗日闘争の指導者としては洪範図もよく知られています。

 上海といえば、今年6月朴槿恵大統領が訪中した際に訪れた所です。韓国の歴代大統領は、中国歴訪時には北京に続き上海を4回、成都と青島をまとめて1回訪問していますが、92年の盧泰愚以来、韓国大統領が必ず上海を訪れているのも臨時政府旧址に立ち寄って芳名録に言葉を残すのが慣例になっているからです。

 7月に「毎日新聞」で金子秀敏専門編集委員が2度にわたってこの朴大統領の中国訪問を取り上げ、その背景に「韓国版の歴史見直しがあるのではないか」と論じています。(→7月4日11日)
 つまり、北朝鮮の「抗日パルチザンの金日成神話」に対して、韓国の独立は臨時政府の運動によって勝ち取ったものであるという自前の「抗日戦争闘争史」という大きな物語を作ることだろう、というのがその論旨です。
 さらに、朴槿恵大統領が韓国大統領として初めて西安も訪ねた意味も朴正熙の経歴と関連づけて考察しているのも興味深いところです。

 ただ、この金子秀敏専門編集委員の記事では、韓国憲法の前文に韓国国民は大韓民国臨時政府の法統を継承すると明記されていることは記されてはいますが、それが1948年7月公布された制憲憲法の当初からのものではなく、第九次憲法改正(1987年10月)で初めて盛り込まれた文言であることは書かれていません。(参考→ウィキペディア。)
 また大統領の上海臨時政府旧址という「聖地巡礼」も朴槿恵の発案ではなく、前述のように1992年の盧泰愚から続いていることです。

 では、大韓民国臨時政府への着目と上海の聖地化がなぜその時期(1987年・1992年)だったのか? 続きではその点についてを考えてみます。

 それにしても古田教授、知ってて上掲のような発言をしたのだとすると世間の風潮への迎合だし、もし知らなかったとすると韓国・朝鮮の専門家としてちょっとまずいゾ。
 松本健一氏については何冊かの著書を共感をもって読みましたが、この箇所での発言は専門を少し外れているとはいえ無責任。

 おまけ。本題とはあまり関係ないかもしれませんが、ヌルボ思うに史実を「今かけている眼鏡を透して」恣意的に歪める「歴史の歪曲」は日本よりも韓国の方がずっと顕著。一方日本は、直視すべき史実を見ようとしないという問題がありそうです。
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韓国が実質的死刑廃止国である理由

2013-08-12 11:46:44 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 久しぶりの記事アップ。
 「散らかった部屋でのびているんじゃないか」等々気にかけて下さった皆さん、ご心配をおかけしました。
 慰安婦問題という気が滅入るような案件について記事を書きかけたこと、小説「28」がおもしろくイッキに160ページくらいまで読んだこと(全部で500ページ)、そして猛暑が空白の5日間の原因です。

 で、その慰安婦問題以外のテーマに差し替えました。しかし硬いテーマである点は同じ。

 過日<無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会>から会報「キラキラ星通信」82号が送られてきました。
 そこに6月9日の公開学習会での菊田幸一明治大学名誉教授(弁護士)の講演記録が載っていました。
 「今の日本で、死刑を、少なくとも執行停止を実現するためには、終身刑が必要」という持論が講演の主旨ですが、関連事項として死刑を取り巻く諸条件の例として韓国の死刑執行停止と、テキサス州の終身刑採用の状況を紹介しています。

 韓国の死刑をめぐる状況については、本ブログでも2011年11月~12年6月<韓国の死刑制度と、連続大量殺人事件>と題して次の4回に分けて記事にしました。
(1)制度と歴代政権の姿勢
(2)韓国の世論は?
(3)過去の大量殺人事件
(4)日本と韓国の状況

 要点だけ整理しておきます。

①韓国では、1997年12月30日に23名の死刑を執行(金泳三政権の時)して以来、現在まで執行されていない。最後の執行から10年後、アムネスティ・インターナショナルは実質的死刑廃止国として認定した。(しかし死刑は廃止されてはいないままで、この間の死刑判決は下されている。)  

②21世紀に入ってからだけでも、韓国は2003~04年21人を殺害した柳永哲(ユ・ヨンチョル)事件[←映画「チェイサー」の素材]、2004~06年13人を殺害し、20人に重傷を負わせたチョン・ナムギュ事件、2006年12月~08年女性7人を拉致・暴行・殺害したカン・ホスン事件のような大量連続殺人事件が起き、死刑執行再開を求める声はアンケート調査でも多数を占めている。
※2012年10月の「ファイナンシャル・ニュース」の記事によると、「大学生573人を対象とした調査で、死刑執行賛成は76%、反対は12%」だった。

③このような世論にもかかわらず、死刑が執行されない理由・背景としては、以下のことがあげられる。
[a]朴正熙政権の時、無実と思われるような民主化運動闘士が死刑になった過去があり、そして自身がかつて死刑判決を受けた金大中が大統領になった
[b]韓国が死刑を執行すると、死刑否定が基本方針の国連で、潘基文事務総長の立場を苦しくする。
[c]韓国社会で大きな影響力を持つキリスト教団体が死刑制度を撤廃することを要請している。仏教界からも死刑廃止を求める声が高い。


 さて、菊田幸一教授の講演内容ですが、韓国の執行停止について上記(a)(b)の事由を挙げるとともに、実際に「韓国に行って初めてわかった」こととして以下のことを語っています。

 韓国は、犯罪人引渡し条約をヨーロッパと批准している。  
 ところが、その条約には特例がある。
 たとえば、韓国内で殺人を犯してヨーロッパのある国に逃げた者がいたとして、韓国がその国に殺人者の引渡しを要求しても、死刑になるような凶悪な犯罪を犯して逃げた者を、死刑があるような国には戻さない、という特例である。
 なぜ韓国がこのような条約を締結したか? それは貿易協定のためである。犯罪人引渡し条約を批准しないと貿易協定を結べないというものなのだが、韓国はヨーロッパとの自由貿易を優先してこの条約を批准した。


 ・・・というもの。私ヌルボ、これは初耳という情報については極力クロスチェックして確認しているのですが、この件については日本・韓国のサイトで検索してみたものの未確認のままです。
 なお、日本は「刑を言い渡された者の移送に関する条約」は批准しているが、「犯罪人引渡し条約」は批准していないとのこと。
 とすると、今後貿易協定交渉が進展すると、関連して日本国内の死刑についてもなんらかの影響が及ぶ可能性があるということなのでしょうか?
ウィキペディアによると、「日本が犯罪人引渡し条約を結んでいる国はアメリカと韓国の2か国だけであり、 これは世界的に見て極めて少ない部類に属する」とあります。  
 靖国神社の門に放火して韓国に逃亡、さらにソウルの日本大使館にも火炎瓶を投げ込んで逮捕され、韓国で服役していた中国人の身柄引渡しを日本が請求していたのもこの条約によるもの。今年1月ソウルの高裁が条約に定める送還の対象外と認定して引渡しを拒否、中国人を釈放したことは記憶に新しい(かな?)。


 以前の記事の続きということで、朴槿恵大統領の死刑に対する見解について。
 菊田幸一教授が語ったところによれば、死刑についてどう思うかと問われて、彼女は「死刑についてそんなに特段な考えをする、変える必要がどこにありますか」と答えたそうです。つまり、執行停止状態を続けるということ。
 ヌルボ思うに、朴正熙政権下では473件もの死刑が執行されていて、それが民主化運動の弾圧等にも用いられたということが朴槿恵大統領に意識されているかも・・・。その中には1975年に8人が死刑判決が下され、18時間後に執行された人民革命党事件という「司法による殺人」もあったからなー。
 ※[参考]各政権下の死刑執行数(出典:<ハンギョレ21>の記事)
李承晩\t258
許政 \t0
尹譜善\t22
朴正熙\t473
崔圭夏\t0
全斗煥\t71
盧泰愚\t38
金泳三\t57
金大中\t0
盧武鉉\t0
李明博\t0

 菊田教授の話の中で、もう1つ私ヌルボが知らなかったことは、李明博前大統領の時から死刑囚が一般の刑務所に移されたということ。
 それまでは、韓国は基本的に日本の刑法が基本になっているから、日本と同じく拘置所に死刑囚がいる、ということでした。(死刑確定者は、刑を執行されるまでは「未決囚」なので懲役等は科せられず、拘置所に収容されている。) ところが韓国では、死刑囚の中から、処刑されるまで何もしないでじっとしているのはイヤなので働かせてくれという希望が出てきたので、それを容れたとのことで、刑務所で死刑囚を示す赤札をつけて働いているのだそうです。「そういう状況の中で、たとえばAさんを死刑にするって時に、じゃ工場から拘置所の処刑場まで運んで、そこで処刑できるか、そうそんなことは事実上できなくなる」というのが菊田教授の見解。

 今日本は、慰安婦問題をめぐる問題で「狭義の強制連行はなかった」ということにこだわるあまり、国際社会の「空気が読めなかった」ことにようやく気づき始めたようですが、もしかしたら、いつの間にか死刑廃止が「世界の常識」になっていて、存続によって不利を被る事態になっているかもしれません。(すでに「世界の常識になってきている」と言えると思います。)
 ヌルボとしては、世界の動向と関係なく、以前の記事で記したように別の理由で死刑には反対です。また自分たちが考えて「正しい」と判断したならば、不利を被っても存続するのが正しいでしょう。
 [2014年8月の追記]いずれにしろ、「当事者意識」をもつことが必要、というのが私ヌルボの意見です。日本人であれば皆死刑のスイッチを手にしているということを自覚しなければ・・・。裁判員になって死刑の裁判に関わるのが負担と言う人は、死刑存続国の一員であることは負担ではないのかな? 死刑を肯定するのなら、しんどくてもやり抜くのが責任感では? (裁判員だけでなく、死刑執行員も国民から選ぶという案はいかがか? 皮肉でも冗談でもなく、マジな提案です。)
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「朝鮮日報」のコラム「それでも世界から愛される日本」と、ネチズンのコメントを読む

2013-06-02 19:39:20 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 本ブログの1つ前の記事を読んでアタマに血が上った方は、この記事で冷ましてください。
 5月31日「朝鮮日報」のヤン・サンフン論説委員が書いた「世界は日本が好きだと言っている(세계인은 日本이 좋다고 한다)」と題したコラムについてです。
 原文は→コチラですが、今日「朝鮮日報」(日本版)にも翻訳がアップされていました。(→コチラ。) 日本版では、見出しを「それでも世界から愛される日本」と少し変えて訳しています。(「それでも」とはなんだ!?(笑))

 内容はというと、英国BBCが毎年行っている国別評判調査での日本の評価をめぐるものです。
 その調査では日本は毎年トップ圏内に入っていて、今年も「政治家による破廉恥な過去史否定」にもかかわらず世界で4番目の高評価であり、ヤン・サンフン氏は「韓国人と中国人による圧倒的な否定的評価がなかったら、日本は今年も、世界で最も人気ある国の座を争っていたかもしれない」と述べています。
 続けて彼は人気度1位だったドイツと、日本を比較していますが、「中央日報」のキム・ジン氏とは比較にならないほど冷静な筆致です。
 「ドイツに比べると日本には、良心的な過去史反省をしなければ耐えられないという外部環境はないも同然だ」と分析したりもしています。

 しかし、ヤン・サンフン氏のコラムの主旨は日本に対する物言いではなく、以下のように「調査対象の17ヵ国の中で10位と12位の間を行ったり来たりしている」韓国の人々に向けて書かれています。

 韓国がさらに伸びるということは、もっと強くなるというだけでなく、世界の人々から好かれ、尊敬される国になるということだ。韓国がもっと伸びるということは、礼儀・信義・正直・清潔・規律・遵法・誠実・団結の面で韓国も日本に劣らない国なるということだ。

 ・・・ということは、それらの点で劣るということを認めているのです。
 その具体例として、自身日本を訪れた時、違法駐車を1台も見かけなかったこと、道路に唾を吐く人も、車の外にたばこの吸い殻を投げ捨てる人も、1人としていなかったこと、歩道のブロックがずれている場所も、ほとんど見かけなかったこと、タクシーに乗った際に運転手に電話を渡して別の車の仲間に現在地を伝えるよう頼んだところ、「運転中には電話できないことになっています」と丁重に断ったことをあげています。

 私ヌルボ、この記事でも原記事の下段の読者コメントを見てみました。するとキム・ジン氏のコラムと全然フンイキが違うのです。
 総数54件のうち、感情ムキダシの日本非難はほとんどなし。
 また日本人が喜びそうなコメントに対して「賛成」の数が多いことも、キム・ジン氏のコラムの反応からは信じられないほどです。
 以下、主なものを紹介します。

 先進国の共通点は、正直、秩序をよく守るという点である。正直ではない社会に対する自身の評価はあまり・・・なのだが、外国の人たちにいい評価を受けられることが期待できるのだろうか? 時折韓国の国家公権力が嘲弄されるニュースに接する外国人は「情けない国」と見下すだろう。・・・問題の核心は正直と秩序だ。(賛成22:反対1)・・・賛成数最多。

 日帝36年受難史を耳が痛いほど聞き、日本人を暴悪な連中と思っていたが、初めて日本に行ってみて、きれいな街や丁寧な礼節にむしろその思いが遠のいていった記憶がある。子供の頃から"人のことを先に考えなさい"という家庭教育から彼らの高い公衆道徳心が出てくるという話を聞いて、それがまさに我々の親たちが見習うべき点だと考えた。(賛成22:反対1)

 それしかない! 日本に住んでみると大多数の人が良心的で正直で礼儀正しく、きれいである! 近隣諸国間の争いは歴史の中で日常的なものであり、日本の侵略も同じだと思います! 私たちは感情的に日本に対するのではなく、批判的に評価し、彼らの長所を学び、私たちの強さを伸ばすのに邁進しなければならない! 私たちの国力が大きくなって、南北が統一されれば、日本の態度は変わる!(賛成9:反対0)

 今年の調査で最も良い評価を受けた国は、ドイツだった。日本と同様、第2次大戦の戦犯国だが、ドイツは徹底した反省を続けた国で、日本はそうではない。日本が、ドイツのような態度を取っていないにもかかわらず、ドイツ同様に国際社会で尊敬されているという現実。まさにここに、韓中日の過去史問題の根源があるのではないかと思う。(賛成9:反対0)

 日本の粋と味は、世界の人々を魅了させるが、韓国のそれはあまりそうではない。愛国(?)メディアがいくら韓流が世界を震撼させたと叫んでみても9割は誇張である。そして、日本人の礼儀正しさ、整理整頓、正直、責任感は、韓国人が全く及ばないところだ。(賛成8:反対0)

 15年間日本に暮らしてみて、学ぶ点が本当に多いです。この人たち、本当にいい人たちです。韓国と中国人だけ例外ですが、世界の人たち皆が日本をほんとうに好きです。私は日本をよく知るようになりましたが、今韓国に行って友人に一言も話しません。「チョ**リ」になったと悪口をよく言われるので。私は誰よりも韓国を愛しているのですが・・・。良いことは学ぶべきです。(賛成4:反対0)

 ・・・こうして見てみると、それぞれの記事は概してその内容に同調する人たちがコメントを書いているということなんでしょうね。

 安易に韓国の(or日本の)世論はこうだと決めてかかると思わぬ落とし穴にはまりそうです。
 それでも、「総じて韓国人は日本をこう見ている」という言い方はありえると思いますが、逆にそこから個々の韓国人の日本についての見方を自明であるかのように思い込んではならないということでしょう。
 結論は、いつも平凡なことしか書いてないな・・・。
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「中央日報」の「広島・長崎の原爆は天罰」という記事の韓国での読まれ方

2013-06-01 23:31:48 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 安倍首相が乗った練習機に731という数字があったとのことで、その写真(→コチラ)を見たら、たしかに操縦席のすぐ下にでっかく記されています。

 で、それを見て偶然と思わない多くの韓国の人たちの判断も大きな問題ですが、その数字を見て首相自身をはじめ関係者が誰も気づかなかったというのもいかがなものでしょうか?

 さて、一昨日発売の「週刊文春」6月6日号のトップ記事は、あの「中央日報」のキム・ジン論説委員へ直接取材です。「安倍、丸太の復讐を忘れたか(아베, 마루타의 복수를 잊었나)」というコラムでドレスデンの空襲と広島・長崎の原爆投下は「神の懲罰」と書いた人です。
 政府がに抗議したこと等が各メディアでも報じられたので、周知のことでしょうが、そのコラムでは(ドレスデンと広島・長崎は)「神の懲罰であり、人間の復讐であった(신의 징벌이자 인간의 복수였다)」という記述に続けて、「ドレスデン空襲はナチに虐殺されたユダヤ人の復讐であり、広島・長崎は日本軍国主義の犠牲となったアジア人の復讐であったが、ドイツは精神を入れかえて新しい国となったのに対し、日本は変わっていない」と書かれています。

 「週刊文春」は、スピーディーな対応で現地取材、という点はいいのですが、内容的にはイマイチ以下。キム・ジン氏自身がまともに答えることを終始拒みつづけたということもありますが、彼への個人批判部分が多く、それに「韓国の被爆者たちも激怒」という中見出しで韓国の被爆者団体の事務局長の批判意見を紹介してはいますが、「国民日報」の記事(→コチラ.韓国語)が伝えるように、24団体で構成された「被爆者と子供のための特別法推進連携会議」はキム・ジン氏に強く抗議するとともに、「原子爆弾が爆発したのは日本の領土だったが、日本は世界で唯一の被爆国ではない。日本も抗議するだけではなく、自らを振り返って反省してみる必要がある」とし、日本の政界にも責任を求めているのです。

 「週刊文春」の記事で私ヌルボが残念に思うのは、せっかく現地に足を運びながらも、韓国の一般市民の声が全然載っていないこと。
 つまり、キム・ジン氏個人の問題におおよそ集約されてしまっているからです。

 問題のキム・ジン氏のコラムは、一度は「中央日報」(日本版)に翻訳が掲載されましたが、その後削除されました。
 しかし「中央日報」(韓国版)のサイトにはそのまま載っています。(→コチラ。) また、「中央日報」(英語版)もそのままです。(→コチラ。)
 ※韓国語、英語がダメという方はgoogle翻訳等をご利用ください。

 この記事で私ヌルボが着目したのは、記事自体もさることながら、むしろ韓国人読者の反応の方です。記事の最下段をみると、現在まで総数139件の意見が寄せられています。
 賛成数が57と最も多いのが次の意見。(反対は14)

 現職首相が過去の悪名高く、天人共に怒る行為を犯した731生体実験部隊を連想させる731の飛行機に乗って、親指を立てた写真を公開するのは、韓国と中国人たちを侮辱して蔑視することだ。それでどのように外交をすることができると思いますか? キム•ジン委員の記事に同感します。日本は天罰を受けている。祝福を受けるでは絶対にない。安倍が日本を地獄に導いている。

 一方、反対数が46と最も多いのが次の意見です。賛成も23と、その半分ありますが・・・。

 申し訳ない話ですが、偏狭な自国内の人気迎合、歪んだ極右的な言行はキム記者も安倍も五十歩百歩だ。おそらく安倍の言行に拍手して痛快に思っている日本の強烈な根っからの極右派は親指を立てるだろう。キム•ジン記者の味のあるシーソー記事(←振幅が大きいこと?)を痛快がる人も多いだろうが、それが巧妙な包装術であることを悟れば、おそらく多くの人は苦々しく思うだろう。率直に言ってキム記者は、言論よりも極右保守政治をすべき人だ。

 あと1つだけ、たぶん日本人には自然に受けとめられるのでは、という意見を1つ紹介。

 懲罰であれば、なぜ罪のない市民とわが国の人々だけ死ななければならなかと・・・。なぜこのような貧弱な発想しかできないのか・・・。百歩譲って、原爆被害を受けたわが国の人々は、当時日本にいただけの理由で'韓国人'ではないのか?
 ・・・この意見に対しては賛成14反対29です。

 この件に対する一般の韓国人の意見で、ある意味すごいなー、と思ったものも紹介します。たぶん多くの日本人はさらに頭に血が上ると思います。私ヌルボが賛成してるわけではないので、責めないでください。出処は→コチラのブログ記事に寄せられたコメントです。

 獣にも劣る侵略者日本が大東亜共栄という名の下に犯した侵略と略奪に比べると、原爆被害は非常に小さな塵に過ぎない。日本がアジアをはじめとする地域の国々に被害を与えた分だけ返してもらうといっても、おそらく原爆が日本全域をすべて一掃しまっても足りないだろう。今この時間にも、日本の侵略によって苦しんでいる性奴隷ハルモニたちをはじめとする多くの人々と、日帝の蛮行に対して怨讐を晴らすことができず世を去った私たちの先祖たちの無念の子孫が今もその痛みを抱いたまま、正しくなされた一言の謝罪も受けることができず、血の涙を流しながら生きていないか? そのような日本が今何だとさわぎたてているか・・・じつに嘆かわしい。果たして日本は人間であることを拒否するのか?われわれは、さらに準備に準備をして、目を閉じることもできず死んでいった私たちの先祖たちを守るために、われわれの恥辱の歴史を日本に返してやる時を待たなければならない。

 このような現地の反応をみると、もし「一般市民の声」も取材して載せたら、「週刊文春」の読者は、いや、ほとんどの日本人はさらに激怒したかも・・・。ということも考慮してあえて編集部は載せなかったのかもしれませんが・・・。(?)
 一応付言しておきますが、ネット社会の多数意見がその社会の一般的な多数意見と解釈するのは早計ではあります。日本と同様に、です。

 韓国の他紙の反応もちょっと見てみました。

 最多部数を誇る保守紙の代表「朝鮮日報」は、社説やコラムではこの件を直接取り上げていませんが、<コミュニティ>欄に寄せられている読者の投稿は4件すべてがキム・ジン氏に賛成のものばかりです。

 「東亜日報」では、日本の反応を報じた記事自体は事実を伝えた内容ですが、寄せられたネチズンの反応は過激なものばかりです。
 しかし、なんといっても「東亜日報」の記事の中で注目は、今年1月まで「朝日新聞」の主筆だった若宮啓文氏の連載[東京小考]の中の<原爆コラムと「ムクゲノ花ガ咲キマシタ」>と題した一文。これは「東亜日報」(日本版)にもあります。(→コチラ)。
 ところが、元の韓国語版(→コチラ)でその反応を見ると、「(731が)偶然と表現するあなたも(原爆コラムに)怒る資格はありません」などと書かれています。親韓派ジャーナリストの代表格と見られていた若宮氏、これでは立つ瀬がありません。(←蛇足ですが、同情・心配・皮肉・嘲笑等の感情は入っていません。)

 進歩系の代表紙「ハンギョレ」では、特派員コラムとしてチョン・ナムグ記者が「原爆は神の懲罰ではない」という記事を書いています。日本版で読むことができます。(→コチラ。)
 原爆開発と投下に関与したアメリカ人2人の悲劇を提示して、「これもまた神の懲罰であったのか? いったい神は何を考えておられたのであろうか?」と問いかけています。
 また、原爆投下時の米ソの状況、2009年に日本を訪問したオバマ大統領の広島を訪問する計画だったが、反核世論が大きくなるのをおそれた日本政府が反対して実現しなかったこと等有用な情報も提供しながら、次のように結んでいます。

 これ(安倍晋三総理が率いる日本自民党政権)に対する批判が、復讐感情に根差したものではいけないと思う。私たちは、悪行を犯した者に神が理不尽な火雷を下すのを願う代わりに、そのような悲劇的な戦争が繰り返されないよう、核兵器のような非人道的な武器が再び使われないようにするために、日本の道を警戒することだ。

 「ハンギョレ」の記事にときおり見受けられる過度に民族主義的な情緒のない、リベラルな記事だと思います。

 それとともに、私ヌルボが共感を持って読んだのが「京郷新聞」の記事です。(→コチラ。)
 キム・ジン氏の記事に対する日本政府や広島・長崎両市長による批判や、NHKが大きく報道したこと等の客観報道部分に続いて、次のように記しています。

 国内のネチズンたちは日本の反応に概して冷笑的だった。あるツイッターでは「慰安婦が必要だったと言う政治家がいる国で「原爆は神の罰」という記事を非難している」とあり、また別のツイッターには「日本はその発言が行きすぎと非難する前に、首相という人間が731と書かれた戦闘機に試乗する猟奇的行為から振り返る必要がある」と書かれている。  
 一方メディア評論家のハン・ユニョン(한윤형)氏は、キム論説委員のコラムと国内ネチズンたちのこのような反応に憂慮を示した。彼は24日、メディアアス(mediaus)の記事で「日本社会は戦後に侵略戦争を反省するよりも、戦争自体を嫌悪し、自分たちを被害者と規定して経済的繁栄のみ力を注いだ」のに対し、「彼らに適切な謝罪を受けていない韓国社会は、民族それ自体を被害者として位置づけた」と韓国内の反応の文脈を説明した。
 続いて「(韓国では、戦争と暴力に対する)人権ではなく、民族の問題としてアプローチするので、日帝下の犠牲は批判しつつも、韓国戦争当時の民間人虐殺や、光州の虐殺の問題を認識できない感受性ができた」とし、「それらを適切に批判するためにも、戦争犯罪の問題を"被害者民族"の観点から脱して、人権の問題として考えるのが正しいということを認識する時がきた」と述べた。彼はコラムの末尾で「慰安婦問題を戦争犯罪として眺める世界の人々の視線がキム•ジンの考えも容認しないことを知るべきである」と評した。


 若手(1983年生まれ)の論客ハン・ユニョン氏の見方をそのまま自紙の見解にしているような書き方ですが、民族主義べったりの問題点を指摘している点は同意します。

 このハン・ユニョン氏がメディアアスに書いたオリジナルの記事は→コチラで読むことができます。
 そこで彼は、キム・ジン氏が昨年「朴正煕が天上ですでに人革党の犠牲者に謝罪して、彼らがマッコリを飲んで和解しただろう」と話していたことを紹介して、「彼は神と悪魔の意志を人間に伝えることができる偉大なムーダン(シャーマン)である」と皮肉っています。「朴正煕は人革党事件の明白な加害者だが、広島と長崎の市民が731部隊員ではないのに、逆にこのように言う方がふつうではないということもわからないのだ」とも。その他、興味深い論を展開していますが、長くなるので略します。
 ※ハン・ユニョン及び彼の図書を紹介したinnolifeの記事は→コチラ

 「神の意志」とか「天罰」等の言葉を恣意的に用いる誤りについては、ハン・ユニョンの記事でも「金載圭の銃弾は神の意志であり、人革党の犠牲者ということになる」というパロディをあげています。 また上記の「中央日報」(英語版)には次のような読者コメントがありました。

 What makes you think you understand God? Using your reasoning, Japan's occupation of Korea was God punishing Koreans, and the Holocaust was God punishing Jews. Stop citing a retributive Deity and look at the evil that human beings do as God WEEPS.

 (なんであなたが自分は神を理解していると思うのですか? あなたの論法を用いると、、日本の韓国占領は韓国人に対する神罰であり、ホロコーストはユダヤ人に対する神罰でした。応報神を引き合いにすることをやめて、人間が行う邪悪を神が泣いているものとして見てください。)

 ・・・感情的な言葉をなげつけるだけのネチズンはたくさんいますが、このようにまともなコメントには救われます。

 ところで、このような「天罰」という発想については、はるか昔からあります。
 地震や火山の噴火等々の天災や、日食等の凶兆があると、時の権力者はそれを「天」(神)の怒りとうけとめて神事を行ったりしました。権力者がそれをまちがった政治への警告と受けとめたり、それ以上に人々は悪政のたたりとみなしたというのは洋の東西を問わずあったのではないでしょうか?
 つまりは、そのような前近代的心性が韓国にはまだ残っているということでしょうか?
 2011年3月11日の東日本大震災の時も、韓国ではそれを日本人への天罰とみる「アクプル」(悪意のコメント)が広がって話題になりましたが・・・。
 そういえば、上記のハン・ユニョン氏のコラムに寄せられたコメント中にも「がんばれ富士山、神の意志だ!」というのがありましたが・・・。これって、富士山が噴火して日本が壊滅することを期待してるのかな? 「힘내라 후지산(がんばれ富士山)」で検索すると、たしかにそういうことを期待しているネチズンがそれなりにいるようです。 

 以上、極力感情を排して韓国社会を観察するという観点から書き始めましたが、自分でもどーだかなー、といった感じになってしまいました。
 韓国の人からは若宮啓文氏同様安倍首相の同類ではないか?と見られるかな?

 メディア(日本も韓国も)も一部のカゲキな人たちだけではなくて、(ヌルボみたいな?)フツーの人はフツーに戦争も植民地支配もよくなかったと思っているし、そのような教育が(十分ではないにせよ)追求されてきていることをもっと伝えるべきですね。

[参考]木村幹神戸大教授のツイッターより
 Kan Kimura @kankimura 5月23日 @yoshinotai 原爆投下についてはその「正当性」を素朴に擁護する意見は、アメリカよりも韓国の方が強い印象を持っています。
 吉野 太一郎 / YOSHINO T ‏@yoshinotai 5月23日 .@kankimura 「アメリカが日本をやっつけて韓国その他抑圧された国を解放してくれた」という史観はかなり定着してて、原爆の位置づけもアメリカの史観にただ乗りしてるんだな、というのは20年程前の留学時代に感じましたが、確かに根深い。あの頃と全然変わってないんだもの。
 Kan Kimura ‏@kankimura 5月23日 @yoshinotai でしょうね。これ根深いですよ。
 吉野 太一郎 / YOSHINO T ‏@yoshinotai 5月23日 そもそも朝鮮人被爆者の存在すら知らない人も多い。存在は知ってても、今回の論説と直接結びつかないのではRT @kankimura:今回の中央日報コラムの件は、かなり根が深くて、多分(朝鮮人被爆者の部分を除けば)多くの韓国人は何故この文章が悪いのか、感覚的にわからないと思っている。

[付記]もしかしたら関連があるかもしれないのが、実に多くの韓国ドラマで過去の出来事に対する復讐が物語の基本的な設定となっていること。しかし、大きなリスクも伴う「怨みを晴らす」ことを「生きがい」とするような人物が実際にそんなにいるのでしょうか?

※この記事を読んでアタマがカ~ッと熱くなった人はぜひ次の記事を読んで冷ましてくださいね
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林志弦漢陽大教授によるナショナリズム批判② 民族主義史観に代わるものは・・・

2013-03-14 23:51:14 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 1つ前の記事で、高句麗史をめぐる韓国・中国間の論争は、両国ともに近代国民国家の観点から過去を解釈している時代錯誤的な見方だ、と断じている林志弦漢陽大教授の所論を紹介しました。
 今回はそのインタビューのつづきです。
 彼は韓国の正統的な歴史観である民族主義史観が、政治的に見ても問題があると指摘しています。
 では、それに代わる歴史観はどんなものでしょうか?

 インタビュアーによる地の文と質問は茶色、林志弦教授の返答は青色で表示します。

   《民族主義的なアプローチこそが最も非現実的》

Q.民族国家の枠組みを古代史にあてはめようとする観点自体が学問的に間違ったものだとおっしゃいましたが、次のように反論する人もいます。「歴史を取扱う場合、学問的な正確さよりも重要なのは、それがもたらす政治的効果だ」というものです。要するに、中国という大国が「歴史侵略」攻勢を強めている現在、学問的な当否以前にまず防御の論理を構築すべきだというのです。これをどう考えますか?  
A.よく聞く話です。中国も日本もナショナリズムだから、私たちもナショナリズムで勝負しようという話ですね。おかしな話です。現実的に見てもそれで勝てますか? 人民解放軍や自衛隊と戦って勝てますか? それが「民族のためになる道」なのでしょうか?   
 "高句麗史は中国史"という中国の東北工程の論理と"高句麗史は韓国史"という論理は、表面的には敵対していますが、考え方の枠組みは共通しています。近代国家を過去に投影するという枠組みです。その枠の中で「おまえらは韓国史と主張し、われわれは中国史と主張する」、そこで終わりです。その先に何か解決策がありますか? 力の論理が残るだけです。
 私は、国史という認識の枠組みを解体することがはるかに実用的な解決策だと思います。もしわれわれがそのような国史の枠組みを破ったら、それは東北工程が基盤としている枠組みに対するより根源的な批判になるのです。実際にこれがはるかに説得力があります。
 少しでも歴史的な訓練を受けた人なら当然の見方です。中国の主張を世界の学界が認めてしまうと困るから、われわれも世界の学界で高句麗史が韓国史と認められるようにしなければならないというじゃないですか。なんという田舎者か、ということです。
 事実、世界の学界で、中国がそのような主張すれば馬鹿にされるでしょう。
 世界に向けてわれわれが主張しなければならないことは、東北工程の主張がいかに時代錯誤なのか、中国歴史学がいかに国家権力に依存しているのかを明らかにすることでなくてはなりませんよ。中国の主張に対抗して「いや、高句麗史は韓国史だ」と言うことが、そろって馬鹿にされる道だという事実を知らないのです。彼らは世界の学界に出たことがないのです。逆に「世界の学界はなぜ目を向けないのかわからない」と腹を立てるのですよ。世界の学界を知らないにもほどがあります。


 彼の声のトーンは高まっていた。「世界の学界を見たこともない田舎者」たちに対する非難を聞いていると、その「偉ぶり」に対する拒否感がするはずなのに、それよりもむしろ彼が訴える切実さに関心が向かっていた。インタビュー中"常識"という語を頻繁に使用することにも逆説的にあらわれているように、ポーランドとイギリスで西洋史を学んだこの歴史学者にとって、韓国の歴史学界はまったく彼の"常識"が常識として通じない窮屈な"町内"のようだった。

Q.民族主義史学について相当に批判的ですね。
A.おかしいですよ。最小限の現実感覚さえ持っていません。民族主義は、常に自分自身の力量に対する誇大妄想症があります。  
 例えば第2次大戦の時、ナチスドイツとソ連がポーランドを分割占領した後、ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連を攻撃しました。するとポーランドのリアリストたちは「しょうがない。ドイツがより危険な敵なので、とりあえず連合軍側についているソ連との関係を回復してドイツと戦わなければならない」と言いました。ところが民族主義者は「いや、ポーランドの主権を守るためには2つの戦線を展開してソ連とドイツ双方に同時に対抗しなければならない」と言いました。後者についてわれわれはただ笑うしかないでしょう。
 いわゆる「北東アジアの中心国家論」がおかしいのと同じですよ。韓国が北東アジアの中心国家だといえば、日本や中国は同調してくれますか? リアリズムの観点から見ても常識的ではないのです。結局こういう発想は中国や日本向けではなく、あくまでも国内用というものです。「やはりわれわれは偉大な民族。金メダルを10個も取る民族」、まあこんな自己満足的な情緒を広めようとするのです。絶えることなく人々を民族主義によって規律するための手段というのみでしょうか。


   《韓国の民族主義が日本の極右派の立場を強めてやっている》

Q.しかし、それがなんで悪いのかという反論もあります。「われわれ」同士誇りを持って生きられるなら、それ自体たんに良いものといえるのではないかというのですが・・・。
A.世界は1人で生きるものではないでしょう。そしてより重要なことは、韓国の民族主義が強まると相手国の極右派(民族主義)もまた強まることです。私はこれを「敵対的共犯関係」と規定します。  
 たとえば、私の日本の友人たちの中に、日の丸・君が代の強制に反対する人がいます。その友人は日本の右傾化や再武装に反対するウェブサイトを開いていますが、以前SOSメールが来たことがありました。「死にそうだ」というのです。
 自分たちのウェブサイトには韓国のナショナリストたちが入って来て、「日本のヤツらは悪いヤツら、独島はわれらの領土」「君が代を歌うヤツは悪いヤツ、太極旗は良いものだ」というふうにめちゃくちゃに荒らしまわるというのです。すると次には日本のナショナリストたちが入って来て同じことをするというのです。「そら見ろ。おまえらが日の丸や君が代に反対した結果は韓国の民族主義を助長するだけだ。おまえらは日本を売り飛ばす売国奴のようなやつらだ」というようにね。
 このような場合、韓国のナショナリストたちは日本のナショナリストたちを打ち破ったのでしょうか? 全然違います。ウェブサイトを運営する友人の立場を弱くしてしまっただけなんですよ。逆の場合も同様です。日本の新しい歴史教科書や中国の東北工程のようなものが私のような人の立地を狭くし、韓国の民族主義を強化させています。両国の民族主義者たちは、実はお互いがお互いを必要とする共犯関係にあります。そういう意味で「敵対的共犯関係」というのです。この輪を壊さなければなりません。


★[ヌルボの付記] この「私が知っている日本の友だち」というのは小森陽一東大教授かな? ウェブサイトを運営というと「子どもと教科書全国ネット21」の俵義文事務局長あたりかもしれませんが・・・。

 「敵対的共犯関係」。少なからぬ感情的反発や論議をよび起こした表現ということは知っている。ここに浴びせられた数多くの非難に対して彼はどのように考えているか。

Q.「日本の民族主義と韓国の民族主義を同一に見ることはできない」という批判が多く提起されています。いわゆる「抵抗的民族主義」を大きく評価し、膨張的民族主義と同等に見ることは行き過ぎだというものです。
A.それについて歴史的非対称性という表現を使うことができると思います。帝国の経験を持った国の民族主義と植民地の経験を持った国の民族主義は、歴史的経験が対称的ではないですね。「レベル」が違うのです。その非対称性は十分に認めますが、問題は、抵抗的民族主義という名の非対称性が権力言説として、あるいは支配イデオロギーとしての民族言説の姿を隠蔽する機能をずっと果たしてきたということです。  
 韓日関係でも、日本のいわゆる良心的知識人たちは日本の民族主義に対しては強く批判しても、韓国の民族主義にはむしろ支持するような発言をするんですよ。それでどんな結果がもたらされたのかといえば、日本の左派が韓国の民族主義を強化させ正当化させることにより、そのブーメラン効果で日本の民族主義が再び強化されるのです。「敵対的共犯関係」にむしろ寄与することになるわけです。


★[ヌルボの付記] 3月10日の記事「ナショナリズムを批判する韓国の少数派学者たち」で、近年日本の「左翼的」な歴史学者等が、林志弦教授や朴裕河教授のような「反民族主義的」な学者と組んでシンポジウム等を開いたり、本を出したりしていると書きました。その契機として、上述のような韓国側からの指摘を受けて、韓国のナショナリズムに批判的な目を向けるようになった日本の学者が増えてきたということがあるようです。

Q.現実的に存在する力の不均衡というのは考慮しなければならないのではないでしょうか? 冷静に考えて、韓国の民族主義というものが中国や日本に実質的な脅威になるとみるのはむずかしいでしょう。
A.少なくとも自分の側を強化させる口実には十分になるでしょう。東北工程に対抗して、キム・ウォンウン国会議員が数年前国会で満州修復という演説をしたじゃないですか。こんな人たちが進歩的な国会議員とよばれて、あるラジオ放送では大統領選挙候補にまで挙げられましたが、あきれたことです。   
 中国の側から韓国を見たら、故地修復が国会でまで話され、陸軍士官学校の校長室に行ったら満州も韓国の地として塗った地図があって中国の将官が驚いたとか・・・。そんなことで中国は東北工程を正当化するでしょう。


   《高句麗史、「辺境史」の観点からアプローチしなければ》

Q.高句麗に一国史の枠組みでアプローチするのが適切でないとすると、どのようにアプローチすることが望ましいと思いますか?
A.私が提案するのは、辺境史(border history)です。研究対象をひとつの国民や民族国家の単位に包摂するのではなく、そこを多様な文化がお互いに出会って交流する場とみる観点です。そこで文化的緊張が生じ、躍動性も生まれる。しかし、実際には200年の間近代歴史学というものが国史の枠組みで組まれてきたため、一朝一夕に完璧な代案が出てくることはないと思います。今はその端緒になるであろう方法をひとつ提示できるだけですね。  
 例えばボーダー・ヒストリーとかフェミニスト・ヒストリーのようなもの。その中でも、高句麗史の研究方法論としては辺境史的観点が適切だと思います。参考までに李成市先生(早稲田大教授)は渤海も辺境史とみています。キム・ハンギュ先生は遼東史というコンセプトで高句麗を見ようとするのです。韓国史でもなく中国史でもなく。


Q.辺境史について、もっと詳しい説明をしていただけますか?
A.まず国家間の境界ということから考えてみましょう。私たちがよくする勘違いで、普通の自然的な境界(山脈や川など)に基づいた現代国家の国境線だけ見て、国民国家の境界とは、とても自然にできるものと思いますが、実際にはそうではないということです。
 境界というものは、近代になって国境線が地図上で確定されるまでは、線として確実に引かれたものではありませんでした。大まかに「あそこまでがわれわれの土地だ」というようなものでした。だから辺境という地域はこちらにもあちらにも属したりしたと見ることができるわけです。
 例えば、満州~韓半島北部地域は、韓半島や満州の騎馬民族や大陸の文化がお互いに出会って交流して融合したりもしながら、独自の文化が生まれたりしているのですよ。まさにそこについての研究を「辺境史」といいます。
 これがひとつの学際学問として座を得て20年にもなりません。1984年度に「ジャーナル・オブ・ボーダースタディーズ」というのが初めて出たのです。「ボーダー・アイデンティティ」(1998年)のような書籍は全部最近出てきたものです。これはもともとヨーロッパで注目され始め学問的傾向なのです。なぜかというとヨーロッパでは領土紛争がひどかったんですよ。
 元来ヨーロッパは地理的な境界が流動的じゃないですか。国境がずっと絶え間なく変化するのです。19世紀のヨーロッパでは領土争いが熾烈でした。ここは元々私の土地である、ここは元々私たちの歴史だというふうに。ところが、そんなような争いは全く歴史的とは言えず、解決もできないだけでなく、政治的に見れば結局は国家権力が大衆を民族主義的宣伝により動員するために利用するに過ぎなかったんですよ。だから辺境史のような方法論が登場することになったんです。
 例をあげると、フランスのノルマンディー地方の場合、ノルマンディー公はイギリス王の家臣でもあったじゃないですか。スペインとフランスの境界に位置するバスク地方も代表的な事例です。バスクはスペインでもなく、フランスでもないというところじゃないですか。
 そして日本の対馬。徳川幕府の家臣であり、また朝鮮王の臣下が正式名称だったじゃないですか。そうすると、日本史の一部とみなされるものについて問題提起をすることができるでしょう。もちろん、だからといって韓国史であると主張しようというのではなく。


★[私ヌルボの注記] 「対馬の領主は・・・朝鮮王の臣下が正式名称だった」とは、ほとんどの日本人にとっては「初耳」でしょう。これについて、ネット内での韓国側の記事にある「史実」を拾ってみました。
・14世紀後半の対馬島主・宗成職は朝鮮礼曹にあてて自己を「東藩」と称した。
・1420年宗貞盛の使者が世宗のもとを訪れ、朝鮮の州郡の例に倣って対馬の州名を定め、印信を賜ることを請願した。
・これを受けて世宗は対馬を朝鮮の属州とすることを決定し、翌1421年には宗貞盛の使者に印信を授けた。(これは朝鮮の外臣になったことを意味する。) 以後、対馬からの使者は敬差官と呼ばれる。(敬差官とは辺境地域に派遣される駐在官。)
・1474年宗貞国は特送宗茂勝を遣わし、対馬が朝鮮に属し、臣下であると述べた。
  ・・・これらの「史実」は一部で<対馬は韓国領>論の根拠とされたりもしているようですが、私ヌルボは未検証につきノーコメント。


 このような観点から済州島も扱うことができるでしょう。沖縄音楽を研究している人の話を聞いてみると、沖縄の音楽が済州島に驚くほど似ているというんです。ここから沖縄と済州の関連性を研究してみることもできるでしょう。
 笑い話でこんな話があるが、済州分離運動、あるいは済州分離党が必要になることもあるでしょう。済州島では外地人が所有する土地の割合が90%を超えたんですよ。だから分離党のようなものを作って、沖縄・済州連合を構成して本土の人々の土地をすべて奪って、久しい間の被支配状況から脱しなければならないというんですよ。済州島は当然私たちの土地?それはいったい誰の立場なのかというのです。
 このように見ると、長期的に見て中国史か韓国史かという式の争いはなくなってしまいます。その根拠を底から根こそぎ覆すのだから。日本の国史に対しても、北海道•沖縄・対馬・九州、一つひとつ辺境として分けてしまった時、日本の国史も順調に解体することができるのです。


★[私ヌルボの感想] 戦前の国史の授業で、教師が坂上田村麻呂の蝦夷征伐の話をしていたら、涙を流していた生徒がいた。教師がなぜ泣くのか訊くと、「坂上田村麻呂の偉大さはよくわかりましたが、私たちアイヌの先祖は征伐された側の蝦夷なんです」と答えた。・・・という話を本で読んだことがあります。

 辺境史。わかるようなわからないような・・・。

Q.辺境史が国史を解体した次の代案であると?
A.必ずしも辺境史だけはありません。教育のような場合にはローカル・ヒストリーですね。私が通っていた忠清道燕岐(ヨンギ)中学校だとすると、燕岐郡の歴史を書くのです。過去のローカル・ヒストリーはすべて中央政府の関連の中でのみ扱われてきました。忠清道に観察使がいつ来たというようにです。そうじゃなくて燕岐郡に住んでいた住民の立場から歴史を再構成するのです。自分が住んでいる地域で、東学農民軍の時官軍が来てどうなったとか、朝鮮戦争の時に国防軍あるいは人民軍が来てどうしたとか、口述史のような方法論で・・・。このようなことが可能なら入試が変わらなければならないね(笑)。今のように1つの解釈だけを教えて覚えさせているような入試制度の下では難しい話です。
 むしろこういう話に最も反発するのが全教組の歴史教師の会などです。今の歴史教師たちがすべてこのような枠組みで勉強したからです。私の本を発行したヒューマニスト出版社の社長は死にそうだと言ってますよ。全教組の歴史教師たちが作った代案教科書も出した会社に、教師たちが私の本(「国史の神話を超えて」)を出したと抗議をするのです。「なんで"こんな本"を出せるのか? 関係を切るぞ」と言って・・・。


 ちょっと適当というか・・・考えは違うと言っても、こんな排他性まで見せる必要はないのに。これまで多く指摘されてきた話をまた確認するようでちょっと苦々しい。開放性や寛容のような徳目と"進歩"というレッテルの間には必然的相関関係があまりないということか。

Q.それらのことからも明らかになりように、ナショナリズムに立脚した国史が強くて社会のヘゲモニーを握っているのが現実です。国史解体という主張が果たして韓国で可能性があるのかという懐疑論もありますが・・・。
A.ヨーロッパの場合を見れば可能だと思います。今、ヨーロッパではこれ以上の国史(national history)を主張する集団が主流ではないでしょう。ところが、それは政治状況とちょっとかみ合っていることもありますよね。欧州連合(EU)と呼ばれる新しい単一システムが席を占めていく過程だからです。見方によっては国史の枠組みをヨーロッパに拡大したと見られる面もあります。そのような限界に対する認識が必要でしょう。
 ところが、200年権力に奉仕してきた国史の枠組みが1日で崩れるでしょうか? 今挑戦が始まったのです。しかしそのような歴史学がどのように機能してきたかを認識し始めたという意味は明白にあるのです。これからはそれに対し絶えず批判的視角を持って代案を模索することが残っています。今少なくとも橋頭堡は確保されたわけですから・・・。東アジアの次元ではそんな橋頭堡さえ確保されていないのが問題なので、今後解決して行かなければならない問題です。


 二時間にわたるインタビューはこう締めくくられた。
 世界史的な観点から見た時、韓国は民族主義がかつてないほど強力な国の一つだ。ワールドカップが開かれると皆が「赤い悪魔」に急変する国は多くない。普段は関心もなかったスポーツ種目であっても、五輪が開かれると"太極戦士"たちの成績が焦眉の関心事になって、彼らが金メダルを "奪った"とかすると、それが大きな関心事となる。独島妄言や米軍装甲車事件のような"民族的自尊心"がかかった問題には驚くほどの政治的団結を見せ、IMF事態のような問題が発生すると、革命が起こるのではなく、ベルトを締めて "国を生かす"ために金を集める。
 悲しいほどのこの強力なナショナリズムの国で、林志弦教授は時宜を得た話だけ選んでしていた。中国の東北工程も韓国の"歴史防衛"も時代錯誤であることは同じであり、日本のナショナリストと韓国のナショナリストは"敵対的共犯"であり、済州島が当然私たちの土地というのは果たして誰の立場なのかと問い返す林志弦教授。彼はまるでゴリアテの前のダビデを連想させた。投石器の代わりに研究結果と論理という武器を手にして、彼は"常識"の種を蒔く闘争をしていた。彼の "常識"が"見慣れぬもの"ないしは "ふらちだ"とされるこの地で。
 トインビーは歴史発展する原因を、いわゆる創造的少数者(creative minority)に求めた。既存のものに対する彼らの新しい発想と行動こそが、歴史の車輪を動かす原動力だということだ。もちろん議論の余地の多い見解だ。はたして"創造的少数"だけが歴史を進めて行くのか、またその"創造的少数"とは、はたして誰なのかも曖昧だからだ。しかしトインビーの見解に傾聴に値するポイントが1つあるとすると、それは"反逆"としか見えない転覆的な声が時としては次の社会の端緒となることもあるという事実だ。そういう意味で、誰もが"イエス"と叫ぶ時、ただ1人で"ノー"を叫ぶ者は、その事実自体だけでも1度は大衆の関心を受ける資格があるだろう。時宜はすでに十分整っているから。


 インタビュアーが、「時宜はすでに十分整っている」と状況を把握した時点が2004年でした。それから9年経った今の韓国社会はどう変わっているでしょうか?
 日本にいて、また政治・社会・学問というとっつきにくいジャンルで、さらには私ヌルボの韓国語レベルの問題(!)もあって、なかなか正確に理解することが難しい面が多々ありますが、今後も継続して「観察」していきたいと思います。
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林志弦漢陽大教授によるナショナリズム批判① 「高句麗史は韓国史でも中国史でもない」

2013-03-13 21:42:43 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
2つ前の記事で、高句麗史をめぐる韓国と中国の対立と、その起点の東北工程等について書きました。
 その記事ではとばしてしまったのですが、この争点の背景には、北朝鮮~中国東北部における政治的・経済的なヘゲモニー争い、さらに具体的には北朝鮮の体制崩壊後を視野に入れた(?)中国と韓国とのせめぎ合いといったものがありそうです。

 さて、韓国の政府・国民はといえば、先の記事中の「新東亜」の記事を持ち出すまでもなく高句麗は(そして渤海も)「わが韓民族の国」であることは自明の理といった主張がほとんどです。
 ところが、それを批判する少数派の1人が林志弦(イム・ジヒョン)漢陽大学校比較歴史文化研究所所長です。

 以下、「メディア・オヌル」のサイト掲載の「“高句麗史は韓国史でも中国史でもない”‘国史解体’を主張する林志弦(イム・ジヒョン)漢陽大教授インタビュー」という見出しのつけられた記事を紹介します。
 2004年9月とやや古い記事ですが、最近でもいくつかの韓国ブログ等にも転載されています。
 彼の考え方が端的に語られていることだけではなく、民族主義的な国史教育を受けてきているインタビュアー(ソウル大学生)のとまどったような反応も読み取れます。

 以下、インタビュアーによる地の文と質問は茶色、林志弦教授の返答は青色で表示します。

 最近<高句麗史歪曲>をめぐる論争が国民的課題になっている。ところが正確に言えば「論争」ではなく「声討(성토)」=糾弾か? 韓国人のほとんど皆が同じ話をしている。「ウリ(われわれ)の歴史」を奪っていこうとする中国のヤツらは悪い! 正しいのはただ「ウリ」だ!と。この問題について不思議なことに(保守系代表紙の)「朝鮮日報」も(進歩系代表紙の)「ハンギョレ」も区別がない。どこまでも異口同音だ。 
 韓国の歴史家が皆このような主張をしているのではないのに、マスコミに出る主張はどれも千遍一律だ。
 これは相反する立場を扱わなければならないというマスコミの本分に照らしても不合理だといえるが、それ以前にまず退屈だ。
 何か違う話ができる人物が必要だ。その内容が挑発的であればさらによい。そこで漢陽大の門を叩いた。「民族主義は反逆だ」、「私たちの中のファシズム」などの著作で史学界の論争を主導しており、数ヵ月前に<国史解体>という「過激」な主張で注目を集めた林志弦教授がいる。酷暑の8月19日、漢陽大研究室で林教授に会った。

   《高句麗帰属論争は時代錯誤》

Q.最近中国が東北工程を推進して、高句麗史の帰属をめぐって韓中の論争が浮上していますが、どのように考えますか?
A.一言で言えば、時代錯誤的で非歴史的な争いです。韓国史か中国史かを問うこと自体が話になりません。これは2千年前の話です。当時中国や韓国という実体があったわけでもないのです。あったのはただ高句麗だけです。ところが、その2千年前に存在した高句麗に(近代東アジアの場合)20世紀になって登場した近代国民国家という概念をそのまま投影させてしまうのが今の論争の構図なので、これは時代錯誤です。認識論的に成立しません。最も非歴史的な思考方式に立脚した論理を歴史学者たちが展開している喜劇的な状況と言えるでしょう。

Q.近代国民国家の概念の枠組みで高句麗にアプローチするといけないですか?
A.高句麗史は韓国史だと主張する人たちは、高句麗人が韓民族だからだと言います。しかし、その民族という概念自体が生まれたのはたかだか100余年前なのです。韓半島の場合、民族という言葉が初めて使われたのは20世紀初めだったのです。北朝鮮の歴史学者たちは「朝鮮王朝実録」からも勝手に意訳をして、「民族」という言葉を選び出したりしてますけどね(笑)。 近代になってやっと出てきた概念を古代史にあてはめるというのはお話になりません。 
 1930年頃にポーランドで実施した国勢調査の記録を見ると、今のベラルーシとの国境地域に住む人々に「あなたはポーランド人ですか、ベラルーシ人ですか?」と尋ねたというくだりが出てきます。その回答が傑作です。ただ、「私たちはここに住む人たちだ」だったということですね。
  では、われわれが2千年前にタイムマシンに乗って行ったとして「あなたは韓国人ですか? 中国人ですか?」と聞いてみたら高句麗人は何と言うでしょうか? 当然「何をわけのわからんことを言いなさるのか?」と言うんじゃないですか?
 一歩話を進めると、当時高句麗の支配が及ぶところに住んでいた人々は、自分たちが高句麗の人間と考えたのでしょうか? そうじゃないでしょう。高句麗という名前さえ知らずにいたでしょうし、「高句麗」という実体も認識できなかったでしょう。
 また、19世紀末にフランスの農民たちの社会史的な調査がありました。タイトルは"Peasant being into French man"(「フランス人になった農民たち」)。この調査によると、当時のノルマンディーの農民たちは、ほとんど一生の間、自分が生まれたところから4kmを越えるところを旅行したことがなく、だからフランスという実体を知らないのです。その後義務教育を施し、ドーデーの「最後の授業」のようなものを読ませ、方言を使えなくして標準語を使わせる過程で、彼らが「私はフランス人なんだ」と考えるようになったということなんです。
  国民国家が成立し、中央集権的官僚制が作られて100年が過ぎた社会の農民たちの意識がそうだったとすると、2千年前の高句麗に住んでいた人々は、韓国人や中国人や、さらには高句麗人であるという意識もなかったと見るべきです。ただ私は「ここの人」だと思って住んでいたでしょう。ところがそれらを中国史の一部、韓国史の主役として引っぱり出すのは、近代国民国家とそれを支える権力の立場から彼らの人生を専有してしまうものです。彼らの生活をそのまま受け入れるのではなく・・・。


 高句麗が韓国史でも中国史でもないと言う彼の論理は非常に単純な一言で要約可能だ。「民族」というもの自体が近代になってようやく登場した概念であるため、古代史に適用可能ではないこと。周知のように、このような観点は、民族を超歴史的実在としてみる主流史学とは根本からまったく異なる。

Q.民族が近代以降になってようやく形成されたという主張は、制度教育で教える内容とは大きく異なっているようです。
A.そうでしょう。学校で教える「国史」では、このようなことを言わないからね。でもこれが常識です。考えてみましょう。民族という概念は「私たちは一つ」という構成員の間の同質感をその前提としていますが、身分制、両班常民制が存在していた近代以前の社会で果たしてそれが形成されることがあったでしょうか? 例えばあなた(記者)は両班であり、私は常民であれば、私はあの人は私たちの同胞・同民族という感覚を持ったのでしょうか?  
  この問題については面白い史料が残っています。壬辰倭乱の時にある義兵長(呉希文)が残した記録に「瑣尾録(쇄미록)」というのがあるのですが、そこにはこんな嘆きが出てきます。倭軍が攻めてきたのに、私の部下たちが義兵は集まれと言っても1人も集まらないばかりか、日本軍を歓迎して心配だというのですよ。その時の日本軍の占領政策というのが米を配ることだったんですよ。教科書で教えるように「民族意識が透徹した」民衆だったら日本軍に抵抗してゲリラ戦を展開しなければしたはずなのに、その義兵によるとむしろ歓迎したということじゃないですか? 自分たちを人間扱いもせず搾取するばかりの両班たちが引き下がって、急に米を分け与えてくれるというヤツが入ってきたら、あえて拒否する理由がないでしょう。「異民族が攻めて来るたびに、官民が一致団結して戦った」というのは嘘です。壬辰倭乱の時、日本軍が入ってくる前にソウルの宮城を燃やしたのは奴婢たちであるという事実だけ見てもそうですね。このようなことが、守るものがある集団と守るものがない集団の違いです。
 

★[私ヌルボの付記]  
  ウィキペディアの<景福宮>の説明文によれば、「朝鮮王朝実録」等々「日韓双方の記録が(民衆あるいは国王の放火により)秀吉軍の入城を前に焼失したとしている」とある。しかし韓国ウィキペディアの<景福宮>には、「奴婢文書と略奪の痕跡をなくすために景福宮等の宮殿を難民たちが火をつけたといわれているが、現在これが嘘であることもあるという議論が出ている」として、2008年文化財庁が刊行した「景福宮の変遷」の所説を基に、景福宮は日本と朝鮮・明の連合軍との戦闘により焼失したと説明づけています。たとえば、「王室や官僚たちは早目に避難し、(日本軍の入城以前に)空っぽになった宮廷に、民が侵入して奴婢文書を燃やして宝物も略奪した」という柳成龍の記録は目撃談ではなく伝聞である、として疑問視、というより否定しています。
  これも韓国人として「こうあってほしい」という歴史を必死になって証明しようとする事例の1つでしょう。


A.他の例もたくさんあります。例えば旧韓末、東学農民軍を鎮圧していた官軍の兵たちがその後義兵の下に傭兵として入ったことが実証的に明らかになりました。民族意識があって、風前の灯の状態にあった国を救おうとしたのではないんです。常識的にみて、東学農民軍を鎮圧していた兵たちが義兵になった現象が「民族意識」によって説明されますか?   
  また、文献を見ると、1910年に日韓合邦になった時、地方の両班たちが「恥ずかしくて外に出歩けない」と閉じこもったという記録があります。その理由というのが、倭人たちに国を奪われたからというものではありません。「外に出ると常民たちが兄弟よばわりするのが恥ずかしい」というのです。甲午更張(1894)で身分制が廃止されましたが、それは法的な面だけであって、慣行はそのままだったのです。ところが日韓合邦というのは両班たちにとって世界がひっくり返ったようなものだったのです。これが彼らが嘆いた本当の理由なのです。
  ところが国史教科書では、まるで「是日也放聲大哭」(「皇城新聞」張志淵社長の社説)なので、閔泳煥の自殺だけが韓国の全体的な反応であるかのように描写しています。これについては問題提起が必要だと思います。日韓合邦がよかったということではなく、身分制・両班常民制の社会で民族という概念は成立し得ないという話です。
  これらの例をみただけでも、民族(nation)とは、法の前ではすべての市民は平等であるという宣言があり、身分制が廃止され、近代国民国家と近代市民権が確立された後に初めて現れるということがわかります。常識的な話ですよ、これは。


 文字通り「おもしろい」記録だった。彼は同じ事実(fact)について別の解釈を提示する程度ではなく、最初から新しい事実を出していた。既存の理論とは対照的な結論を導き出して、他の解釈の余地もあまりないような見慣れないものを・・・。

   《国史の出自自体が「作られた歴史」》

Q.そうして見ると、国史自体を民族と結びつけて叙述する今の国史教科書はほとんど最初から最後まで間違っているという話になります。これは、ほとんど"歪曲"レベルになることでしょう。ところが、現実ではその"歪曲"された歴史叙述こそ主流であり、依然として公的に信頼のある"事実"として通用しているのですが・・・。
A.そうなった理由はいろいろと考えられます。史学界の慣習とか閉鎖的な雰囲気とか・・・。ところが、より根本的な理由は、「国史」というもの自体の性質によるのです。国史というものが過去についてのイメージを神話化させて作り出すという属性があるのです。国史自体が韓国や日本といった国家に正統性を付与して、それを正当化する手段なのです。  
 国史つまりナショナル・ヒストリーの一般的な特徴は、今の国民国家を頂点にして、そこに至る発展過程として過去の歴史を見るということです。そのように見る上で、不必要だったり、矛盾していたり、混乱を招く事実はすべて除去されるのです。
 これは他の国の「国史」も同様です。
 ポーランドの例だけとってみましょう。韓国の義兵のように、ポーランドでも1830年「両班」であるシュラフタ(szlachta)が蜂起しました。ところが当時の農民たちは、「両班」の指導者を捕らえてオーストリア占領軍に引き渡してしまったのですよ。
 私たちの場合にあてはめれば、日本官憲が鎮圧する前に、農民が先に鎮圧してしまったのです。ポーランド農民たちは独立を恐れたんですよ。なぜかというと、ロシアの皇帝が農奴解放をしてくれたのに、その「両班」たちが支配していた時代に戻ると農奴制も復活するじゃないですか。
 当時ポーランド農民運動の指導者だった人の回顧録には「農民たちは独立を恐れていた」とあります。ところが私たちが聞いていた話はというと、キュリー夫人がどうのショパンがどうの等々じゃないですか。そんなことはすべて神話化された話ということです。実際とは違います。
  わが国でも翻訳されたベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」では近代の歴史叙述の特徴を「伝道されていること」と規定しています。私たちがいつも因果論的に第1次世界大戦が第2次世界大戦を生み、第2次世界大戦が冷戦を生んで・・・と話しますが、実は逆になっているのです。
 実際の論理クロノロジー(年代記)は、第2次大戦が第1次大戦を生み、第1次大戦が帝国主義戦争を生むということです。なぜなら、現在を正当化する観点から出発するから。今日のすべての歴史的過程を、今の国を作ってきた過程で見なければならないんですよ。
  国民国家が目的とした目的論的記述ですね。ランケは、実証主義に基づく科学的な歴史を確立して実証史学の父といわれますが、実はプロイセン国家を正当化した「御用歴史家」だったという事実が、今日の研究を通して明らかにされているじゃないですか。これはわが国の歴史家たちを別にしては常識的な話です。


  単純に「御用歴史家」が教科書を作ったために生じた結果ではなく、発生論的に見た時、国史というもの自体が体制の正当化のために作られた道具だからという話だ。問題の本質が「胎生的限界」にあると、解決策は国史自体を否定することに帰結せざるを得ないという意味になるから。 

 今の日本の歴史学界には、まさか昔の平泉澄東大教授のような筋金入りの皇国史観の持ち主はほとんど(?)いないし、民族主義の色濃い学者もそんなに多くはないでしょうが、「国益」を重視して韓国や中国に対してマスコミで強硬な主張を繰り返している人はふつうに見受けられますね。
 ※1950~60年代の日共系の間には「反米民族主義」が漂っていて、当時よく目にした日共系全学連の機関紙のタイトルも祖国と学問のために」だった。

 この続きで、林志弦教授はナショナリズムに代わる歴史観や、領土論を展開しています。

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「高句麗の都の平壌は、今の北朝鮮の平壌ではない」という月刊「新東亜」の記事について

2013-03-11 20:43:14 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 今回のブログ記事は、1つ前の記事の続きで、漢陽大の林志弦教授の高句麗史についての見方を紹介するつもりでしたが、最近たまたま「新東亜」2013年2月号の「高句麗の平壌は北朝鮮の地ではなかった」という記事(→コチラ)を読んだので、一応「前提」としてこれについてまず書くことにしました。
  ※自動翻訳は→コチラ

 「契丹の歴史書"遼史"の驚くべき証言」という副題のこの記事の要点は次の通りです。

・"三国史記"の記述を根拠に、韓国の国史学界では長寿王の時、高句麗が北朝鮮平壌に遷都したとみている。 
・しかし"遼史"地理志には、高句麗は広開土大王の時に平壌とよばれた本来の首都遼陽に再遷都したと記されている。
 ・また、高句麗を倒した唐が高句麗の首都平壌に安東都護府を置いたことは"三国史記"等にも書かれているが、"遼史"地理志によるとその安東都護府は遼陽にあったと記されている。つまり、唐に滅ぼされた時の高句麗の首都平壌は、現在の北朝鮮の平壌ではなく、中国遼寧省の遼陽である。
 ・高句麗の平壌を北朝鮮の平壌とするのは韓民族が韓半島だけで住んでいたという「典型的な半島史観」である。それは小中華を自任した朝鮮時代に起こったもので、"三国史記"にもそれが反映されている。
 ・その延長線上で、朝鮮後期の実学者たちが高句麗と渤海史をさらに縮小し、その後日帝はこれを積極的に広めて植民史観を作った。大韓民国はそんな過去の圧迫から逃れられず、大陸史観を回復できずにいる。いまだに"遼史"のような隣接国の史料の記述よりも小さい領域を描いているのは、謙遜ではなく、愚かさに近い。これでは中国は"やった!"とばかりに東北工程を推進するだけだ。中国は万里の長城から東に、どんどんと拡張してきている。

 ・・・いやー、あいかわらずでございます。
 この高句麗の平壌は今の北朝鮮の平壌ではない、という件については、ウィキペディアの高句麗の項目の説明中に「東川王が魏軍が引き上げた後に築城された首都を平壌城というが、丸都山城の別名または集安市付近の域名であり、後の平壌城とは別のものである」とあり、また「平壌付近には当時(245年頃)は魏の楽浪郡が存在するために、平壌城築城記事について丸都城の別名と考えられている」と注記が付されているのを読むと、全然突飛な説ではないのですね。

 この「新東亜」の記事の背景にはもちろん記事中にもある例の1997年以来の<東北工程>があります。それに対抗して韓国では「朱蒙」「太王四神記」「風の国」「淵蓋蘇文」「大祚榮」等々高句麗や渤海を題材にする歴史ドラマが次々と制作されたり、2007年長春冬季アジア大会で韓国のショートトラック女子選手たちが「白頭山セレモニー」をやって問題になったり(→コチラの記事参照)してきました。
 私ヌルボ、2005年に新しく開館した韓国の国立中央博物館に行った時、歴史年表に「三国時代」の後が「統一新羅時代」ではなく「南北国時代」とあるのを初めて見て「あら!」と思ったのもその関連です。つまり韓国としては渤海も韓国史に含めてしまったということです。

 そして今、上記の「新東亜」の記事についてですが、感想としては、この高句麗の首都は遼陽だったという主張は、ヘタをすると「じゃあ高句麗の主な版図は朝鮮半島じゃなくて中国ではないか」という中国を利する根拠にもされそうに思われますが・・・。「威勢のいい」主張の方が読者受けするだろうという判断なのでしょうかねー。
 また興味深いのは北朝鮮の立場。北朝鮮の歴史学界は、平壌が故郷である金日成の家系の正統性を前に出すために古朝鮮と高句麗の首都は平壌であると主張しているとか。
 そういえば、これもウィキペディアの説明文中にありますが、北朝鮮は2000年頃から平壌市と南浦市に所在する高句麗後期の遺跡のユネスコ世界遺産登録を働きかけて、03年には登録される見込みだったが、中国も吉林省集安市を中心に分布する高句麗前期の遺跡の登録申請を行い、結局両遺跡は04年に同時登録という形で決着をみたとのことです。
 ※2011年10月の「平壌市内で高句麗時代の瞻星台(天文台)とみられる遺跡を発掘」というニュース(→コチラ)の真偽のほどはどうなんだろう? (檀君陵まで出てくるところだからなー。)

 この記事についていちばん基本的な感想は、中身は三者三様ながら「韓国も中国も、そして北朝鮮も、歴史をまさに我田引水的に解釈しているなー」という点ではとてもよく似ているということです。
 ・・・ということは、それらの国の歴史学者の多く(?)が国に奉仕する御用学者であるということ。この言葉は、韓国語でもそのまま音読して「어용학자(オヨンハクチャ)」といいます。
 このような歴史解釈・歴史叙述や、それらを唱えている御用学者たちを厳しく批判しているのが冒頭にあげた漢陽大の林志弦教授です。

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ナショナリズムを批判する韓国の少数派学者たち

2013-03-10 23:57:33 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 韓国の朴槿恵新大統領が就任早々日本に対して「歴史を正しく直視」すること、「正しい歴史認識」を持つことを求めています。

 ところが、その韓国自身の「歴史認識」についてみてみると、多少なりとも関心を持ってニュースに接している日本人は、韓国の「民族主義」や「民族的自尊心」といったものの強さに辟易としているのではないでしょうか? 人によってはそれに対して日本人としての民族意識を喚起してみたり「韓国起源説」のようなネタで皮肉ってみたり、あるいはたんに怒りを「嫌韓ブログ」等で表出してみたり・・・。
 このような強烈な民族主義については、韓国の主張にほとんど同調している(ように見える)「左翼」知識人の中にもしかたなく(?)認めているような人もいるようだし、かなりはっきりと批判している人も出てきているようではあります。もちろん「抵抗の民族主義」として積極的に肯定している人は多くいると思いますが・・・。

 今回の記事の結論を先に書いておきます。
 韓国でもこの10年くらいの間に、上記のような戦後長く主流となっていた民族主義に対して異を唱える学者が目立つようになってきた、ということです。

 近年のそのような動きが読み取れる学術的な日本書籍を3点紹介します。いずれも日韓の歴史学等の研究者たちの論文集です。

     

[A] 宮嶋博史・李成市・尹海東・林志弦(編)「植民地近代の視座――朝鮮と日本」(岩波書店.2004年)
  ※→出版社のサイト
[B] 三谷博・金泰昌(編)「東アジア歴史対話 ―国境と世代を越えて」(東京大学出版会.2007年) 
  ※→出版社のサイト
[C] 小森陽一・崔元植・朴裕河(編・著)「東アジア歴史認識論争のメタヒストリー」(青弓社.2008年)
  ※→出版社のサイト

 どれも私ヌルボのような一般人読者が読んでも興味深い論考が多いのですが、とくに「刺激的」なのが[C]です。
 それぞれの本の内容は、各出版社のサイトで見ることができますが、[C]については以下のようなものが並んでいます。

Ⅰ.韓国、日本、東アジア―新たな未来への構想のために
 崔元植:ポスト一九六五年を点検するメモ
 島村輝:「居心地の悪さ」に直面するということ―「日中・知の共同体」プロジェクトの経験から
 金哲:抵抗と絶望
 朴裕河:韓日間の過去の克服はいかに可能か
Ⅱ.教科書問題再論
 俵義文:「つくる会」の歴史歪曲教科書と「二〇〇五年問題」
 李栄薫:国史教科書に描かれた日帝の収奪の様相とその神話性
 小森陽一:日本における憲法・教育基本法改悪の現段階―自閉的ナショナリズムとメディアの壁
 成田龍一:「東アジア史」の可能性―日本・中国・韓国=共同編集『未来をひらく歴史』(二〇〇五年)をめぐって)
Ⅲ.「慰安婦」問題をどうとらえるか
 和田春樹:アジア女性基金問題と知識人の責任
 上野千鶴子:アジア女性基金の歴史的総括
 金恩実:韓日問題を解く第三の道を模索するために
 姜ガラム:韓日社会のなかの日本軍「慰安婦」問題とトランスナショナルな女性連帯の可能性―「二〇〇〇年女性国際戦犯法廷」を中心に
Ⅳ.「靖国」問題を問い直す\t
 高橋哲哉:天皇と靖国
 金鐘曄:記念の政治学―銅雀洞国立墓地の形 成とその文化・政治的意味
 黄鍾淵:朝鮮青年エリートの皇国臣民アイデンティティの遂行―アジア・太平洋戦争期の朝鮮人学徒兵に関するノート
Ⅴ.加害と被害の記憶を越えて―『ヨウコ物語』波紋を契機として
 韓錫政:満洲の記憶
 辛炯基:帰還の物語を再読する―集団的記憶を超えて
 加納実紀代:「日本人妻」という問題―韓国家父長制との関連で
 米山リサ:日本植民地主義の歴史記憶とアメリカ―『ヨウコ物語』をめぐって

 私ヌルボが「興味深い」と書いたのは、教科書問題、「慰安婦」問題、靖国神社の参拝や合祀をめぐる問題のような日韓間の大きな問題や、2007年初め頃報道されて一部で注目を集めた『ヨウコ物語』のような、政治的に「生々しい」問題を取り上げているからだけではありません。
  ※『ヨウコ物語』について知らなかった人は、ウィキペディアの説明のほか、→コチラや→コチラを参照のこと。

 筆者をみると、日本側では上野千鶴子和田春樹高橋哲哉等、「左派」の論客として知名度の高い人たちが目につきます。
 しかし、「なんだ、「反日知識人」たちが書いている本か」と敬遠するなかれ。たとえば「慰安婦」問題関係ではアジア女性基金をめぐる見解や、ナショナリズムとか「国民としての責任」の捉え方等々、各人各様です。
 それよりも注目すべきは韓国側の研究者の顔ぶれ。一般に日本の「反日知識人」の支援を受けている(ように思われている?)韓国内で主流の日本批判勢力ではなく、逆に「親日的」と非難されたりしている人たちが目につきます
 たとえば、知名度は一番高いとおもわれる朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授。著書「反日ナショナリズムを超えて」で日韓文化交流基金賞を受賞(2004年度)し、2007年には「和解のために」で大佛次郎論壇賞を受賞して話題になりました。彼女の言説の大略は→ウィキペディア参照としておきます。本書所載の論考でも、独島問題にしても慰安婦問題にしても、韓国側が日本の実像を知らないまま「侵略的で狡猾な日本」「謝罪しない日本」というイメージによって不信感を持ち続けていることが、両国がなかなか寄り合えない大きな原因となっていると述べています。また、そこには「加害者」である日本にはどのように言ってもいいとする「強者としての被害者」という思考が無意識に存在していたとも指摘しています。
 李榮薫(イ・ヨンフン)ソウル大教授も「大韓民国の物語」(文藝春秋.2007)刊行で知られるようになりました。彼についても、→ウィキペディアでわりとくわしく書かれています。(TVでの発言が誤解報道されて慰安婦ハルモニの前で土下座したこと等。) 本書でも、1960年代から長く国史教科書に記述されていた総督府が収奪した土地が「全国国土の40%」という数字には全然根拠がなく、実は植民地時代に日本人が取得した土地は、低湿未墾地を主として全体の10%前後だったこと、あるいは植民地時代日本に「大量の米が収奪された」とされるが、それは「租税」や「供出」によるものではなく、日本の米価は3割ほど高かったことによって大量に「輸出」されたものであり、そのことを教員さえも理解していなかったりする。・・・そんな韓国の歴史教科書の「神話性」を批判しています。

 「正しい歴史認識」という言葉は、「かくあるべきだ」「かくあらねばならなかった」という当為としての認識を意味する場合と、ある時代の歴史事実を、現在の自分たちにとって不都合なものも含めて、ありのまま認める(=肯定ではない)という意味の2通りの解釈があると思われますが、朴槿恵大統領が前者であるのに対して、李榮薫教授にとっては後者なのですね。その結果として、李教授は決して日本の植民地支配を肯定評価しているわけではないのに韓国では批判され、<嫌韓派>その他多くの日本人からは歓迎されたりしているようです。

 本書(「東アジア歴史認識論争のメタヒストリー」)の中でとくに読み応えがあったのは、『ヨウコ物語』問題のアメリカでの受けとめ方等についての米山リサの論考と、金哲(キム・チョル)延世大教授が朝鮮人の特攻隊員戦死者等を手がかりに韓国ナショナリズムを厳しく批判した「抵抗と絶望」と題された論考です。
 前者については、ここでは具体的な紹介はしませんが、思い込みを排した多角的な視点から書かれている点に共感を覚えました。
 金哲教授の「抵抗と絶望」では、最初に韓国のテレビで放送されたという特攻隊員として戦死した朝鮮人青年たちのドキュメンタリー番組のことから書き起こしています。「なぜ彼らが靖国に祀られなければならないのか」と問いかけた番組なのですが、金哲によれば「驚くべきなのは、韓国社会がこのドキュメンタリー番組に対し、いかなる反応もしめさなかったこと」だということです。
 彼によれば、その沈黙は「ある種の奇妙な当惑」に起因しているというのです。「合祀が不当であることはいうまでもない」として、彼らは「帰ってこなければならない」として、だがどこへ?
 韓国社会と大衆が長く慣れ親しんできた「親日(派)」言説では「彼らの死を説明する術がない」のです。彼らは自分の同胞なのか、「反民族行為者」なのか、加害者なのか、被害者なのか?
 私ヌルボによる金哲教授の論旨は以下のとおりです。
 戦後の韓国社会では、身分・職業・地域等々すべて差異や葛藤を「韓国人」としてのアイデンティティにより解消してしまいましたが、その際「日本」は国民的統合のためのナショナル・ヒストリー形成になくてはならない存在でした。そこには道徳の表彰である「抵抗・自主・統合・忠節・純潔」のような道徳の表徴のみが盛り込まれ、「純潔で善良な私」を描き出します。一方それに対する「屈従・事大・外勢・分裂・変節・汚染」といった非道徳の表徴は排除されます。
 誰でも十分に推察できるように、人間は「国民的(民族的)主体」としてのみ生きていくわけではないのに、ナショナリズムの「記憶(or忘却)」はすべての個別的な生と死を「民族(国民)主体」に還元してしまい、それと異なる発話は無視されてしまいます。自らが見たいだけを見、聞きたいものだけを聞くという集団催眠、判断停止。
 金哲教授は「ナショナリズムのこの二分法的世界こそ、帝国主義の最も強力な守り手であり、1日も早く「清算」されるべき「植民地的な残滓」なのである」と痛烈な文言で批判しています。
 末尾の方ではまた次のように記しています。
 数多くの異なる多様な主体形成の可能性を無視、抑圧しながら、ひたすら「国民(民族)的主体」だけを強要する暴力に抵抗すること、憎悪を増幅し、それを通じて自らを維持していく社会体制を拒否すること、「国家」でない他の世界に対する想像力を組織すること――これらの行動のどこかに、「道なき道を歩んでいく」「抵抗の主体」が現れるだろうか。ならば、私たちはおそらく、「韓国」と「日本」という単一の「国民主体」としてでなく、他者をその多様で複雑な存在の可能性として受け入れる平等な連帯、帝国主義の真の「清算」への道を見つけ出すことができるだろう。「私が私に向かって差し出す初めての握手」(尹東柱)、韓国人はいまだそれを始めていない。
 ・・・このくだりには感動したのでつい引用が長くなってしまいました。
 ヌルボ自身、以前ほとんど抗日運動の烈士しか登場しない韓国の国史教科書を見て、日本統治下の厳しい時代状況の中で(「抗日・親日」以前に)日々懸命に生活を営んでいた多くの朝鮮人の姿を、上記の戦死した兵士等のことも含めて歴史を叙述することが「反帝国主義」につながるのに、と思ったことがあります。まさにわが意を得たという思いで読みました。
 金哲教授については、本ブログの過去記事(→コチラ)でも少しだけ記したように、かつての抵抗詩人として著名な金芝河が久しい前から東学に没入してウルトラ民族主義者になっていて、「ファシスト」の傾向さえみられる、と論じている雑誌記事で初めて知りました。その時以来注目してきた韓国文学を専門とする学者です。

 先に紹介した[A]「植民地近代の視座――朝鮮と日本」にも辛炯基延世大教授や李榮薫ソウル大教授が執筆しています。
 その[A]の編者の1人林志弦(イム・ジヒョン)漢陽大比較歴史文化研究所所長は[B]「東アジア歴史対話」に「「世襲的犠牲者」意識と脱植民地主義の歴史学」と題した論考を載せています。主旨は文字通り、韓国人や韓国政府の主張ではふつうに見られるような何世代も前の歴史について、韓国人の被害者意識、日本人の加害者責任といったものは世代を超えて受け継がれるべきものなのか?、という問題提起です。多くの日本人にとっては、「意外な」言説でしょう。続く[総合討論]では、これに対する日本人研究者たちのややとまどったような発言がありました。
 私ヌルボがこの論考の中で注目したのは、林志弦教授が1931年の万宝山事件(→ウィキペディア)の直後、平壌等の朝鮮の都市で、何ら罪のない中国人が100人以上朝鮮人たちに襲撃され殺されたことについて、これまでの研究書に見られる「背後で扇動していたのは日帝」のような「責任転嫁」的な書き方でなく、真っ向から批判している点です。日本の力を後ろ盾にした「第二日本人」として中国人と対峙していたのではないか、というわけです。

 上にあげたような韓国の強固なナショナリズム言説を批判している人々は依然少数派ですが、最近状況が徐々に変わってきているように思われます。
 たとえば、2011年に「インタビュー、韓国人文学地殻変動」(2011)という本が刊行されました。

     
        【部厚い本です、ふー。右は林志弦教授へのインタビューのページ。】

   ※内容紹介の記事(日本語)は→コチラ

 ここに上記の李榮薫・金哲・林志弦各教授等々へのインタビューも収められています。
 ヌルボ思うに、今はまだ少数派であるとはいえ、長く韓国と韓国人のアイデンティティを形成してきたナショナリズムに基づく歴史観に対抗する彼らの考え方が、ここにきて着実に地歩を固めてきたとみられるのではないでしょうか? 「地殻変動」というタイトルを見ると、「地歩を固めてきた」以上のパワーが感じられているのかもしれません。

 次回は、高句麗史の位置づけをめぐる中国vs韓国論争に対する、林志弦教授の独自の見方を紹介します。

 → 「高句麗の都の平壌は、今の北朝鮮の平壌ではない」という月刊「新東亜」の記事について
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SBS「ヒーリングキャンプ」より① 朴槿恵の衝撃の(?)ビキニ写真ねー・・・ (+いろんなエピソード等)

2013-02-25 23:55:08 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 韓国では朴槿恵大統領が今日就任式。
 これに合わせて、私ヌルボが大統領選挙後から2ヵ月寝かせておいた記事をアップします。(実はさぼってただけなんですけどね。)
 
 まずはご案内から。朴槿恵のビキニ写真だけがお目当てという方は、この記事の最後だけ見てください

 投票日翌日(12月20日)、朝のソウルのホテルで私ヌルボ。寝ぼけまなこでTVのスイッチを入れたら、当選した朴槿恵と、キム・ジェドンたちがにこやかに語り合っている場面が出てきました。
 あら、朴槿恵氏忙しいだろうに、のんびりとトーク番組なんかに出演しているばやいじゃないだろ、と思ったら、SBSで2012年1月2日に放映した「ヒーリングキャンプ」を元に構成(そのままか?)した「ヒーリングキャンプスペシャル・朴槿恵大統領当選者編」でした。

      
       【投票日翌朝に、こんな所でタレントたちと歓談というわけはないですよね。】

 いろいろとおもしろいことを語り合っているし、昔の写真も出てくるし、ゲーム等もやっていて、これはという場面をあわててカメラで撮ったものの、大方はシャッターが間に合わず失敗。
 しかーし。
 たぶんこの番組は動画がupされているだろうと思って探したら、バッチリ見つかりました。 コチラ
 ・・・ということで、最初から見てみました。朴槿恵としては初のトークショー出演だそうです。

 一般視聴者の興味としては、大統領令嬢として育った彼女がどれくらい世情に通じているか、が当然の関心事ですね。
 また、韓国のいわゆる「国民的MC」の1人キム・ジェドンは進歩陣営に属する代表的な芸能人。最近出してベストセラーになった「キム・ジェドンが会いに行きます」等の対談集でも、角界の多様な人々の中で、政治家では李正姫等反政府側の人たちが対談相手になっています。その彼と、保守陣営の代表的政治家との直接対決という点も非常に興味深いところです。

 見てみると、案の定楽しそうな(?)雰囲気の中にも、鋭い質問が次々に繰り出されています。

 この記事では、番組の中から政治的なことはほとんど抜きにして、朴槿恵の人となりがわかる、かどうかはわかりませんが、おもしろそうな所をピックアップして紹介します。
※[  ]の数字は動画の該当箇所[分:秒~]です。

①いきなり、芸能人と政治の話題が・・・ [03:00~]
 KBS2の番組「ギャグコンサート」の中で、コメディアンのチェ・ヒョジョンが国会議員に対する集団侮辱罪で告訴されたこと(→詳細)について、朴槿恵は「コメディだから・・・問題ないですよ」と(注意深く)返答。
 タレントと政治に関わる問題では、キム・ジェドンも2011年のソウル補欠選挙当時、自身のTwitterに投票を促す趣旨の文章を掲載したとして、公職選挙法違反の容疑にかけられていました。(後に起訴猶予処分になりました。)
 MCのイ・ギョンギュが、そのことを質問すると、朴槿恵、(問題とされた投票督励認証写真について)「私もそうして回っていたんですよ」。緊張した面持ちのMC3人からホッとした笑いが・・・。

②好物その他 [04:30~]
 起床時間は4時半~5時。早起きです。好物はホットク、トッポッキ、スンデと庶民的です。
 2012年は60年に1度の黒竜の年。まさに朴槿恵(1952~)の生年と同じです。「61歳(数え年)で還暦・・・」ということをイ・ギョンギュが話題にすると、「淑女に年を、そのように・・・。告訴はしませんが・・・」(笑)

      
     【番組中で好物のホットクをパクつく。※屋台で売ってる韓国風ホットケーキ(?)です。】

③あだ名をつけましょう。 [07:02~]
 イ・ギョンギュ「オルム(氷)公主。パクソル(朴雪)公主」 
 朴槿恵「そんなに冷たいですか?」
 ハン・ヘジン「TVや新聞で見ると冷たく見えますよ」
 朴槿恵「いつも深刻な質問されるから、堅い表情になって、冷たく見えるんじゃないかな」
 ハン・ヘジン「いつもよくないことがあるみたい」[テロップ:直接話法ハン・ヘジン氏] (ハン・ヘジンの鋭い発言はこの後にも・・・。)
 朴槿恵クネ「手帳公主(姫)」
 イ・ギョンギュ「パルクネ(발끈해.腹を立てろ)」
 朴槿恵クネ「私そんなじゃないですけど」
 イ・ギョンギュ「お望みのあだ名は?」
 朴槿恵クネ「MCの皆さんでつけてください」
 ・・・という言葉を受けて、各MCは・・・

     
      【イ・ギョンギュが「温かいイメージで、パク・スネ(순해.おだやかだ)」というと、まんざらでもなさそうな笑顔。】

     
   【ハン・ヘジン「仕事をたくさんしていらっしゃるから、ヤグネ(야근해.夜勤しろ)はどうですか?」】

 これには一同大うけ。 テロップには大きく「テ~バク!(ヤッタ~!)」、「芸能MC新人賞受賞者の機知」と。

     
  【続いてキム・ジェドン、ここぞとばかり「ヤグネ(夜勤しろ)、チュルグネ(出勤しろ)、ウェグネ(外勤しろ)」と続けると、さすがに朴槿恵も不愉快そうな表情に。】

④ユーモアは今ひとつ・・・ [10:18~]
 朴槿恵「象を冷蔵庫に入れる3段階は?」
 一同「?」
 朴槿恵「①扉を開ける②象を入れる③扉を閉める」
 一同「・・・(シラ~)」 キム・ジェドンがなんとかフォローしますが・・・。
 (めげずに)朴槿恵「セウ(エビ)とコレ(クジラ)がけんかをしたらどっちが勝つか?」
 答えは、새우 깡(セウカン)⇒エビが強いから(강하다.カンハダ)。 クジラは「パプ(밥.エサ)」。
  ※「새우깡」と「고래밥」という製品名を知らないと答えられないなぞなぞです。
 これでなんとか面目を保ちました。

⑤特技は爆弾酒製造 [14:35~]
 比率・角度・赤外線(つまり手の熱)にこだわりがあるようで、あとで出てくる話によると「(工学部出身という)理科系のこだわり」なんだそうです。
  ※爆弾酒とはビールの中に、ウイスキーを入りのショットグラスを落としたもの。

⑥ヒーリング・ノレパンのコーナー [16:00~]
 彼女が歌ったのはコブギ(고북이)の「ビンゴ(빙고)」。3人のMCは歌のタイトルを聞いても「?」でしたが、そんな昔の歌ではないです。
  ※コブギのオリジナルは→コチラ

      
          【歌はまあそれなりに。音痴ではありません。】

⑦スピードクイズ [20:00~]
 2人の対戦で、相手の背後で掲げられた紙に書かれた言葉を説明し、相手に答えてもらうというもの。
 ところが、その言葉というのが「安哲秀」「ナコムス(나꼼수.進歩系のラジオ番組)」「青年白手(青年無職者)」等々、説明がむずかしそうな政治向きのものだったり、「SNS」「FTA」のような社会常識だったり・・・。
 朴槿恵はこれらを無難にクリアーしたばかりか、「애정남」「떡실신」「매너손」等々の流行語・新造語も知っていたり、Wonder Girlsのヒット曲「Nobody」のフリまで知ってましたね。
  ※「애정남」は、애매한것을 정해주는 남자(曖昧なことを決めてくれる男)を略した新語。「떡실신」は、泥酔・熟睡等で気絶したように倒れている人を指す言葉。慣用句の떡이 되다(屈辱的だ)と실신 (失神)を合成したインターネット用語。「매너손(マナーの手)」は女性を配慮して身体の接触を最小限にしようとする男性の努力を称える言葉。

⑧朴槿恵が初めて話す話 [32:25]
 12歳の時から青瓦台で暮らしたという彼女。子どもの頃の写真が紹介された後、「衝撃の写真」として映されたのがこれ。

           

 この写真について、私ヌルボのコメントは差し控えます。

         
             【中学2年の時です。】

 ハン・ヘジンの「カラダに自信がおありだったでしょ?」との質問に、朴槿恵は・・・

    
       【朴槿恵「若かった頃は、それが支えでした」(笑)。】

 この番組は、まだまだ長く続くのですが、あとは続くということにします。
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2012年 韓国の10大ニュースをみる

2013-01-03 12:09:37 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 元日の今年最初の記事で、「総括と反省は明日」なんて書いて、(自分自身の予感通り)さらに明日以降に延期。「I will put off till tomorrow what I can do tomorrow」というのは私ヌルボの変わらぬ ライフスタイルですからねー・・・なんて、三箇日の間にもう今年の反省だな、これは。
 さて、これも毎年のネタ「韓国の10大ニュース」。すでに出そろった韓国各紙の記事をそのままコピペするのも能がないので、今回は次の3紙の10大ニュースを紹介しつつちょっとだけ個人的コメントをつけました。

A:「聯合ニュース」&「中央日報」

B:「朝鮮日報」

C:「韓国日報」

 ※○で囲んだ数字は、それぞれの順位。

■次期大統領に朴槿恵氏当選(A①・B①・C①)
 12月19日の大統領選で与党セヌリ党の朴槿恵候補は全体の51.6%(約1577万票)を獲得し、進歩陣営の民主統合党・文在寅候補(48.0%.約1469万票)に約108万票差をつけ当選。1987年の直接選挙開始以来、過半数の得票は初めて。また父親の朴正熙に続き初の親子2代の大統領、女性大統領も初。
 ・・・先日会った韓国の人はがっかりしてたなー。2011年会った光州市民も間違いなく落胆しているでしょう。日本では概して「自分は中道」か、せいぜい「右寄り(or左寄り)」と思っている(言っている)人が多いと思いますが、韓国では真ん中辺りは少なくて右か左かがはっきりしているので、迎合的な話し方をする日本人(私ヌルボのこと)が韓国人と政治の話をする時はその点を留意する必要があります。

■PSY(サイ)「江南スタイル」 空前の大ヒット(A②・B⑨・C⑧)
 歌手PSY(サイ)が全世界で「乗馬ダンスブーム」を巻き起こし、K-POPの歴史に新たな1ページを刻んだ。7月15日発表の「江南スタイル」は10月1日全英チャートで1位を記録。米ビルボードでは7週連続(9月27日~11月8日)2位となった。
 ・・・そういう歌手や歌のことを今初めて知った方は、本ブログ12月31日付記事「韓国芸能界 2012年の10大ニュースをみる」(→コチラ)をご一読の上、そこからリンクが張ってあるY0uTubeで動画をご覧ください。つまりは、この歌のことをなぜ多くの日本人が知らないのか、ということ自体何かを物語っているようです。

■国民所得2万ドル達成、高まる経済的地位(B②)
 2012年の韓国経済は歴史的な成果を相次いで収めた。6月には1人当たり国民所得2万ドル、人口5000万人以上を意味する「2050クラブ」に世界で7番目に名を連ねた。9月には世界の有力格付け会社のうち、フィッチ・レーティングスが韓国の国債格付けを「ダブルAマイナス」に引き上げ、「シングルAプラス」の日本を初めて抜いた。10月には仁川市の松島地区がドイツのボンを破り、グリーン気候基金(GCF)の事務局誘致に成功した。190カ国以上の加盟国を持つGCFはアジアの国が誘致した最大規模の国際機関だ。
 ・・・という自国経済についての誇らしさに満ちたネタを2位に入れるところは、保守言論の代表格の「朝鮮日報」らしいところか。

■李明博大統領独島訪問と韓日紛争(C②)
 李明博大統領が8月10日、歴代の大統領としては初めて独島を訪問。光復節の5日前に、日本の独島領有権主張挑発にくさびを打ち込むという警告の意味が込められている。
日本は今年に入って、中学校教科書はもちろん、防衛白書でも独島領有権主張を繰り返し、歴史問題と関連した妄言を繰り返して、両国の葛藤を高めた。 
 政府は独島を紛争地域化しようとする日本の戦略に巻き込まれないために無対応式の「静かな外交」戦略を駆使してきた。ところが李大統領の独島訪問を契機として日本が国際司法裁判所提訴など脅しをかけ、これに韓国が強く反発して、両国関係は硬化した。

 ・・・報道ではこういう書き方。日韓のどっちも相手側が事態悪化の原因を作っていると思っている(or報道しているor主張している)。
 この問題については、とりあえず浅羽祐樹・木村幹・佐藤大介「徹底検証 韓国論の通説・俗説 日韓対立の感情vs.論理」(中公新書ラクレ)がオススメ。この本のわりと詳しい内容紹介は→コチラを参照されたし。

■北朝鮮、長距離ミサイル発射成功(A③・B③・C③)
 北朝鮮が12月12日に平安北道・東倉里の西海衛星発射場から事実上の長距離弾道ミサイルを発射した。 
 朝鮮中央通信は「運搬ロケット「銀河3号」により「光明星3号」2号機衛星の打ち上げに成功した。衛星は予定された軌道に入った」と発表。ただ、「光明星3号」が正常に作動しているかどうかは確認されていない。韓国、日本、米国などは今回のミサイル発射が国連安全保障理事会決議に反するものとみて制裁手続きに乗り出した。

 ・・・私ヌルボ、ある集会で聞いた話ですが、北朝鮮についてのコアな情報通が直前まで「発射はない」と言っていたのは、金正恩・張成沢等が情報漏れを防ぐため「敵を欺くにはまず味方を欺く」手法をとった結果だ、という話を聞きました。したがって、予測を外した情報通が相当数いたのは、むしろ北朝鮮のトップに近いレベルの連中の中に現体制に内心不満を抱いて外部と通じている者たちがいるのだ、ということでした。別のうわさで、アメリカ(&日本)の政府は早くから発射の状況を把握していたとか、また→コチラのブログ記事には「良識ある日本国民の皆様には、北朝鮮のミサイル発射について米国政府が不信感から韓国政府に情報遮断したという報道はご存知だと考えます」などと書かれたりして・・・。発射の有無の判断だけでなく、それについての情報の真偽の判断もむずかしいものです。

■金正恩氏の権力継承(A④)
 2011年12月17日に北朝鮮の絶対権力者だった金正日)総書記が死去。後継者に内定していた三男の正恩氏への権力継承は非常に早く進んだ。
 正恩氏は同年12月30日にわずか20代で人民軍最高司令官に就いた。今年4月には朝鮮労働党代表者会で第1書記に、最高人民会議では国防委員会の第1委員長に推挙された。
 正恩氏は4月に主に党で活動していた崔竜海氏を軍総政治局長に起用し、3か月後の7月には軍部の実力者だった李英鎬朝鮮人民軍参謀総長を解任するなど軍部への影響力を強める作業を続けた。

 ・・・ミサイルの記事同様、ヌルボのような素人には情報についての判断・評価が難しい。<DailyNK(日本語)>等は一応参考になります。

■安哲秀シンドローム(A⑤・B④)
 若者や無党派層から絶大な人気を集めた「安哲秀シンドローム」は2012年大統領選を控え、政界の地殻変動を起こした。  既存政党に対する不信や不満、政治刷新への熱望はいわゆる「安哲秀シンドローム」を生み、ベンチャー企業家であり、大学教授だった安氏を政界に登場させた。
 安氏は次期大統領をめぐる各種世論調査でセヌリ党の朴槿恵氏を上回るなど有力な大統領候補に浮上した。しかし、無所属候補の限界に遮られ、野党候補一本化の過程で自ら出馬を辞退する苦杯を飲んだ。

 ・・・大統領選から降りたのは、大体推測した通り。日本でも久しい前から政党というものがマイナスイメージをもって見られるようになっているようですが、韓国もその後をたどっているような・・・。

■検事不正問題と検察内紛(A⑥・B⑤・C⑥)
 ソウル高検の幹部検事が捜査対象者らから計約9億ウォン(約6765万円)を受け取ったとして拘束されたほか、新人検事が捜査対象の女性容疑者と取り調べ室内などで性的な関係を持ったとして拘束されるなど不祥事が相次いだ。 
 これらの事件を機に、検事総長が大検察庁(最高検察庁に相当)中央捜査部長への監察を指示したが、中央捜査部長がこれに反発。検察の内紛が勃発した。検事総長が辞任したことで事態はとりあえず収拾した。

 ・・・韓国では、ドラマや映画に検事がよく登場するように思えます。いろんな意味で、社会の中での存在感があるということかも。

■「ハウスプア」続出(A⑦)
 住宅ローンでマイホームを購入した国民うち、ローン返済に苦しむ「ハウスプア」が続出した。首都圏を中心に住宅価格が下落した上、景気低迷が続きハウスプアが増えた。
 規模は約23万人で、4人世帯をベースに推定すると、100万人近い国民がこれに該当する。
 当局は問題を解決するため、「長期分割返済への転換」などの制度を実施する予定。しかし、根本的な解決にはならないと指摘されている。

 ・・・そういえば、2012年のベストセラー小説「7年の夜」の登場人物の1人もかなり無理してマイホームを購入してたなー。ところが・・・。

■「世宗時代」幕開け(A⑧)
 韓国中部の忠清南道に造成された行政都市、世宗特別自治市への官庁移転が9月から始まった。2002年9月、当時の民主党大統領候補だった故盧武鉉前大統領が公約として新行政首都の建設を発表してから10年越しとなる。 
 2014年まで3年かけ、16の中央行政機関と20の所属機関が順次移る。これに伴い世宗市に移動する公務員は1万452人。ただ、現地のインフラ不足でさまざまな問題が懸念されている。

 ・・・その公務員たちも通勤等大変そう。私ヌルボの知人が勤務する韓国出版文化産業振興院というところも移転するとか・・・。

■サムスンとアップルの特許訴訟(A⑨・C⑨)
 IT業界でシェアをほぼ二分する韓国のサムスン電子と米アップルがスマートフォンなどの特許をめぐり世界各地の裁判所で争っている。両社は各国の法廷で一進一退の攻防を展開する一方、双方とも訴訟対象を拡大している。法廷闘争はしばらく続きそうだ。
 ・・・ギャラクシーノートを長いこと紙製のノートと勘違いしていた私ヌルボとしては、このネタについてコメントする資格はありません。

■与党セヌリ党、総選挙で過半数獲得(A⑩)
 大統領選挙の前哨戦とされた4月の総選挙(国会議員総選挙、定数300)で、与党セヌリ党は「野党優勢」という予想を覆し、過半数の議席を確保した。 
 専門家らは「朴槿恵」という有力大統領候補の奮闘で、セヌリ党が勝利したと分析した。

 ・・・本ブログでも「韓国総選挙:開票速報を見ながら考える。与党・セヌリ党の勝利だが・・・。」と題したけっこう詳しい観察記録みたいな記事を書きました。→コチラ

■李明博政権末期、相次いだ不正(B⑥・C⑤)
 李明博政権5年目の2012年は政権実力者にとって受難の年だった。貯蓄銀行の不正に対する捜査は、李明博大統領の実兄・李相得元国会議員の逮捕に発展した。「万事亨通(全てがうまくいく)」という四字熟語をもじり、「万事兄通(全ては兄に通じる)」(亨と兄は韓国の漢字音で同音)という言葉まで生まれた。李大統領の指南役と呼ばれた崔時仲元放送通信委員長は5月、複合流通センター事業の関連業者から8億ウォン(約6300万円)を受け取ったとして逮捕・起訴され実刑が確定した。「次官の中の次官」と呼ばれた朴永俊元知識経済部第2次官も同じ事件で起訴された。
 ・・・政権末期~退任後には決まって同じようなニュースが伝えられます。理由を考察すると長くなるのでやめます。)

■「経済民主化」が年間通じ議論の的に(B⑦・C④)
 市場の支配と経済的地位の乱用を防止し、バランスの取れた経済成長や適正な所得分配を図るため、政府が規制や調整を行うとする「経済民主化」の概念は、4月の総選挙と12月の大統領選に共通する韓国社会最大の懸案に浮上した。昨年末にセヌリ党の金鍾仁国民幸福推進委員長が取り上げたことをきっかけとして、経済民主化を定めた韓国憲法119条の解釈問題が浮上し、社会的な関心が高まった。与党・セヌリ党と野党・民主統合党は大統領選挙で大企業による株式の三角持ち合い(循環的相互保有)の禁止、大企業オーナーに対する刑事処罰の強化などの公約を相次いで掲げた。
 ・・・韓国の雇用問題や格差社会の問題は日本以上に深刻みたい。朴槿恵もやや左寄りにシフトせざるをえず、大統領当選後も中小企業中央会の方を大企業中心の経済団体・全経連より優先して訪問したそうです。(→コチラ。)
 しかし、期待をかけると裏切られるのは日韓とも毎度のこと。

■「飲酒・校内・性」三大暴力が社会問題に(B⑧・C⑦)
 治安関連で今年最大の問題は、酒に寄っての暴力、校内暴力、性的暴力という「三大暴力」だった。ソウル地方警察庁が組織暴力団の大規模な取り締まりを行ったことで、駅、公園、飲食店などは安全になった。国家レベルで酒に関する政策が様変わりし、企業ごとに節酒運動が盛んになった。一方、5月に中国籍の朝鮮族の男が京畿道水原市で起こしたバラバラ殺人事件(呉原春事件)をはじめ、慶尚南道統営市で起きた小学生殺人事件(キム・ジョムドク事件)、全羅南道羅州市で起きた小学生に対する性的暴行事件(コ・ジョンソク事件)、ソウル市で起きた主婦殺人事件(ソ・ジンファン事件)など相次いだ性的暴行事件は多くの市民を驚かせた。相次ぐ校内暴力は校内の暴力グループ(通称「一陣会」)の撲滅、被害防止に向けたワンストップセンターの設置などにつながった。
 ・・・Cではとくに「相次ぐ性犯罪事件で社会不安加重」の見出し。記事中のソ・ジンファン事件にはヌルボも驚きました。電子足輪を着用した性犯罪の前科をもつ男がソウル市内で主婦に性的暴行を加えようとし、殺害した事件(→コチラ参照)です。

■統合進歩党、選挙不正で分裂(B⑩)
 4月の総選挙を控え、左派3党が統合して生まれた統合進歩党は、左派候補一本化に向けた民主党との候補選出投票で不正が明らかになったほか、統合進歩党内部でも比例代表候補の選出で重大な不正があった。事件をめぐり、党内では利害関係の対立から暴力沙汰が起き、同党の分裂に発展した。また、統合進歩党には今も北朝鮮の主体思想を支持する勢力が多いことも判明した。李石基国会議員は「愛国歌(韓国国歌)は国歌ではない」と主張し、国民の怒りを買った。
 ・・・このネタのベスト10入りも「朝鮮日報」らしいところか。しかし、統合進歩党といえば、李正姫が総選挙後でも大統領選挙後でも話題になったなー。(本ブログ中の関連記事は→コチラ。)

■ロンドンオリンピックで総合5位・・・遠征最高成績(C⑩)
 韓国はロンドン五輪で金メダル13個(銀8・銅7)で5位に上がり、歴代の遠征夏季五輪の最高順位を記録した。射撃男子10mエアピストルでジン・ジョンオ、またアーチェリー女子団体等で金メダルを獲得した。特に1976年モントリオール五輪レスリングでヤン・ジョンモで初の金メダルを取った後、フェンシング男子サーブル団体戦で同•夏季オリンピック通算100個目の金メダルを獲得した。サッカー代表チームもオリンピック史上初の銅メダルに輝いた。
 ・・・日本人で、日本チームの金メダルの数が何個で、それが総合何位なのかを知ってる人はそんなに多くないし、新聞も選手個人にウェイトを置いて報道しているのではないでしょうか? 韓国はオリンピックを国威発揚の場と見る見方が日本よりずっと強いです。また、メダル獲得のために競技人口の少ないスポーツを重点的に力を入れてきたのは、「国家代表」等の映画からもうかがい知ることができます。五輪の韓国関係では、例の「独島セレモニー」等々マイナスの方のネタもいくつか、いやいくつもありましたが。

左派系の「ハンギョレ」や「京郷新聞」のような新聞の10大ニュースを見てみたかったのですが、探してもありませんでした。もしかして、両紙の編集者や愛読者にしてみれば「2012年の10大ニュース」なんて考えたり読んだりしていると胸糞悪くなってきそうなのでやめたのかもしれません(?)。

※2012年の韓国政治については、木村幹神戸大教授の「指導力の危機に直面する韓国政治:超早期レイムダック化現象は再現するか」(『国際問題』2012年9月号)が参考になります。(→コチラ。) ボリュームがあるので読むのがちょっとかったるいですけど。
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「京郷新聞」1面、朴槿恵の記事の下に姜尚中の著書紹介。その意味は?

2012-12-23 00:55:37 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 3泊4日のソウル旅行から昨日(21日)夜帰ってきました。といっても、寝坊して、本を買い込んで、ミニシアターでマイナーな映画を観て、コーヒー店でパソコンを打ち込んだりして、これじゃ横浜での日常と同じだー。
 今回は、初めて行ったロッテモール金浦空港店でずいぶん時間を費やしてしまいました。昨日早起きしてそこのロッテシネマに行っていたら、さらにひどかった。特に観ておかねば、という映画がなかったからパスしましたが・・・。「韓国はどこに行ってきたの?」と問われて、「金浦空港に行って帰ってきました」じゃおかしく、また悲しいですからねー。

 帰りの飛行機内で、数種類の韓国紙をななめ読み。どれも20日の朴槿恵が顕忠院を訪れたことと記者会見の内容が1面のトップ記事でした。
 大統領選当選者の初の公式日程として顕忠院を訪れた彼女は顕忠塔に献花・焼香し黙禱を捧げた後、李承晩・朴正熙・金大中元大統領の墓所を参拝したとのこと。朴正熙の墓前では、さぞかし感慨深かったことでしょう。

 本論に入る前に、ちょいと周辺ネタから。

   「5・1・6」という3つの数字の驚くべき(?)符号一致(笑)】

 「5.16軍事クーデター」で朴正熙が政権を握ったのが1961年5月16日。それから51年7ヵ月=51.6年後の選挙での朴槿恵が51.6%の得票率で大統領になった、という数字の偶然の一致から、これを神意(!)とみる話がネット上で広がっているという「東亜日報」の記事(→コチラ)があります。(自動翻訳は→コチラ。)

   【朴槿恵の墓所参拝パフォーマンス】

 朴槿恵が金大中元大統領の墓所を参拝したのは2度目。去る8月に盧武鉉元大統領の墓とともに金大中の墓を参拝しました。「国民統合のため」というふれ込みで、ねらいは当然選挙対策。(関連新聞記事(日本語)は→コチラコチラ
 その効果で、というわけでもないでしょうが、事実「統一日報」の記事(日本語)によると、韓光玉・韓光玉・金景梓等かつての金大中系の人々がこぞって朴槿恵支持を表明しました。
※その他、李会昌、李仁済等は当然として(金泳三もかな?)、かつて民主運動に携わり獄中生活も経験した金東吉・金重泰、そしてあの金芝河といった人たちも朴槿恵支持の側に名を列ねているのも興味深いところです。(その後の金芝河については、本ブログの過去記事(→コチラ)で少しふれました。「ウルトラ民族主義者」あるいは「ファシスト」とまで言われたりもしています。)

   【「京郷新聞」という新聞】

 韓国の新聞は、<朝・中・東>称される「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」の大新聞3紙がいずれも保守紙で、それに対し左派系の新聞としては発刊の経緯からして当然の「ハンギョレ」があることは、韓国事情に通じている人にはよく知られていることだと思います。
 しかし、全国紙「京郷新聞」については、その紙名も、内容が中道左派志向であることも、上記4紙に比べると日本での認知度は今ひとつではないでしょうか?
 ウィキペディアの説明によると、日本の植民地時代にあった旧「京郷新聞」の題号を継承して1946年カトリック財団の新聞として創刊された新聞です。その後李承晩政権や朴正熙政権時代に筆禍を受けたこともあり、なるほどとうなずかれます。

   【21日付「京郷新聞」が1面下段(朴槿恵の記事の下)に姜尚中「続・悩む力」の抜粋を掲載した意味は?】

 さて、やっと本論。私ヌルボが機内で21日付「京郷新聞」を見てすぐに注目したのが、1面下段の<今日の思索(오늘의 사색)>欄で姜尚中「살아야 하는 이유(生きていくべき理由)」がとりあげられていたことです。「続・悩む力」の韓国版です。(下写真)

        

 毎日連載の<今日の思索(오늘의 사색)>は、1冊の本をとりあげて、その文章を抜粋して載せているのですが、1面だけに、直接的にではないにしろ時の政治・社会に関係がありそうな内容になっています。
※→コチラで最近の記事内容がわかります。(自動翻訳は→コチラ。)
 さて、その「続・悩む力」からどんな文章を抜粋しているかというと、記事全文は→コチラ(→自動翻訳)で読むことができますが、ポイントとなる最後の部分を次に掲げます。

 今、私たちの前には一人の尊厳をより強く毀損する極限の時代が開かれるだろう。弱く幼くて小さいものが蒙る苦痛を考えるともう胸が痛くなる。それでも生きて行かなければならない。そのいかなる苦痛を経験しても、自分は大切であり何物にも置き換えることのできない最も貴重な存在であることを忘れてはいけない。生きてこそ、ひとつの時代を耐えて、他の時代に進むことができるものだ。私たちの唯一性だけでも生きなければならない理由は十分だ。友よ、今はただきつい酒で傷ついた魂を癒したり、より良い世の中に対する夢をあきらめたりしないことだ!

 どうも今回の選挙で敗北を喫した左派系の人々への呼びかけのように読み取れるのですが、いかがでしょうか?

 [★姜尚中「살아야 하는 이유(生きていくべき理由)」は、今月14日の「朝鮮日報」の記事「2012今年の本10冊」にもあげられているように、韓国でもよく読まれている本です。]
     
 さらに、この1面の紙面右には、小さい記事ですがもう1つ「国民 幸福 韓国97位」という見出しの記事があります。(→自動翻訳。)
 ギャラップの調査によると、日常生活の中で肯定的な気持ちを持っている人の比率が韓国は63%で、148ヵ国中97位だった、というものですが、こういう記事を1面においたことも、「続・悩む力」の抜粋同様、朴槿恵当選という中での「京郷新聞」の意図といったものが込められているのかもしれません。

         
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