言論の自由とは?
個人が直接にも間接にも抑圧を受けることなく
自己の思想・信条・意見を公に発表できる自由。
現行日本国憲法で保障されている。
言論の自由』は『表現の自由』とほぼ同等のものであると憲法解釈上認められている。
【第二十一条】
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。
通信の秘密は、これを侵してはならない。
日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)
『言論の自由とは - はてなキーワード』より引用
『はてなダイアリーと言論の不自由 (2009年1月4日)』より
言論の自由、表現の自由は日本国憲法によって保障されていますから、何を書いてもかまいませんけれど、もう少し格調高い事を書いた方が良いのではありませんか?
ん。。。?格調高いこと。。。?
そうですわ。
谷岡ヤスジが生きておったら
鼻血を5メートルほど噴出(ふきだ)しよるでぇ~
すごいなあああぁ~
うへへへへ。。。
こうして谷岡ヤスジさんを持ち出すと、かなり格調を下げてしまうのではありませんか?
レンゲさんは谷岡ヤスジを嫌悪しているようですね? “鼻血ブー”はいけませんか?
だから、日本国憲法の下に何を書いても自由ですけれど。。。やっぱり格調高い雰囲気を記事の中にかもし出すということは大切だと思いますわ。でも、デンマンさんの書く記事には、どことなく低俗な趣(おもむき)が漂っていますわ。
つまり、谷岡ヤスジを登場させると低俗になってしまうのですか?
あたしは、別に谷岡ヤスジさんを毛嫌いしている訳ではありませんけれど、ヤスジさんの漫画は、どう見ても格調が高いとは言えないと思うのですわ。
うん、うん、うん。。。、僕にもレンゲさんの言おうとしていることは分かりますよう。でもねぇ~、格調をあまり気にしすぎると、どうしても言論統制、表現の自由の規制に向かってしまうのですよう。口うるさいオバタリアンやオジタリアンは、すぐに差別用語禁止だとか、禁止放送用語だとか。。。そういう事を言い出すのですよう。
でも、やっぱり差別用語はいけないと思いますわ。
僕だって差別用語を好んで使いたいわけじゃないけれど、ある特定の言葉を使うことを禁止すると言うのは、絶対に間違っていると信じていますよう。
どうしてですか?
言葉は生き物ですよう。言葉を使うな!と言う事は、オマエは生きるな!と言う事に等しい。言葉自体には何も罪が無い。使う人の心の問題ですよう。使うな!と法律で禁止しても、言葉は生き続けるものですよう。自然に消滅しない限り。。。
どう言う事ですか?
過去に日本帝国政府は実に馬鹿げた言論統制をしたのですよう。ちょっと読んでみてください。
言論の自由と言葉
知っていますか?
太平洋戦争時代、日本帝国政府は今から考えれば愚劣と言えるほどの言論統制で国民をがんじがらめにしたのです。
その良い例が英語を使うな、という規制です。
野球で英語が使えなかった。
ストライクと言ってはダメなんですね。
じゃあ、何と言ったか?
「当たり」「一本」「良し」とか言ったらしい。
「ボール」も使えない。
「はずれ」とか「ダメ」とか言ったらしい。
愚かと言うより、こうなるともう滑稽ですね。
しかし、戦争当時、みんなが真面目にこう言いながら野球したらしい。
いっそのこと野球も敵性スポーツとして禁止すればよかったと思うのですが、帝国政府の親玉の中に野球の好きな人がいたらしい。
それなら、英語も使わせればよいと思うのに、そうはしなかった。こういうところが片手落ちなんですよね。
アメリカはどうだったか?
すっかり逆でした。
日本人が昔から親しんだ「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という『孫子の兵法』の中の有名な格言を忠実に守ったんですね。
つまり、戦争に勝つためには日本人を知らなければならない。
そのためには日本語を大いに学ばねばならない。と言う事でアメリカ政府は日本語学校を作ってそこで日本語を徹底的に学ばせて、日本人の研究人材を養成したわけです。
『菊と刀』で有名な著者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんも政府から依頼を受けて「お国のために」日本人と日本文化の研究をしたんですね。
彼女がレポートを提出した時には戦争が終っていた。
それで、その研究に基づいて1946年に出版されたのが『菊と刀』です。
この本の事を全く知らない人は次のリンクをクリックして僕の書評を読んでみてください。
■
『「菊と刀」 書評』
現在でも読まれています。
すでに90版以上を重ねているはずです。
僕は6度程読みましたが、読むたびに新たな感動を受けています。
このべネデクトさんは日本で暮らしたことが一度もない人なんですね。
もちろん日本へ行ったこともない。
そういう人があれだけの研究成果を出したんですから、日本研究がどれだけ進んでいたかが良く分かるんです。
アメリカ政府の採った政策は日本帝国政府がやった言論統制と比べると雲泥の差です。
『はてなダイアリーと言論の不自由 (2009年1月4日)』より
それから発禁処分も同じ事ですよね。過去に発禁処分された本が絶滅しただろうか?。。。決してそんな事は無い!『チャタレイ夫人の恋人』など未だに読まれている。今から考えれば、どういうところが発禁処分に値するのか全く分からない。現在のアダルトビデオと比較すると、ちっとも低俗でない。ヤ~らしくもない。。。レンゲさんも、そう思いませんか?
でも。。。やっぱり低俗に走るのは、ちょっと問題があると思いますわ。
しかし、格調にこだわるのも問題がありますよう。
そうでしょうか?
だって、そうでしょう。レンゲさんの書いた次の詩だって、口うるさいオバタリアンが読めば、子供の教育に良くない低俗な詩だと、わめき散らしますよう!
“身も心も一つになって”
■ 『禁断の花火 (2007年12月29日)』より
でも、谷岡ヤスジさんの漫画よりは格調高いと思いますわ。
だから、そこですよォ~。。。レンゲさんは、そう思っても、口うるさいオジタリアンは、レンゲさんのように性的に活発な女はけしからん!上のようなエロい詩を書く女は絶対に許さない!とムカついているかもしれないのですよう。要するに、見解の相違と言ってしまえばそれまでなのですよう。
そうでしょうか?
レンゲさんは谷岡ヤスジが低俗な漫画を描くと思っている。でも、レンゲさんを口汚く罵る、そのオジタリアンは谷岡ヤスジの漫画を見て心の底から癒されているかもしれないのですよう。
デンマンさんも、谷岡ヤスジさんの漫画を見て癒されているのですか?
いや。。。僕は。。。あのォ~。。。何と言うか。。。レンゲさんの詩も素晴しいと思うし、谷岡ヤスジの漫画も、低俗ながら結構、面白いと思っているのですよう。うしししし。。。だから、低俗だと決め付けて発禁処分にしたり、その制作者を迫害するのは間違っていると信じているのですよう。
でも、デンマンさんだって、2ちゃんねるのラクガキストたちを低脳児だと決め付けて、ずいぶんと批判していましたよね。
もちろん批判はしますよう。しかし、2ちゃんねるをネットの世界から締め出せとか。。。ラクガキストたちを抹殺しろ!とか、そのような過激な事は言いませんよう。どんなに低俗であろうと、僕は低俗文化として認めているつもりです。低俗の中からやがて本物が生まれ出ることを願っているのですよう。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
なんとなく分かるような気もしますが、
なんだか、いつものようにデンマンさんの手の込んだ理屈で、ごまかされているような気もするのですわ。
とにかく、面白い話がまだ続きます。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
メチャ面白い、
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こんにちはジューンです。
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日本で、よく使われる諺ですよね。
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強引に自分の都合のいいように
事を計らう、という意味です。
さて、これを英語で何と言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
次のように言います。
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太郎は我田引水を図った。
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Taro served his own interests.
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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。