愛と心の乱れ
う~~ん。。。
めれちゃんの心の乱れが
見えるような歌やなぁ~
表現者・めれんげの赤裸々な心が
よう表れておるでぇ~
めれちゃんが20日に詠んだ
【春のきざし】には、どことなく希望が見えるのやぁ~
暗いトンネルから抜け出て、
ようやく光が差してきた感じやでぇ~
うん、うん、うん。。。
これから張り切って詩や短歌を詠もうと言う
意気込みが感じられるなぁ~
でもなぁ~、めれちゃんは、また考え込んでしまうのやぁ~
そして思い出すのは
次の詩やがなぁ
行き違う愛という言葉
わたしに必要なのは
わたしひとりを
愛してくれるひと
わたしひとりが
そのひとに抱かれる
・
愛という言葉を
ふりまくひとに
わたしは別れを告げる
by めれんげ
2009.02.10 Tuesday 11:01
『即興の詩 行き違う愛という言葉』より
めれちゃんの心の奥で
希望の先に
この詩が見えてくるのやがなぁ~
めれちゃんの心が揺れるのやでぇ~
そやから、めれちゃんは、いつものように
寂しいなってくるのやぁ~
もう考えとうないわぁ~
めれちゃんは、そう思う。。。
そいで、身体を重ねるのやでぇ~
そして詠んだのが次の短歌やがなぁ~
【重ねる身体】
夜明け前
眠らぬふたり
闇ふかく
重ねる身体
吐息もみだれて
うん、うん、うん。。。
めれちゃんの心の葛藤がよう分かるなぁ~
“眠らぬ”
“闇ふかく”
“みだれて”
こういう言葉の中に、めれちゃんの
心の乱れ。。。
葛藤。。。
焦燥感。。。
それを身体を重ねる事によって
振り払おうとするのやぁ。
うん、うん、うん。。。
分かるでぇ~ うしししし。。。
でも、その後にまた空しさが襲ってくるのやがなぁ~
もちろん、これはめれちゃんが詠んだ
前の短歌と詩を読んで、わてのオツムに閃(ひらめ)いた
物語やがなぁ~
うしししし。。。
でも、どうなんや?
わてがめれちゃんの短歌から受け取ったインスピレーションは
めれちゃんが詠もうとした“心”から滲み出たものやろか?
めれちゃんは、もしかしたら次のように言うかも知れんなぁ~
デンマンさん、いつものように思い込みが激しいおますなぁ~
そうや、あらへんでぇ~、
わたしは愛欲の炎を眠らずに燃やしたんどっせぇ~
せいせぇ~、としましたがなぁ~
キモい事を言わんといておくれましなぁ~
はい、はい、はい。。。
では、いつものように
わてが返歌を詠んでみるでぇ~
朝まだき
眠れぬふたり
闇ふかく
重ねる身体
心みだれて
いつまでも
闇の中にて
苦悶する
身は燃え尽きて
心乱れる
闇夜とて
いつまで続く
わけもなく
やがて朝日が
きみを迎える
. 闇夜にて 吐息乱れる きみなれど 変わらぬ光は とこしえの愛 |
嗚呼、恋し
きみの面影
慕いつつ
とわの思いで
きみを抱(いだ)きつ
こんなもんで、
どうでっしゃろか?
わての心のぬくもりが
めれちゃんに伝わりましたやろか?
。。。ん?
あんさん!そこまで言うもんであらしませんでぇ~
さよかぁ~?
そうですがなぁ~
でも、言わなぁ~分からんがなぁ~
わたし、あんさんの気持ちィ、よう分かっておりますがなぁ~
ああ、さよかぁ~。。。それを聞いて、わては安心したでぇ~、おおきにィ~、その調子で、また短歌を詠んでぇ~なぁ、頼んだでぇ~
じゃあ、またね。
\(^_^)/キャハハハ。。。
by 心の恋人 (デンマン)
2009-02-26 05:10 AM
『即興の詩 重ねる身体』のコメント欄より
デンマンさん。。。今日は漢字馬鹿さんは登場しないのですか?
たまには、休みたいだろうし、漢字馬鹿と付き合うのも疲れますからね。。。、それで今日は、めれんげさんの短歌を取り上げたのですよう。
あたし、デンマンさんの上の批評を読ませてもらいましたけれど、ちょっとデンマンさんは考えすぎではありませんか?
僕が何を考えすぎているのですか?
デンマンさんは、めれんげさんの心が必要以上に乱れていると断定していますわ。
あのねぇ~、それは事実ではないかもしれません。でもねぇ、それが僕がめれんげさんの最近の詩と短歌から受けた印象なのですよう。
だから。。。デンマンさんが必要以上に、めれんげさんの心の乱れを強調しすぎていると思うのですわ。
例えそうだとしても、それは、それでイイと思うのですよう。僕の個人的な受け留め方として。。。レンゲさんだって以前、次のように書いていましたよう。
性愛への渇望 2007-04-28 08:17 わたしの創作についても、そのことは言えるのです。 自分の書いたものは、どのようにも解釈していただくことも、まったく読者のみなさまの自由です。 しかしながら、完全なる戯作が多い恋愛詩から、わたしの精神が、性愛への渇望に悩まされているかのように、解釈されてしまい、それを事実として認識なさっておられるのだとすれば、少々残念なことです。 わたしのテーマは、あくまでも人生観,世界観であり、寓意的な言葉の中に、恋愛の陰喩はほとんどありません。 それは少女時代から今にいたるまで、性愛はわたしのテーマではないからなのです。 実生活での最大の関心事が、恋愛ではないからです。 例えば、どれほど好きな相手がいても、その気持ちを,詩にあらわすことはほとんどないのです。 人間とは、脳の発達しすぎた生物にすぎず、そのために生じる感情を、美しいものだとは思わないのです。 わたしが特に、追求したいものは、血なまぐさい生命の持つ、発達しすぎた頭脳が引き起こす醜い事件、戦争、葛藤などなのです。 わたしはロマンチストではないのだと思います。 恋愛を描くのは、あくまでも小説のための習作の延長なのです。 話がそれてしまって申し訳ありません。 デンマンさんを信じて、これからもおつきあいさせていただきたいことを、わかっていただきたくて、忌憚なく書かせていただきました。 どうか、この気持ちを察してください。 by レンゲ 『性愛と真心 (2007年5月11日)』より |