サマルカンド (Samarkand)
紀元前10世紀ころからイラン系民族のオアシス都市として発展した。
ギリシャ史料で紀元前4世紀のアレクサンドロス3世率いるマケドニア王国遠征軍に最後まで抵抗したソグド人の都市「マラカンダ」の名で知られる。
『後漢書』などの漢文資料では康国として知られている。
玄奘三蔵や後世のアラビア語、ペルシア語の地理書によればソグディアナ、マーワラーアンナフルの中心と呼ばれている。
都市国家の連合体であったソグディアナではサマルカンドの支配者が、時には都市国家連合全体を盟主として采配を振るった。
8世紀初頭にはサマルカンド王デーワーシュティーチュが「ソグドの王」を名乗っている。
当時の中国の首都・長安も国際都市だったけれど、このサマルカンドは、まさに国際都市の中の国際都市だった。そう言う訳で、安禄山は6ヶ国語に堪能であったため、初め互市郎(貿易官)に任じられたのですよ。その後、軍功を立て出世してゆき、742年には節度使になり、その後は玄宗と楊貴妃に取り入り、二つの州の節度使を拝命し、まもなく三つの州の節度使を兼任する事になった。
つまり、この当時外国人に対する偏見は中国人は持っていなかったのでござ~♪~ますわね?
僕は思うのだけれど、長安が国際都市だったことと、楊貴妃がハーフだったのではないか?僕はそう思っているのですよ。
どうして、そのように思ったのでござ~♪~ますか?
長恨歌(ちょうごんか)
漢の王は長年美女を求めてきたが、どの女性にも満ち足りないものを感じていた。
ところが、ついに探し求めていた美女に出会った。楊家の娘だった。
(中略)
楊貴妃は、そもそもは玄宗皇帝の子息の一人の妃であった。
さすがに息子から妻を奪うのをはばかり、いったん道士となった後で玄宗の後宮に迎え入れられている。
太真は楊貴妃の道士時代の名。
(中略)
温泉の湯水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。
『あっちかち (2008年3月25日)』より
このあらすじを読んだ時に、玄宗皇帝のこだわりようが常軌を逸している、と僕には思えたのですよ。
それ程常軌を逸しているでしょうか?
自分の息子の嫁を取り上げてしまったのも同然ですよ。ちょっと、平凡な人には考えも及びませんよ。
そうでしょうか?
つまり、玄宗皇帝は、普通の中国人の女性ではどうしても飽き足らなかったのですよ。楊貴妃は、かなり変わった女性だったのではないか?要するに日本人の男が金髪の白人の女性に魅力を感じるようなものですよ。
デンマンさんも、金髪の白人女性にそのような魅力を感じた事がござ~♪~ましたか?
ありましたよ。おそらく、宮殿の庭園でも歩いていたハーフの楊貴妃を玄宗皇帝は目にしたのでしょうね。李白が「少年行」を詠んだように、当時の長安ではペルシャ人の娘が人気を呼んでいたのですよ。玄宗皇帝も、うわさを耳にしていた。そういう時にペルシャ人の血が入っているハーフの楊貴妃を目にした。うわさ通りの、透き通るような色白の肌をして、純粋な中国娘にはない異国情緒が表情に表れている。それがメチャ魅惑的に見えた。一目見て玄宗皇帝は楊貴妃の異国風な魅力の虜になってしまったのですよ。
そうでしょうか?
そのような特徴的な女性を想定しない限り、いろいろと手の込んだ事をして自分の息子の嫁を取り上げるなんてしないと思うのですよ。
う~♪~ん。。。でも、楊貴妃がハーフだったなんて聞いた事がござ~♪~ませんわ。
でもねぇ、状況証拠ならばたくさんありますよ。安禄山が玄宗と楊貴妃に取り入って、二つの州の節度使を拝命し、まもなく三つの州の節度使を兼任する事になった、と言う事だって、楊貴妃自身がハーフであれば抵抗なく受け入れられる話ですよ。
そうでしょうか?
つまり、この当時の長安は国際化がかなり進んでいて、美人観も古代ギリシャの影響が強くでていたのですよ。ハーフの楊貴妃は当然のことながらミロのビーナスのような体型に近かったでしょう。もちろん肌も白人に近い白い肌だったでしょう。そのような魅力が玄宗皇帝を虜にしてしまったのですよ。どうですか。。。?卑弥子さんも、そう思いませんか?
でも、大理石の楊貴妃のムッチリした像を作った彫刻家は、そのような事を知っていたのでござ~♪~ましょうか?
もちろん、知らなかったでしょう?多くの中国人と日本人のように、楊貴妃は柳腰で細面の表情をしていた、と信じていたはずですよ。それは、中国に現在残っている楊貴妃の絵を見れば分かります。
それなのに、どうして華清池の像を制作した彫刻家はムッチリとした楊貴妃の像を造ったのでござ~♪~ますか?
それが我々の遺伝子の中に組み込まれている美人観だと僕には思えるのですよ。つまり、ムッチリとした腰と言うのは、骨盤が広い安産に適した体型ですよ。楊貴妃の像を作った彫刻家もミロのビーナスの自然な美しさに感銘を受けて、それを参考にして華清池の楊貴妃の像を造ったのだと思いますよ。
。。。んで、柳腰の細面は。。。?
それは、纏足(てんそく)美人観ですよ。つまり、人為的に女性の自由を制限して考え出された美人観だから、我々の遺伝子に組み込まれている美人観とは違っているのですよ。
古代ギリシャの美人観は、より自然な発想から生み出されたものだ、とデンマンさんはおっしゃるのですか?
そうですよ。より自然で、より人類の幸せと発展にかなった美人観ですよ。つまり、安産型の美人観です。僕には、そう思えるのですよ。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~~
あなたは、どう思いますか?
骨盤の広い安産型の女性が美人と言うことなのでござ~♪~ましょうか?
確かに、その方が人類の幸福と繁栄のためには良いのかもしれません。
ファッションモデルの体型を見ると、あれでは子供が産めないだろう、と思えるような腰の細い女性が居ますものね。
無理して、あのような細い体型を保っているのは、確かにどうかと思いますわ?
あなたは、どう思いますか?
いづれにしても、また、あさって読みに戻ってきてくださいましね。
では。。。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に
別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
■ 『今すぐに役立つホットな情報』
■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』
■ 『楊貴妃 と 「長恨歌」』
こんにちは。ジューンです。
確かに女性の体型を見てみると、
発展途上国の方が
自然な暮らしに近いせいか
とりわけ太っている女性をあまり見かけませんよね。
小柄でも、ムッチリとした女性が多いようですわ。
それは、安産に適しているからでしょうか?
ところで、経済的に発展している国の女性は
確かに必要以上に痩せようとしているようですよね。
スタイルを良くしようとしているのでしょうけれど、
出産に関する限り、
難産になるような体型の人が多いように見受けます。
ワンちゃんの世界でも、
大切に育てられているトイ・プードルなどは
骨盤が狭いままで大人になってしまい、
帝王切開しないと子犬を産めないそうです。
でも、デンマンさんがお話したような
遺伝子に組み込まれている美人観が
果たしてあるのでしょうか?
あなたは、どう思いますか?
ところで、デンマンさんが
飛鳥時代に日本に居たであろうペルシャ人について
面白い記事を書いています。
時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。
■ 『飛鳥とシルクロード』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。