あっちかち
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Subj:3月21日 3度目のメール
Date: 20/03/2008 6:43:41 PM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 3月21日 午前10時43分
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com

■ 日本語の『別れの朝』
そうです。こんな感じの歌でした。
ありがとう
そのまま 「別れの朝」 だったんだ
でも朝 10時半 なのに 夕方の気分
ところで、「カブる」 とは
重なってとか 同じように見えて
似てる とか
お互い 洋服が似てたりすると、
「今日 洋服カブったねェ~」
なんて 子供が言ってますが。
忙しいデンマンさん 朝早くからオタワに電話ご苦労さまでした。
ブログに戻ってください
小百合でした。

今日も、「カブる」についてお話しするのでござ~♪~ますか?

いや、違いますよ。今日は僕の「方言」について話そうと思うのですよ。
デンマンさんの「方言」ですか?個人の「方言」なんて聞いたことがござ~♪~ませんわ。
上のメールの中で、小百合さんが“なんて 子供が言ってますが”と書いているでしょう?
ええ、そうでござ~♪~ますわねぇ。
でもねぇ、子供は主にお母さんから言葉を覚えるのですよ。なぜなら、幼児の頃から学校にあがるまでは、圧倒的にお母さんと過ごすことが多い。だから、当然、言葉もお母さんから覚えるのですよ。
つまり、「カブる」という言葉を子供たちは小百合さんから聞いて覚えた、とデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?
そうですよ。その可能性が最も高いのですよ。
。。。んで、デンマンさんの「方言」って、どのようなものでござ~♪~ますか?
忘れもしない高校1年生の時に、僕の「方言」が元でクラスに爆笑の渦を巻き起こした事があるのですよ。
どのようにして。。。?
たぶん、ホームルームの時間だったと思うのですよ。何を話していたのか覚えていないのだけれど、僕が発言する機会があって、話し始めたのですよ。
それで。。。?
僕が、「あっちかち、こっちかち」と言ったら、それが可笑しいらしくてクラスの皆が笑うのですよ。僕にとって、その言葉は可笑しくも何ともない言葉ですよ。
それは、どういう意味なのでござ~♪~ますか?
「あちら側、こちら側」と言う意味なんですよ。ところが、当時、その言葉を聞いてクラスの全員が爆笑の渦を巻き起こしたのですよ。それ以来、僕の言った言葉で、あれほどの笑いを巻き起こした事なんてないのですよ。でも、僕には、全くその可笑しさが分かりませんでした。
なぜ、それ程可笑しかったのですか?
僕の高校は熊校(くまこう)と言って、埼玉県の県北では有名な県立高校なのですよ。その名は群馬県にも聞こえていて、小百合さんが生まれ育った館林からも、明治時代の頃から生徒が通って来たものでした。もちろん、明治の頃は旧制中学でしたが。。。
学校が有名な事とデンマンさんの「方言」が関係あるのですか?
つまり、僕が言おうとしている事は、学校が有名だから、埼玉県はもちろん、群馬県からも生徒が集まってくる。広い地域から多くの生徒が集まってくるから、初めて耳にする「方言」を同級生から聞く機会も多い訳ですよ。それで、僕の言った言葉は、ほとんどの生徒にとって初めて聞く言葉だったらしいのですよ。卑弥子さんは聞いたことがありますか?
いいえ、「あっちかち、こっちかち」って、聞いたことがござ~♪~ませんわ。
面白いですか?
いいえ、別に、特に面白いとは思いませんけれど、ただ、その時のクラスの雰囲気の中で、デンマンさんが言った言葉が可笑しく響いたのでござ~♪~ますわよう。
そうでしょうね~。僕は、今でも、どうしてクラスメートがあれ程笑ったのか、不思議でならないのですよ。
でも、行田市からその高校に通っていたクラスメートも居たのでしょう?
居ましたよ。坪田君とは、ほぼ毎日一緒に通学していましたからね。それで、僕は坪田君に同意を求めたものですよ。“行田では使うよな?” そう言ったのですよ。
そうしたら。。。?
そんな言葉、使わね~よ!。。。と坪田君は答えたものですよ。

“まさかぁ~ マジかよう?” 本当に僕は信じがたい思いでしたよ。僕は「あちら側、こちら側」と言う意味で何度も使ったものですよ。実家のすぐそばに“忍川(おしかわ)”が流れていましたからね。「向こう岸」と言う時には、「あっちかち」と言ったものです。これは多分、母親の実家の南河原村(現在は合併して行田市)の言葉ではないか?そう思って、当時、南河原村から通っていた末柄君に、“南河原村では使うよな?”と、同意を求めたのですよ。
そしたら。。。?
“そんな言葉、使わね~よ!”と末柄君も言うのですよう。僕はまるで、クラスの全員が僕に反抗しているように感じたものですよ。
デンマンさんは、クラスでは嫌われ者だったのではござ~♪~ませんか?
いや、いや。。。決してそのような事はありませんよ。本当に嫌われ者だったら、それ程の笑いの渦は巻き起こりませんよ。皆が無視したはずですよ。
そうでしょうか?
学校から帰ってから、僕は、その事をお袋に話したのですよう。
そしたら、お母様は何とおっしゃったのでござ~♪~ますか?
僕のお袋は、“あたし、そのような言葉、使ったことがないと思うけれど。。。”と言うのですよう。その時の僕は、全く狐に鼻をつままれたような気分でしたよ。言葉は母親から覚えるものですよ。その母親が“使ったことがない”と言ったら、じゃあ一体、僕はどこでその言葉を覚えてきた事になるの? 僕自身分かりませんでしたよ。
それで、デンマンさんは、一体その言葉をどこで覚えたのですか?
だから、僕は母親から聞いて覚えたものだとばっかり思っていましたよ。それなのに、お袋が“使ったことがないと思うけれど。。。”と言うのですからね。。。僕は、本当に四面楚歌と言う気持ちになりましたよ。
それで、未だに分からないのですか?
分からない。だから、“僕の方言”と言ったのですよ。
でも、デンマンさんは、必ずどこかで聞いて覚えてきたのでござ~♪~ますわ。
おそらく、この記事を読んでいる人の中から、“あたし、使ったことがあるわ” とか、“俺、使ったことがあるぜぇ” と言うようなコメントがもらえるのではないか?僕は、淡い期待を持って書き始めたのですよ。うしししし。。。
デンマンさんの記事にコメントをつける人は少ないから、あまり期待しない方がよいですわよ。
うん、うん。。。でも、可能性が全くないとも言えませんよ。これを読んでいる、あなた、もし使ったことがあったら是非コメントに書いてね。
それで、他に面白い方言って無いのでござ~♪~ますか?
方言ではないけれど、ちょうどこの頃に面白いエピソードがあるのですよ。
どのような。。。?
英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。
その寺田先生は女性でござ~♪~ますか?
もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校は男子校でした。
その先生は、どのような感じの先生でござ~♪~ますか?
山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。
。。。んで、どのような事があったのでござ~♪~ますか?
いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。
それで。。。?
ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。
それで。。。?
先生は、感極まったように言ったものですよ。“う~~ん。。。いい尻をしているなあぁ~。。。”
つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?
そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。
それで。。。?
“オイ、いいケツだとよォ~” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。
デンマンさんは、どう思ったのでござ~♪~ますか?
女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。
つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う~~ん。。。いい尻をしているなあぁ~。。。”と、感嘆したことがあったのでござ~♪~ますか?
ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。
。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ~♪~ますか?
これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。

うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ~♪~ますか?
卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?
確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ~♪~ませんわ。
そうですかぁ~。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そうのように思うことはありませんか?
う~♪~ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。
なるほどねぇ~。。。そういうものですかぁ~。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。
“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ~”
「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。
そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ~♪~ますか?
そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。
つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ~♪~ますか?


そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。
その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ~♪~ますか?
そうですよ。ちょうど女性の美しさの話題が出たので、僕はもう一つ心に残るエピソードを思い出しましたよ。
また、女性のお尻でござ~♪~ますか?
いや、今度のエピソードは女性の体の一部ではありませんよ。歴史的に超有名な美人の話ですよ。
クレオパトラでござ~♪~ますか?
いや、中国の楊貴妃ですよ。このエピソードは、高校1年生の時の漢文の先生のことです。名前がどうしても思い出せません。仮に大島先生としましょう。当時50才を越していたと思うのですよ。校長先生にしても可笑しくないような貫禄のある先生でした。小柄な先生でしたが、威厳があって、どこと無く近寄りがたいオーラを感じたものですよ。
つまり、あまり親しみを感じるようなお人柄ではなかったのでござ~♪~ますわね?
そうです。見た目は怖い感じでしたよ。でも、大島先生は教え方が実にうまかった。これほど情熱を込めて教える先生を僕は見たことがありませんでしたよ。
デンマンさんは、何をそれほどまでに感動したのでござ~♪~ますか?
大島先生の『長恨歌』の授業ですよ。今でも一週間前の出来事のように鮮明に思い浮かべる事ができますよ。
どう言う所がそれ程素晴しかったのでござ~♪~ますか?
この先生自身が、若い頃『長恨歌』の授業に感銘を受けて漢文の先生になろうと決めた、と言うのですよ。だから、とりわけ『長恨歌』には思い入れがあったのでしょうね。実際、素晴しい授業でしたよ。僕も引き込まれるように、この先生の熱のこもった説明に魅了されたものでした。まるで人間国宝級の講談師が講釈をしているような熱の入れ方なのですよ。卑弥子さんも『長恨歌』を知っているでしょう?
もちろん、名前だけは知っておりますわ。でも、あたくしの専門は平安時代の源氏物語でござ~♪~ますから、中国文学はイマイチでござ~♪~ますわ。おほほほほ。。。