思い出を食べる
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食べるの好きですう

> 検索も ひと息です。
> せっかく出かけるので、
> ベトナム料理、タイ料理みたいのが
> 食べたくて、特に生春巻き
> フォーのヌードル
ウムムムム。。。
僕も久しぶりにタイ料理が食べたくなってきましたよう!
生春巻き!

うん、うん、うん。。。
たまにはいいですよねぇ~。
あの、匂いのきつい独特の味がするパセリのような植物がありましたよね。
あれぇ~~。。。思い出せないよう!
名前を度忘れしましたア~。
3月5日までには探してきますよう。

【デンマン注: この香味野菜はパクチーでした。】

> バンクーバーのバーガーキング
> サイエンスワールドの近くにあった、
> メトロタウンにも
> もちろん空港にも。
僕はバーガーキングは遠慮しておきますよ!
パス!
バーガーは食べ飽きました! ( ̄Д ̄;)
> あれが 都内にまた復活してきて
> 3月28日には秋葉原にOPEN
> 新宿では食べられます。
日本でバーガーキングが人気があるのですか?
たぶん、高くてまずいんでしょう?!うしししし。。。

> シナモンロールのCINNABONは横浜も池袋も撤退して
> お台場だけですよ、バンクーバーならどこのモールにも
> あるのに。
うん、うん、うん。。。シナモンロールもたまにはいいですよね。
でも、僕には、ちょっと甘すぎるのですよう。
ただし、1ヶ月に1っ個ぐらいは食べてもいいですよ。
うしししし。。。


> そんなわけで、自分の好きな物だけ
> 買いに行ってきます。
> フレーバーなコーヒーと
> サワークリーム&オニオンのチップス
> キャドバリーのデイリーミルクチョコ TWIXチョコBAR
> デパ地下の紅茶スコーン、横浜では飲茶のえび餃子
> 大判の月餅、清風楼のシュウマイ

> 向田邦子じゃないんだから
> もう食べ物の話はやめてよ~
> とデンマンさんがあきれてるから
> もうやめよ。
> ではコーヒー5杯目をおかわりしますう。

うん、うん、うん。。。
食べる事が大好きな小百合さんらしいですよねぇ~。
あの行田“モダン・パスタ”での小百合さんの食べっぷりを見ていますからね。。。
でも、あれほど早く、きれいに食べているのを見ていると、
見ている方もすがすがしい気分になってきますよう!
マジで!
\(@_@)/ キャハハハ。。。
横浜と東京での買い物、
ゆっくりと楽しんできてくださいね。
では。。。
by デンマン
『食べるの好きです (2008年3月5日)』より

今日は小百合さんのグルメぶりについて語り合うのでござ~♪~ますか?

うん、うん、うん。。。確かに小百合さんは食べるのが好きなんですよねぇ。僕がこれまで知り合った女性の中では最も食べる事にこだわっている女性です。でも、今日は食べ物の事ではないのですよ。
。。。食べ物の事でないとなると。。。。他に何をお話になるのでござ~♪~ますか?
向田邦子さんのことですよ。小百合さんも上のメールの中で書いています。
つまり、小百合さんも向田さんもグルメだと言うことですか?
小百合さんは自分のことをグルメだとは思っていないのですよ。でも、僕に言わせれば、小百合さんは「思い出を食べるグルメ」ですよ。
向田邦子

1929年11月28日に生まれる。
1981年8月22日に航空機事故で亡くなる。
テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。
父の仕事の関係で、日本全国を転々としながら育つ。
現在の鹿児島市立山下小学校(当時の鹿児島高等師範学校付属尋常小学校)に在学した。
高松高女にも1学期間在籍した。
鹿児島市は年少時代の僅か数年を過ごしただけであるにも関わらず、家族や近所の人々との間に様々なエピソードがあり、その後の進路に多大な影響を与えた。
エッセイ代表作『父の詫び状』のモチーフは鹿児島時代の家族団欒であると言われる。
事故死前に雑誌の企画で鹿児島を訪問、その紀行短編エッセー中で自分の後世に多大な影響を与えた第2の故郷とまで称しているほどのお気に入りだった。
都立目黒高女、実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科卒業。
1952年に雄鶏社に入社し、雑誌『映画ストーリー』の編集に従事するかたわら市川三郎のもとで脚本を学ぶ。
1960年に同社を退社後、脚本家となり、20年間で1000本以上の作品を手がけた。
主な作品に『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』(以上TBS製作)『阿修羅のごとく』『あ・うん』(以上NHK東京製作)『だいこんの花』『七人の孫』などがある。
小説家としても活動し、1980年、短篇の連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で第83回直木賞を受賞した。
エッセイにも定評がありエッセイ集『父の詫び状』、『夜中の薔薇』などがある。
1978年著述活動のかたわら、女性が気軽に寄れるお店を作ろうと、妹と東京都港区赤坂で小料理屋「ままや」を開店し、好評を博した。
「ままや」は邦子の死後も妹の和子によって営業が続けられたが1998年に閉店した。
1981年8月22日、エッセイ集の取材旅行中の台湾苗栗県三義で遠東航空機墜落事故で急逝。
遺品はかごしま近代文学館に寄贈され常設展示されている。
寄贈を決めた時の母親の言葉は「鹿児島に嫁入りさせよう」だった。
想い出が詰まった街であり、それが本人の遺志にかなうと判断したのであろう。
1983年、向田の功績を記念して優れた脚本に対して与えられる「向田邦子賞」が創設された。
他界後20年以上を経た今もなお、その作品のみならず、自分の好きなものと徹底して向き合うライフスタイルが注目を浴びている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この略歴を読んでねぇ、どうして小百合さんがメールの中に向田さんを引き合いに出したのかが分かったような気がしましたよ。
どうしてでござ~♪~ますか?
他界後20年以上を経た今もなお、
その作品のみならず、
自分の好きなものと
徹底して向き合うライフスタイル
が注目を浴びている。
このライフスタイルこそ小百合さんが目指しているライフスタイルなのですよ。僕は、そう思いましたよ。上のメールを読んでも分かるでしょう?自分の好きなものを求めて横浜や東京まで出てゆくのですからね。
つまり、小百合さんはグルメに徹しているのでござ~♪~ますか?
美食だけにこだわっている訳じゃないと思いますよ。中学生の頃に『エマニエル夫人』を観て物語ばかりか、その背景のタイ、その首都のバンコクの素晴しさが印象に強く残ったのですよ。


平凡な人であれば、記憶が薄れて忘れてしまうのだけれど、小百合さんには忘れる事のできない強い印象が残っていたのですよ。それで、大人になってからバンコクに何度か旅行した。
“自分の好きなものと徹底して向き合うライフスタイル”でござ~♪~ますか?
そうですよ。食べ物だけじゃないと思うのですよ。小百合さんがバーナビーに“山の家”を持った事も自分の好きなものと徹底して向き合うライフスタイルだったからですよ。



このバーナビーの山の家は、もしかすると小百合さんが『エマニエル夫人』の中で見た異国情緒あふれるフランス風の家をイメージして見つけたのかもしれませんよ。
上の写真のようなフランス風の家が映画の中であったのでござ~♪~ますか?
次の写真のように、バーナビーの“山の家”で小百合さんがエマニエル夫人と並んで居ても可笑しくないのですよ。
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。。。んで、今日は向田邦子さんと“山の家”のお話でござ~♪~ますか?
いや、山の家は関係ないのですよ。せっかく小百合さんが向田さんのことをメールの中で書いてくれたので、今日は向田さんの作品について話そうと思うのですよ。
どの作品でござ~♪~ますか?
まず、『時間ですよ』です。このテレビ番組は思い出深いのですよ。
なぜでござ~♪~ますか?
まだ僕が日本で暮らしている頃に人気があった番組だからですよ。もちろん、僕も見ていました。卑弥子さんは見たことがありますか?
見たことがござ~♪~ませんわ。あたくしが生まれる前か、生まれる頃の番組だと思いますわ。どのような番組なのでござ~♪~ますか?
ボイラーマンの堺正章が「おかみさ~ん、時間ですよォ~」と言う掛け声で始まる番組ですよ。TBSの水曜劇場。確か8時に始まったと思うのですよ。
つまり、お風呂屋さんが舞台なのでござ~♪~ますか?
そうですよ。東京五反田にある風呂屋「松の湯」で繰り広げられる人間ドラマですよ。「松の湯」を支えている夫婦役に、森光子と船越英二。一人息子が松山英太郎。その妻を演じたのが松原智恵子。ボイラーマンの堺正章と面白いギャグを飛ばしあったのが、老け役で有名な、脱衣場の世話係の悠木千帆(樹木希林)だった。
最近はお風呂屋さんが少なくなったので番組も終わりになったのでござ~♪~ますか?
どうして終わりになったのか僕には良く分からないけれど、僕が社員寮に居る頃の番組でした。
。。。んで、デンマンさんも寮の共同風呂に入っていたのですか?
そうですよ。町の銭湯よりも大きな風呂だったですよ。多い時には30人ぐらいが入りましたからね。
女性も居たのでござ~♪~ますか?
男ばかりの男子寮でした。120人ぐらい居たと思いますよ。当時は個室なんてなくて、4人部屋ですよ。僕の部屋には3人居ました。テレビが1台あって、『時間ですよ』になるとテレビの前でマチャアキと悠木千帆(樹木希林)のドタバタギャグに3人で爆笑したものですよ。
ギャグが面白いのでござ~♪~ますか?