毎朝通勤バスの中でデイジー図書をっ聞く私デスペア。週刊誌の録音図書を聴く。網膜色素変性症な私。もう雑誌は読めない。拡大読書器を使ってなんとかよめるも一文字一文字ずつ読むため時間がかかる。そこで録音図書。音訳ボランティアさんには感謝。
今日もいつものように週刊誌を聴く、音訳作業があるので8月末日発売の週刊文春9/6号が1週間おくれで録音図書となる。それを1.8倍速ぐらいで聞く私。普段はゴシップ記事は読み飛ばすのだがたまたま藤圭子の自殺の記事を読んだ。
記事は藤圭子の兄がインタビューにこたえていたもので、内容は藤圭子の遺体にもあわせてもらえないという親族間の確執の話。藤圭子が宇多田氏と結婚してから実家から距離をおくようになったという話。その記事で生い立ちもかかれていたのだが、富士圭子は東北で地方回りの歌手の父と三味線ひきの母の間にうまれたとのこと。三味線弾きの母は目がわるく藤圭子も自分も将来目が悪くなるのではないかと不安におもっていたとのこと、そして自分の娘。にはこんな不安を感じないでいいようにいつまでもひかりを失わないようにとヒカルと名前をつけたとのこと、その娘。が宇多田ヒカル。
記事ではその目の病気は進行性らしく藤圭子も徐々に視力が低下していっていまでは元マネージャー男性と一緒にくらしていて解除とかはその男性がしているとのことだった。藤圭子62歳三味線弾きの母とその娘。。同じような目の病。もしやとおもった。
さらに記事では、宇多田氏が藤圭子と実家の仲を悪くさせようと藤圭子にこうふきこんだとかいてあった。「お母さん本当は目が見えてるんだよ」
網膜色素変性症な私。ときどき人から、どのくらい目が悪いの?本当は見えてるんでしょと目が悪くなりかけのころは言われた思い出。網膜色素変性症なはじめは夜盲と視野狭窄ではじまるのでまわりからは詐病のようにおもわれがち。一般人は視覚障害者とは全盲しか頭にない。弱視とか夜盲とか視野狭窄はおもいもつかない。
この歌だしのことばで、たぶん藤圭子のはははRPなんだと思った。ただ記事の中では病名にはふれられていない。
そして藤圭子の母親と距離をおく理由もたぶんRPだと思う。藤圭子は10代でトップスターになり20代そこらで結婚し、そしてすぐにアメリカにわたる。アメリカにわたったころにはほとんど歌手活動はしていなかったようだ。これは憶測だが、徐々に目が悪化してきた藤圭子は母親と距離をおくため結婚したりアメリカにわたったりしたのだと思う。
一般人からすると母親から遺伝で同じ病気を発症してしまったのでそのうらみからは母親から距離をおいたのだろうと思うんだろうけど、たぶんそれは真実ではない。藤圭子は母親をうらんで距離をおいたのではなく、母親に自分の目が悪化していることをしられたくないから距離をおいたのだと思う。いうなれば母親を憎んで距離をおいたんじゃなくて、母親に対する愛情から距離をおいたんだと思う。母親に自分のせいで圭子も目が悪くなってしまった申し訳ないと思わせないために距離をおいたんだと思う。これは遺伝病の家族間にはよくあること。
ここでふと思うのが宇多田ヒカルが母親であるフジ系とよくにた人生を歩んでいるということ、10代でトップスターになり若くして結婚、そしてアメリカにわたってロンドンにわたって音楽活動休止。あまりにもそっくり。宇多田ヒカルも母親である藤圭子とは距離をおいていたとのこと。まったく同じ関係性。だとすればヒカルも母親が嫌いで距離をおいているんじゃなくて好きだからこそ距離をおいているということになる。
ここからが小説的な物語だが、もしかしたら藤圭子は自分の目が悪化して生きていくことに絶望して自らいのちをたったのではなく、ヒカルの目が悪化していることにひょんなことから知ってしまってあるいは自分より娘。の目の悪化が早くてそれに絶望したのかもしれない。そうだとするとマスコミにここ何年もまったくでない宇多田ヒカルも説明がつく。
9月に入ってすっかり秋になってなぜかメランコリーな私。こういう妄想をしてしまう。他人を自分の領域にひっぱりこんで解釈するのはよくないな。
でももしRPになったとしても絶望の仲にもきっと希望があることを私は照明したいし、宇多田ヒカルにもおしえてあげたいな。
2001年9月11日は絶望の日だが、2013年9月11日は希望の日である。
2013年9月11日宮本佳林がJuice=JuiceのセンターとしてメジャーCDデビューするその日。日本中にヒカリがさす日。
宇多田ヒカルに宮本佳林を教えてあげたい。一緒に9/11の17時30分からの池袋サンシャイン噴水広場での発売記念イベントにいって一緒に握手列にならびたい。
今日もいつものように週刊誌を聴く、音訳作業があるので8月末日発売の週刊文春9/6号が1週間おくれで録音図書となる。それを1.8倍速ぐらいで聞く私。普段はゴシップ記事は読み飛ばすのだがたまたま藤圭子の自殺の記事を読んだ。
記事は藤圭子の兄がインタビューにこたえていたもので、内容は藤圭子の遺体にもあわせてもらえないという親族間の確執の話。藤圭子が宇多田氏と結婚してから実家から距離をおくようになったという話。その記事で生い立ちもかかれていたのだが、富士圭子は東北で地方回りの歌手の父と三味線ひきの母の間にうまれたとのこと。三味線弾きの母は目がわるく藤圭子も自分も将来目が悪くなるのではないかと不安におもっていたとのこと、そして自分の娘。にはこんな不安を感じないでいいようにいつまでもひかりを失わないようにとヒカルと名前をつけたとのこと、その娘。が宇多田ヒカル。
記事ではその目の病気は進行性らしく藤圭子も徐々に視力が低下していっていまでは元マネージャー男性と一緒にくらしていて解除とかはその男性がしているとのことだった。藤圭子62歳三味線弾きの母とその娘。。同じような目の病。もしやとおもった。
さらに記事では、宇多田氏が藤圭子と実家の仲を悪くさせようと藤圭子にこうふきこんだとかいてあった。「お母さん本当は目が見えてるんだよ」
網膜色素変性症な私。ときどき人から、どのくらい目が悪いの?本当は見えてるんでしょと目が悪くなりかけのころは言われた思い出。網膜色素変性症なはじめは夜盲と視野狭窄ではじまるのでまわりからは詐病のようにおもわれがち。一般人は視覚障害者とは全盲しか頭にない。弱視とか夜盲とか視野狭窄はおもいもつかない。
この歌だしのことばで、たぶん藤圭子のはははRPなんだと思った。ただ記事の中では病名にはふれられていない。
そして藤圭子の母親と距離をおく理由もたぶんRPだと思う。藤圭子は10代でトップスターになり20代そこらで結婚し、そしてすぐにアメリカにわたる。アメリカにわたったころにはほとんど歌手活動はしていなかったようだ。これは憶測だが、徐々に目が悪化してきた藤圭子は母親と距離をおくため結婚したりアメリカにわたったりしたのだと思う。
一般人からすると母親から遺伝で同じ病気を発症してしまったのでそのうらみからは母親から距離をおいたのだろうと思うんだろうけど、たぶんそれは真実ではない。藤圭子は母親をうらんで距離をおいたのではなく、母親に自分の目が悪化していることをしられたくないから距離をおいたのだと思う。いうなれば母親を憎んで距離をおいたんじゃなくて、母親に対する愛情から距離をおいたんだと思う。母親に自分のせいで圭子も目が悪くなってしまった申し訳ないと思わせないために距離をおいたんだと思う。これは遺伝病の家族間にはよくあること。
ここでふと思うのが宇多田ヒカルが母親であるフジ系とよくにた人生を歩んでいるということ、10代でトップスターになり若くして結婚、そしてアメリカにわたってロンドンにわたって音楽活動休止。あまりにもそっくり。宇多田ヒカルも母親である藤圭子とは距離をおいていたとのこと。まったく同じ関係性。だとすればヒカルも母親が嫌いで距離をおいているんじゃなくて好きだからこそ距離をおいているということになる。
ここからが小説的な物語だが、もしかしたら藤圭子は自分の目が悪化して生きていくことに絶望して自らいのちをたったのではなく、ヒカルの目が悪化していることにひょんなことから知ってしまってあるいは自分より娘。の目の悪化が早くてそれに絶望したのかもしれない。そうだとするとマスコミにここ何年もまったくでない宇多田ヒカルも説明がつく。
9月に入ってすっかり秋になってなぜかメランコリーな私。こういう妄想をしてしまう。他人を自分の領域にひっぱりこんで解釈するのはよくないな。
でももしRPになったとしても絶望の仲にもきっと希望があることを私は照明したいし、宇多田ヒカルにもおしえてあげたいな。
2001年9月11日は絶望の日だが、2013年9月11日は希望の日である。
2013年9月11日宮本佳林がJuice=JuiceのセンターとしてメジャーCDデビューするその日。日本中にヒカリがさす日。
宇多田ヒカルに宮本佳林を教えてあげたい。一緒に9/11の17時30分からの池袋サンシャイン噴水広場での発売記念イベントにいって一緒に握手列にならびたい。