昔モーニング娘。は自分たちのことをアイドルとは絶対に言わなかった。昔小泉京子がなんてったてアイドルを歌ったけど、小泉も自分はアイドルだと言わなかった。
アイドルというのは、まわりの人が決めるもので、その人がいくら私はアイドルと言おうがアイドルにはなれなかった。
ただ今の時代は、アイドルになりたい人ってよびかけて手をあげれば誰でもアイドルになれる時代。アイドルのインフレ化。アイドルが自分でアイドルと定義づけすればだれでもアイドルになれる時代。Berryz工房の去年リリースしたふつうアイドル10年やってらんないでしょの歌詞にっも、猫も杓子もアイドルになれるっていう歌詞があるぐらい。
自分はアイドルという人は本当のアイドルではない。それは私は救世主という人がそうじゃないのとにている
ただ、唯一の例外があって、それは宮本佳林という存在。佳林だけは自分はアイドルであると宣言すればするほど、純度がましていく不思議な存在。ふつうアイドルであると自称すればするほどアイドル純度はおちていくのだけど佳林だけはそうじゃない。なぜだろう?
佳林がうまれながらのナチュラルボーンアイドルであり、アイドルサイボーグであるからでもあるし、
佳林は常に理想のアイドル像をかかげて、それに常に近づこうとしている。つまり佳林は自分はまだアイドルではない、アイドルになろうともがいているのが今の私という意識が常にある。だからこそ、佳林だけが私はアイドルといえばいうほど輝きをますのだと思う。
今日の佳林のブログは、佳林が考える、アイドルと普通の女の子のちがいについて。佳林はアイドルとはなんにでもなれる存在、うらをかえせばなんでもない存在、発展途上の存在といっている。自分はアイドルであるといいつつ、アイドルとはなんでもない存在という佳林。このレトリックがすばらしいね。
つまり佳林は、ほんとうのアイドルとは、アイドルとなろうとしている過程だと言っている。アイドルではない存在こそがアイドルであると言っている。
そんな佳林だからこそ、愛おしさがとまらないんだろうな。
ぜひみなさんも今日のJuice=Juice宮本佳林ブログ「気合」を読んでみてね。
2015年12月17日のJuice=Juice宮本佳林のブログはこちら 宮本佳林が語るアイドルとはの答えがそこにある
アイドルというのは、まわりの人が決めるもので、その人がいくら私はアイドルと言おうがアイドルにはなれなかった。
ただ今の時代は、アイドルになりたい人ってよびかけて手をあげれば誰でもアイドルになれる時代。アイドルのインフレ化。アイドルが自分でアイドルと定義づけすればだれでもアイドルになれる時代。Berryz工房の去年リリースしたふつうアイドル10年やってらんないでしょの歌詞にっも、猫も杓子もアイドルになれるっていう歌詞があるぐらい。
自分はアイドルという人は本当のアイドルではない。それは私は救世主という人がそうじゃないのとにている
ただ、唯一の例外があって、それは宮本佳林という存在。佳林だけは自分はアイドルであると宣言すればするほど、純度がましていく不思議な存在。ふつうアイドルであると自称すればするほどアイドル純度はおちていくのだけど佳林だけはそうじゃない。なぜだろう?
佳林がうまれながらのナチュラルボーンアイドルであり、アイドルサイボーグであるからでもあるし、
佳林は常に理想のアイドル像をかかげて、それに常に近づこうとしている。つまり佳林は自分はまだアイドルではない、アイドルになろうともがいているのが今の私という意識が常にある。だからこそ、佳林だけが私はアイドルといえばいうほど輝きをますのだと思う。
今日の佳林のブログは、佳林が考える、アイドルと普通の女の子のちがいについて。佳林はアイドルとはなんにでもなれる存在、うらをかえせばなんでもない存在、発展途上の存在といっている。自分はアイドルであるといいつつ、アイドルとはなんでもない存在という佳林。このレトリックがすばらしいね。
つまり佳林は、ほんとうのアイドルとは、アイドルとなろうとしている過程だと言っている。アイドルではない存在こそがアイドルであると言っている。
そんな佳林だからこそ、愛おしさがとまらないんだろうな。
ぜひみなさんも今日のJuice=Juice宮本佳林ブログ「気合」を読んでみてね。
2015年12月17日のJuice=Juice宮本佳林のブログはこちら 宮本佳林が語るアイドルとはの答えがそこにある