カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

ノスタルジックカーショー その2

2006-09-26 19:42:01 | クルマねた

TOYOTA 2000GT  やはり好評なようで。ノスタルジックカー大図鑑
これはクーペスタイルの市販車ですね。
前期型か後期型か私には分かりませんが。

そんな私にはこれも2000GTに見えたりして・・・



後から見るとすぐに分かってしまうのですが



そう、これロードスターです。



と、言うことで・・・
290万円が高いとおっしゃる方には、こちらなんかいかがでしょう?
あの名車が復活しました!ヤフオクで18000円



そんな事より、私的今回の目玉は・・・!
   思わず「泣きそう・・・」と言ってしまった



プリンス R380 です。



プリンス自動車工業 そう、あの名車スカイラインGT-Bを生み出した会社です。
後に日産自動車と合併、日産プリンスと言う販売会社名は最近までありましたよね。



このクルマが現れた頃、私は小学生。
雑誌の写真を集めては部屋に貼っていたような記憶があります。
プラモも何台も作ったような・・・



日本のモータースポーツの夜明け時期でもあったのでしょう。
1963年 第1回日本グランプリ
プリンスはグロリア、スカイラインを出場させるも惨敗。
噂では無改造の通達を無視した他メーカーはフルチューンで参戦。

1964年 第2回日本グランプリ
プリンスはスカイラインGT-Bを引っさげて必勝体制を取るも
直前にエントリーしたポルシェカレラ904GTSに優勝をさらわれる。
噂ではスカイラインに勝てないと判断したトヨタが送り込んだ
刺客と言われてる。
このレースでポルシェ(式場)を抜いて1周だけトップを走った
生沢徹はヒーローとなり、「スカイライン伝説」が誕生。
これも噂ではポルシェの準備不足、式場、生沢の談合も囁かれた。

1966年 第3回日本グランプリ
この後、日産と合併したプリンス最後のグランプリ。
ポルシェとの性能差を痛感させられた第2回から仕上げた
写真のクルマ「R-380」で、最新のカレラ6を破り優勝。
噂ではカレラ6に乗る滝進太郎はボンボン、プライベーター。
プロ集団のプリンスは生沢がポルシェをブロック、滝は自滅。
ゼッケン11の砂子を優勝に導いた。

この後、生沢徹はヨーロッパに渡り日の丸へルメットで活躍。
四輪で世界の舞台で活躍した最初のレーシングドライバーじゃなかったでしょうか。
中学生になっていた私にとっても憧れの人でした。

1967年 第4回日本グランプリ
ニッサンR-380IIと発展したこのクルマはプライベーターの
カレラ6軍団と再び対決するも、日産にふられた生沢のカレラ6に
優勝されてしまい、2位から4位の結果となります。


この頃の私はと言うと、スロットレーシング(当時はモデルカーレーシングって言ってましたが)に夢中。シャーシーやボディデザインまでして、まさにモーター(マブチですが)レーシングちうでした。

このクルマを見て、一気に甦る青春までの日々。
(;o;)ウルウルくるのも分かるでしょ、

長生きして良かった・・・

プリンスR-380のゼッケン11、実車を見ての感想です。

スカイライン博物館 R-380




こちらはニッサンR-380II。谷田部で7つの国際記録を樹立したクルマです。
スカイライン博物館 R-380II








スカイラインも数多く展示されてましたが
もひとつ良く知りません。
KPGC10.html">ノスタルジックカー大辞典 SKYLINE2000GT-R






もう編集プレビュー出来なくなりました。あと1回続きます。