カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

第六番札所 壷坂寺

2011-12-02 17:05:54 | 西国三十三所巡礼
西国霊場第六番は眼病封じのお寺で有名な
『壷阪山 南法華寺』(つぼさかさん みなみほっけじ)
通称「壷坂寺」です。
大阪が2つ続いた後、ここからは奈良になります。


ここの仁王さんは何か迫力が無いな…金網が無いのはそのせいか?


下駄も置かれてるし、自由に歩き回ってるとか・・・


賓頭盧(びんづる)尊者さん、山門にあるのは珍しい。


眼病に霊験あらたかなお寺として知られ、人形浄瑠璃「壺坂霊験記」の舞台となったことで良く知られてます。


大講堂(2000年)


仁王門をくぐって右手には










天竺渡来 大釈迦如来石像(2007年)


左の方には

多宝塔(2002年)



灌頂堂(かんじょうどう)(2005年)

山の上に何やら巨大な観音像も見える。このお寺、巨大石像が多い。
しかも建物も新しいので、どこか謎のパラダイス系?珍スポットかと思いきや、創建は703年。弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んで祀ったのが始まりといわれる。
703年といえば藤原京の時代。708年の平城京、794年の平安京よりかなり以前。しかも藤原京の中心道路である朱雀大路を伸ばした線上「藤原京の聖なるライン」その延長上にある。その間には数々の古墳などの遺跡が発掘されている。なにやらミステリアス。
このライン、真っすぐ北に進むと平城京があり、平安京、清水寺へと続いているようにも見える。
ちなみに京都の清水寺は北法華寺(778年)と呼ばれる。


まぁそんなことより、この日も小雨模様。
すぐ近くにあった道の駅「吉野路大淀iセンター」で仕入れたお弁当を
灌頂堂の軒を借りて・・・


ん?よう上れたな。(^_^ゞ


仏足石、これも新しいです。
これを踏み台にした訳ではありません、念のため。


古代米やら何やら・・・ごちそうさんでした♪






これも大きかったですが、まだ開眼が済んでないかも・・


そろそろ秋の気配を感じる、11/3日でした。


手水舎



ここから一段高台へ上って行きます。
階段には電動リフトが付いていました。入山受付から本尊御宝前まで、段差なしでお参りできるとのことです。


三重塔 国指定重要文化財(1497年に再建)


禮堂(らいどう) 国指定重要文化財(室町時代の状態に再建)

創建当初から建てられていたとされてますが、1096年に焼失、1103年に再建。その後鎌倉時代初期に焼失し、直ちに再建されるが、室町時代初期にも焼失。その後再建されるが、江戸時代には、模様替えなど大改築がなされ、規模も縮小された。
現在の建物は、昭和解体修理時に行われた地下発掘調査並びに残存していた部材から、室町時代の禮堂の姿が判明し、御堂の大きさ等を室町のそれに戻して、建てられているそうである。


八角円堂(裏からの写真になってしまったw)
現在の八角円堂は江戸時代の再建と言われる。壷阪寺の本堂は日本で初めて建立された八角堂ではないかという学説も出ている。

この八角円堂がここの本堂で、中はぐるりと回れるようになっている。


本尊十一面千手観音菩薩像
室町時代の寄せ木造り、それ以前の本尊に代わって造られたものだろう。
さすが眼病封じとあってか、パッチリ開いた眼が印象的な観音様です。


多聞天立像(平安期)
一木造りで、他にも増長天立像がありました。


まだまだ見どころいっぱいのお寺ですが、お守り関係も


おやじギャグ?         玄関トイレって・・・


愛嬌のある魔除けやな      オチか?・・・(^_^ゞ






天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」(1987年)高さ3m 全長50m

このレリーフは、南インド、カルナタカ州カルカラにおいて、延べ5万7,000人の石彫師の手によって、インドの石に彫刻され製作されたものなんだそうです。



合掌して眼鏡の中をくぐります、別にご利益ってことじゃなく
眼鏡に感謝するのだそうで・・・


めがね供養観音





まよけばし。売られていた魔除けが奉納されてますが・・・オモウツボ?



慈眼堂(2005年)

おっと、ここにも寄ってみなきゃ・・・

クリック
お里澤市像
壺阪霊験記は盲目の夫『沢市』の開眼を祈る妻『お里』の純愛が沢市の目を開けさせるという夫婦愛の物語。この先が「投身の谷」かな?


さて、天竺門をくぐって先へ進みます。


天竺門


鐘楼


途中に何体もありました、あの手、この手、奥の手・・・(▼_▼メ)






手前に写っているのは、天竺渡来 大石堂(納骨永代供養堂)

緩いスロープを登って、高台へ。



もうひと息、石段を登ると・・・





天竺渡来大観音石像(1983)全長20m 全重量1200t

これも南インドカルカラの三億年前の古石を、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。 20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。胎内には数万巻の写経と胎内石が納められているそうです。

何故か手だけもありました。


石像の手と同じ石材でつくられたもので、これでもひと回り小さいそうです。手に触れられるようにとのことですが・・・



天竺渡来大涅槃石像(1999年)全長8m



涅槃像はすべての教えを説き終えて入滅せんとする釈迦の姿を顕している。
釈迦の最後の説法は「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」自らを灯明とし、自らをよりどころとし、法を灯明し、法をよりどころとすることを説かれた。
釈迦がいる、いないにもかかわらず自分を頼りとし、正しい教えを頼りとすることを意味している。


一気にアップしてしまうと、こんなボリュームになってしまいました。
これでもまだ見られてない所や、割愛した部分もあり・・・

創建はかなり古いお寺なのですが、それが感じられないのは
火災や天災、戦禍にみまわれ幾度となく再建を繰り返してきたのに加え
平成10年から10年間にわたり伽藍整備工事が行われ、復旧、再建されたことによるものでしょうね。




2011.11/3、壷坂寺にて。



○宗派:真言宗 ○開基:弁基上人
○御本尊:十一面千手観世音菩薩 ○創建:大宝3(703)年

御詠歌「岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん」