カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

東大寺、あちゃこちゃ。

2012-03-06 23:32:34 | 洛外うろうろ
まだ奈良なんです。どっぷりと奈良づけ状態・・・(^_^ゞ

大仏殿に入らなかった分、周りをゆっくり見て回れました。
それでも春日大社や正倉院までは足を伸ばせず・・・なんぼ見どころあるねん!
※正倉院は現在、整備工事のため外構公開してません。もちろん中は見られません。


「俊乗堂」
国宝「重源上人坐像」が安置されている。俊乗房重源は、平氏による南都焼討ちで
焼け落ちた東大寺の復興再建を成し遂げた人物。







「鐘楼」
これまたデッカイ。日本三名鐘のひとつと言われています。
「姿(形)の平等院」「音の三井寺(園城寺)」そして「勢の東大寺」。
ですが、東大寺の代わりに「銘の神護寺」を三名鐘とすることもあります。
ただ神護寺は撞かないので・・・

東大寺での除夜の鐘は「ゆく年くる年」の定番ですね。
今年は厳かな除夜の鐘の映像、東大寺の場面で僧侶が鐘を撞き損ねて
スッテンコロリン・・・って映像が流れました。(^_^ゞ
毎年一般の方、800人余りがここで除夜の鐘を撞くことができます。
(1時間前くらいから整理券を配り、8人一組で1回撞きます)



「念仏堂」
俊乗堂、鐘楼そしてこの念仏堂は「鐘楼の丘」と呼ばれるエリアに建っています。


歩き疲れたので、この鐘楼の丘の茶店で一服・・・






外では国の天然記念物がのんびり?それともスタンバイ中?






ま、こんなものをいただきましたが・・・
後でお店のことをググったら、夏限定なのかな「鹿のふんころソフト」って
メニューもありました。シマッタ!



見落としたのかなぁ?

お店の前には「鹿せんべい」の販売スタンドが置かれていたので、ひとつ。
これ、奈良の鹿愛護会が製造販売しているもので、同会の登録商標となっており
売上金は同会の活動資金になっている。もし行かれたら、ぜひどうぞ。

★ただぁ~し!ご用心召されよ、餌をやるにも掟が・・・

だいたい6、7枚かな束ねて薄紙を十字に貼り束ねてある
(公式のものは紙に鹿愛護会の印刷がされてます)紙ごと食べさせても大丈夫。
お店の方いわく、せんべいをクリッとひねればすぐに紙が破れて外せる。
そして鹿が届かない高さに掲げて見せると、お辞儀をするので、
お辞儀をしたら1枚づつやってね。と・・・


うはーーっ!
そんな余裕ありましぇ~ん。今までゆたぁ~っとししていた鹿たち、
せんべいを買ったと見るやいなや、一斉に集まってきます。
ぐずぐずしていたら、頭突きしてくるは、前脚をかけてくるは・・・
揚げ句、服を噛まれたり・・・散々。(^_^ゞ


この鐘楼の丘からもう少し高台に上がって行きます。


ボーッと突っ立ってる子が、迷子かな? 実家は遠そうだな・・・








「手向山八幡宮」大仏造営の際、宇佐八幡宮から勧請してお祀りした
東大寺の鎮守八幡宮です。
小倉百人一首にも出てきますね。
「このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」
菅原道真が詠んだものです。(古今和歌集)


「菅公腰掛石」
菅公って菅原道真公のことですよ、
先生のことを先公って呼ぶのとは意味が違うと思うけど・・・



「校倉(あぜくら)」
校倉造りで有名なのは、東大寺の北東に隣接している正倉院ですかね。
ここにも2棟の校倉があります。南側が「手向山八幡神輿庫」で、
北側が「法華堂経庫」。


「御髪塔」
これは大仏殿の再建で使用された黒髪のロープを埋めた供養塔。



「神楽所」
相当古そうというか、朽ちかけてる感じ。大丈夫かな・・・
壁画は頼光の鬼退治の絵、だそうです。


のたのた歩き回っていると、お土産物屋さん見っけ♪



デフレの波がこんなところにも?
う~ん、面白そうだけど、買って帰るものは無かった。(^_^ゞ

いざ二月堂へ!だが、これはまた次回(最終回)に。

二月堂からの帰り道にちらっと見えた若草山(三笠山)。
ここも百人一首に出てきます。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
安倍仲麻呂(古今集)



2012.2/12、東大寺にて。

ぶらり東大寺。

2012-03-06 16:39:51 | 洛外うろうろ
東大寺には子供の頃、何度か来た記憶がある。学校の遠足や家族とも来たはずだ。
しかし当時の写真やビデオが残っている訳でもなく、甦る記憶は微かなものです。
大仏さん見たな、柱の穴をくぐった憶えが・・・程度かな。(^_^ゞ


さすがに東大寺、特別な日でも無いのに門前参道の賑わいは結構なものだった。






しかも、人だけじゃなく、シカも・・・



しかし、シカのお土産は昔とは随分変わってきている?
ところでまだ「奈良の大仏商法」って言葉は生きているのかな・・・






ここの鹿、天然記念物として保護されてはいるが、飼い馴らされたものじゃなく
あくまで野生。なのに感心するのは、目の前に販売中の鹿せんべいがあっても
決して手を(口を)出さない。観光客に首を上下に振ってまるで
お辞儀をするようにおねだりする。さすが日本鹿?




『華厳宗大本山 東大寺』興福寺や薬師寺、唐招提寺などとともに世界文化遺産であり
本尊は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
とにかく建物も仏像も国宝、重文のオンパレード!
聖武天皇の発願により創建され、そのはじまりは神亀5年(728)に建てられた
金鍾山寺(きんしょうさんじ)にまで遡ることができるという。
初代別当は良弁。行基、菩提僊那(インドから招かれた僧)らにより
大仏の鋳造が始まった頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったとか。



「南大門」
現在の門は、鎌倉時代の1203年に再建されたもの。



でかいです。門の高さは基壇上25.46m、日本最大の山門。



「金剛力士像」左側の阿形(あぎょう、口を開いた像)
これまたデカッ!教科書の表紙になっていたような・・・
この阿形像は運慶・快慶らの作。8.36m木像。


「金剛力士像」右側にある吽形(うんぎょう、口を閉じた像)
一般的な仁王像の配置とは逆になってます。しかも向かい合って立っているのは
ここだけだとか。こちらの吽形像は定覚・湛慶らの作とわかった。8.38m木像。
実は僕らは「阿形像は快慶、吽形像は運慶」と覚えたのだが、1988年から
5年間にわたり解体修理を実施した際、像内から多数の納入品や墨書が
発見され、従前の通説が覆されることに。
いずれにしろこの迫力には圧倒されます。



屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及ぶといいます。
大仏さんといい、我が国最大級がひしめいている寺ですね。



「鏡池」水面に映る大仏殿が・・・あ、そんな撮影ポイントに気がつかなかったw



「中門」
ここも焼失、再建を繰り返し、現存のものは享保元年(1716年)ごろの再建。






元来、大仏殿に入るのはこの門を通ってなのでしょうが、今は柵で塞がれています。
左右にある回廊の向って右側に入館料を払って入り、左側に出口があります。
確か、元日の午前0時より朝八時までこの門を開扉。大仏殿を一般開放、
無料で参拝できるとか(元日のみ)

南大門は金剛力士像(仁王像)がある仁王門ですが、こちらは左右に
二天像が安置されている二天門です。


「持国天」像。向って左側ですが
ここも二つの像は向かい合っています。


「兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)」像、右側。
足元にチラッと見える頭は「地天(ぢてん)」で、この両手に乗っています。
・・・ちゃんと写真撮れって?これでも寝転がるようにして柵の間から撮りました。
やっぱ、バリアングル液晶モニターが必要。



「金堂(大仏殿)」
当初の大仏及び大仏殿は、8世紀に造られたものですが、中門と同じく
2度の兵火で焼け落ち、鎌倉と江戸時代に再建された。
現存する大仏殿は江戸時代の再建だが、柱とする材が調達できず、
芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。
そのため、創建時には11間(86m)あったが7間(57m)となった。
現在でも世界最大級の木造建築であるが、往時の壮大さがうかがえる。

大仏も台座と袖、脚などの一部に当初部分を残すのみで、
体部の大部分は中世の作、頭部は江戸時代の作だそうです。





実はここまで来て、大仏殿には参らず。中門の柵越しに写真を撮りました。
どうせ入っても撮影禁止だろうと思っていたら、撮影可でした。(^_^ゞ
(但し、三脚は禁止)




大仏殿の前の八角灯籠も見えてます。その先に大仏さんのお顔も・・・
う~ん、見えへん(悲)


そうそう大仏殿の東側の空き地に変なものが・・・

これ高さ23.3mもあるそうです。
大仏殿が出来た当初はその東西(左右)に97mの七重の塔が建っていたそうで
これはその屋根の上に付ける相輪(復元模造)
これひとつとってもクレーンも無い時代、大変な建築をしたものですね。




2012.2/12、東大寺にて。