カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

椿の城南宮

2014-03-17 23:20:25 | 花だより
城南宮は、794年の平安京遷都に際し、都の南方に鎮まり国を守護する役割で
造営されたものと言われています。



方除(ほうよけ)の大社として信仰され、普請・転宅・旅行・交通安全など、
方除の神威あらたかとされ、ここで交通安全祈祷を受け、ステッカーを貼った
クルマを多く見かけます。なお、夏には「愛車の茅の輪くぐり」ができます。
家を新築する際には、こちらでお祓いを受けた清めの砂を撒くのが習わしです。
我が家も家を建て直す際、やりましたよ。



城南宮の神紋は「三光の紋」。神功皇后の旗印であり日、月、星が表されている。
昼夜の隔てなく、あまねく及ぶ城南宮の神徳を表すものとされています。



本殿に向かって正面にある赤い鳥居は城南宮鳥居と呼ばれ、
特有の形式だそうです。反り上った笠木の上に屋根が乗り、貫は柱で止まり、
額束はなく島木の正面中央に神紋の金具が打たれています。


「しだれ梅と椿まつり」3月21日までということでしたが、
3月24日(月)まで期間を延長すると発表されました。
期間中は毎日午前10時より「梅が枝 巫女神楽」を斎行します。
(21・22日・23日は午後3時も斎行)とのこと。
花守り(初穂料千円)をお受けの方、お一人ずつ巫女さんが神楽鈴で
お祓いしてくれます。



たまたま、頭の飾りが気になって追いかけた巫女さん、子供さんを相手に
あやす姿がほほ笑ましかった。
この巫女さん、今、HPのトップページを飾っている方だと思います。(^_^ゞ


神苑「楽水苑」は、春の山、平安の庭、室町の庭、桃山の庭、離宮の庭の
5つの庭からなり「源氏物語 花の庭」と称されています。


「室町の庭」の池。河童はおりません、沼じゃないから?(^_^ゞ


「源氏物語」に登場した植物100種が植えられる日本唯一の庭といわれており、
案内板にも源氏物語の一節が添えられています。


「城南離宮(鳥羽離宮)」平安時代後期に白河・鳥羽・後白河上皇が
造営された離宮で、東西1.5キロ、南北1キロの広大な敷地だったそうです。


「平安の庭」では年2回、王朝時代を偲ばせる雅やかな曲水の宴が催されます。


余談ですが、城南宮がある伏見区鳥羽と言えば、幕末、戊辰戦争の発端となる
鳥羽伏見の戦いの舞台となりました。この城南宮には薩摩藩の陣が置かれ、
ここから戦いの火蓋が切られたと言われています。
新政府軍5,000、対する旧幕府軍15,000と兵数は圧倒していたものの火器違い、
さらにこの戦いの最中、薩摩藩士 岩倉具視などの策略で「錦の御旗」を掲げる。
倒幕軍であった薩長土佐は、一躍「官軍」となり、幕府軍はその旗の前に
総崩れ、敗北します。以後、戊辰戦争の舞台は江戸市街での上野戦争や、
北越戦争、会津戦争、箱館戦争として続きます。

ここでまた登場、会津藩の山本覚馬は・・・この4年前、禁門の変において
砲兵隊を率いて勲功を挙げますが、失明同然に陥ります。
鳥羽伏見の戦いでは弟の三郎が戦死、自身は薩摩藩に捕われて収容されますが、
その人物の優秀さを買われ、明治2年には岩倉具視により釈放されます。
自由の身になった覚馬は京都の近代化に大きく寄与するのですが、波乱万丈の
人生ですね。もうひとつ面白いエピソードが、禁門の変では長州軍の火器に
苦しめられ、その時は新型銃を備えた薩摩藩に助けられます。
砲兵隊を率いていた覚馬は新型銃の威力を目の当たりにし、ゲベール銃の
調達に成功するものの鳥羽伏見の戦いに納入が間に合わず、薩摩の火器の
前に破れてしまいますが、
覚馬が調達した銃は後に新政府が押収していましたが、それが西南戦争で
活用され薩摩の銃を圧倒することになります。
歴史って一歩違えば結果は大きく異なったものになってしまいますね。


さてさて、椿です。


「有楽(うらく)/太郎冠者(たろうかじゃ)」




椿の語源は「艶葉木」という説も。


「紅侘助」




「孔雀椿」↑↓
















「蝦夷錦」








椿を愛でるは、咲いている時だけにあらず 落ち椿もまた風流なり。







2014.3/9、城南宮 神苑にて。