京都市美術館で4月初めから開催されていた「ゴッホ展」、雨が降っていましたが
土曜日に行ってきました、久々の美術鑑賞です。
「ゴッホ展―空白のパリを追う―」と題された展覧会、人気だとは分っていましたが
ここまで人気だとは・・・
チケットを求める人の行列は館外まで長々と。私らは招待券をゲットしていたので
入るのはすんなりでしたが、館内の混雑ぶりの凄いこと・・・久しぶりです
ここまで混む美術展は。
オランダ近代絵画の巨匠“炎の画家”フインセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
その生涯は小説・映画にも描かれ広く知られていますが、それらのエピソード、
ストーリーのほとんどはゴッホが弟テオに宛てた600通に及ぶ手紙からのもの。
今回の「ゴッホ展」は、それらの書簡が無い期間、空白のパリ時代(ゴッホ33歳、
パリに居た弟のテオを頼り同居していたため書簡が無い)を、アムステルダムにある
ゴッホ美術館の研究チームが、ゴッホの実像を追い求め検証した成果をパリ時代の
作品と共にパネル展示されていて、大変興味深いものになっています。
ゴッホが描いた「自画像」9点が展示されていますが、最近の研究でその内1点は
フィンセント自身では無く、弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(通称:テオ)を
描いたものだと分ったそうです。
ゴッホを語るにこのテオの存在は大きいです。そしてドラマチック。
フィンセントは長男で5人の妹、弟が居たようですが、両親や兄弟から見放された中、
テオだけは良き理解者であり、兄の生活費など援助し続けた4歳下の弟でした。
彼は兄も勤めたことのある(後に解雇される)画商グーピル商会に勤め、パリの
モンマルトル大通り店の経営を任されていました。
彼の援助のお蔭でフィンセントは絵画に専念することが可能だったわけで・・・
その10年間の画家生活の中で2000点以上もの作品を残しましたが、
生前に売れた絵は、わずか1枚だけだったと言われています。
生来、精神的に不安定であったゴッホは何度も精神病院に入院していますが
アルルでゴーギャンと共同生活の果て、自らの耳を切り落としたと言うエピソードも
有名(この後、描いた包帯の自画像は今回見られなかった)ですよね。
この時も病院に収容されますが、入院中も多くの作品を残します。そして・・・
退院した後、自らの命を絶つことになります。ゴッホ、享年37歳。
ちなみに弟・テオは兄の死を悼み葬儀を営んだ後、それをきっかけに徐々に衰弱し、
わずか半年後、兄の後を追うようにユトレヒトの精神病院で後を追うように
死去しています。享年34歳。
話しが長くなってしまったかな。ゴッホ、私とちょうど100歳違い。イミナイケド(^_^ゞ
今回のゴッホ展で展示された作品は52点、その内36作品が日本初公開。
そしてジョン・ピーター・ラッセルが描いたゴッホの肖像以外は、全てゴッホの
作品のみという貴重な絵画展になっています。
特に面白いのが検証の結果分った解説が見られることかな、例えば
《ヒバリの飛び立つ麦畑》という作品に描かれている鳥はヤマウズラであったこと。
剥製の鳥も作品の横に置かれて解説してあったり、興味深いのは起立工商会社と
墨書きされた茶箱のプレートの裏に描かれた作品も日本初公開じゃないかな?
※起立工商会社(きりつこうしょうかいしゃ)は明治時代初頭、日本の美術品、
物産品を世界へ輸出した日本の貿易会社の礎とされている会社であり、ゴッホは
この会社と接触を持ち、日本の浮世絵などに影響を受けたものと推測されますね。
あ、この「ゴッホ展」京都では、今週末で終ってしまいます。
この後、宮城(5/26~7/16)、広島(7/22~9/23)と回るようです。
さて、表に出ると「平安楽市」毎月第2土曜に定期開催の岡崎公園手づくり市。
こちらは雨のせいで、ちょっと寂しい状態でした。
2013.5/13、京都・岡崎公園にて。
土曜日に行ってきました、久々の美術鑑賞です。
「ゴッホ展―空白のパリを追う―」と題された展覧会、人気だとは分っていましたが
ここまで人気だとは・・・
チケットを求める人の行列は館外まで長々と。私らは招待券をゲットしていたので
入るのはすんなりでしたが、館内の混雑ぶりの凄いこと・・・久しぶりです
ここまで混む美術展は。
オランダ近代絵画の巨匠“炎の画家”フインセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
その生涯は小説・映画にも描かれ広く知られていますが、それらのエピソード、
ストーリーのほとんどはゴッホが弟テオに宛てた600通に及ぶ手紙からのもの。
今回の「ゴッホ展」は、それらの書簡が無い期間、空白のパリ時代(ゴッホ33歳、
パリに居た弟のテオを頼り同居していたため書簡が無い)を、アムステルダムにある
ゴッホ美術館の研究チームが、ゴッホの実像を追い求め検証した成果をパリ時代の
作品と共にパネル展示されていて、大変興味深いものになっています。
ゴッホが描いた「自画像」9点が展示されていますが、最近の研究でその内1点は
フィンセント自身では無く、弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(通称:テオ)を
描いたものだと分ったそうです。
ゴッホを語るにこのテオの存在は大きいです。そしてドラマチック。
フィンセントは長男で5人の妹、弟が居たようですが、両親や兄弟から見放された中、
テオだけは良き理解者であり、兄の生活費など援助し続けた4歳下の弟でした。
彼は兄も勤めたことのある(後に解雇される)画商グーピル商会に勤め、パリの
モンマルトル大通り店の経営を任されていました。
彼の援助のお蔭でフィンセントは絵画に専念することが可能だったわけで・・・
その10年間の画家生活の中で2000点以上もの作品を残しましたが、
生前に売れた絵は、わずか1枚だけだったと言われています。
生来、精神的に不安定であったゴッホは何度も精神病院に入院していますが
アルルでゴーギャンと共同生活の果て、自らの耳を切り落としたと言うエピソードも
有名(この後、描いた包帯の自画像は今回見られなかった)ですよね。
この時も病院に収容されますが、入院中も多くの作品を残します。そして・・・
退院した後、自らの命を絶つことになります。ゴッホ、享年37歳。
ちなみに弟・テオは兄の死を悼み葬儀を営んだ後、それをきっかけに徐々に衰弱し、
わずか半年後、兄の後を追うようにユトレヒトの精神病院で後を追うように
死去しています。享年34歳。
話しが長くなってしまったかな。ゴッホ、私とちょうど100歳違い。イミナイケド(^_^ゞ
今回のゴッホ展で展示された作品は52点、その内36作品が日本初公開。
そしてジョン・ピーター・ラッセルが描いたゴッホの肖像以外は、全てゴッホの
作品のみという貴重な絵画展になっています。
特に面白いのが検証の結果分った解説が見られることかな、例えば
《ヒバリの飛び立つ麦畑》という作品に描かれている鳥はヤマウズラであったこと。
剥製の鳥も作品の横に置かれて解説してあったり、興味深いのは起立工商会社と
墨書きされた茶箱のプレートの裏に描かれた作品も日本初公開じゃないかな?
※起立工商会社(きりつこうしょうかいしゃ)は明治時代初頭、日本の美術品、
物産品を世界へ輸出した日本の貿易会社の礎とされている会社であり、ゴッホは
この会社と接触を持ち、日本の浮世絵などに影響を受けたものと推測されますね。
あ、この「ゴッホ展」京都では、今週末で終ってしまいます。
この後、宮城(5/26~7/16)、広島(7/22~9/23)と回るようです。
さて、表に出ると「平安楽市」毎月第2土曜に定期開催の岡崎公園手づくり市。
こちらは雨のせいで、ちょっと寂しい状態でした。
2013.5/13、京都・岡崎公園にて。
苦労なされたのですね。
近くに北九州美術館があるので
ちょくちょく絵画は見に行くのですが。。。
人気のイベントの場合、美術館の閲覧の仕方もそろそろ考えてくれれば良いと思うんですが……
予約制にするとか、時間を延長するとか。
難しいのかな?
あまりに衝撃的な生涯だった方だし、
しばしば禅問答的に
「凡庸な人生を選ぶか、生涯不遇だが、死後名声を得る人生を選ぶか」
という問いかけの好例になる方でもあって、
多分美術史上、上から数えたほうが早い有名人ですねーヽ(´ー`)ノ。
でも私個人は、実はあんましゴッホさんの作品には興味がわいてなかったりw;
正直なところ、特徴が淡泊な印象なんです(´・ω・`)
確かに原彩色を用いた激しいタッチは特徴的なんですが。
何というか、それ自体に深みを感じないんです。私。
例えばダ・ビンチの様に、極限まで科学的に写実的に、と倫理を超越しても挑む、とまでの根底は感じないですし、
おなじくピカソの様に、写実性を失っても心象風景を忠実に写実しようとする姿勢も感じない。
この人の作風が、後の美術においてどれほどの意義をもたらしてるんだろうか・・・
というのが、わかんないんす(´・ω・`)。
ファンの人には申し訳ないっすw;。
ま、凡夫の戯言ということでヽ(〃w〃)ノ
精神的にも非常にナイーブな画家だったようです。
生涯でたった1枚の絵しか売れなかった・・・どんな気持ちで続けていたのでしょうね。
絵画を鑑賞するとき、その作者の生き様まで考察すると
より深く感動できるものです。
入場制限というのも困るし。やはり予約制、平日に振り分ける必要はあるかもですね。
ゴッホも生前は評価されず苦悩のうちに生涯を閉じますが
後に天才画家と呼ばれる。果たして天才だったのでしょうか?
ゴーギャンとはドラクロワやレンブラントについて議論を交わし、自らの画風を完成させるため意欲的に過去の絵画や浮世絵、錦絵までも模写しています。なみなみならぬ努力の人だったことが今回確認できましたよ。
絵画にしろ音楽にしろ、好きか嫌いかは個人の自由ですし、受け入れ難いものを無理に感じる必要は無いと思ってます。
さすがゴッホ。
有名な画家で、生前から大家という評価が得られた方ってほとんど知りません。
やはりその先進的な芸術性は、その時代では評価されないものなのかな?
でもバブルの頃に流行った、キワモノ的な前衛芸術だけはいまだに理解出来ません(笑)
絵のソフトでPainterというのがありましたよね。
ゴッホ風とか印象派風とかのフィルタがありました。
それを思い出しました。
日本人は、ブランドに弱いですね。特にオバサンたちは。
頑固に個性を追い求めたことには敬意を表します。(^_^ゞ
前衛芸術は私も理解できません。理解しようとするのが間違いなのかもね。
似たような絵を描いても結局ゴッホ風だと言われてしまう。そこが凄いと思います。
写真でも分るように結構若い方が多かったですよ。
それに近畿一円から来られるので、混雑は仕方ないかもね。