テーブルの下ではぼくの足を枕に寝込んでしまうことも
☆心が同調していたシェラとむぎ
いまもなお、ぼくにとっての最高の犬はやっぱりシェラである。17年間、苦楽をともにし、シェラの気持ちが手に取るようにわかり、シェラもまたぼくの気持がわかるまでになっていた。アイコンタクトなど必要ないほど互いに理解できていた。家人のほうがシェラとの心のシンクロは濃密だったが、ぼくもかなりのものだったはずだ。
むぎとは12年をともにしてきたが、わが家にやってきて間もなく、むぎ自身の気持ちの大半がシェラに注がれ、ずっとシェラに依存して生きてきた子だけに、ぼくたちとの関係はシェラにはおよばない。心のシンクロはむぎともあったものの、むぎはまぎれもなくシェラの子であり、ぼくたちにとってはシェラの一部でもあった。
晩年の半年ほどのむぎは、家人に心を預け、家人の近くにいるようになっていた。
「むぎ、やっとパパやママのところに還ってきてくれたんだな」
遅ればせながらの“シェラ離れ”をしたむぎをぼくは何度かからかったものだ。だが、あの変化は、老いて弱りゆくシェラを頼れなくなったむぎの焦燥のあらわれだった。唯一寄る辺とするシェラの衰えを目の当たりにして、むぎがどれほど心細かったかをもっとわかってやるべきだったといまにしてぼくは悔やんでいる。あまりにもぼくは鈍感すぎた。
散歩の暑さにバテて家のドアの前でへたり込む
☆遊ぶのが楽しくてしかたない年頃か?
ルイには、いまふたつの顔がある。ぼくに見せる顔と、ぼくがいないときの顔である。
ぼくの前でのルイは、やんちゃで暴れん坊で聞き分けがないわんぱく坊主である。ぼくに怒られると唸って抵抗し、結局、さらに怒られて退散するが、決してわんぱくをやめようとしない。
昨日も外出先で食事に入った店のテラス席で、あまりにいうことをきかずに騒ぐので三度もぼくに鼻の付け根を噛まれている。噛まれた当初はおとなしくなるのだが、すぐにまた騒ぎ出す。ぼくたちの食べているものをほしがり、それを無視された腹いせのように隣の席のわんこに近づきたいと暴れるのだ。
休みの日の外出がうれしくてしょうがなく、その興奮の延長で手がつけられなくなったのだろう。まだ食事の終わっていない家人を残し、ひと足先に隣接する公園へ連れていくと聞き分けのいいルイに豹変して元気いっぱいに走り回る。
家でのぼくの知らないルイは、とりわけ最近、おとなしい子に変わったと家人がいう。自分のオモチャやガムなどを相手にひとりでころころ遊んでいるそうだ。夜、ぼくが帰る時間が近づくと、リビングからのドアが開いていれば脱け出して玄関のドアの前で寝そべってぼくを待っているのだという。たしかにこのところ、帰宅してドアを開けると目の前にルイがいる頻度が増えた。
最近はなぜかテラス席が落ち着かなくなった(5/26=山中湖で)
☆すでにそれははじまっている
ぼくの帰宅を境にルイはたちまちわんぱく小僧に変身する。ぼくが食事をしている間もときおりオモチャを持ってきて、「遊ぼうよ」と跳びついてくる。「ダメ!」といえば引き下がるが、食事が終わったらもう休んでいるヒマはない。それまでは、ぼくの足を枕にして寝ていたりしていたというのに、じっとぼくを見上げて「遊ぼ! 遊ぼ!」と目を輝かせて訴えてくる。無視しているとぼくの気を引くためにこれ見よがしのいたずらがはじまる。
「こら!」などと怒ったら、ルイの思うつぼ。これがきっかけでぼくはルイの遊びタイムに引き込まれる。リビングでのダッシュがはじまるのである。
ひとしきり遊んでやったあと、ぼくが疲れてそのまま床に寝ころび爆睡してしまうと、ルイもその近くで寝そべり、寝てしまうという。ときにはぼくに寄り添って寝ている。
ぼくさえいなければ悪さはしない。ぼくが寝てしまっても同じである。そういう意味で、かつてむぎが「シェラの子」だったように、いま、ルイは「父ちゃんの子」である。
毎朝、ぼくが出かける仕度をする様子をじっと眺め、家人が油断をするとさっさと玄関へ先回りして「父ちゃんといくんだ!」とばかり、飽きもせず、懲りもせずにアピールする。家人につかまり、ぼくを見送るルイの世にも哀れな表情がたまらない。「バイ、バイ。夜、遊ぼうな」というぼくだって辛いのだ。
そんなルイだから、いつの日かシェラに追いつき、「ルイ、おまえもシェラ同様に最高のわんこだぜ」といってやれるだろう。いまは、一日に何度か抱きしめて、「おお、かわいい、かわいい。ルイはかわいい。シェラとむぎの次にかわいいけど、シェラもむぎも死んじゃったから、いまはおまえが一番だな」と頬ずりしている。このときばかりはルイも決して抵抗しないでぼくのなすがままだ。すでにルイとも心のシンクロがはじまっている。
まだまだ見送ったあの子が一番大好きです。
でもそんな中、きっとこの子はあの子から使命を受けて我が家にやって来たのだと思えてならないのです。こんなに小さな身体で人知れず誰よりも背負っているものが大きいのだと思うと、その健気さが愛おしく思えたりもします。
あの子が逝ってしまうより前に生まれていたこの子を、あの子は私たちを託せるワンコと選び、そして安心して逝く事が出来たのだと思えてなりません。
とても似ています…☆
姿かたちも…☆性格も…☆仕草も…☆
不思議です…☆
Hiroさん、ルイちゃんもきっとシェラちゃんむぎちゃんと同じくらい歳月をともにしたらきっと同じくらいの存在になるのでしょうね。その日が来るまで、ワンコも私たちも元気に健康でいましょうね~♪
ルイちゃんとの幸せな毎日をシェラちゃんむぎちゃんは見護っていてくれていますね…☆
見だしたんですね。
hiroさん以外の方の事もわかるようになって来たのでしょうね。
うちのアンディも初めは自分の気持ちしかない仔でした。まだまだその傾向が強いですが、人間を観察する
ようになってきました。
ハイテンションが若干マシになって、甘える事も多くなり、やっと普通に撫でてあげられるようになりました。
(前は自分の遊びモード一色でした)
犬の心も日々成長しますね。遅ればせながら
信頼関係が結べつつあることを実感しています。
なかなかレスできずにごめんなさい。
お送りいただいてすぐに拝誦し、ずっと頂戴したコメントを噛みしめてきました。
カーネーションさんとあまりにも想いが重なり、それまではただの手前勝手に過ぎないかもしれないと、ときとして揺れ動くこともあった気持ちが、おかげさまでいまや確信に変わってくれました。
そうですよね、この子は間違いなくあの子たちの遺志を受け継いでいるのですよね。
でないと説明のつかないことがいくつもあります。
家人が、「ルイちゃん、それはシェラちゃんからいわれたの?」と口にしたり、「おい、そんなことしてるとシェラに怒られるぞ」とたしなめているのもルイにシェラたちを強烈に感じているからです。
ルイはルイでありながら、シェラとむぎの両方を持っています。
ぼくもまた、カーネーションさんがおっしゃるように、ルイが背負っているものの大きさ、それゆえの健気さがなおさら愛おしく思えてなりません。
だからいま、シェラがあとを託すことのできたルイを迎えてやってよかったとつくづく思っています。
ただ、むぎのほうは、同じコーギーでありながら自分とは似ても似つかないルイのワンパクぶりにビックリして、ちっちゃな目を丸くしていると思います。
人間の暮らしに興味を持ちはじめた――いや~、鋭いご指摘です。
目からウロコでした。
たしかにそうなのでしょうね。
それも心の成長のあらわれとは、とっても納得できます。
「あれ? どうしたんだ。妙におとなしいじゃなかいか」
昨夜、ぼくが帰宅した直後、そして、今朝も散歩から戻ったあとにぼくは同じセリフを吐いていました。
でも、いったん、スイッチが入るとたちまちテンションが舞い上がって遊びモードに……。
ときには、呆れるほどむちゃくちゃにダッシュしてますが、やっぱり日々、心も成長しているということなのでしょうね。
いまはわんぱくぶりに手を焼くこともしばしばですが、これがなくなったらなんとも寂しと思います。
でも、信頼という絆が強固になるわけですね。
すでに、その兆しが出はじめています。