とーちゃん、おいらを置いていかないでくれ!
☆同じ騒ぎを繰り返すわが家の朝
毎朝、ぼくが会社へ出かけるためにリビングから玄関へ向かうとき、わが家では決まってひと波乱ある。それまで、ぼくの動きから目を離さなかったルイが、ぼくがカバンを手にしたとたん反応する。玄関へ続く廊下へ一目散で向かい、ぼくを見上げながら先に立っていそいそと走るのである。
「ルイちゃん、ダメよ。お父さんは会社なの。カイシャ! ルイちゃんはいかれないの!」
背後から家人の声が追いかけてくる。毎朝、同じセリフで……。
しかし、ルイはすでに玄関の扉の前に陣取り、ぼくが扉を開けたら一緒に飛び出そうと身構えている。
「ルイ、一緒に会社へいこうか?」
ぼくは、家人が出しておいてくれた靴を履きながらルイに語りかける。これもまた毎朝同じセリフである。それを聞いて見上げるルイが大きくうなずく……はずはないのだが、こうして毎朝、玄関までルイがぼくを追いかけてくるのを楽しんでいる。
とはいえ、ぐずぐずしているわけにはいかず、ルイを家人のほうに追いやり、家人に捕まったルイを、「さあ、ルイ、一緒にいこうか」などと挑発し、家人の、「もう早くいってよ!」という悲痛な叫びに促されて外へ出る。閉めたばかりのドアをすぐに開けて、「ルイ、じゃあな」とからかうぼくをルイの必死な顔が見つめ、「もういい加減にして!」と家人の怒号がとぶ。
こういうときのルイは決して吠えない。家人の手を振りほどこうとして少しばかり抵抗する程度だ。もう、ぼくと一緒にいかれないのはわかっているだろう。
かくして、ぼくは駅へと向かう。歩きながらいつも思う。いったい、いつまでこんなにぎやかな騒ぎをルイが演じてくれるのだろうか……と。そう長い先までは望めまい。だからこそ、現在(いま)を大切にして日々の朝を迎えたいと思う。
放せ! オレはトーちゃんと一緒にいくんだ!
☆わんこ連れで出勤したいもんだ
シェラもむぎも、朝、ぼくが出かけるときは、いくら声をかけても知らん顔だった。ルイくらいの年齢のときのシェラがどうだったかは記憶にない。むぎはいつもシェラのそばにいたから幼犬のころもぼくを追ってはくれなかったはずだ。
ただ、いまにして思うと、むぎは死ぬ直前に何回か、出かけるぼくを玄関まできて見送ってくれた。むろん、ルイのように「一緒にいくよ」などという意思は見せなかったが、家人のうしろで静かにぼくを見上げていた。
「むぎ、おまえは可愛いなぁ」
ぼくは満足し、そういってむぎに手を振り、ドアを開けて出かけたのを克明に憶えている。
ルイとの朝の情景をfacebookで紹介したとき、それを読んだ会社の犬好きの若いスタッフが、「会社へ連れてくればいいじゃないですか」などと、できもしないことコメントで書き込んでくれた。そりゃ、オフィスへ同行できればしているさと思うが、日本ではあまり聞いたことがない。
かつて、日本のとある情報産業企業へ転職した知り合いの女性が、「頭にきちゃう。わたしの仕事って社長室のブルドッグの世話なんですよ」とボヤいていたが、これはオーナー社長だからであって、社員に犬連れの出勤を許している会社が果たして日本にあるのかどうか……。
テメー、こうなったら噛みついてやる!
☆日本では望むべくない穏やかな共生関係
アメリカなどでは、たしかに、犬連れでオフィスへ出勤できる会社もあると聞く。クルマでの出勤が当たり前の国なら犬連れもあり得るだろうし、当然、犬の側にも相応のしつけがされているのだろう。
欧米の犬はしつけが行き届いているという人がいるが、さて、そのあたりはどうなのだろうか? 全部が全部しつけがなされているとは思わない。ベルリン、パリ、アムステルダムで、ぼくはしつけのできていない飼主を見てきた。排泄物を平気で置き去りにして立ち去る飼主である。あんな連中が飼っている犬のしつけが行き届いているとはとうてい思えない。むろん、これは犬の責任ではなく、飼主の人間性の問題なのだが……。
20年来のつきあいになる、ぼくが懇意にしているタイの出版社の編集長は会社へ奥さんとトイプードルを連れていく。奥さんも同じ会社の別の雑誌の編集長だから「(奥さんを)連れていく」という言い方は当たらない。
わんこのほうは、自宅は週末だけで、あとはずっと会社にいる。なぜなら、夫婦そろってウィークデイの大半は会社で寝泊まりしながら仕事をしているからである。しかも、ほかの社員たちが交代でわんこの散歩をはじめエサやりなどの世話もしてくれるそうだ。
こうなると会社ぐるみ家族のようでなんともほほえましい。しかも、犬を核としているとは、なんていい関係だろうと思う。この会社の人々同士には、たしかに家族のような親しさを感じることができる。
しかし、これは微笑みの国タイだからこそ成立するおだやかな人間関係であって、世知辛い方向へと突き進む日本では、現在はもちろん、未来においてもあり得ない美しい風景に思えてしまう。
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