ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ぶらチャリ16 テリトリーチェック

2015年05月25日 22時03分57秒 | 生活

よく山に行ってるので
日付順に書いてると
日常の動きを書けなくなり
山の話ばかり続いてしまいそうなので
ここらで、日付をちょっと前後させながら
出来るだけ山話の合間に
山以外の話を挿入したりしようと思っている。

今回のテーマは
「テリトリー」だ。

ほっつきdoironのテリトリー内を
ぶらチャリ等でチェックしてみた。

まずは、「テリトリー」という言葉を
虫眼鏡片手に広辞苑で調べてみると、

載っていない

カタカナ語だからかと思い、
じゃあ「縄張り」で調べてみるかと思い
ページを繰ってみると、
あった、あった。
こんな意味が書かれてあった。

1.「縄を張って境界を定めること」

う~ん、これは違うな。

2.「博徒の親分の勢力範囲」。

ええ~、広辞苑のコンプライアンスは
どうなってんねんって感じだ。

3.「動物の個体や集団が
競争者を侵入させぬよう占有する一定の地域」

うん、うん。
これは近いな。
でもdoironの場合
競争する者はいないし、
いくらでも侵入してもらってもいいしなあ。

どちらかといえばdoiron自体が
侵入者っぽいぞ。

どうも日本語とカタカナ語との間に
微妙な違いがあるようだ。

なので、ここでいう「テリトリー」とは、
単純に「行動範囲」ということにしておこう。

以前だったら、ランでは泉州地方、
バイクでは大阪府内とその周辺地域くらいが
「テリトリー」であったが、
今となってはほっつきのテリトリーは、
自分が住んでいる市と
そこに隣接する市町村くらいかな。

あ、飲み屋のテリトリーは
エイ周辺と泉大津駅並びに
和泉府中駅周辺ということになるかな。

酔っても歩いて帰れる範囲ね。



そんなほっつきテリトリー内で
前から見られていたハテナについて
探ってみたのでいくつか紹介しよう。

ひとつ目は、臨海道路の
汐見町交差点の北側にある中央分離帯。

ここには、そこそこ幅のある分離帯があって、
その周りに赤い鳥居が建てられてある。

これ。



ここに道路が通るときに、
何か祠でもあって撤去した際に、
鳥居だけを残したんだろうか。

市内の三角点を訪ね回った時に、
ついでに調査をしてみた。

汐見町の交差点から
中央分離帯に侵入していく。



周りの車からは、「こいつ何してんねん」と
きっと変な目で見られてるんやろなあ
とか思いながらもめげずに調査した。

結果は、祠もその痕跡もなく、
ただ雑草と引っ付き虫の草が生えているだけだった。

これだと鳥居の意味が何もわからない。

そこで管轄は違うが、
懇意にしている市の道路担当者に
聞き込みをしてみた。

管轄外の道路のことはわからなくても、
かつてそこに何か遺跡でもあった
というのなら知っているだろう。

「昔々の出来事じゃ。
そこには、どんベエとコン子という
キツネの夫婦が住んでいて・・・」

という回答を期待していたのだが
どうやらそうではなく、
よく飲み屋の路地裏の塀に
立小便防止のために
赤い鳥居を描くように、
ここに車からのごみのポイ捨て防止のために
鳥居を建ててあるのだろうとのことであった。

そうか、無宗教ともいえる日本人の
神社仏閣へのほのかな崇拝を利用した
行為といえるものだったのだ。

なるほどねえ。
確かにこの分離帯には
ごみが少ない。




これでテリトリー内の「ハテナ」は
ひとつ「!」に変わった。

そこから、大津川を上流に向かって
ほっついたところに、
もう一つの「ハテナ」があった。

昨年ほっつき百選の一つに認定した、
「ベニバナツメクサ」が咲き乱れる



河川敷の中にぽつんと立ってた小さな石だ。

それがこれ。



板原橋から下流約200mの地点である。



道路側から見ても文字も何も見えないので、
下におりて行ってみると・・・、

川の方に向いてこんな文字が刻まれてあった。

「大津井堰跡」。



井堰とは、辞書によると
「水をよそに引いたり,水量を調節するために,
川水をせき止めた所。」なんだそうだ。

doironが住むあたりの
農業用水は光明池から流れてくるのだが、
このあたりは大津川から
かつて取水していて、
その井堰の名残が
この石のあったところなんだそうだ。

江戸時代の絵図にも
この堰が「田財井(たからい)」
という名で描かれており、



つい20数年前までは
使用されていたと、
泉大津市の昔の広報紙に書かれてあった。

フムフムと終わり。