石津川のあたりは、
紀州街道歩きでも
通ったことがあります。
コースの一本東側の道なんですが、
石津太神社や太陽橋のある
歴史ある地域でしたねえ。
こどものころ、南海電車に乗ったら
この辺りにたくさんの風車が
あったのを思い出します。
何となくなじみのある地域です。
石津川を下りしばらく歩いて
いったところが8キロ地点です。
書き込みはとても
キレイに残っていますが、
もうガードレールは
老朽化していますねえ。
この辺の道路沿いなんかは
地元企業なんかの協力で
整備されているようですが、
なかなか老朽化対策も
進めていかなくては
ならないから大変ですねえ。
この辺りからまたぼちぼち
スタート地点である浜寺公園が
右に見えてきます。
まずは堺市内をくるりんと
回ってきたことになるのですね。
スタート時に公園にいた人たちも
出てきて、応援がとても
賑やかなところです。
走っていたらこの辺でも
いろんな人に声をかけられますね。
この辺りは左側に阪堺電気軌道の
電車が走っています。
なんか高台を走る田舎電車が
とてものんきそうで雰囲気ありますね。
でも最近はこんな立派な
電車も走っています。
どこまで乗っても料金は
210円と遠くまで行くと
割安なんですが、
この前これに乗って天王寺から
帰ってきたら結構時間が
かかったような気がします。
その最南端の駅の近くに、
泉州マラソンの9キロ地点がありますね。
これです。
でもねえちょっと待ってくださいよ。
その少し手前にこんな印がありました。
これは先ほど4キロの地点にあった
選手収容地点のマークと
同じですよねえ。
でもねえ、資料を見ても
ここには収容地点はありません。
じゃ一体ここはなになのか。
次回の泉州マラソンの時に
確認してみないといけませんね。
では泉州マラソンも
浜寺公園を離れ、
南部のりんくう公園に向けて
一直線の南下が始まっていきます。
しばらく走っていきますと
この辺りが羽衣の駅前で、
doironの次の応援地点です。
ここで、みんなを待つのですが
頭の中では9キロ過ぎの
登場時間を確認していきます。
だれだれがトップやろ、
そして次はだれだれ、
ん?ウワー今年はあいつの
調子がよさそうだあ
とかいろいろとこの先の
レースの状態を予測しながら
応援を続けていきます。
ほぼ知り合いが通ったところで、
レース時は電車へと向かうのですが、
今日はこのまま続けて
あるいていきます。
ここが10キロ地点です。
道路工事があったようですが、
きちんと書き込まれていますねえ。
高石署の前くらいです。
この先の芦田川水門くらいで、
このマラソン初の
エイドステーションが置かれます。
10.1キロ地点ですから
このあたりですねえ。
ここには水とスポーツドリンクが
置かれるようです。
でもねえこの泉州マラソンは
いろいろと配慮がされているようですが、
エイドの物資が貧弱ですねえ。
もうちょっと食べ物なんかを
置いてくれたらいいのにと思うのは、
応援者のわがままですかねえ。
ここには新伽羅橋がかかっています。
コースの横にあった案内の
立て看板を見ると、
当時の伽羅橋は臨海の方の
高砂公園に移転している
と書かれていたので、
依然尋ねて行ったことがあります。
これが橋柱で、
これが橋です。
紀州街道にかかっていた有名な橋で、
今はずいぶんと遠いところに
写されていますが、
まあこの辺りはそういう意味で
有名なところになるわけです。
とりあえず今回は
ここまでとしましょう。
泉州マラソンも前半の10キロが過ぎ、
順調に進んできています。
この後くらいからdoironにとっては
地元に入っていくわけで
知り合いが増えてくるぞ
という感じになっていきます。
続く