ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

最古の国道 竹内街道2

2019年08月16日 20時57分19秒 | ウォーキング

街道に入るといろんな案内があります。
街道の案内があるかと思えば



その先には道標があります。



これには「右 大鳥 伯太 父鬼 牛瀧」と
書かれてあり、裏には
「左 福田 長野 富田林 高野山」
とありますねえ。
全部歩いたところを指しています。
福田は西高野街道の関係です。

小さいけれど結構詳しく
書かれていますねえ。
もしかしたら
昔はこういう道標がこの先にも
もっといっぱいあったのかなあって
思ったりしますね。
とはいえ道も少なかったから
あまり必要もなかったかなあ。
どうなんでしょう。
もしかしたら
堺は何度か大火事で焼けてますから
失くなったという可能性も
多いんでしょうねえ。

この道標が立っているのは、
堺の「山之口商店街」の所です。



そこには「開口神社参道」と
書いてあるので、
先程避けたその神社の方に
ここから入っていきましょう。

ここがその神社の北口ですねえ。



中には幼稚園発祥の地の
案内もあります。



「私立堺幼稚園」がここ開口神社境内の
仮園舎に開設されたことによるものです。
3年後には「堺市立堺第一幼稚園」となり、
1936(昭和11)年
「堺市立第一幼稚園」と園名を
変更していますが、
そういう歴史のある神社です。

さらにこの神社は教育には盛んで、
三国ケ丘高校も置かれましましたし、
泉陽高校の発祥の地でもあります。



ここにはほかにも
「神願百度石」があります。



百度石はもういくつくらい
集まったでしょうか。
かなりのものを集めたような気がします。
少し変わった石となると
まあこれも該当するんでしょうねえ。



そしてこれが「影向石」。

ここに開口大明神が座っていた
という石です。

そんなのを眺めながら
「竹内街道を無事に歩けますように」
とお祈りしておきましたよ。



さあ、ではまた元の大小路道に戻りましょう。



歩道がきれいに整備されて、
向こうの方に堺市役所が立っています。
昔は南海堺駅あたりが
堺市の中心地だったのですが、
今はその市役所のある堺東が
中心になっていますねえ。

むむ、ここはいわしのお店ですか。



ほかにも干物や



ちょっと変わった健康料理の
店なんかが並びます。



年に何度かこの辺りのお店に
飲み会で出かけることもあるのですが、
しっかりチェックしておきましょう。

そしてその先で大小路橋を渡ります。
ここも昔は人でにぎわったところですねえ。
いまはこんな風に道路の形に合わせた



複雑な形の歩道橋がかかっていますが、



それぞれの橋の下の植え込みの中に、
昔の橋の痕跡が残されています。





そういう歩道橋をわたって
進んでいきましょう。

目の前には南海高野線の
線路なんかが見え始めました。

あ、ここになんか立っていますよ。



「銀座の柳」の言い伝え、ですかあ。

東京銀座は堺から来た職人が
銀貨を鋳造したところで、
今も柳が残っているのは
そんな堺の人たちが
故郷をなつかしんで
植えたからなんだそうです。

ああ、そうだったんですねえ。

じゃ「銀座の恋の物語」のルーツは
堺にあるんですねえ。へへ。

これが堺の市の木である
柳と堺市役所です。

まあ、ここまで来たんですから
堺市役所に寄っていきましょうか。

古墳を歩いているときに、
展示館の案内の人に堺市役所の
21階に展望室があって、
そこから仁徳古墳とかが
よく見えますよと案内が
あったのでのぞいていきましょう。

最上階の21階まで
上がっていきますと、
ああこれが方角からして
仁徳陵ですねえ。



もっとこんな風に見えるのかなあ
と思っていたのですが、
ちょっと高さが足りないですねえ。



しかしねえ、
やはり堺市は大きい町です。



政令指定都市で人口は82万人。



都道府県と比べても
山梨県・佐賀県・福井県・
徳島県・高知県・島根県・
鳥取県を上回る数です。

古墳もすごいですが、
ここから眺めると
圧倒的な人の数に
圧倒されますねえ。

あっちもこっちも
住居やビルだらけです。



続く