泉州マラソン最後の歩きに入る前に
最近少しdoironの頭の中で
もう一つ話題になっていることに
触れておきましょう。
それは「碁」というゲームなのだ。
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西国三十三ヵ所を巡礼しに、
京都にある19番札所の
革堂へ行った時の事だ。
京都市役所から古いお店が
並ぶ寺町通を北上していくと、
道端に看板がひとつ立っていた。
囲碁「本因坊」発祥の地と
書かれている。
このあたりの寂光寺の
塔頭(大寺や名刹に寄り添って建てられた院)
である「本因坊」に住んでいた
日海は碁が強く信長、秀吉、家康に
仕えて碁を教えていた。
碁打ちには石高が与えられ、
このころから碁は中国や
韓国に比べて大変強くなった
といわれている。
日海はその後本因坊算砂と名乗り、
本因坊家を作っていった。
そのほかの3家の安井家・井上家・林家
とともに日本の囲碁を
支えていったということだ。
しかし第21世本因坊の秀哉は、
本因坊は本当に碁に秀でたものが
次ぐべきだとして、1939年に
行われた本因坊戦により、
関山氏が本因坊の座に就いたといわれている。
そんないわれをこの三十三ヵ所歩きの
中で知ることになった。
今は井山裕太が8期連続で
本因坊を名乗り永世本因坊となっている。
その永世本因坊を名乗れるものは
井山をのぞけばこれまで5名。
碁の事は全く知らないdoironでも
12期本因坊をやった「趙治勲」
の名は知っている。
井山は将棋の7つの全タイトルを
制覇している。
将棋の羽生に次ぐ快挙で、
羽生と二人して国民栄誉賞を受けているのだ。
囲碁のことについてのルールなどは
doironはほとんど知らない。
ただ相手を囲んで陣地を
稼ぐものくらいしか知らないのだ。
でもこうしていろんな歴史なんかを
学んでいくと、その世界に
少しずつ興味を持ち始めた。
ああ、きっと人生をかけた
いろんな大会があったのだろうなあ。
中国、韓国との関係なんかも
いろいろあったのだろう。
最近開発されてきた
コンピューターの囲碁ソフトの
話題なんかも少し学んだだけで、
いろんな出来事が出てきて面白い。
まあ囲碁の戦い方なんかは
よく知らないので、勝負そのものよりも
それにかかる人々の歴史が
面白いのかもしれない。
とまあそんなことを考えつつ、
ある日図書館に行くと
面白い本を見つけた。
「幻庵」という百田尚樹の小説だ。
この小説が書きたかったのだ
という作者の声が、本に結びつけられた
帯に書かれてあった。
「たとえこの身が潰えようとも」
そんな壮絶な碁の戦いが
繰り広げられていくのだ。
早速借りて読んでみることにした。
400ページ以上ある厚手の本で、
上下巻の2冠になっている。
とりあえずは上巻だ。
まず最初にコンピューターのことなどが出て、
本因坊が始まった頃のところから
碁の戦いが書き始められている。
そして複雑なルールもある。
碁というのは先番が圧倒的に
強いといわれていること、
それに対しての置き碁の事や
勝負のことなどいろんな
ルールが定められている。
よくわかろうとして読んでいくが、
碁に対しての知識がほとんど
ないモノだからなかなか頭に
入ってこないのだ。
まあその辺は読みながら
身についていくかなと思い、
読み進めていった。
すると、こんどはいろんな登場人物が出てくる。
それも碁の上達に合わせて
名前も変わっていくから
ややこしいことこの上ない。
この人とさっきの人が
戦ったらどうなるの?
と思って解説部分を見てみたら
なんと同じ人物だった
ということもあった。
ちゃんと書かれてあったのだろうが、
どうもその辺は加齢と脳梗塞後の頭では
きちんと残っていなかったりするのだ。
4家の戦いは「御城碁」といって、
権力者の前での戦いや
碁好きな侍の屋敷での戦いなどで
行われていく。
この物語がまあいろんな
碁を打つ人の人生と絡めて
うまいこと書かれていて、
碁の中身はわからなくても
意外に面白かったりするのです。
続く