ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

令和元年村の地蔵盆

2019年08月24日 21時13分43秒 | 最近の出来事

泉州マラソンは少しお休み。

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23日は地蔵盆でした。
我が町には全ての団体からは独立して、
地元の地蔵講という団体があります。
村の北のはずれにある地蔵さんを
大切に守ろうという会です。

毎年ここの鈴紐にはdoironの
名前の入ったひもが更新されて
ぶら下がります。
最近は孫の名前の入ったひもも
一緒に吊り下げられます。

ではこの団体に入るには
どうしたらよいかというと、
年齢的に60歳が近くなってきたら、
この地蔵講への入会の打診が始まります。

じゃ、入会するよとなった時に
年齢順で新入会の役が回ってきます。

「頭屋(とうや)」という役です。

その人がその年の地蔵盆をすべて賄うのです。

以前は村の女性たちも
すべて借り出して、買ってきた大量のご飯を
おにぎりにして、お参りの後に配っていました。

もっと昔はそんなご飯も
チンチロリンといわれるかまどで
炊いていたそうです。

このおにぎり作りが、
それはそれは大変で
若いお母さんたちはまだまだ
いう通りに動いてくれますが、
昔からの高齢のお母さんたちの
扱いが大変です。

60になるかならないかの
頭屋はおばさん達には
まったく子ども扱いで、
ワイワイガヤガヤとかき回されたりします。

まあそうすることで、
今度は村の人たちとの交流も深まり、
自治会とかの役もこなせるように
なったりするのです。

しかし残念ながらそんな頭屋の世代も
時代とともに減ってきます。
世代の薄い年代になってきました。

また最近の状況の中では、
独身の頭屋も出てくるようになり、
なかなかおにぎり作りの指図も
むつかしくなってくるという始末です。
地蔵の新しい服も頭屋が作ります。
昨年の頭屋はミシンを勉強して
自分でそれを作ったそうです。
そんなことをしているから
頭屋はいつも地蔵の前で
地蔵の姿が気になって仕方なかったそうです。

その頭屋は働きながらも
親の介護をしているおっさんでした。
なので昨年からおにぎりを握る
という作業をなくそうとしました。
色々業者をあたった結果、
なんと握ったおにぎりを
買った方が安くなるという
ことがわかりました。

なので昨年からと同様に、
今年もおにぎりを買おう
ということになりました。
二個入りおにぎりパックで
沢庵が入ったものを800パック買います。

そうすることで
経費が安くなりますし、
女性陣に手間をかけさすこともなく
大いに手間が省けます。
今年の頭屋も楽でいいわあと
喜んでいたのですが、
重鎮の方たちのなかには、
そういう手間を省くのはけしからん!
などと息巻く人も出てきたのです。

なんかこうなると、
何となく講の居心地が悪くなります。

地蔵講は現在そんな事情を
内部に抱えているわけだ。

それでも23日は地蔵盆の日です。
盆のお参りは淡々と行われます。

頭屋でも何でもないdoiron家では
この日はまず早朝5時から、
少し前に整備した提灯枠に
提灯をつるしに行きます。



我が家ではdoiron本人の提灯と
孫の提灯の二つです。
地蔵に行きますと、
すでに二家族の提灯がつるされていました。
孫が一気に8人になった家と
4人になった家です。

あ、どちらもマージャン友達の家です

その横に吊り下げておきます。
そしてそのあとは、地蔵の前に
テントを立てて、お参り場所を
作成します。



その後供物や飾りを整えたら、
今年は村のお寺で弁当かこんで宴会です。
このお寺は何年も前に
火事になって焼けたのですが、
全焼だったのにこの仏像たちは
燃えずに済んだという
奇跡が起こったお寺でした。



空海さんや阿弥陀如来、
お不動さんとかが
ちゃんと残っているのです。



ビールや酒は飲み放題なので
宴会はとても盛り上がるのですよ。
あとで行われるお参りでは
もうふらふらになっているものがいます。



それでも本当に坊さんがやってきて
30分のお参りがすんだら、
さあていよいよおにぎり配りです。

午後7時スタートで
押し寄せてくる村の人々に、
こんなおにぎりを配ります。



ハアハアと配り終わったら、
今度は供物を地蔵講の参加者で分けて
解散となります。

立てたテントなんかは雨でぬれたので、
講の人の土地で足だけ折って乾かして
後日片付けとなります。

こうして丸一日地蔵の周りで
村の人間たちがたわむれた
地蔵盆はほぼ終了です。

村のはずれで、村をそして村の子どもたちを
守りつつ5体の地蔵は、
すっきりときれいに磨かれ
新しい帯を結ばれて
また一年間しっかりと立ち続けてくれるのです。