ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

泉州マラソンコースを歩いた7

2019年08月09日 20時40分09秒 | ウォーキング

助松駅に入っていく交差点です。



ここを左に曲がっていく道が
えらい人が通るときに
じゅうたんを敷いたという
「布引道」といわれる
「中和泉街道」ですね。

右手に入ったとこの突き当り、
紀州街道との交差点に



こんな道標が立っています。



泉大津の中でも数少ない
道標のひとつです。

ああ、そしてこの先で
doironがトライアスロンを始めたころに、
一緒に練習してた
友達なんかも住んではります。


もう今はレースには参加してはりませんが、
始めたころにはいろんな
ノウハウを享受しあった友達ですねえ。
当時は年代別入賞なんかを
よくやってはりました。

最近は犬を抱っこして
応援と化してはりますので、
ヤッホーとあいさつを
交わしながら走ったりしましたねえ。

まあdoironももう引退していますから
そんな景色はもうありませんがね。

ここが13キロ地点です。



路面の印が遠いところに
打たれてますねえ。



で、この辺りから応援がすごいですよ。
この弁当屋さんの向かいあたりで



貝塚のランニングクラブの
元会長さんが応援してはりました。
もう今は高齢化して、
うちの義理の両親が住んでいた家に
引っ越してきはり、
毎日デイサービスに通ってはる状態です。

あれだけマラソン頑張ってはったのに、
もう今は足腰が弱く
何度も転倒しては
救急車で運ばれているようです。

ああ生きていくのって
むつかしいですねえ。



そして、ここがdoironが
初めて泳げるようになったプールです。
今はもうプールはありませんがね。
あの時泳げるようになっていなかったら、
泳げないのに思い切って
申し込んでいたトライアスロンで
おぼれ死んでいたかもしれませんねえ。



そしてここには居酒屋エイの
ママさんたちが応援して
くれていましたねえ。

走りながら「生中ひとつ」と
言いそうになりますねえ。



仁Oさんはここで休憩しながら
応援してはります。
この店はたまに行きます。
先日は退職したジダン
ともいきましたねえ。

そしてここでは、両親が立って
近所の人たちと応援してくれていました。



あまり他の大会では
応援したことないので、
ここでの応援を楽しみに
していたようです。
晩年、車いすに乗りながら、
ここでの応援の事をよく話していました。



そしてここは首藤さんの家の前です。
立って応援してはりましたねえ。
レースにもかつては出てはったんですよ。
doironより10歳くらい上なんですが、
いっときは3時間10分くらいで
すぐ後ろでゴールしてはったのを
思い出します。

まあそんな風に応援の人たちが多く、
ここではきっとペースが
上がっていたでしょうねえ。

そして泉大津の駅が近づいてきたころには、
14キロを迎えます。



この駅のあたりでは、
所属しているランニングクラブの
ジムの人たちが応援してはりましたねえ。



Yさんの、でんでん太鼓も響いていたかなあ。

大勢の人が応援に立ってはるところで、
ここでもまた昔の友達なんかが
いっぱい応援してくれましたねえ。
参加者が少なかった昔だったら、
案外doironが一人でポツンと
走っていたりしましたもんねえ。

泉州マラソンのコースを歩く
第2弾もこの日は
午後から用事もあって、ここで歩くのを
一旦中断です。



ここが泉大津駅。



駅前には黄金のゆるキャラも立っているし、



このステンレスのモニュメントは
神戸の鉄人28号同様に
首藤さんの会社が作ったものだそうです。



このビルの三階に運動していた



ジムが今もあり、
ここに通っている頃に
ウルトラやフルトライアスロンなど
過激なことに挑戦していきましたねえ。

泉州マラソンコースは
そんなdoironの過激な歴史と
重なるところは多いです。

ここまで三分の一の14キロを歩いてきましたが、
まだまだ続きます。

夏の暑い日に体調を見ながら
進んでいこうと、かつては
走って何度も通った泉大津駅から、
今はてくてくと歩いて帰る
doironなのでした。

続く