さあて、泉州マラソン歩きも、
とりあえずはハーフまでは
いきましたね。
ではここから後半戦が
始まっていきますよ。
この時の歩きは岸和田だんじり会館の
所の駐車場へ車で行き、
そこからコースに出て
歩き始めていきます。
車をとめると駐車場のおじさんが
歩いてきます。
「え~っと、今からやと
だんじり会館も空いてないし、
お城に入れる時間でもないですよ」
と説明にきはります。
「あ~この辺ウロウロしてるからいいですよ」
と言いつつ停めていきましょう。
確かにウロウロしてるからいいでしょう。
とりあえずお城の方に上がって行き、
まずは五風荘を再度見に行きました。
ここは岸和田市長もした
寺田氏が昭和12年に作った
大邸宅跡である。
当時は楠氏との関係で
「南木荘」と名乗っていたが、
後に寺田氏の諡である
「五風院」から「五風荘」
という名になっている。
今は岸和田市のものであるが、
以前は「がんこ寿司」で
いまは岸和田グランドホールが
完全予約制で食堂をやっており、
前から行ってみたいな
と思っていたのだ。
何もそこの料理を是非食べてみたい
というわけではないですよ。
4000円以上するからねえ。
でも何やら施設が面白そうやな
って感じなのだ。
高校生の頃は美術の時間に
この建物の絵を描いたことがある。
あ、母校がすぐ横なんです。
あんな絵が残っていたら
面白いだろうにねえ。
もう多分どこにもないでしょう。
先日の老人会で、
ここの施設の経営者側と
話をすることができたので、
まあまた何か特別な出来事があれば
行ってみましょうかね。
もう一つここに来たのには
理由があります。
実はその五風荘の前の道は
泉州マラソンの以前に実施されていた
千亀利マラソンのコースでした。
当時は出場者も少なく、
走っていてもばらばらで、
この五風荘の横を走るdoironの姿が
テレビにばっちり映ったことがある
のを思い出します。
残念ながら今の泉州マラソンでは
この道は通りません。
旧の国道26号線の方しか
走りませんので、今日はそちらに
戻っていきましょう。
前回の歩きでは21キロ地点を
確認したところで終えていました。
中間点も大きな工事の中
だったので確認はできませんでした。
残念ながらこの時もまだ
工事の真っ最中でしたねえ。
仕方ないので先に進んでいきましょう。
この辺り、結構道のアップダウンがあります。
ぼちぼち疲れ始めてきた足に
こたえ始めますねえ。
この先のあたりで昭代橋を渡ります。
ちょうど岸和田と貝塚の境目あたりを
流れる津田川の橋です。
ちょっと海手の方には清見橋の
かかるところですねえ。
その橋の先で、道路に何か
記載があるぞと思ったら、
第4収容の予告です。
距離は23.9キロのところですから、
おおむね二キロくらい前の予告ですね。
このへんで収容時間がきわどいぞ
となったら力が抜けてしまいそうですねえ。
いやあ選手によっては地獄の看板が
ここに立ったりするんでしょうね。
そしてそんな収容予告の
少し先のここが22キロ地点です。
昔このへんで当時記録を争っていた
友達と走りながら話をしたことがあります。
「なあ、このペースやったら
3時間切れるでなあ」と声をかけると
「いやあ、もうついていけんわあ」
といってはりました。
たいがい僕らも三時間切るのは
無理やなあという感覚は
この辺りから生まれ始めています。
その友達は、のちに三週連続の
フルマラソンで三回とも
サブスリーをするという怪物に
なりはりましたけどね。
今は残念ながらもう
引退してはるようです。
走力がよく似た人というのは、
いつも同じようなあたりで
並走したりしますねえ。
さあ、ゴールまであと20キロちょいです。
まあいけるところまで
頑張って走ろうと、
これくらいから励ましあったりするのです。
続く