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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

最古の国道 竹内街道1

2019年08月15日 21時32分14秒 | ウォーキング

先日、百舌鳥・古市古墳群を
淡々と歩き続けたよ。



この歩きにより
世界遺産の対象となった古墳は
すべて訪ねたことになる。
詳細は分からないよ。
ここは誰の墓なのかいというのも
いろんな説があるようだし、
ここで発掘されたのが何だったのか、
そんな詳しい考古学的なところは
よくわからない。
でもまあこれまで5回の歩きで、
名前の付いたこれらの墓を
何とかすべて回り続けることが
できたのはちょっとやった感があったな。

世界遺産になって以来、
すぐに旅行社なんかが
古墳巡りツアーなんかを
企画しているが、
それらもだいたい5回シリーズのようだ。

で、これらを歩いているときは、
ほかの街道とかもいろいろと
関連していたのが印象深い。

百舌鳥古墳群は紀州街道や
高野街道とも関係していたなあ。
そして古市古墳群は長尾街道や
高野街道、そして竹内街道とも
関係していた。

特に竹内街道は二つの古墳群を
結ぶような形で
つながっているのが面白いねえ。
それに以前働いていた地域の中を
通ったりもしているしね。
なので昔から竹内街道は
日本最古の国道だといわれていたんだよね。
むかし行政関係の雑誌にそんな街道の事を
書いて掲載してもらったこともあったなあ。

そういう経過もあり、
いつかこの竹内街道を
端から端まで歩いてみたい
という希望をずっと胸の中に抱いていたのだ。

今回、世界遺産の関係歩きの中で
その街道に触れたこともあって、
じゃあぼちぼちとこの街道を
歩いてみるかと、思い立ち
長年の希望をようやく
かなえることにしたのだ。

大阪の堺市から奈良県の磐城までの
かつての「国道」だから
重要な仕事をいっぱいしたんだろう。
例えばこの道を大阪湾や二上山とから
運んだ石や木で、古墳を作ったり
もしたのでしょう。

いつものように少しづつ
歩きながら様々なものを
見て進んでいくことにしました。

スタートは南海本線の堺駅。

泉大津から電車に乗り、
泉州マラソンのコースに沿って
北へ移動していくのだ。



ここが「堺駅」。

ここから東向いて南海高野線の堺東駅、
JR阪和線の三国ケ丘駅へと
歩いていくコースをとる。

ちなみに終点の三国ケ丘駅は
仁徳天皇陵(大仙古墳)を
訪ねていくときに降りる駅だ。

ではまずは堺駅の周りを見てみよう。



駅を出て少し南に行くと



川が流れており、ここに
南蛮橋が架けられている。



堺の町はこういう環濠が
たくさんあり、いまは
環濠クルーズなどの船が
浮かんでいたりする。

う~ん、そんな環濠を見下ろすように
立つdoironなのであった。

そこから東向いて勇橋の横の



栄橋を渡り、東向いて



進んでいくことになる。



町並みの道は整然とつけられている。
歩いていく道もこんな古い
店の横の道もまっすぐにつけられている。







このままいくと開口神社の
ところに出ていくのだが、
ちょっとここで左折して、
大道筋と大小路線の交差点に
出ていきましょう。



阪堺線の大小路の駅のある交差点で、
ここが竹内街道と紀州街道との
交差点になります。

そしてまたここはまさしく
和泉と摂州の境目となるところで
まさしく「堺」なのであります。
そんな案内の道標が立っています。



今回は紀州街道はいきませんよ。
竹内街道を進んでいきましょう。
古いガス塔が立つ交差点の先には、
この道の案内が立っていました。



ここは「西高野街道」でもあります。



以前歩きましたねえ。
途中三国ケ丘から河内長野までは
以前の職場のマラソン仲間
とも歩きました。

そこから先もまた彼らと
歩きたいのですが、
今は現在元気にされて
いるんでしょうかねえ。

そしてこの竹内街道の案内も
立っていますよ。



ここらの道標はまだ新しいようです。

案内板には、竹内街道は
かつては「丹比道(たじひみち)」と
呼ばれていたと書かれてあります。

堺から竹内峠をこえて
奈良の都へと結ぶ需要な道で、
政治、経済、外交などの
重要なルートだったといわれているのです。

続く