ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

マルナゲ味噌、解禁!

2015年05月21日 21時57分59秒 | 生活

今年の一月に和泉の豆を買ってきて、
本を見ながら味噌を仕込んだ。

熟成は麹クンに丸投げで
台所の床下収納で静かに熟成をさせてきた。



当初の予定では、
土用の丑の日に御開帳してみるつもりだったのだが、
出来が浅ければまた寝かせばいいか
と思い、あけてみることにした。

要するに、こらえきれなかったわけである。

ずっしりと重いそのケースを取出し、
おそるおそる開けてみると・・・



おお~、大変味噌らしくなっているではないか。

試しにお箸ですくって口に入れてみると、
豆の味がしっかりしていて、
とてもコクがありこの上なくうまい!

ううっ、麹クンに丸投げしてあったのだが、
よくぞここまで育ってくれたぞ。

麹クンに感謝である。

doironが山歩きをしている時も、
旅行に出かけている時も、
母さんが亡くなった時も
一日も休まず働いていてくれたんだねえ。

早速、みそ汁にしていただいてみることにした。

心がけたのは、味噌の味をあじわうために、
ダシはうす目にすること。
具としては極めてスタンダードな
豆腐とわかめを入れてみた。

お湯を沸かし、具も整ったところで
いよいよ味噌の投入である。

味噌を網ですくって、



しっかりと溶かしながら進めていく。



途中、少し味見にすくってみた。

どひゃー、まるでこの世のものとは
思えぬうまさではないか。

ほっぺたが落ちました。
え?ホンマに落ちたわけではないですよ。
そんな奴は晩年の宍戸錠くらいしか知らんし。
日本語は面白いな。
目からうろこが落ちたりもするし
耳にタコができたりする。

そう言えば、あきらめてやめることは
「ケツ割る」ていうけど
はじめから割れてるし。

おっと、話がそれた
味噌の話からケツの話になってしまった
微妙に関連してるけど
話を元に戻そう。

まあ、それほどおいしい味噌汁だったわけだ。

などと書くと、たかが味噌汁に
オーバーじゃろといわれそうだが、
本当にうまいんだったら。
ミセスが唸ったほどなのだ。
されど味噌汁やね。

豆の味がしっかりしていて、
市販の味噌じゃこうはいかないだろうて。

よっしゃー、半分はもう一度
土用の丑まで寝かせておいて、
半分を普段使いにしよう。

「マルナゲ味噌」の解禁だあ~。

新酒ならここで杉玉をあげるところだが、
新味噌の場合はどうすればいいのじゃろ。
まずはこういう紙を
台所に貼っておいた。



そして、ボジョレーヌーボーのように、
評価もしなければなるまい。

「今年の味噌は原料の豆が実るときに、
気温が高くよく育った上に、
秋が寒かったので実が良く締まりましたから、
味のギュッとしまったコクのある味に仕上がっています」

てのはどうだろうか。

そうそうラベルも作らなくては。

もちろん味噌の名前は「マルナゲ味噌」とし、
無添加熟成、地元産豆を使用、完全手造りである。

おお~これだけの言葉が並ぶと
おいしくないわけがないじゃないか。

そうして作ったラベルがこれ。



塩分が若干濃い目だが
味はしっかりしている。

なので血圧のことを考えて
うす目でいただくのがミソのようです。


熊野古道 紀伊路の果てに 3

2015年05月20日 21時19分31秒 | ウォーキング

湿原に入ると、カエルの合唱が聞こえます。

こんなカエルの大合唱を聞くと、
あの萩の250キロで聞いた
暗闇の大合唱を思い出します。

これはハハコグサ、



これはゲンノショウコ、



そして・・・さて問題です。

この写真にザリガニは何匹写っているでしょうか。



数えきれないくらいいました。

どれもその辺にいたり、咲いているありふれた生き物群です。
天神崎の自然はとても素晴らしいのですが、
貴重な生き物があまり存在しないということで、
評価が低いということもあるようです。

さあ、寄り道はこれくらいにして、
熊野古道へと戻っていきましょう。

最後に、ここで見かけた花々を。

ハマダイコン、



ハマヒルガオ、



タツナミソウです。



季節が変わればどんな花が咲くのでしょうかねえ。

狭い切通しの道を抜けると、



街の中に入ってきます。



こんな標識に導かれて進んでいき、
やがて熊野古道に復帰します。



これは振り返って撮った写真。



右からくるのが県道210号、
熊野古道です。

そこに合流してすぐに、
あの田辺の3人の一人
「植草盛平」翁の生誕地がありました。



ちょうど案内石も設置中のようで、
写真を撮るために被いを取りたかったなあ。



そして県道から少し海の方に入ったところにある
ここが「潮垢離浜」舊(旧)跡です。



熊野詣の人々がここで海水で
身を清めたわけですね。

ではdoironも・・・いや、清めなくてもきれいです

これまで海沿いを来た熊野詣も
このあたりから山道へと入って行きますので、
この潮垢離浜あたりを
出立(でだち)浜と呼んでいたそうです。

いよいよ紀伊路の果てに来たということです。

再び県道に戻り
そこから汗をかきかき少し歩いたところにあるのが、
「ハンカチ王子」でも「ハニカミ王子」でもなく
その浜の名前を取った「出立王子」です。



若一王子社といわれた昔から、
兵乱、廃社などを経て今の姿になっています。



残っているものでいちばん古いのがこの石で、



「出立神社之址」と彫られています。

扁額の文字が、資料に載っているものと違います。



最近付け替えられたようです。

ここでは少し休憩しただけですぐに出発しました。

実はこの日はこのあと友達との
BBQが控えているので、急いでいたのでした。

出立王子を出て県道をさらに行くと、



会津橋に出ます。


これは「新会津橋」

ところでなぜ和歌山で「会津川」なんでしょう。



同じような疑問を持った人が
ネット上にもいて調べられているようですが、
結論は出ていないようです。

ただ幕末に会津藩士が
多く紀州に逃れてきたという事実はあるようです。

道は一本上流側の旧・会津橋を渡るのですが、



その北詰には昔の橋柱が残っているようです。



そして南詰にはこんな道標もあります。



ちょっと変わった丸い石の道標ですね。

「左くまの道 右わかやま山道」と書かれてあります。

と、その時ふとあることに気がついたのです。
古道歩きとは全く何の関係もないのですが
この橋の前後で横を通り抜けていくバイクが
ほとんど全部スーパーカブだったのです。

その後も見ていたら、
スーパーカブが圧倒的に多いようです。
そうやな5台のうち4台くらいはスーパーカブ。

なんかこの地域独特の流行でもあるのでしょうかねえ。

そういえば、和歌山の友達の
T本さんもスーパーカブに乗ってたなあ。

街道歩きをしていると
そんな地域の何でもないことが
気になってしまいます。


キョロキョロしながら道標に従って左の街道を進んでいきますと、



おお~、ここは気合の入ってる店ですねえ。



そしてこんな店がありました。



もう200年近く続いているという「辻の餅」。
残念ながらこの日はお休みのようでした。

そしてその先にあったのが「道分け石」です。



湯浅の本町道標にひけを取らない
立派な道標です。

そこには

「右きみゐ寺 左くまの道」

と書かれてありますが、
まっすぐ行くと道はなだらかだけど
遠回りの大辺路、
左に行くと道は険しいけれど
近道の中辺路と
道を分ける位置に建てられていることからこの名があります。

ということは、ここが紀伊路の終点ということですね。
とうとうここまでやってきました。

おかげで無事に田辺につきました。



この紀伊路最後の歩行に付き合ってくれた友達と
ここで固く握手。

ちょっとこみ上げるものがありました。

これからはしばらく期間をあけて、
次は中辺路を進んでいくことになるでしょう。
秋くらいからかな。

そうして熊野についたら
次はここから続きの大辺路も行きたいと思っています。

これは季節のいい時にテント担いで
バックパッキングでもいいかもなあ。

最後に、蟻を利用してほら貝に
糸を通して異国の人を感心させたという
そんな変わったいわれのある

「蟻通神社」

を訪ね写真をパチリ。



その後田辺の駅前の



弁慶像も眺め



観光案内所で、
中辺路の押印帳や各種パンフレットを大量に入手し、
友達とのBBQに参加すべく
大急ぎで帰路についたdoironなのでした。

淡々と進んできた紀伊路の最後の歩行
やれやれと終わり。


熊野古道 紀伊路の果てに 2

2015年05月19日 21時17分50秒 | ウォーキング

お、松林の中に地蔵が立っています。



端正な姿で、きれいな感じです。
最近建てられたものなんでしょう。

で、なぜ「みちびき地蔵」なんでしょうか。
海辺の地蔵にありがちないわれが
ここにもあるのだと思います。

本家「みちびき地蔵」は気仙沼にあります。
なくなった人々を天国に導くという
信仰ともうひとつ
人々を救いにみちびくという
いわれがある地蔵で、
「まんが日本昔話」にも登場したそうです。

思い起こせば海南の熊野古道沿いに
「呼び上げ地蔵」というのがありました。
安政の大地震の際に
人々を呼び上げて
津波から救ったといういわれがある地蔵でした。

海が近く、ほかにも津波に関しての
様々な遺構がある地域ですから、
津波から人々を救ったという
「みちびき地蔵」をここに置いてあるというのも、
きっとそんな関係があるのに違いないでしょう。

再び42号の歩道を歩きます。

市民球場前交差点から
熊野古道はなおまっすぐ続いていきますが、
せっかくここまで来たので右折して
天神崎の方へ遠回りしていきましょう。



曲がってすぐに田辺市立武道場があります。

ところで、田辺の駅前にこんな看板が設置されていました。



「田辺の三人」と題して、
あの南方熊楠と武蔵坊弁慶の
よく知られた二人と
もうひとり植草盛平という3人です。

この最後の植草翁というのが
合気道の創始者で、
ここ田辺の生まれということだそうです。
なのでここにこんな石碑が建てられ、



立派な武道場があるというわけですね。

天神崎に続く道はフェニックスが続く



海岸線沿いの憩いの散歩道です。

こんな散歩道を見ると、
思わず昔のくせで、走ったら気持ちよさそう、
なんて思ってしまいます。

道の突き当たりに見えるのが「元島」です。

このあたりから、必見の自然パノラマコースが始まります。

ここ天神崎はナショナルトラスト運動発祥の地といわれています。

環境保護のため市民が土地を買い取り、
それを行政に買い上げてもらうことで
乱開発から守ろうというものです。

本来は鎌倉での取り組みが、
このナショナルトラストの第1号だったそうですが、
ナショナルトラスト法が制定され、
1988年に初めて同法に基づく
「自然環境保全法人」として
日本で初めてこの地域の団体が認定されたことで

「発祥の地」としているのでしょう。

今や全国50以上の地域で
ナショナルトラスト運動が展開され、
数多くの法人が認定を受けています。

元島のこんな光景を見ると、



ところどころに見られる
洞窟状の岩場が冒険心をくすぐります。
行ってみたいのですが、
そこまで行けるかどうかもわかりませんし、
この日は熊野古道歩きの途中ですから
確認するのも断念しました。

ただ、このあたりは魚釣りも盛んで
景色もいいので、
ここにある眺めのよさそうな
「かんぽの宿」に泊りに来て、
リハビリ中の友達と
のんびり釣りでも出来たらいいなあと思いましたね。


ホームページから。

岩礁のところに鳥居が立っており、



向こうに元嶋神社の赤い鳥居も見えています。



手前の鳥居の上にいるのは
ウミウでしょうか。
カメラを構えたら見事にポーズをとってくれました。

その先に、小さな木に
あふれんばかりに桐の花が咲いていました。



そこにいた人と少し談笑。
桐の木は娘ができた時に植えて、
嫁入りの時にその木で
タンスを作って嫁入り道具にするものです。

この分だと、まだお孫さんは小さいようですな。

おお~、これは夕陽百選ですね。
熊野古道沿いでいくつ見つけたでしょうか。

そしてその先の目良漁港を越えたところが、



最も天神崎らしいところである
灯台のある「丸山」と
その周辺の大岩礁です。



この日はまるでフナムシのように
大勢の小学生が訪れ、
岩礁の上で蠢いておりました。



自然観察の校外学習ですな。

引率の先生もさぞかし大変でしょうねえ。

お、これは面白い岩だと思ったら



「猫岩」だと

釣り人もけっこういました。
何が釣れるんでしょうねえ。

そしてその先で、
湿原があると地図にありましたので
ちょっと寄り道してみましょう。



じとじとと続く。


熊野古道 紀伊路の果てに 1

2015年05月18日 21時07分20秒 | ウォーキング

熊野古道もいよいよ紀伊路の終点を迎えます。

少し前あたりから、車で現地まで行くたびに、
長い距離を走っていると
遠くまで歩いたことを実感するようになりました。

八軒家浜から始まって
ここまで優に160kmは超えているでしょう。
萩往還250キロレースでいうと
鯨墓を折り返して
二回目の仙崎に到着するくらいです。
(最近コースは変わりましたが)
なので必死で走れば約丸一日の距離ですが、
2013年3月から歩き始めて、
ここまで全部日帰りの飛び飛び歩きで
約2年間を費やしました。

書いたブログは全部で116話にもなります。

一話あたり原稿用紙3枚分くらいはありますから、
文字だけで合計350枚くらいの
記事を書いたことになるはずです。

その間にはいろんなことも学びました。

地蔵、神社仏閣、地名の由来などは
かなり詳しくなったと思います。

そしてそれらの知識と経験は
熊野古道以外のコースを歩くときにもにも役に立って、
毎回の歩行をとても楽しいものにしてくれています。

最終目的の熊野まではまだ距離がありますが、
ここでひと区切りを迎えるにあたり、
熊野のお導きに感謝せずにはおれません。

ではその一区切りとなる田辺までの区間について、
紀伊路最後の物語をはじめましょう。

歩いたのは桜もとうに終わったGW直前。

紀伊田辺の駅の



近くのコインPに車を停めて
電車で芳養まで戻り歩きはじめました。



前回の終点である一里塚まで行くと、
前は葉の何もついていない
奇妙な形のエノキが立っていましたが、



ひと月後にはほらこの通り。



絶え間ない命の営みを感じますねえ。

ここから42号に合流して
しばらく歩きますと、

「牛の鼻」

という場所に到着します。



そこには地蔵が祀られていました。



いわれには諸説あります。
牛の形をしたほこらがあったとか
そんな岩があったとか。

案内には「ひとつ目小僧伝説」がある
と書かれてありましたので、
かなり調べてみましたが
詳細はわかりませんでした。

この先の古道の途中で判明するでしょうか。

名前からして、海に突き出た場所のような
感じがしますねえ。
どんな地形がこういう名前になったのか
とキョロキョロ見回してみましたが
この後ろの松林がどうも怪しい気がします。
牛の鼻の先ですから
「牛の舌」?まさかね牛タンじゃあるまいし。

今は、こうして祠に地蔵を祀ってあります。

芳養漁港にも「牛の鼻」の灯台がある
と記載されている地図もあります。



また、昔一揆の際に大勢の死人が出て、
漁港の整備の際に牛の鼻から
大量の人骨が出てきたという記述もありました。

どうも、「牛の鼻」というのは
スポットが定まらず、
なんとなく漠然としています。

もうひとつ、この牛の鼻には
その昔、毎年御坊の熊野(いや)神社から
大渡御がやってきていたそうで、
その史実を示す証しとして
ここに石碑が建てられています。



いずれにしても史跡としては
もう少し歴史的考察や
施設の整備があればいいな
と思う場所でした。

ここからは芳養漁港を進みます。



右奥に見えている灯台があるあたりにも
「牛の鼻」と地名が付けられているようです。

さらに漁港から海沿いに進んでいきますと、
松林に出ます。

沖に見えているのは、
このあと回っていく天神崎の元島です。



この松並木には、残念な記憶があります。

まだ高速道路が通っていないときに、
42号が大渋滞し、
白浜から帰るときに
この松並木のところから
延々と渋滞していたという記憶です。

今なら抜け道もかなりわかるのに
当時はここで超うんざりしたものです。

その頃はナビもなかったのですが、
もしあったとしたらあまりの渋滞に

「到着予想1年後」

とか出てたかもしれません。

まあそれはないでしょうけど・・・

それくらいべったりと渋滞していた記憶と
この松並木の景色がかぶります。

熊野に向かう人は
浜で海水で身を清める
という禊をしたそうです。

それを「水垢離」ならぬ「潮垢離」というそうです。

松並木の中にあった石碑を見ると、



潮垢離場と書かれてありますが、
ここはそんな熊野詣の人の禊場ではなく、
芳養八幡神社の潮垢離場だそうです。

この神社の例祭が毎年11月3日に
行われるのですが
その宵宮にここまで出かけてきて
潮垢離をするそうです。
季節的には寒いよなあ。
どんな潮垢離をするのでしょうか。

ほかにも例祭では流鏑馬(やぶさめ)などが行われ、
県の文化財に指定されているそうです。

渋滞の時にうんざりと眺めていた松林に、
こんないわれが潜んでいたんですねえ。



知っていたら、
渋滞ももう少し楽しく思えたのに
とあの時の記憶がよみがえります。

しみじみと続く。


梅雨が来る前に

2015年05月17日 21時08分09秒 | お絵かき

クリエイター仕事は需要のあるなしに関わらず、
雨降りの日などを中心にいそしんでいます。

では、最近の作品をいくつか紹介しましょう。

先月、れんこんと共に購入し、
何枚か写真を撮っておいて、
いろんな角度からの姿を
頭に思い浮かべて描いた
「ヤマイモ」の絵がこれ。



断面が白くてざらざらしていることと、
細いひげの表現について
何枚か試し描きをし、
ようやく決まった構図に色をつけました。

こういうシンプルな絵が
かえって難しかったりします。
そしてこれにどんな言葉をつけようか
と考えたところ、
比較的すぐに出てきました。

「ネバれ ネバれ ネバーギブアップ」

ヤマイモの粘り強さのように
ネバネバと粘っこく、
簡単にあきらめないことは難しいけれど
ガンバレばなんとかなるさ、
と言う思いを込めて。

山芋が語るとしたらこの言葉しかないでしょう。

描いた絵から素直に聴こえてきた言葉です。

次はサザエ。

これは義母さんも絵を描いていて、
近ごろ画題探しに困っていたから、
同じものを描くことにしました。

早速購入してきたのは言うまでもありません。
こんな時は、完成後のつぼ焼きを楽しみに描きます。

この貝の表面は複雑ですから、
デッサンさえしっかり描いておけば、
絵としてはいくらでもごまかしがきく素材です。

今回は貝殻についている赤い色と、
白いくねくねの管のようなもの、
そしてところどころにある
イガイガをポイントに描きました。



そんな中、一番苦労したのは
殻の内側が微妙に光っているところの螺鈿模様でした。
微妙に彩色し、よしよしと満足したものの、
微妙すぎてどうしてもスキャナーで
うまく取り込むことができず残念です。

言葉は、キーワードを

「貝(かい)」と「殻(から)」

にしてじっと絵を眺めていたら出てきた言葉です。

「殻に閉じこもっていたら カイ決しないからね」。

自分の内側を見つめるのと
同じくらいかそれ以上に
外の世界を見つめることができれば
心は健康なんじゃなかろうか。

次は「クンシラン」です。

最近ミセスは花作りに凝っています。
庭には色とりどりの花が咲き、











蝶々もいっぱいやってきます。
でもこれが卵を産むと、
孵化した幼虫が葉っぱを食べてしまうので、
ミセスはもっぱら「がるる~」と威嚇して
寄りつかないようにしているようです。

クンシランの花は、
友達からもらってきた苗を
丹精込めて咲かせたもので、
あまり虫もつきません。

これは鉢ごとアトリエに持ち込んで、
スケッチをしてみました。

彩色時には、重なった葉っぱの表現と、
花の色が難しかった一品でした。



言葉はまだ出てきていません。

「クンシラン」という名前から、
高貴なイメージはあるけど、
案外野趣に富んでる花ですから
アトリエの窓際にでも置いとけば、
そのあたりの言葉を何か
その内に語ってくれるでしょう。

最後は先日紀州富士で撮影してきた

「マムシグサ」です。

葉っぱの付き方が独特なので、
そんなこの花の特徴が
ちゃんと出るように書くのが難しかった花です。



これも言葉はまだありません。
doironは、平坦な日常の中で、
ちょっとドキッとすることで
心が少し活性化するみたいな
言葉を吐いてくれることを期待しているのですが、
果たして何と語ってくれるのやら、です。

最近は他にもチマキと柏餅、
チューリップなどを描きましたが、
これはまだ未発表なのでいずれまた。

そうそう絵の中に「doiron」の文字を入れているのは、
会社に対して必要なのでそうしています。

見苦しくてすみません。

これから間もなく梅雨の季節。
雨宿りクリエイターですから
絵を描く日が多くなりそうです。

「カタツムリ」や「アジサイ」なども
描こうと思っていますが
山に登っていても、街を歩いていても
キョロキョロしながら
梅雨の時期のお絵描きのために
画題探しに余念のない今日この頃です。


紀州富士を奇襲した 3

2015年05月16日 21時29分50秒 | ウォーキング

山道でてふてふと偶然の出会いをした。
葛城山で初めて見かけた時に少し勉強をしたので、
羽根の模様、胴体の様子などから見ても
ギフチョウに間違いないことがわかる。


これがその時の葛城山のギフチョウ

ただ、少し首をかしげたのが、
全体に色が薄かったこと。

もしかしたら羽化したてなのかもしれない。

帰ってきてさらに調べているときに、
不思議な記述に出会った。

和歌山県のギフチョウはすでに絶滅したと書かれてある。

え?これはどうしたことか
と読み進んでいくと、
なんと元々はこの龍門山を
最南端生息地としていたギフチョウが、
ある時そこからまったく姿を消してしまったそうだ。

いわゆる地域での絶滅というやつだ。

原因は、麓のみかん畑への農薬散布とか
マニアによるお決まりの乱獲とか
様々な出来事が指摘されている。

もともと細々と暮らしていた蝶だから、
この山に居なくなることイコール
和歌山県全体から姿を消すこと
になったというわけである。

そこで、一計を案じて、
比較的近くの生息地である
葛城山のギフチョウを
こちらに連れて来て繁殖させることにしたそうだ。

その甲斐あってか、
こうして初めてふらっと
やってきた登山者であるdoironにさえ
その姿を見せてくれるほど、
繁殖するようになったのだ。

翅の模様の珍しさなどが、
一部の変なマニアの
垂涎の的になったりするこの貴重な蝶。

静かに見守りたいものだ。
(ただ見守るだけではまた絶滅するぞ、
という声もある)。

ともかくまあ、そんなラッキーな出会いがあり、
急に思いついて頑張って来た甲斐があった
と言えるだろう。

飛び去ったギフチョウが
また戻ってこないかと
しばらくそこで待ってみたが、
現れることはなかったな。

仕方なく下山を続けよう。

「蛇紋原」という道標があったのでそっちに行ってみた。



するとそこには巨大な蛇紋岩がゴロゴロあって、
下から風の吹き上げてくる
眺めの良い最高の場所だった。



みると岩には残置ハーケンもあり、



どうやらクライミングの
練習場所にもなっているようだ。

これは写真じゃあまりわからんけど、
結構怖いところに立っているのだよ。



昔はなあ、沢登りも簡単なクライミングもしたのになあ。

この年になって、
なんだか高い所の怖がりになったような気がする。

その蛇紋原から下山道に戻って
さらに下って行くと、



今度は「明神岩」という景勝地に出る。



ここもこんな大きな岩があって、
向こうは絶壁となって切れている。

この通り。



森あり、草原あり、谷あり岩ありと、
こんなに表情豊かなところが
この山の人気の秘密なんだろう。

その明神岩の近くには、
こんな風穴もある。



ここは竪穴だけではなくて、
中に入ると南北に横に伸びており、
天王山の麓で出会った、
かの楠木正成がこもったといわれていたり、
昔は実際に養蚕用の蚕保存のための
冷蔵庫として使われたこともあるそうだ。

今は、コウモリが生息していると
現地の説明板に書かれてあった。

さあ、これでこの山の見所は
ほとんど終りだ。

なぜか花の部分をことごとく切り取られた
マムシグサを見ながら、



暗い森の中をどんどん下って行った。

途中かなりの密度で道標が建てられてあるが、
なぜか「行き止まり」の案内看板が多い。





う~ん、道標にする意味があるのかいな。

と、突っ込みながらどんどん下って行くと



突然果樹園の作業用の道に出た。



そこから見ると、ず~っと向こうに、
doironの帰りを待つ愛車の軽の姿も見えたよ。



いじらしいその姿に
思わず手を振りそうになったぞ。

かくして、紀州富士といわれる
龍門山奇襲登山は終わった。

気にしていた毛虫・シャクトリムシもほとんどおらず、
快適なコースで、
とても楽しかった。

そんな「ご当地富士」登山。

次は近江富士といわれる「三上山」、
あるいは大和富士といわれる
「額井岳」あたりを
ターゲットにしようと思っているのだ。

ワクワクと終り。


紀州富士を奇襲した 2

2015年05月15日 22時58分32秒 | ウォーキング

田代ルートを登り始め、
しばらく行くとこんな祠があった。



なかなか端正な地蔵さんが中にいた。



沢には結構水も多く、
いつもはトレランシューズのところ、
今回は初めての山だから
何があるかわからないので
登山靴できたのは正解だった。

木漏れ日が気持ちいい山道を
どんどん登って行くと、
道端にはチゴユリ、



ホウチャクソウ、



マムシグサ、



ミズヒキの姿を見かける。



相変わらずヒメカンアオイもたくさんあるし、



こ、これはもしかしてカタクリ?



ますますギフチョウとの遭遇の予感が高まるのであった。

こんな祠を過ぎたところで、



ようやく尾根道に出た。



ここが麓で見上げた
もっこりした形の飯盛山への



分岐となる田代峠である。



と、その時林の向こうで
ひらひら飛ぶ蝶の姿が見えたが、
逆光で種類まではわからなかった。

ギフチョウだったらいいのになあ。

再度出会うことを期待しておこう。

やがて大きな岩が行く手に見えてきた。



「磁石岩」である。

このあたりの山には「蛇紋岩」という岩が
ところどころで露出していたり、
登山道にガラガラ埋まっていたりする。



造山運動によって噴出した
マントル上部を形成するカンラン石が
変性したものだそうだ。

変性の過程で、このカンラン石は
磁力を帯びたりする。

その典型的な岩がこの

「磁石岩」



なのだ。

登る前に調べたら、
この岩は方位磁石を引き付けるほどの
磁力があると書いてあったので、
最近はもっぱら携帯GPSに頼っていたけど、
久しぶりとなる方位コンパスを
引っ張り出して持ってきており、



さっそく実験をしてみた。

すると・・・、



おお~確かにコンパスの針が、
岩頭に引き寄せられていくではないか。

そこに建てられてあった説明書きによると
北側がS極を吸引し、
南側がN極を吸引すると書かれてあった。



となると、北がN極を吸引する地球とは正反対?

あ、でも石そのものを
コンパスの針と見なしたらいいわけか。



頭の中で???がめぐってわけがわからなくなった。

こ、これも磁力の作用なのか?

この岩は山から少し突き出た感じで
そこにあるため、
眺めもなかなか良かったぞ。



ミツバツツジの咲く尾根道を気持ちよく歩き、



スタートから1時間50分後に
ようやく龍門山の山頂に到着した。



やった~富士山に頭頂だあ
いよっ、「日本一!」

いやいやここは紀州富士

それに「和歌山一!」でもありません。

「富士」と名がついているので
360度の見晴らしかと思いきや、
見えていたのは紀ノ川とその周辺、
そして和泉山脈といった
北側の景色のみであったが、



まあとにかく登頂である。

標高は本物の富士山より3000m以上低い755.9m。

山頂には三等三角点もあるし



あちこちにプレートも貼られている。



こんなプレートは楽しそうだし、
案内も兼ねているから
貼りたい気持ちはわかるが、
みんながそれぞれ貼り付けたら、
自然環境に負荷がかかるよなあ。

微妙なところだ。

さあ、ここで時刻もちょうどお昼だ。
食事にしよう。

今日はガスコンロを持ってきていないので、
こんな感じ。



いやいや~いつもながらの山ごはん。
ちょっとマンネリかな。
さらなる改善を考えてみよう。

食事を終えて、歩きはじめるとすぐに
中央コースへの分岐に出るので、
右に進む。



このあたりの植物も意外に豊富だ。

もう少し先の初夏の頃になると、
「キイシモツケ」という白い花で
山に雪が降ったようになるらしい。

ヤマブキでも眺めておこう。



と、その時である。
目の前をひらひらと1頭の蝶が飛んで行くではないか。

黄色っぽい羽根に黒い模様。
まさかアゲハではないだろう。

出来れば写真を撮れるほど
間近に見てみたいものだ。
にわかに色めき立つdoironであった。

す、するとまたこちらに向かってきて
10mほど先の枯葉の上に
舞い降りたではないか。

そーっと、忍び足で近づいていき、
とりあえず一枚をパチリ。



そしてさらに近づいて、
飛び立つ直前の状態でもう一枚パチリ。



肉眼ではしっかり確認できなかったので
カメラの画像を再生してみると
そこには、春の女神といわれる
ギフチョウがしっかり写っていた。

てふてふと続く。


紀州富士を奇襲した 1

2015年05月14日 22時33分23秒 | ウォーキング

開眼式の翌々日には
こんなに天気がよさそうなので



急に思い立って
紀州富士といわれる龍門山に登ってきた。
これを奇襲という。

形のいい山をご当地の「富士」と呼ぶことがよくあり、
「〇〇富士」のような「ご当地富士」は
全国各地にある。

さすがに「富士」は日本人の心の山といえる。

近畿では「近江富士」と呼ばれる
三上山なんかが有名だ。

今回登った「奇襲富士」、じゃなかった「紀州富士」は、
紀伊国名所図会の中で

「是を望むに、その形あたかも富嶽に似たり」

と書かれてあることからついた名前だといわれているが、
その山の姿を見ると、
なだらかな尾根の続く
とても富士とは言えない姿である。

ふもとの紀ノ川の右岸から眺めた姿がこれ。



富士の形とは程遠いが、
唯一山頂から紀ノ川にかけて広がる山すそが、
ある意味富士を彷彿させたのかもしれない。

実は下流の和歌山市あたりの
紀ノ川沿いから見ると、
富士山みたいなきれいな形になっていて、
紀ノ川を航行する船の目印になっていたそうだ。

さらにこの山、
そんな姿だけが特徴的なのではなくて、
もっと意外な別の特徴を持った山だったのだ。

手持ちの地図資料を探ってみると、
ぐるっとひと廻りのコース設定ができる
というかそういうコースで登るのが
一般的なようだったので、
登山口まで車で行き登ることにした。

地図ではかなり細い道を
車で登って行くようだったが、
あの当麻寺の山道を登った経験があれば
何も怖いことはないだろうと、
ミセスの軽自動車を駆って行った。

粉河から紀ノ川を龍門橋で渡り、
なおもグングン登って行く。

案の定、すれ違いがほとんどできないような
果樹園の中の細い道をガルルル~
と上がっていったところに、
小さな空き地がいくつかあって、
登山者の駐車場になっている。



家からここまで約一時間のドライブである。

靴をはきかえたり帽子を被るなど
身支度を整え、さらにナビをセットして、
標識を確認してスタートをした。



今回のコースは、一般的なルートである
田代ルートから入って中央コースを下ってくるコースだ。

トレースはこんな感じ。



たいていはこの地図には
地名とか出てくるのに、
今回は全部山の中なので
地名等の表示が出ないため、
よくわからないでしょう。

まあ、山の案内本にはよく出てくる山だから、
参照してくださいな。

とにかくこんな風に、
ぐるっと一周回ってきた。

では、田代ルートに入って行きましょう。

車を停めた空き地からすぐに登りが始まる。



踏み跡はしっかりしているものの、
ところどころにこんな倒木が
あったりするので注意して進もう。



登り始めてすぐに思ったのは、
植生がけっこう変化に富んでいて
植物が豊富だという事。

こんなシダ類もあったり、





季節が来ればショウジョウバカマも咲いているだろう。



その気になれば山菜も様々手に入れられるところのようだ。

これは「うるい」と呼ばれる
オオバギボウシの若芽。



独特のぬめりがあっておいしいのだが、
今日の目的ではないので
もちろん採取はしない。

ていうか、ここでは採取してはいけない。

ところでこの「うるい」という山菜は、
毒のあるコバイケイソウの若芽とよく似ており、
トリカブトとニリンソウの間違いのように、
よく中毒騒ぎを起こすことで有名だ。

見分けるポイントは
葉脈の形とだけ紹介しておこう。

山道のところどころにあるこの植物が、
実はこの山の特徴の原因となっている

「ヒメカンアオイ」。

ウマノスズクサ科のこの植物は
よく似た種がいっぱいあって、
同定が難しい。
なので、既存のガイドブックや
自治体のホームページなんかに
書かれてある記載から頂戴した。

株の根元の地味な花が特徴的だ。



花は地味だけど、
この植物は派手な生き物の食草になる。

それが「ギフチョウ」。

以前葛城山で出会って写真を撮ったこともあるこの蝶が
生息する最南端が、
何とこの「龍門山」なのである。

ワクワクと続く。


・・・の日に

2015年05月13日 21時33分57秒 | 生活

今年のGWには
珍しく息子が長い間帰っていた。

子どもと過ごす「こどもの日」
は久しぶりかもしれない。

子どもといっても、
息子ももうすぐ30歳。
親父の手作り「味噌」は
まだ完成していないというのに、
息子は「三十路」を迎える

まだ小さい頃には
マラソンやトライアスロンにも連れて行き、
親父の頑張る姿をいやというほど見せてきた。
本当はいやだったかもしれないし
バカな親父だと思っていたかもしれないが
赤裸々に見せてきた。

今回はまあ三十路を迎えるということで、
三十路には三十路なりに
学ばなければならないことを、
伝授してあげなくてはと考え、
庭でBBQ大会を行い、
キャンプ用品の使い方、
火の起こし方から片づけ方まで
微にいり細にわたって
doironがこれまでに会得した
秘術を伝授してあげた。

冬はスノボ、夏はウェイクボードに凝っているらしく、
湖畔でBBQもよくするそうで、
帰ったら早速実践してみるそうだ。

肉を焼きながら、
息子には彼女の話をいろいろと聞かせていただいた。
さてどうなることやら。
いずれにしてもすべて息子の責任で
人生を幸せに歩いてくれることを、
父親としては願うばかりの
「子どもの日」周辺の出来事だった。

そんなGWもあけ、
息子も帰った最初の日曜日は「母の日」だった。

子どもの日には珍しく子どもと過ごしたけど、
思い起こせば、生まれて初めての

「母のいない母の日」

を迎えたわけだ。

つい昨年までは、
聞いてくれたらいいなと
演歌のCDなんかをプレゼントし、
聞いているのかいないのかわからないけど
イヤホンで流したりしてあげたりもしたが、
もう聞くこともない。

規則で棺にいれられなかった
こてこて演歌のCDを
まったくどうしてくれよう。

今年の母の日は仏壇に
好物の田舎まんじゅうを供えたくらいで、
白いカーネーションなどという
感傷的な雰囲気造りはしなかったよ。

花より団子のイメージの
人やったからね。

そして来月になると
生まれて初めて

「父のいない父の日」

を迎えることになる。


開眼式タケノコ騒動 2

2015年05月12日 21時39分12秒 | 生活

でっかいタケノコを肩に担いでいる
doironの姿に驚いた住職に
「〇〇さんとはお知り合いなんですか?」
と聞かれてしまった。

「つい今しがた知り合いになったばかりです。」
と答えると、
「変なおっさんやなあ」というような目で
見られてしまったわい。

後でミセスにも
「タケノコ欲しそうな顔してみてたん違うの」
といわれてしまいましたが、
けっしてそんな意図はなく、
車の件もあったし、
楽しく山話をしただけだったんやでと反論。

「全く誰とでも話をするんやな」
とほめられ?た。

さっそく開眼式用に持ってきた果物や
義父さんが生前に好きだった食べ物、
缶ビールにお酒、
そして聖天さんで買ってきたワンカップローソク



とともに、そのタケノコもデーンと置いて
開眼式をしていただくことになった。



関東に住む義兄は、
近所で墓といえば圧倒的に洋墓なんだそうなので、
墓の形は義兄のこだわりで
洋墓にしていただいた。

黒御影の特別注文の墓で、
費用は決して安くなかったが、
見る限り石の質もよく
デザインもみんなが満足のいく形になっていたのは幸いだ。

開眼式というのは、
墓の完成の際に営まれる法要のことで、
いわゆる入魂式のようなものである。

住職による読経やちょっとした儀式、
参列者の焼香などが行われ、
そして今回の場合は最後に墓石を少しずらせて、
そこに義父のお骨を納めて法要が終わった。

時間にして40分くらいのものである。
無事に法要を終えて車に戻ると、
な、なんと運転席の横に地面に
掘りたてのタケノコが3本、
デーンと置かれてあった。



どうも〇〇さんが追加で持ってきてくれたようだ。

ホンのひと時の出会いで、
そこまでしてくれるとは本当に有り難い。

見ると停めてあった軽の貨物もなくなっていた。

心の中でお礼を言って、
さあ山下りだ。

登りに比べて下りの方が断然怖い。
乾いているとはいえ、
枯葉の積もった山道は滑ることこの上ない。

下手にテールを振ってしまったら、
頭から斜面に突入してしまいかねない。

ギアをローに入れ、
重力とブレーキだけを使って慎重に下っていった。

途中、分岐の山道の方に
〇〇さんの車が止まっているのが見えたので、
姿は見えなかったけど
道が狭くて降りられなかったので、
クラクションを鳴らして
開けた窓から大きな声でお礼を言ったら、
どこからともなく
「おう」という声が聞こえたような気がした。

帰りも木でミラーを少しこすったくらいで無事に下山。

寺の山門のところにあるお店で、
予約してあった昼飯を食べ、
帰宅したdoiron一行なのでありました。

もちろん帰ってからもミセスは忙しい。

いただいたタケノコを半分うでて、



残りを友達に持って行ったら
喜んでいただいた。

こうして、開眼式も無事に終わり、
義父の件は一段落だ。
これからは、当麻寺に
おりに触れて出かけることになるだろう。

サクラ、ボタン、



紅葉などを愛でがてら墓参りに出かけようと
楽しみに思っている。

後は実父母の墓への埋葬が残っているが、
まあこちらは慌てず、
墓の整備も考えながら
じっくり取り組めばいいかな。

新緑が出そろい、
梅雨の季節が終わったら
「初盆」がやってくる。

浄土宗の初盆は大変だ。

わらの家や野菜の動物などを作って
盛大にお迎えしてあげないといけないらしい。

我が家の場合は、
二人分の初盆を一回で済ますという、
あまり前例のないことなので、
近所の人に段取りを訊いても
要領を得ないことが多い。

ここはお寺とよく相談しないといけないかもなあ。

まあ、なにわともあれ、
こうして少しずつ別れの儀式は過ぎてゆき、
徐々に慣れながら、空白は埋められ
生活が日常に戻っていくのだ。