ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

泉州マラソンコースを歩いた11

2019年08月21日 20時59分48秒 | ウォーキング

貝塚に入って少し走り始めると
左側に「堀之町通」という
石が見えてきました。



たしか以前紀州街道を
歩いているときに
立ち寄ったりした場所ですねえ。
左に向かって少し立ち寄ってみると、



コースの一本山側に
静かな通りが続いています。



まあ普段だったらこの辺も
じっくり見ていくのですが、
今回のテーマは泉州マラソンですから、
浮気してはいけません。
元の道に戻りましょう。

こんな古い新聞屋さんや、



昔岬ランをしていたころから
ずっとそうだった目から光を放つ
狸なんかを眺めながら進んでいきます。



貝塚の駅から下りてくる道を
見ながらさらに行くと、





左側に大きな石垣のある
でかい土地が見えてきます。



ああ、これは大きいなと思っていたら、
入り口の門のようなところに
国登録の有形文化財の
案内の石が立っていましたよ。



「寺田家住宅」とありますね。

え~っと先ほどの五風荘は
寺田利吉でこの家寺田利治です。
きっと織物関係も関係していた
寺田財閥の一員なんでしょう。
血のつながりはよくわかりません。

マラソン走りながら
この三角の石垣のある家が
見えてきたらぼちぼち
23キロ地点です。

二色の浜にそそぐ川の新町橋を



わたったらここがその地点。



そしてここから水間の方に
つながる岸和田牛滝山貝塚線を
越えていきます。

実はこの辺りでdoironは
ここのマラソンを
リタイアしたことがあります。
泉州マラソンのリタイアは
この時と、あと38度の熱が
出ていた時と二回です。

その時は水間の方に上がっていく
コースを含んでいたので、ここが
30kmくらいの地点だったと思います。

昔からたまに出る頻脈発作が
起こったのです。
脈拍が一気に200を超えるほど上がります。
この発作はしばらく経つと
止むのでガードレールに座って
休憩していたのですが、
なかなかやみません。

これはもうやめた方がいいかな
と思い係員に声を掛けたら
救急車を呼んでくれはりました。

まあ心臓の事なので
それでもいいかと思い、
やってきた救急車に乗ることにしたのです。

この発作は長くても5分くらいで
終わるのですが
その時はなかなか終わりませんでした。

胸にセンサーを付けて
発作時の心電図が
初めて手に入ったわけです。

病院に着いた頃に発作は
見事に止まったのですが、
その発作時の心電図は
とても貴重なものになり、
その後カテーテル手術を
しないといけないことになったという
そんな思い出深い大会でありました。

今から思えばよくそんな体で
過激なことをやっていましたねえ。

今この辺を歩きながら、
思えばdoironマラソン人生の
大きな出来事だったわけですな。

水間の方から流れてきている
近木川をこえていくと、



そこが第4収納地点です。





23.9km地点で170分。
だいたいキロ7分12秒
くらいの制限ですね。

ああ、ここまで来て制限とは
厳しいでしょうねえ。

ここが23.9km地点なので、
すぐに24キロがくると思っていたのに
見つけることができませんでした。



あ、これかなあ。

いやそんなはずはありません。
少し戻ってみますと、
ああ沿道の草の陰に隠れていました。



草をていねいにどけて撮影です。



道に書かれてある印も、
自転車専用道の下に
半分隠れていましたねえ。

まあこの自転車道は最近
書かれているようです。

そしてさらに進んでいきましょう。

旧街道の和歌山との分岐点となる
鶴沢橋をわたり、



道を眺めていますと



そこにあったのは25km地点でした。

で、この辺で携帯を見てみようとしたら、
あれ?ありません。
け、携帯がありません。
ウヒャーこれはもしかして
落としたのか?
今回はナビも入れてないから
もしかしたら車に忘れてきたのか
とちょっとパニクってしまいましたね。

とりあえず歩くのはこれくらいにして
車に戻りましょうと、
その近くの鶴原駅から電車に乗ります。



蛸地蔵から



だんじり会館の駐車場に戻ったら、
座席の上に携帯が転がっておりました。

やれやれです。

まあ今日は暑いので歩くのも
これくらいにしといてあげましょう。

でもせっかく頑張って
持ってきたお弁当なので、



岸和田城の公園で食べて



今回の歩きはこれで終了。

次回は鶴原駅から歩行を
始めていくことになります。

続く


泉州マラソンコースを歩いた10

2019年08月20日 20時56分00秒 | ウォーキング

さあて、泉州マラソン歩きも、
とりあえずはハーフまでは
いきましたね。
ではここから後半戦が
始まっていきますよ。

この時の歩きは岸和田だんじり会館の
所の駐車場へ車で行き、
そこからコースに出て
歩き始めていきます。

車をとめると駐車場のおじさんが
歩いてきます。

「え~っと、今からやと
だんじり会館も空いてないし、
お城に入れる時間でもないですよ」
と説明にきはります。

「あ~この辺ウロウロしてるからいいですよ」
と言いつつ停めていきましょう。

確かにウロウロしてるからいいでしょう。

とりあえずお城の方に上がって行き、
まずは五風荘を再度見に行きました。



ここは岸和田市長もした
寺田氏が昭和12年に作った
大邸宅跡である。



当時は楠氏との関係で
「南木荘」と名乗っていたが、
後に寺田氏の諡である
「五風院」から「五風荘」
という名になっている。

今は岸和田市のものであるが、
以前は「がんこ寿司」で
いまは岸和田グランドホールが
完全予約制で食堂をやっており、
前から行ってみたいな
と思っていたのだ。

何もそこの料理を是非食べてみたい
というわけではないですよ。
4000円以上するからねえ。
でも何やら施設が面白そうやな
って感じなのだ。

高校生の頃は美術の時間に
この建物の絵を描いたことがある。
あ、母校がすぐ横なんです。
あんな絵が残っていたら
面白いだろうにねえ。
もう多分どこにもないでしょう。

先日の老人会で、
ここの施設の経営者側と
話をすることができたので、
まあまた何か特別な出来事があれば
行ってみましょうかね。

もう一つここに来たのには
理由があります。

実はその五風荘の前の道は
泉州マラソンの以前に実施されていた
千亀利マラソンのコースでした。
当時は出場者も少なく、
走っていてもばらばらで、
この五風荘の横を走るdoironの姿が
テレビにばっちり映ったことがある
のを思い出します。

残念ながら今の泉州マラソンでは
この道は通りません。
旧の国道26号線の方しか
走りませんので、今日はそちらに
戻っていきましょう。

前回の歩きでは21キロ地点を
確認したところで終えていました。

中間点も大きな工事の中
だったので確認はできませんでした。

残念ながらこの時もまだ
工事の真っ最中でしたねえ。
仕方ないので先に進んでいきましょう。

この辺り、結構道のアップダウンがあります。
ぼちぼち疲れ始めてきた足に
こたえ始めますねえ。

この先のあたりで昭代橋を渡ります。



ちょうど岸和田と貝塚の境目あたりを
流れる津田川の橋です。
ちょっと海手の方には清見橋の
かかるところですねえ。



その橋の先で、道路に何か
記載があるぞと思ったら、
第4収容の予告です。



距離は23.9キロのところですから、
おおむね二キロくらい前の予告ですね。

このへんで収容時間がきわどいぞ
となったら力が抜けてしまいそうですねえ。
いやあ選手によっては地獄の看板が
ここに立ったりするんでしょうね。



そしてそんな収容予告の
少し先のここが22キロ地点です。



昔このへんで当時記録を争っていた
友達と走りながら話をしたことがあります。

「なあ、このペースやったら
3時間切れるでなあ」と声をかけると
「いやあ、もうついていけんわあ」
といってはりました。

たいがい僕らも三時間切るのは
無理やなあという感覚は
この辺りから生まれ始めています。

その友達は、のちに三週連続の
フルマラソンで三回とも
サブスリーをするという怪物に
なりはりましたけどね。

今は残念ながらもう
引退してはるようです。

走力がよく似た人というのは、
いつも同じようなあたりで
並走したりしますねえ。

さあ、ゴールまであと20キロちょいです。
まあいけるところまで
頑張って走ろうと、
これくらいから励ましあったりするのです。

続く


新車で初の遠出2

2019年08月19日 21時05分25秒 | 最近の出来事

刀を眺めながら、
どこをどう見たらいいのだろうと
わからないまま進んでいきます。

で、ふと刀の破壊力とか
知ってみたいなと刀の断面を



探ろうとしたのですが、
これがねえ全然見えないのです。

刀はすべて横から眺めるだけで
前から見るということが
どれもできないのです。
前面ガラスで展示しておくだけで
いいのになあと思うのですが
あきませんでしたねえ。

刀身の展示の方法とかは
安全を意識して決められて
いたりするのかなあ。
そういう見方ができないのが残念でした。

刀は全部で100本くらいはあったかなあ。
どれも何となく研ぎ澄まされた形で、
ちょっと緊張感の残った展示でした。

刀の展示を過ぎて、平山郁夫展にも
入っていきます。



それなりに自分も絵を描いたりするのですが、
この有名な人の絵なんかは
あまり知らないのです。

はあはあとか言いながら見ていきます。
生の絵は絵の具の跡なんかを
見てしまいますねえ。

「こんな細かいところは
どのように塗るんだろうか」
とか
「え?これはどのようにして
つるしているの?」とか
変なところを見てしまいますねえ。

また佐藤忠良の彫刻展示も
見ていきます。
でさあ、思うんやけど、
こういう人の彫刻って
どうして裸の女の人が
多いんでしょうねえ。

確かにきれいな表情とかも
多いのですが、何となく
少しHな感じが残ったりしている
自分は変な人なんでしょうかねえ、
なあんてことを考えながら
見ていったdoironだったのでした。

それにしてもこういう美術館というのは、
何となく心のすみっこに
印象が残りますねえ。
一度、安野光雅さんの
美術館なんかも行ってみたいなあ
なんて考えてしまったのでした。

さあ、ではここを出て次は
お菓子屋さんである
「たねや」の展示施設を見に行きましょう。

湖岸道路に出てさらに
北に向かって進んでいきます。
琵琶湖大橋を横に見ながら、
ああ、この辺は琵琶湖駅伝や
バイクの練習なんかでも
通ったなあとか思いだします。

そしてこの春に行った
長命寺の所から近江八幡の方に
入っていったところにあるのが
お菓子屋さん「たねや」の
ラ・コリーナという施設です。



広大な土地を緑いっぱいに
しながら特徴的な建物が立っています。

こんな施設の中で、
お菓子を売っていたりするのです。





いろいろと眺めつつ
栗の入った最中セットを
買って帰りました。



緑がおおくてとても目に
優しい施設でしたね。



こんな感じでまだまだ
広げていくような感じでした。



さあ、ここがすんだら
だいたいこちらの湖東の
施設は予定終了です。

先ほど通った琵琶湖大橋までもどり、
浜大津の方に行って
食事をすることにしましょう。

ここまで車をずいぶんと
走らせてきましたが、
まだ同じ車種の車を
見ることはなかったですねえ。

こちらの方は雪が積もったりするから
四駆のこういう車は
大阪より普及しているかなあ
と思ったのですが、
まあ時期的にもまださほど
そこまではいっていないようでした。

これから増えるのかもしれませんね。

運転は快適なので、
居眠りなんかしないように
頑張って運転していきます。

雄琴を越え、ようやくたどり着いた
浜大津では簡単なイベントを
しているようでしたねえ。

ビールでいっぱいなんて
いいんでしょうが、
今日は車運転なのであきませんね。

遅い昼食でおなか一杯になって
さあ帰宅です。
新車の運転にはこれで
かなり慣れましたねえ。

次はどこに行こうかなあ。
孫の所かなあなんて考えながら、
帰宅していくdoironなのでした。

ーーーーーーー

車にはなにかセンサーみたいなものが
いっぱいついていて、
狭い道では白線を踏まないように
運転しないとピピっとなったりしますし、
信号待ちで前の車が発信して
出遅れるとププッとか言ったりします。

確かにいろんな機能がついて
便利なのでしょうが、
変に安心して気を抜いたりしちゃ
いけませんね。
あくまでも安全運転で
しっかり遊ばないとね。

おしまい。


新車で初の遠出1

2019年08月18日 21時03分07秒 | 最近の出来事

買った新車で初めての遠出をした。

まあ遠出といっても滋賀県なのだがね。
すこし前に行こうとしていた
遠出の旅の出発で、
松原あたりの高速道路を
走っているときに
飛び石があってフロントガラスに
ひびが入ったので、
慌てて帰宅したことがある。



今回はそれのやり直しのようなものだ。

天気は雨上がりということで
それほど良いという感じではない。

最初は最近できた箱館山の
テラス見学なんかを予定していたのだが、
どうも今回の天気は



登ったところで景色も
あまり望めないだろうし、
下手したら雨に降られそうなので、
今回は美術館などの見学や
お菓子屋さんの施設見学なんかを
計画して出かけていくことにした。

経路はこの前飛び石のあった
経路と同じ高速を通って行く。

あんなことあったから
苦手やなあではなく、
乗り越えていくのだ。

この日は車の動きも快調ですねえ。
様々な新車のサポートも試してみました。

横の白線を踏みそうになったら、
ごく自然にハンドルが
戻っていったりするんですねえ。
まだオートクルーズは
慣れていないので使えなかったなあ。

少しずつ慣れていくようにしましょう。

京滋バイパスの瀬田東で
一般道へと入っていきます。

ここから琵琶湖の景色を
見ながら北上していきます。
ちょうどその経路の途中に
矢橋町を通ることになるわけですね。

草津を歩いた時に、
ここに行く道標がありましたねえ。
なので興味のある所でした。



昔はこんな渡り船が
盛んだったようですが、
突然の大風で船が
曳航中止になることが多く、
急がば回れ瀬田の唐橋
という言葉の元になったようです。

今日は風も強くて、
波もありましたから、
もし今そんな渡しがあったとしても、
この日はきっと曳航中止に
なっていたでしょうねえ。

また遠くに比良山系の方も
見渡せるのですが、
やはり山の天気も良くなさそうだから、
山にはいかないという
計画通りに進めていきましょう。

最初に目指したのは

「佐川美術館」でした。



ここは佐川急便が平成10年に
創立40周年を記念してできた美術館。
常設としては日本画家・平山郁夫と
彫刻家・佐藤忠良の作品が
並べられている。

この時は特別展として
日本の刀展をやっていましたね。
さざ波街道と名付けられた
琵琶湖の湖岸道路から遠くに
琵琶湖大橋が見え始めた頃、
右折してその美術館の方に
入っていきます。

駐車場に車をとめ、
JAFの会員券を使って
割引入場券を買います。

実は今度の新車ではトヨタ経由で
JAF会員となっているので、
そこはうまく活用ですね。

これまでいろんな施設を回りましたが、
多くのところでJAFの
割引がありますから
活用していかないとねえ。

とはいえもう数年したら
シルバー割引とか使える用に
なるんやけどね。

さあでは美術館に入っていきましょう。



はーい、みなさん。
ここが佐川美術館で~す。

建物の周りに浅い水面を作って、
琵琶湖の周辺という
イメージを出していますねえ。



建物もちょっと静かで
粋な感じです。

こういう誘導路を歩いて



中に入っていきます。





まずは特別展に入っていきましょう。



そういえば日本刀の展示は、
旅行で東北に行った時に
見てきましたねえ。

中に入っていくと、
ずらっと刀が並んでいます。

どれも刀部分はピカピカに
磨かれていますねえ。
錆のひとつもありません。

普段は手入れがとても
大変なんでしょうねえ。

素人が刀を見てまず目を
奪われるのが「刃紋」だ。

刀の切っ先口と本体との間にできる
微妙な模様を言う。

何となく月が出ているような模様とか、
小山が連なっているようなものもある。
もちろんまっすぐ曇りのないものもある。

「ああ~これで切られたら痛いやろなあ」
なんて思っていたら、
同じようなことを言ってる
お客さんもいましたとさ。

続く


最古の国道 竹内街道3

2019年08月17日 21時18分33秒 | ウォーキング

この21階の展望室には、
簡単な喫茶室もありますねえ。



遠くの景色を眺めながら
お茶でも飲みましょう。



途中でここで働くカイさんにも
メールしてみましたが、
やはり仕事時間中ですしねえ
なかなかつながらないようです。

まあ無理をいってはいけませんね。

では降りていきましょう。



堺市役所を出ると左が堺東駅ですが、
竹内街道はここから右の方に移動していき、
その先で線路をわたります。

このあたりはまだ西高野街道と
同じ経路を歩いていますねえ。

ここにあるのが西高野街道の道標で、
この道標は1里ごとに残っています。



そしてその先に、
高野街道と竹内街道の分岐点があります。
それがここ。



右にあるのが大阪府の
歴史街道の道標ですねえ。



そして左の新しいのが、
最近建てられた道標です。

とはいえ横を見ると
明治38年に建てられたとありますが、
そんなに古くないはずです。

修復されたのかなあ。
でもまだ石の角っこなんかも
新しいし、文字に塗られた
黒いのも濃いままです。
これが5年前にdoironが
ここで撮影した道標ですから、



これからももう変わっています。

明治38年に建てられた
道標を受け継いでいるって
ことなんでしょうが、
でもこれをやられると
歩きマニアにとっては
かなりの混乱がうまれる
やろなあと思ってしまいます。

そんな分岐点を左に進んでいきましょう。

この道は初めて通る道となります。
途中、こんな地蔵さんがあったり、



これは布団太鼓の小屋かなあ。



なんか歌のようなものが
書かれています。
そしてこんな道標も、



ここでは結構建てられているようです。



そうしているうちに
中央環状道路にでましたねえ。
竹内街道はここからこの
府道2号線を500mくらい
進んでいくのですが、
まあこの日も猛暑ですから、
今日はここまでにしときましょう。

歩いたのはこんなコースです。



あちこちウロウロ曲がったような
気がしましたが意外と
まっすぐ来ていますねえ。

続きはまた別の日に
てくてく歩いていくことにしましょう。

前の勤務地の松原なんかを
通るのは楽しみですねえ。

そしてこの日は今年の梅雨明けの日でしたしね。
いつもよりかなり遅い梅雨明けでしたね。

で、いよいよ大好きな夏が
始まるわけです。
暑いけどいっぱい今年も
遊べたらなあと思っております。

この日は、買い物もあって
泉大津の駅まで車で来て、
そこに車をとめてきました。
なので帰りは鳳から



東羽衣線にのって羽衣まで行く予定です。



ああ~この電車に乗ったのは
何年ぶりでしょうか。



20年くらいは乗っていませんね。
高架の線路を走って進んでいきます。

ずっと工事が進んでいて、
まだまだ工事中のこの駅。
羽衣テラスなんていう
施設がありましたねえ。
工事が終わったらどんな感じかなあ。
またリポートしてみますかあ。

竹内街道第1弾はこれで終了です。

ーーーーーーー

今回は百舌鳥古墳群の
古墳をかすめながら
スタートしました。
古市にはどんな感じで
歩いていくのかなあと
楽しみです。


最古の国道 竹内街道2

2019年08月16日 20時57分19秒 | ウォーキング

街道に入るといろんな案内があります。
街道の案内があるかと思えば



その先には道標があります。



これには「右 大鳥 伯太 父鬼 牛瀧」と
書かれてあり、裏には
「左 福田 長野 富田林 高野山」
とありますねえ。
全部歩いたところを指しています。
福田は西高野街道の関係です。

小さいけれど結構詳しく
書かれていますねえ。
もしかしたら
昔はこういう道標がこの先にも
もっといっぱいあったのかなあって
思ったりしますね。
とはいえ道も少なかったから
あまり必要もなかったかなあ。
どうなんでしょう。
もしかしたら
堺は何度か大火事で焼けてますから
失くなったという可能性も
多いんでしょうねえ。

この道標が立っているのは、
堺の「山之口商店街」の所です。



そこには「開口神社参道」と
書いてあるので、
先程避けたその神社の方に
ここから入っていきましょう。

ここがその神社の北口ですねえ。



中には幼稚園発祥の地の
案内もあります。



「私立堺幼稚園」がここ開口神社境内の
仮園舎に開設されたことによるものです。
3年後には「堺市立堺第一幼稚園」となり、
1936(昭和11)年
「堺市立第一幼稚園」と園名を
変更していますが、
そういう歴史のある神社です。

さらにこの神社は教育には盛んで、
三国ケ丘高校も置かれましましたし、
泉陽高校の発祥の地でもあります。



ここにはほかにも
「神願百度石」があります。



百度石はもういくつくらい
集まったでしょうか。
かなりのものを集めたような気がします。
少し変わった石となると
まあこれも該当するんでしょうねえ。



そしてこれが「影向石」。

ここに開口大明神が座っていた
という石です。

そんなのを眺めながら
「竹内街道を無事に歩けますように」
とお祈りしておきましたよ。



さあ、ではまた元の大小路道に戻りましょう。



歩道がきれいに整備されて、
向こうの方に堺市役所が立っています。
昔は南海堺駅あたりが
堺市の中心地だったのですが、
今はその市役所のある堺東が
中心になっていますねえ。

むむ、ここはいわしのお店ですか。



ほかにも干物や



ちょっと変わった健康料理の
店なんかが並びます。



年に何度かこの辺りのお店に
飲み会で出かけることもあるのですが、
しっかりチェックしておきましょう。

そしてその先で大小路橋を渡ります。
ここも昔は人でにぎわったところですねえ。
いまはこんな風に道路の形に合わせた



複雑な形の歩道橋がかかっていますが、



それぞれの橋の下の植え込みの中に、
昔の橋の痕跡が残されています。





そういう歩道橋をわたって
進んでいきましょう。

目の前には南海高野線の
線路なんかが見え始めました。

あ、ここになんか立っていますよ。



「銀座の柳」の言い伝え、ですかあ。

東京銀座は堺から来た職人が
銀貨を鋳造したところで、
今も柳が残っているのは
そんな堺の人たちが
故郷をなつかしんで
植えたからなんだそうです。

ああ、そうだったんですねえ。

じゃ「銀座の恋の物語」のルーツは
堺にあるんですねえ。へへ。

これが堺の市の木である
柳と堺市役所です。

まあ、ここまで来たんですから
堺市役所に寄っていきましょうか。

古墳を歩いているときに、
展示館の案内の人に堺市役所の
21階に展望室があって、
そこから仁徳古墳とかが
よく見えますよと案内が
あったのでのぞいていきましょう。

最上階の21階まで
上がっていきますと、
ああこれが方角からして
仁徳陵ですねえ。



もっとこんな風に見えるのかなあ
と思っていたのですが、
ちょっと高さが足りないですねえ。



しかしねえ、
やはり堺市は大きい町です。



政令指定都市で人口は82万人。



都道府県と比べても
山梨県・佐賀県・福井県・
徳島県・高知県・島根県・
鳥取県を上回る数です。

古墳もすごいですが、
ここから眺めると
圧倒的な人の数に
圧倒されますねえ。

あっちもこっちも
住居やビルだらけです。



続く


最古の国道 竹内街道1

2019年08月15日 21時32分14秒 | ウォーキング

先日、百舌鳥・古市古墳群を
淡々と歩き続けたよ。



この歩きにより
世界遺産の対象となった古墳は
すべて訪ねたことになる。
詳細は分からないよ。
ここは誰の墓なのかいというのも
いろんな説があるようだし、
ここで発掘されたのが何だったのか、
そんな詳しい考古学的なところは
よくわからない。
でもまあこれまで5回の歩きで、
名前の付いたこれらの墓を
何とかすべて回り続けることが
できたのはちょっとやった感があったな。

世界遺産になって以来、
すぐに旅行社なんかが
古墳巡りツアーなんかを
企画しているが、
それらもだいたい5回シリーズのようだ。

で、これらを歩いているときは、
ほかの街道とかもいろいろと
関連していたのが印象深い。

百舌鳥古墳群は紀州街道や
高野街道とも関係していたなあ。
そして古市古墳群は長尾街道や
高野街道、そして竹内街道とも
関係していた。

特に竹内街道は二つの古墳群を
結ぶような形で
つながっているのが面白いねえ。
それに以前働いていた地域の中を
通ったりもしているしね。
なので昔から竹内街道は
日本最古の国道だといわれていたんだよね。
むかし行政関係の雑誌にそんな街道の事を
書いて掲載してもらったこともあったなあ。

そういう経過もあり、
いつかこの竹内街道を
端から端まで歩いてみたい
という希望をずっと胸の中に抱いていたのだ。

今回、世界遺産の関係歩きの中で
その街道に触れたこともあって、
じゃあぼちぼちとこの街道を
歩いてみるかと、思い立ち
長年の希望をようやく
かなえることにしたのだ。

大阪の堺市から奈良県の磐城までの
かつての「国道」だから
重要な仕事をいっぱいしたんだろう。
例えばこの道を大阪湾や二上山とから
運んだ石や木で、古墳を作ったり
もしたのでしょう。

いつものように少しづつ
歩きながら様々なものを
見て進んでいくことにしました。

スタートは南海本線の堺駅。

泉大津から電車に乗り、
泉州マラソンのコースに沿って
北へ移動していくのだ。



ここが「堺駅」。

ここから東向いて南海高野線の堺東駅、
JR阪和線の三国ケ丘駅へと
歩いていくコースをとる。

ちなみに終点の三国ケ丘駅は
仁徳天皇陵(大仙古墳)を
訪ねていくときに降りる駅だ。

ではまずは堺駅の周りを見てみよう。



駅を出て少し南に行くと



川が流れており、ここに
南蛮橋が架けられている。



堺の町はこういう環濠が
たくさんあり、いまは
環濠クルーズなどの船が
浮かんでいたりする。

う~ん、そんな環濠を見下ろすように
立つdoironなのであった。

そこから東向いて勇橋の横の



栄橋を渡り、東向いて



進んでいくことになる。



町並みの道は整然とつけられている。
歩いていく道もこんな古い
店の横の道もまっすぐにつけられている。







このままいくと開口神社の
ところに出ていくのだが、
ちょっとここで左折して、
大道筋と大小路線の交差点に
出ていきましょう。



阪堺線の大小路の駅のある交差点で、
ここが竹内街道と紀州街道との
交差点になります。

そしてまたここはまさしく
和泉と摂州の境目となるところで
まさしく「堺」なのであります。
そんな案内の道標が立っています。



今回は紀州街道はいきませんよ。
竹内街道を進んでいきましょう。
古いガス塔が立つ交差点の先には、
この道の案内が立っていました。



ここは「西高野街道」でもあります。



以前歩きましたねえ。
途中三国ケ丘から河内長野までは
以前の職場のマラソン仲間
とも歩きました。

そこから先もまた彼らと
歩きたいのですが、
今は現在元気にされて
いるんでしょうかねえ。

そしてこの竹内街道の案内も
立っていますよ。



ここらの道標はまだ新しいようです。

案内板には、竹内街道は
かつては「丹比道(たじひみち)」と
呼ばれていたと書かれてあります。

堺から竹内峠をこえて
奈良の都へと結ぶ需要な道で、
政治、経済、外交などの
重要なルートだったといわれているのです。

続く


続・ミセスの誕生日

2019年08月14日 21時08分16秒 | 最近の出来事

これくらい高齢者になると、
さらに年を取る誕生日っていうのも
なんだかなあって思ってしまうねえ。

でもまあ人生の半分もとっくに過ぎて、
あと残りお祝いできる誕生日というのを
数えただけでも貴重な
ひと時となるわけだ。

そんな話をしてたら、
まあどんなことも誕生祝いやあ
とかこつけて、それを楽しめば
いいんじゃないかという話が
ミセスとの間でできていた。

で、続・ミセス誕生日記念として
たこ焼きパーティをすることにした。

え~と、たこ焼きの機械はというと、
もちろん大阪の人ですから
必ずおうちにはあります。
それをひっぱりだしてきて始めます。

あ、もちろん準備はdoironが行います。
誕生日は向こうですからね。
機械の清掃から具の用意、
粉の調整もです。

そしてビールはこの時のために
普段は必ず350mlのところ
特別に500mlをジャジャーンと
冷やしてあります。

たこ焼きのエキスを入れていきます。



この時に、先日亡くなった
同級生の話をしてあげました。

彼はたこ焼きがとても好きでした。
ていうか、たこ焼きをあてに
飲むビールが好きだった
という方が正解かもしれません。

近所のたこ焼き屋さんで、
ベンチに座ってたこ焼きを
幸せそうにつつく彼の姿を
何度見かけたでしょうか。

そのたこ焼き屋は、
たまにはdoironも運動帰りに
買って帰ることがありました。

で、以前彼に見つかって呼び止められて、
ベンチに座ったことがあるのです。

まあまあ一杯行きやあと
ビールを進められます。

そしてたこ焼きをつつくと・・
おお~蛸が山盛りです。

聞けば蛸の量を二倍にしているようです。
「こんなんやったらイカを入れても
おいしいやろなあ」とか
言って話をしていたのですが、
まだそこでのイカ入りたこ焼きは
売られていないようです。
何か差し支えることがあるのかなあ。

そんな話をしながら
たこ焼きをつくっていきます。

具を入れていきましょう。



多めに買った蛸の足を
ふんだんに入れていき、
天かす、ネギ、しょうがも
入れていきます。
ある程度あったまってきたなあ
と思ったら、さあここからが
doiron家の技術の見せ場です。

とはいいつつもなかなか
うまくいきません。
この時にまたもう一つの
たこ焼きに関する話をしてあげました。

あれは、マラソン帰りに
神戸の花見に行った時の話です。

たこ焼きでも買おうと店に行くと、
若い女性が一人で店で焼いていました。
これがねえ、めちゃめちゃへたくそで、
ひとつずつまるで真珠の出来を
確かめるように丁寧に
転がすように裏返していくのです。
なので出来上がりが遅く、
ふと後ろを見ると
すごい行列ができていました。
その行列を見ただけで
「ここのたこ焼きはすごいんじゃないか」
と周りの人が誤解するようです。

それでもその子は一つずつ
丁寧にやいていきます。

「おねえちゃん、中に入って手伝ったろか」
と言いそうになるほどでした。

そのときです。
そう体系がたこ焼きのように
丸いお姉さんが、
バケツにたこ焼きの元を入れて
店に戻ってきたのです。

水道へ粉をときに言ってたのかもしれません。
行列を見るなり、そのネイサンが
「あんた、ちょっとどき!」といって
たこ焼きの前に立つのです。
そして両手に千枚通しを持ったかと思うと、
もう手元の動きがよくわからないくらい
すごい動きでたこ焼きを裏返していきます。

先ほどの若い女の子の
100倍くらいの早さにみえます。
しかも両手で二個ずつの作業です。
あっという間に機械の中に
たこ焼きが出来始めました。
もうまるで竜宮城でタコやネギが
舞い踊っているような感じです。

思わず行列から拍手が
巻き起こったのは言うまでもありません。

あれはもう、僕が目の前で見た
最高のたこ焼き名人芸でしたな。

とまあそんな話をしながらも、
ぎこちない手つきでdoiron家の
たこ焼きも出来上がってきます。



それがこれです。



半分は醤油で半分はソースのたこ焼き。

「お客さん、マヨネーズはどうしますか」
と聞いたり、
「ソースは辛口もありまっせ」
なんか言いつつ進めていきます。

「なんか料金とられそうやわ」
とミセスにいわれてしまいましたな。

ビールを飲みつつ、
そんなアホな
続・誕生日祝いをしている
doiron家なのでした。


ミセスの誕生日

2019年08月13日 20時56分24秒 | 最近の出来事

本日ミセスがdoironより早く
一歳年上となる誕生日を迎えた。

この日に向けて、
え~まず誕生日のお祝いは
前から行きたいといってた
ビフカツやさんに連れて行け
というので、行くことにしたのだ。

え~年金生活者なので
ビフカツなどというごちそうは、
清水の舞台から飛び降りる
というほど大ごとではないが、
二階のベランダからトユを伝って
下ってくるような気持ちで
挑むことになるわけだ。

12時スタートのこのお店に
11時55分くらいに行くと、
すでに13人待ちの状態である。

ここはたいがいこんな状態で
行列ができる店なのだ。

正午になって中に入ると、
席はだいたい30席くらい
あるんやないかなあ。
テーブルもあるが
これらは全部相席となる。

6人掛けのテーブルだと、
二人グループが3組座ることになる。
ふつうこういう場合は、
「相席でもいいでしょうかあ」と
断りが入るのだが、
ここはもう相席は当たりまえ。

順番に店に入っていくと、
あなたはここ、そしてあなたはここ
と椅子が決められるのだ。

というのも水を出す順番や
注文を受ける順番はそれによって
確実に決まっていくわけだ。

おいてあるテーブルクロスに
草原のような簡単な絵と
メニューが書かれてあるので、
それを見ながらみんな
注文を出すことになる。

doiron家はビフカツ定食と
生ビールいっぱいである。

これに向けて、暑い中近所の公園を
てくてく歩いて、そしてこの店までも
歩いてやってきたわけだ。

向かいに座った男女は
すごい海外話をやってたなあ。

「スペインのサグラダファミリア」
に行った時の感動なんかを
話ししてたなあ。
doironたちも負けずに
「帰りにはサグラダファミリーマートで
買いもんだあ」なんて
ささやき合ってたもんね。

やってきたビフカツがこれ。





これにライスと大きなスープが付き、
食後にはコーヒーがついて
1000円である。

ミセスに

「ずっと行きたかったけど、
来てみて食べたらどんな感じ?」

って聞いたら「普通」って言ってたよ。
でもまあ全部で1000円だから
こんなもんかなあ
とつぶやいていたなあ。

うちの話は周りに聞かせられるような
素晴らしいものでは決してないわけだ。

この店のママさんは、
昔はマラソンをやってたそうだ。
合間にそんな話もしようと
思っていたけど、
行った時間帯あたりだと
忙しくてそれどころではない。

あ~おいしかったと店を出るときに、
「マラソンはまだやってはるんですか」
って聞いたら「あ~やめたよ」だって。

そうやねえ、もう年齢からみても
しんどそうやしねえ。

「僕も辞めたよ」なんて話もできないまま、
店を出てきました。

ここに行くなら、それくらいの
12時45分くらいからが
空いてていいかなと
その時は思いましたねえ。
まあ日によって違うのかもしれんけどね。

とりあえずミセスは長年懸案と
なってたこの店に入れて
よかったと申しておりました。

doironも義務を果たせてほっと一息です。

ミセスは
「これで私の誕生祝い第1弾は終わったねえ」
といってはりました。

え?第1弾って何。

「あとまあ、夕食にあそこの店に行って、
誕生日記念にあれを買ってもらって・・」
だって。
第なに弾まで続けんねんって
感じでしょ。

まあ最近、あれをやらなきゃとか
これもしたいななどという
希望をあまり持ってはれへんので、
どうも思考がめんどくさい方向を
向いているような気が・・・。

まあまあ、ふだん好きなように
させてもらっているので
仕方ないですね。

還暦も過ぎて、アラセブに
順調に近づいていってる
doiron家の話なわけです。

誕生日、おめでと!


老人会19夏宴会

2019年08月12日 20時58分07秒 | 最近の出来事

泉州マラソン歩きが続いていますが
ちょっと続き歩きが止まりましたので
また後程続きを書いていきます。
しばらく別の話題が続きます。

ーーーーーーー

60歳を超えると、
わが村では老人会に
入ることになっている。

もちろんdoironも60歳を
数歳超えているから
すでにメンバーの一人になっている。

でもなあ、老人会って
笑ってしまうよなあ。
こんなあっちこっちウロウロ
しているおっさんが、
そんな集まりの中で
ヘイヘイ言いながら集っているのも、
変なことだよなあて言ってたら
いやあ逆にそうしてのんびり
へらへらしているからこそ
老人会じゃんって声も
あったりするのかなあ。

うちの村の老人会の活動というと、
たまに要請があって、
イベント時の子どもたちの
警備をするくらいで、
あとは年に一度の町内清掃が
あったりくらいの活動なんやけどね。
まあ中でも熱心にみんなが
集まるのは、夏と冬の
宴会くらいかなあ。

その夏の宴会が先日あって、
まあ近隣の歳の者たちも
集まって参加したときのことを書こう。

忘年会の時は大きなうどん屋さんの
宴会場で行ったのだが、
今回は、村の人たちがよく参加する
葬式会社の宴会場で行った。
まあそこは結婚式なんかもするところで、
宴会も一つの事業として行っているんやけどね。
いつもみんなが使う葬儀会社の
一連の宴会だから、まあ言ってみれば
次の利用者さんたちへの
サービス提供になるわけやね。
うう、なんか恐ろしい。

しかもこの会社は最近なんかでは、
岸和田にある五風荘で
予約制の食事を
おこなったりもしているそうだ。



一度前からこの五風荘に
入ってみたいなと思っていたので、
ここで案内もいただいたので、
そのうちに予約を入れて
行ってみようかなあなんて思ってはいる。
まあそれはさておき、
今回は老人会の宴会である。

近所の人たち、特に年の離れている
高齢者の人たちとは
ふだんあまり話す機会もないので、
こんな時にはゆっくり
話したりもするのはとても貴重だ。
中には驚くような話もあるのだ。

まあこんなところには
書けないような話もあったりする。
そうそう、もうなくなったうちの
両親の話や祖父母の話なんかは
とっても貴重なお話だったりするのだよ。

先日、近所のおじいさんが
アンケートに答えたら
テレビが商品で当たった
という話なんかはとても面白かった。
そのテレビの接続で
家じゅうおおもめにもめたという話だ。

配線等がとてもややこしいモノね。

ここの料理はおいしかったですよ。
でもねえ、会長さんが色々と
年寄り向けに配慮をお願いしたのかな
というようなシックな料理が多かったかな。

ひとつ牛肉の料理が出たのだが、
これが面白かった。
肉の料理がかなりレアーな作りで、
断面が赤かったりした。
すると、ある年よりが
「こんな牛が火傷したみたいな肉が食えるかあ」
とぼやいていたなあ。

それを聞いて大笑いしたなあ。

宴会の中では、
今年の初盆の家はどこどこやなあ
とかいうのは役に立つ
いい話だったかなあ。

そうそう、首藤さんの初盆も
いかなくちゃなあと考えてしまいました。

ビール、ワイン、酎ハイ、お酒が
飲み放題でどんどん注がれて、
最後は酔っぱらってしまいましたよ。



バスで町内迄送り迎えしてくれて、
行きかえりはとても楽ちんでした。
ブログもこの日は予約投稿してあったので、
パソコンを開けることもなく
そのまま熟睡。

次の日は朝四時から起きて
散歩してたら、
近所の公園で結構多くの村人に
出会ったという、
真夏の老人会宴会だったのでした。