Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

脇坂安治 ~七本鑓と水軍大将~

2025年03月08日 17時03分37秒 | 読書

 「脇坂安治 ~七本鑓と水軍大将~ 」(近衛龍春著 実業之日本社 2021年9月25日初版第1刷発行)を読みました。

 

 

 

 「脇坂安治」と言われても、「どんな人物?」と思われる方も多いかと思います。私も詳しくは知りませんでした(~_~;)

 それで、まず、この本の「帯」に書かれている文言を次に紹介したいと思います。これによって、「脇坂安治」という武将がどんな人物だったのかの概略が分るかと思います。

 

「近江国の戦国武将・浅井長政に仕える脇坂甚内安治。その後、浅井を離れ織田信長の武将・羽柴秀吉のもとで頭角を現わす。本能寺の変を経て、賤ヶ岳の戦いでは敵の首を獲り、“七本鑓”の功名を立てる。大名となった安治は秀吉から水軍編成を命じられ、小田原攻め、朝鮮の役で奮闘。そして、一族の命運を分ける関ヶ原の戦いへ──。戦国時代を豪胆に、かつ綱渡りで生きぬいた武将の生きざまを描く歴史長編!」

 

 以上の文言から分りますように、「脇坂安治」は、元は、近江国の戦国武将・浅井長政に仕えていた、さほど身分の高い武士ではありませんでしたが、主家の浅井家の滅亡にともない、羽柴秀吉のもとに移っていったわけですね。

 そして、そこで頭角を現わし、ついには、賤ヶ岳七本鑓の一人に数えられるほどの功名を立てて大名となり、その後も、順調に大名の道を歩んでゆくわけですね。ただ、途中から、毛色の変わった、水軍を率いる大名とはなりますが、、、。

 なお、「賤ヶ岳七本鑓に数えられる武将で、一度も改易を受けずに明治維新を迎えられたのは安治の脇坂家だけ」(P.282)だったとのこと。「その理由は、関ヶ原の東軍参戦は裏切りに非ず」(P.282)だったからとか(関ヶ原の決戦以前に家康と接触していて、事前に家康から与えられていた書状に従っての行動だったからとか)。