Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

葉物野菜の収穫

2019年12月16日 18時17分50秒 | 家庭菜園

 今日は、家庭菜園に、葉物野菜の収穫に行ってきました。

 冷蔵庫内に葉物野菜がなくなってきましたが、そろそろ家庭菜園の小松菜が採れる頃だな~思い、それを採りに行ってきたわけです。

 その他に、ホウレンソウ、チンゲンサイ、春菊などの種も蒔いてありますが、それらは、まだ、採れないようです。しかし、ホウレンソウは、もう少しで採れるかもしれません(^-^;

 なお、行ったついでに、食用菊の枯れ枝を根元から切って片付けたり、葉物野菜の根元付近に生えた雑草を取ったりと、ちょっと、家庭菜園の作業もしてきました。


骨董市と古美術品交換会

2019年12月15日 18時55分08秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に一度の骨董市と古美術品交換会の日でした。

 12月も中旬なのに、今日は、それほど寒くもありませんでしたので、気分良く出発です(^-^;

 例によって、先ずは、骨董市のほうに、、、。

 骨董市は、だんだんと出店数が少なくなってきていて、どんどんと低調になってきている感じです(-_-;)

 それは、直ぐ近くに別な骨董市が出来、そちらの方が出展料が安いらしいので、そちらに出店替えをしている業者さんが増えてきているからなようです。

 そんな状況なものですから、古伊万里の出展数も少なく、気に入った古伊万里を発見することは出来ませんでした。

 それで、骨董市の方はそうそうにして引きあげ、次なる古美術品交換会会場へと向かいました。

 ところが、古美術品交換会のほうも、年末の納会だというのに、出席者が少なく、低調ムードです(-_-;)

 低調ながらも、淡々と進行していきます。否、むしろ、低調だからこそ、進行は早いんです。

 ところで、開始して間もなくの頃でした、伊万里の明治頃の大徳利が競りにかけられました。

 私は、特に興味はなかったんですが、どういうわけか、競り人と「目」が合ってしまったんです(^^;

 そうしましたら、競り人が、「お宅、買ってあげませんか。今日は、出席者も少なく、この大徳利を買ってくれそうなのはお宅くらいしかいないようだから、、、」と、私を直接指名してきたんです、、、(^^;

 それに対して、私は、「う~ん、でもね、大き過ぎて邪魔になるし、、、」と返答したんです。

 ところが、競り人は、「そう言わずに、買ってやったら、、、」と、再度、買うことを要求してきたんです(-_-;)

 そこまで言われると、私も、「今日は低調だし、今日の競りを盛り上げるためにも、景気付けの意味で、買ってやるか!」という気になり、発句に1,000円をプラスして競り落としました。

 競りは、その後もやはり低調で、低調のうちに午前中で終わってしまい、昼食を摂って解散となりました。

 

 今日ゲットした伊万里は、次の通りです。

 

伊万里染付牡丹文大徳利  正面

口には和紙を巻いた木製の栓が付いています。

高さ: 44.7cm

製作年代:明治時代

 

 

 

正面から右に90度回転させた面

 

 

 

正面から左に90度回転させた面

 

 

 

裏面(正面の裏側)

 

 

底面

高台径:13.5cm


タイヤ交換

2019年12月14日 18時55分12秒 | その他の日記

 今日は、タイヤ交換をしました。

 ここのところ良いお天気が続いて暖かいんですが、このお天気が崩れると、一気に寒くなり、雪でも降ってくる可能性もありますので、早めに冬タイヤに交換したわけです(^-^;

 ところで、このタイヤ交換に備え、先日、ホームセンターから、油圧ジャッキと電動レンチを買ってきておきました。

 これまで、タイヤ交換は、手動式のジャッキと手動式の十字レンチを使用して行ってきたわけですが、最近、加齢とともに筋力が落ち、手動での交換が大変になってきたからです(><)

 もっとも、交換作業を車屋さんにお願いすれば済むことではありますが、当面は、引き続き、自力でやってみようと決意したわけです(^^;

 ただ、現実には、油圧式ジャッキや電動レンチはこれまでに使ったことがありませんから、まず、それらの取扱説明書を読むところから始めなければなりませんでした(><) そのことだけでも時間がかかってしまったんです(><)

 そして、いよいよ、実戦に及んだわけですが、おっかなびっくり、へっぴり腰の感があり、これまた、作業がスムーズにいきません(><)

 結局、これまでの手動でのタイヤ交換よりは多くの時間を要してしまったんです(><)

 でも、油圧式ジャッキを使っての車の上げ下げの作業は、力を入れることなく出来ましたので、かなり楽でした(^-^;

 また、電動レンチを使っての、タイヤのナットを緩めたり締め付けたりする作業も、力を必要とせず、しかも、ガガガガーと、瞬時に終わりますので、大変快適でした(^-^;

 今回は、初めてのことでもあり、これまで行ってきた手動での交換作業よりも時間がかかってはしまいましたが、だいぶ慣れてきましたので、次回からは、これまでのような強い力も必要としませんから、楽に交換出来ることでしょう(^-^; また、随分と時間も短縮されることでしよう(^-^;


「黄金(きん)の日本史」

2019年12月13日 20時11分03秒 | 読書

 「黄金(きん)の日本史」(加藤 廣著 新潮社 2012年5月20日発行)を読みました。

 

 

 この本の「はじめに」には、次のようなことが書いてありました。

 

 

 「日本史が苦手」という人たちが多いと耳にした。

 「こんな面白いものは世の中に滅多にあるものじゃない」

 と信じている時代小説家としては、聞き捨てならない話だった。

 「一度ボクらの使う教科書を読んでみてください。うんざりしますから」

 若い人にそう言われ、早速、何冊かを手にしてみた。

 それは、老生が大学受験の時に学んだ教科書や参考書の三倍から五倍もあろうかと思われる、雑知識がすし詰めになった本であった。

 そこには、歴史を生きた人間の、呼吸も、息づかいも全く感じられなかった。

 これはもう、「歴史とはなにか?」という出発点の間違いである。文部科学省は、歴史を、ただの「暗記の学問」とでも勘違いしているのではないか?

 歴史は英語でヒストリー、フランス語でイストワールという。

 英語の「ヒストリー」の冒頭の「HI」は、呼びかけの、ハイ、ヘイと同じで、コーリング・アテンション(注目を呼びかける)の意味である(『コンサイス・オックスフォード・デクショナリー』)。その接頭語の後は、まぎれもないストーリー(物語)そのものである。

 つまり、併せると「注目に値する物語」となる。

 フランス語のイストワールは、もっとふるっている。

「①歴史」という訳語の次に、「②身の上話」「③作り話」という訳まである(『スタンダード仏和辞典』)から、思わず噴き出してしまう。

 さすが、鈴木信太郎、渡辺一夫といった、かつての洒脱な仏文学者たちの編集である。断然ユーモアがある。

 どちらにしても「おぼえる学問」ではないのである。

 といったわけで、お節介な老作家は、

「では、面白い歴史の本を書いてみよう」

 と、思い立った次第である。それには───

「なにか一つの柱を立てて、それにまつわる話にしよう。そうすると話の筋が一本通り、物語がよく判かるのでは───」

 それが「キン」である。

 この本の中では、俗に言う「おカネ」の「金」と区別するため、鉱物としての金を「キン」と片仮名書きにする積もりである。

 では、なぜキンが話の筋になるのか?

 それは「財の代表」であり、その集まるところが「権力と栄華の象徴」だからである。

 その結果が「注目すべき物語」になるのだ。

 

 

 また、表紙の裏面には、この本の宣伝文句として、次のように書かれていました。

 

 

歴史の主人公は黄金である。これを手中にするための覇権争いこそが日本史なのだ───金という覗き窓から定点観測すると、歴史教科書の生ぬるい嘘が見えてくる。ジパング伝説がどんな災厄を招いたのか、秀衡や秀吉の金はどこへ消えたのか、なぜ現代日本の金保有量は唖然とするほど低いのか───。歴史時代小説界のエースであり金融エキスパートでもある著者が、為政者への批判を込めて綴った比類なき日本通史。

 

 

 以上のように、この本は、「はじめに」や表紙の裏面に書かれた宣伝文句にありますように、「金(きん)」を柱にした日本史の通史になっています。

 ただ、普通の日本通史ではなく、エッセイ集といった形でもあり、内容的には経済史という面も有しています。

 著者の、長年にわたって蓄積された豊富な歴史知識に裏打ちされて書かれた内容の本で、気軽に読める内容でもあります。

 大変に面白い本です。是非、お読みすることをお薦めします。

 

追記: 先日(11月15日)、「家康に訊け」を紹介した際、ブログ友の遅生さんから、

 この本には、「家康の本拠地だった三河地方は、武田の甲州金山や織田の美濃金山のような、米麦以外の鉱物資源に恵まれていない」とありますが、美濃には金鉱山はおろか銅、鉄鉱山もなく、鉱物資源貧乏です。腐るほどあるのは石灰石。太古は海の底だったんです。
 織田の財布は、尾張熱田湊の交易です。美濃を必死に攻略したのは、戦略上の最重要地だったからにすぎません。美濃は今も昔も貧乏国です。

というような趣旨のコメントが寄せられました。

 それについては私も同感でしたので、本当に美濃に金山があったのだろうかと、その点に注意して読み進めました。 

それについて、この本では、次のように書かれていました。

 

「 最後の要因は、やはりキンである。信長はキンの産出国・美濃の斎藤道三の娘を妻に貰い、その妻の実家を奪って自分のものとした。これで懐にグ~ンと余裕ができた。

 そこに技術革新が加わった。信長の時代には、

  キン粉の採取から

  キン鉱石銀鉱石の発見へ

という新たな動きがあった。キン鉱石を採石し選別して、「灰吹法」という最新技術を用いて精錬する、その形が確立していった時期である。金山銀山もどんどん増えていった。

 一時、信長が天下を握りかけたのもそのお陰である。

                       (P.101) 」

 

 

 この本に依りますと、美濃に金山はあったことになりますね。

 でも、それは、とっくの昔に枯渇してしまい、今では話題にも上らないということなんでしょうか、、、?

 私の住んでいる所でも、少し山奥にでも行きますと、「昔の金採掘跡」というような場所がありますね。そのような所は、とっくの昔に採りつくされ、今では、せいぜい、小さな立て看板がある程度で、かつては金が出たことの名残を示している程度ですものね。


増えた白鳥

2019年12月12日 13時47分25秒 | 近くの池の白鳥

 散歩の途中、近くの池の白鳥の写真を撮ってきました。

 先日の5日に見た時には12羽しか飛来していなくて、例年よりも少ないな~と感じたところです。

 その原因としては、「観察場所」が、危険なためという理由で立入禁止になってしまったからかな~と思ったわけです。

 しかし、その後、そこを通るたびに、5日に見た時よりも数が増えてきているようでしたので、今日は、それを確認する意味でも、そこに立ち寄り、写真を撮ってきたわけです。

 立ち入り禁止の「観察場所」越しにも、何羽かの白鳥が見られます。

 

 

 立ち入り禁止の「観察場所」に立ち入って観察です(笑)。

 数を数えてみましたら、全体で38羽いました。まっ、例年並みの飛来数でしょう。今年は暖かいので、これまでに飛来した数が少なかったんですね。