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ゼルダ博士

1999年03月20日 | アキラ
 現在,我が家において『ゼルダ博士』といえば,取りも直さずアキラのことを指している。決して揶揄でも皮肉でもなく,周りの皆すべてが畏敬の念を込めてそう呼んでいる。例えば,ちょっとした休息のひとときなど,若干3名程でゼルダ攻略に関するアレコレで会話が盛り上がっている最中に,少しでも判らないこと,思い出せないことなどが出てくると,タカシや父は迷わず『博士』にお伺いをたてる。

 
 ・氷の洞窟の“中ボス”は誰だったかなぁ? 

 ・ハイリア湖畔にワープする歌は何だっけ?

 ・ボムチュウはどこのお店で買えるんだったっけ?

 ・ライクライクが出てくるのは,どことどこのダンジョンだったかなぁ?
 

 すると,ほとんどの場合,即座に正解が返ってくる(いずれも正解だと思う。多分ね)。その該博な知識と記憶力に,最近とみに物忘れがひどくなってきた父なぞは,ただただ恐れ入るのみである。しかしながら博士も人の子,まれには返答に詰まってウーン何だったかなー,などと考え込むこともある。そんなときはおもむろに攻略本を持ちだしてきて素早く該当ページを丹念にチェックし,自らの知識の補強を行っている様子である。何せ,魂の神殿なんていう字が読めちゃうんですからね,この4才児は。それも,攻略本の中での話ではなく,ぜんぜん関係ない別の雑誌に書いてあったような場合でも,なんだから(いやはや)。

 もっとも,魂という文字や神殿という文字のそれぞれを分析的に理解しているわけでは無論なかろう。単に全体記号として,概念の具象として,「魂の神殿」という文字列と「タマシーノシンデン」という音列とを理屈抜きで結びつけているのだろう。ただ,オトナの父だってその点に関しては同類であり,檸檬だとか薔薇だとか魑魅魍魎だとかいうムズカシイ字を読むときは,何となくどこかで見覚えのある記号だなぁと無意識的に盲目的に了解して音読しているに過ぎない。実際問題として,昨今はもうIMEに頼らなければ“漢字かな混じり”の文章はほとんどマトモに書けなくなっているようなテイタラクであるし。

 ま,アキラの方が知識の吸収に日々熱心な分だけ,数段マシでありましょうね(さて,いつ追越されることやら)。
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