昨日,学校から家に持ち帰ってきたアキラの版画作品。久しぶりに彼の生みだす不思議なゲージツを垣間見てしまった。題は特にないということだが,そうさな,『雪山に挑む少年』とでも名付けたらいいだろうか。荒れ狂う吹雪のなか,眼前に聳える氷壁に向かって,一歩一歩ゆっくりと少しずつ前に進んでゆく一人の少年。顔は雪にまみれ,アゴは上がって青息吐息,その足元もすこぶる頼りなく覚束ない。喜びや楽しみ,平穏や安逸からは遙かに隔たった,それは非常に辛い状況に見える。さらにまた目を凝らしてその版画をよくよく見れば,既に魂魄半ば身体を離れ,アキラの精神はより先へ先へと進もうとしているではないか! 一体何なのだろう,この少年が抱える孤独の正体は。学校という画一化された枠組みに囚われた修練の場において,家庭という恣意的な旧習のしばしば支配する成育の場において,それぞれ経時的に蓄積されていったところの悪夢が,かくのごとき絵として定着したのだろうか。社会に馴染めない不器用な少年が親や教師に対して自ら突きつけた,これはロールシャッハ・テストであるのか。
などというのは手前勝手な思い過ごしかも知らん。実は,これは『跳び箱をする少年』なのだそうだ(ガックリ)。でも別に新潟県・魚沼地方の小学校のグランドで跳び箱をやっているわけでもないらしい。要するに,吹雪と見紛うばかりの躍動感の表現だそうな。では幽体離脱の方はどう説明したらいいのか(いわゆるひとつのモーション・ピクチャー?)
ま,ゲージツにあれこれ小理屈をつけるのは野暮というものだろう。ただ一言だけ,アキラ君においては今少し基礎デッサンの習得に力を入れられたし!と願うのみである。
などというのは手前勝手な思い過ごしかも知らん。実は,これは『跳び箱をする少年』なのだそうだ(ガックリ)。でも別に新潟県・魚沼地方の小学校のグランドで跳び箱をやっているわけでもないらしい。要するに,吹雪と見紛うばかりの躍動感の表現だそうな。では幽体離脱の方はどう説明したらいいのか(いわゆるひとつのモーション・ピクチャー?)
ま,ゲージツにあれこれ小理屈をつけるのは野暮というものだろう。ただ一言だけ,アキラ君においては今少し基礎デッサンの習得に力を入れられたし!と願うのみである。