春が来て,自転車ライディングが気持ちよい季節になった。もちろん,この冬だってソレナリニ自転車に乗って毎日を過ごしていたのだけれども,やはり春の陽射しの中を自転車で走る気分は格別である。お天気の良い日だけじゃない。その日が曇天で少々肌寒かろうが,風が吹いて花粉がそこかしこに飛びかっていようが,あるいは時おり雨がパラつこうが,とにかく春なのである。ポーレットPauletteと一緒じゃないのはチョッピリ淋しい気もするけれど,ったくもう,コドモじゃないんだから,それくらい我慢できないでドウスル!
とまぁ,以前にもまったく同じことを記したような気がするが,要するに自転車で野外を走り回るのはとても楽しい,ってことだ。現在の私にとっては自転車に乗ること自体が毎日の生活の一部を形成している。というか,自転車は日々の暮らしになくてはならない道具であり相棒であり伴侶なのである。下半身不随者における車椅子,下肢欠損者における義足のようなもの,などと例えたら失礼にあたるだろうか。さらに付け加えれば,自転車に乗ることは自らの健康維持のための重要な手段でもある。実は昨年の大震災を期にいろいろ思うところがあって,この15年来ずっと服用していた降圧剤を自主的にキッパリ止めてしまったのだ。循環器科の主治医先生とも手前勝手ながら一方的に縁を切らせていただいた(その節の非礼は平に御容赦下さい)。ま,その分自転車にたくさん乗って血圧を下げればいいか。ドイツ国の何ちゃらいう箴言のように医療費もソレナリニ浮くわけだし,なんて軽く考えたわけで。
クルマを利用しなくなって久しい。昨今におけるワタクシの生活境遇ないし社会的位置付けは,自転車がらみで例えてみると,喜寿を過ぎた伊藤礼センセイと概ね似たようなものである。両者において決定的に異なるのは,いわゆる素養cultureなるものを一応別としておけば,そのバックグラウンドに有する(であろう)財産fortuneの圧倒的な違いくらいだろうか。とはいえ,富める者も貧しき者も,しょせん我らみな浮游生活者としての生命体,言ってみれば閉鎖的湖沼に漂うマルミジンコChydrus sphaericusみたいな存在であろうからして,財産の多寡なんぞハカナイものである。。。 そう考えると,クルマ社会からドロップアウトしてノンシャランスな自転車生活へと移行すること。それは何と素敵なことだろう。。。 (つづく)
とまぁ,以前にもまったく同じことを記したような気がするが,要するに自転車で野外を走り回るのはとても楽しい,ってことだ。現在の私にとっては自転車に乗ること自体が毎日の生活の一部を形成している。というか,自転車は日々の暮らしになくてはならない道具であり相棒であり伴侶なのである。下半身不随者における車椅子,下肢欠損者における義足のようなもの,などと例えたら失礼にあたるだろうか。さらに付け加えれば,自転車に乗ることは自らの健康維持のための重要な手段でもある。実は昨年の大震災を期にいろいろ思うところがあって,この15年来ずっと服用していた降圧剤を自主的にキッパリ止めてしまったのだ。循環器科の主治医先生とも手前勝手ながら一方的に縁を切らせていただいた(その節の非礼は平に御容赦下さい)。ま,その分自転車にたくさん乗って血圧を下げればいいか。ドイツ国の何ちゃらいう箴言のように医療費もソレナリニ浮くわけだし,なんて軽く考えたわけで。
クルマを利用しなくなって久しい。昨今におけるワタクシの生活境遇ないし社会的位置付けは,自転車がらみで例えてみると,喜寿を過ぎた伊藤礼センセイと概ね似たようなものである。両者において決定的に異なるのは,いわゆる素養cultureなるものを一応別としておけば,そのバックグラウンドに有する(であろう)財産fortuneの圧倒的な違いくらいだろうか。とはいえ,富める者も貧しき者も,しょせん我らみな浮游生活者としての生命体,言ってみれば閉鎖的湖沼に漂うマルミジンコChydrus sphaericusみたいな存在であろうからして,財産の多寡なんぞハカナイものである。。。 そう考えると,クルマ社会からドロップアウトしてノンシャランスな自転車生活へと移行すること。それは何と素敵なことだろう。。。 (つづく)