体毛の変化について(承前)

2019年03月15日 | 日々のアブク
 我が身体の「体毛変化」に関するショーモナイ話題の続きであります。

 昨晩,風呂から出たあとで,洗面・脱衣所の大鏡の前で裸のまま手を組んで大きく伸びをした。その際,鏡に映った自分の腋毛がほとんどなくなっていることに遅まきながら気がついたのだった。 あれ? と思って,よくよく仔細に点検・確認してみると,毛の量自体はかなり少なくなっているものの,全部抜け落ちてしまったというわけではなく,大部分が白毛に変化しているために眼鏡を外した風呂上りの状態では見えなかった,という次第であった。そうかそうか,一件落着,とか云い乍ら,それから次におこなったことといえば,自らの体表面各部位における体毛の現況について,改めて逐一観察なんぞを試みたのである(何せヒマ&ボケなもンですから)。

 まず,手と足(前腕部と下腿部)の毛については,どうだろうか。実は私自身,元々手足の体毛が比較的多い(濃い)方であって,まだ小さかった頃はそのことを割と気にしている一時期もありました。とくに小学校高学年の未だ第二次性徴が始まる前あたりにはその傾向が強かったように記憶している。例えば小学校5年次の鎌倉・江ノ島方面に遠足に行ったときの大仏前での集合写真だとか,6年次の日光修学旅行のときの東照宮前での記念写真だとかに写った私自身の姿を見ると,半ズボンに黒の長靴下といった何とも奇妙な格好なのである。別にその当時皮膚病とかを患っていたわけでも,とりわけ寒さに敏感であったわけでもなく,単に濃い脛毛が恥かしいという,それこそ自意識過剰ともいえるハズカシイ理由だったかと思う。あるいは,その少し前の時期に急性腎臓病(モドキ)で約3ヶ月ばかり入院したことなども影響していたかも知れない。それ以前は自称・他称「浅黒チョコマカ・スポーツ小僧」だったのが,3ヶ月の入院を境として一転「青白ヒョロヒョロ・モヤシ少年」に変貌してしまったのだ(脛毛自体はそのままだというのに)。ま,いずれにせよ今となっては,我がハズカシ自叙伝の一幕なのでありました。

 話がそれた。手足の毛の現況に戻ると,腕および脚の体毛は脇の下と同様かなり毛が少なくなっており,かつ一本一本も細くて弱々しく,白毛混じりである。そのため,結果,全体に脱毛したような感じになっている。かつてジルベールベコーGilbert Bécaudが唄っていたように,ジンセイってやつは終盤で帳尻合わせをするものなのかネ。おっと,また余計を申した。

 体幹部前面の胸毛については,皆無ではないものの,昔も今も大した毛量ではない。あ?胸毛生えてるの?といった程度の粗末なモノゆえ,ここで敢えて取り上げるには値しないだろう。

 次に,首から上の部分に目を向けてみよう。頭髪の毛は,こちらも現状ではかなり薄く・細く・弱々しくなっている。これでも若年期から壮年期にかけては比較的剛毛の「ゴワゴワ髪」の部類に属しており,それとは逆の特性である「サラサラ髪」には少しばかり憧れたものだった。高等学校の一時期テニス部に所属していたのだが,あるとき団体戦の試合の初戦で負けたがために半ば強制的に全員が坊主頭(五分刈り)にされたことがあり,その五分刈り頭が元の状態の長さに生え揃うまでの半年近くの間,ゴワゴワの頭髪の扱いにかなり難儀していた。ただし,これは我らモンゴリアンの特性なのかも知らんが,その時代の若い男はだいたい剛毛の短髪(石原裕次郎Ishihara Yujiro的ないし高倉健Takakura Ken的)が主流であり,サラサラ頭髪なんぞごく少数派だったように思う。ムサクルシイ長髪のフォークシンガー(吉田拓郎Yoshida Takuro的ないし井上陽水Inoue Yosui的)にしたところがモジャモジャ硬毛であったような気がする(いずれも直接真近で確認したわけではなく,あくまで印象批評です)。それが,いつの頃からか,日本人の若者の多くは背が高くなり,足が長くなり,それとともに長いサラサラ髪の男も増えてきた。ま,皆さん陰では人知れぬ努力(ヘアサロンとかブローとか整髪料とか)をしているのかも知れないが,あるいは,これも地球温暖化とかエントロピー増大とかに伴う人類進化の一標徴なのかな?

 話がなかなか先に進まないゾ。で,我が頭髪の現状に戻ると,やはり全体的に毛質が軟弱化し白毛化し,特に頭頂部から後頭部にかけての部分は毛の量も少なくなっているのが目立つ。要するに典型的な老人性薄毛状態,傘寿を過ぎた頃のシャルル・アズナブールCharles Aznavourの如きだ。ただし今のところはまだ何とか持ちこたえており,いわゆる「スダレ状態」とかになるのはもう暫く先のような気がする(明日のことは分かりませんが)。額の生え際についても,ソレナリニ徐々に後退してはいるものの,先日の夢の話で引き合いに出したようなレオ・フェレLéo Ferré状態までには未だ達しておらない(こちらも明日のことは分かりませんケド)。

 口唇部周辺の顎鬚および口髭については,概略「胡麻塩ヒゲ」という感じだ。特に口髭に比べると顎鬚の方が白毛の度合いがだいぶ多く,これを伸ばし放題にすれば「ヤギ髭仙人」みたいになるかと思うが,そのような外見は当方の望むところではないゆえ,数日に1回程度は髭剃りを当てている。実際,三年ほど前に諸般の事情により顎鬚を一ヶ月近く伸ばし放題にせざるを得ないことがあったが,我ながらかなりミットモナイ外観となりました。小まめに手入れをしたりすればよいのかも知れないが(ショーン・コネリーSean Connery鎌田實Kamata Minoruみたいに?),さすがにそういったダンディズムないしスノヴィズムは現在のところ持ち合わせていない。

 顔面の上部,眼のすぐ上を飾っているところのいささか役割不明瞭な眉毛(喜怒哀楽の表出装置か?)についてであるが,こちらもやや白毛混じりにはなっているものの,まだ黒毛の方が優勢で,かつ全体の毛の量もかなり多いままだ。のみならず,年を重ねるごとにやや長く伸びだしているような傾向にあるのが少々気になるところだ。適当に切ったり剃ったりすれば宜しいのだろうけれども,それもまたメンドーなので現状ほったらかしのままだ。老人の眉毛が伸びるのは恐らく一般的な傾向なのだろう。願わくばこの先,アノ村山富市Murayama Tomiichi元ソーリのような眉にはなりたくないモンだが,さてどうなりますか。

 最後に下の毛(陰毛)について,無遠慮を承知で一寸申し述べておく。性器の周囲を飾っているところの,こちらは眉毛以上に役割不明と思われるその毛の現況は,白毛はソレナリニ混在してはいるものの,全体としては未だ黒々としているといってもよろしいかと思う。その昔,斎藤茂吉Saitou Mokichiがドイツ・ミュンヘンに留学していた折に詠じた歌に「小夜更けて陰の白毛を切りて捨てにき」という一節があったが,茂吉翁が一人異国の地で深夜詫しい気分で歌ったであろうその頃は,まだ御年40代前半ではなかったか。それに比べりゃ今の私の方がずっと元気そうです。エヘン!(んなこと自慢してドースル)。なお,なかには長く伸びた毛も少なからず認められ,何となく眉毛と同じような推移を辿っているような気もする。綾小路きみまろAyanokoji Kimimaroの噺にあったように,頭髪がかなり寂しい状態になった初老の男が風呂場でシャンプーを泡立てる際に利用した,という程度には未だ十分な量と質を保持しております。

 切りがないから馬鹿話はもう止めにしよう。要は,ひとそれぞれ,ということですね。あぁ,人に歴史あり,体毛にも歴史あり。 然り,その体毛はオマエ自身の歴史そのものなのだ!
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