身体の不具合とか,老化とか (承前2)

2024年11月23日 | 日々のアブク
 もういいや。メンドーなことは考えず,勝手気ままにズラズラ書き綴っていきましょう。

 それは私が30代半ばを少し過ぎた時期,それまで10数年勤めてきた会社を辞めた頃のことだ。いろいろ考え悩んだ挙句,とりあえず,今までの「アワレナ生活状態」を一旦リセットして,また,自分自身で出来ることからやり直してみようか,などと考えるに至った。その間,宮澤賢治の37年間のまことに短命な,けれど濃密で多難で,五里霧中の試行錯誤を重ねた,波乱と情熱に満ち溢れた彗星のごとき生涯のことなどが絶えず我が脳裏に浮かんでは消え,また消えては浮かんだりしていた。もちろん当方には「今ならまだ間に合うかもしれない!」などというバカげた気負いなんぞ微塵にも露ほどにも,一切合切・金輪際,滅相にも更々にも在りはしなかったのだケレドモ。

 年度末超繁忙期の1987年3月初め,社長に退職届を出したのだが,社員10数名ほどの小さな会社組織とは言え,いや,然ればこそと申すべきか,創業時より10数年勤め続けてきた最古参の我が身としては,後に残る者に対してさまざまな引継ぎ業務や伝達事項等を少なからず申し送らネバナラヌ義務ないし役割があり,加えて,数名の新入社員に対するオリエンテーション指導などをも若干程度は行わネバナラヌ事情もあったりして,実際の退職日は年度末から大分延び延びになってしまい,結局,キッパリと正式に会社を辞めることと相なったのはその年の8月,丁度お盆に入る直前だった。

 雀の涙ほどの退職金を手に,さぁ,これで晴れて無職! さてと,手元の蓄えが許す限り,しばらくは自由気ままに過ごしてみよう。あれもやりたい,これもやりたい。思い入れの深かった彼の地も改めて再訪したい,足を踏み入れることが叶わなかった未知の土地にも新たに出かけてみたい。。。 しかしながら好事魔多し。まとまった空白の時間が生じたのを幸い,手始めに,今までは忙しさにかまけてほとんど放置状態となっていた歯の治療をここで集中的に行おうと決めて,まずは近所の歯科クリニックを訪れた。そこは初診の病院であったのだが,受付での第一印象がなかなか感じの良さそうな雰囲気だったので,当方の口腔内の全点検ならびに全体的なブラッシュアップ(それも保険治療の範囲内にて)を希望する旨を丁重に申し述べたうえ,短期集中で何度か通院を続けた。ところが,最後に親不知を抜歯したときを境として,急に身体に変調をきたすようになったのだ。あれ? 体が自分の思いどおりに動かなくなってしまったみたいだゾ。こりゃオカシイ! 具体的には,外出して街中を歩いている途中で急にメマイないしフラツキが生じるようになってきた。それも不定期に,意味もなく突然に。ふだん家の中で静かにデスクワークとか読書とか片付け事などをしている分には特に問題なく過ごせているのだが,いったん外に出て歩き始めると,10分,20分でフラフラしだして,やがて気分が悪くなり道端でへたり込んでしまう。そして数分ないし数十分ほど休めば何とかふたたび元には戻る。今なら「間欠性跛行」に相当するのか?と認識するのかも知れないが,その頃はそんな知識もなく,とにかく頭ないし身体がフラフラしてかなり辛い状態のドツボに陥ってしまったと感じたのだ。

 しかるべき専門病院へ行って精密検査を受けるほどの十分な蓄えもなかったし,また,相談すべき適当な相手も周りにはおらなかったので,さてどうしようかと困り迷った挙句,とりあえず,市の保健所にあった医療健康相談窓口に出掛けた。ちなみに当時,私は横浜市民で,中区・関内の中心部にある雑居ビルの一室に一人で住んでいた。それで,そこから10分ほどの距離の山下町,中村川の川沿いにあった中区保健所まで,何とか歩いて出向いた。

 保健所の入口をはいってすぐの受付にいたオバちゃんに声をかけ,あらかじめLotus1-2-3で作成しておいた『体調変化等記録表(最近2週間)』とタイトルに付けたB4の1枚資料を持参して示しつつ当方の現在の体調等をざっと述べ,具合が悪くて困っています,ともどかしげに説明した。そんな私に対してオバちゃんは,「御家族はいらっしゃるんですか? 。。。それは心配ですねぇ。。。 先生に説明してきますから,あちらの椅子でちょっと休んでいて下さいね。」 などと,親身になって心配してくださった。 それから5分ほど待って診察室に案内された。そこで私に対応した50がらみと思われる男の医師は,最初からちょっと不機嫌そうな様子であった。何だか嫌な予感がした。

 当時の保健所での面談内容を帰宅後に記録しておいたメモが残っているので,それを以下に書き写しておく (これもまた,リハビリ・リハビリ)

--------ココカラ---------

[私] よろしくお願いします。

【医師】 。。。あい,どうも

(当方が持参した「体調変化等記録表」を眺めながら)

【医師】 この「目まい」っていうのは,どういうの? 頭がクラクラするの? それとも,まわりの景色がグルグル回るような感じなの?

[私] いえいえ,そんなヒドクはなくて,頭の後ろあたりがボーッとするような,体がフラフラして歩けなくなるような,そんな感じです。 (いわゆるモノの本に言うところの「浮動性めまい」です,と言おうとしたが止める)

【医師】 そういうのはね,「目まい」とは言わないの! それは,単にダルイとかボーッとするとか言うだけなの。 んとに,もう。

[私] そりゃぁ,わたしは専門家じゃありませんから,「目まい」の正式な定義など知りませんけど,とにかく,そういった状態が,ここしばらく,断続的に起こっているンです。

【医師】 んまあ,これはアレだな。別にどうってことないよ。まーそのー,精神的なもんでしょ。。。 (「体調変化等記録表」に記載した) 抜歯の影響でも多分ないなあ。 かなり症状を細かく記録してるけど,普通の人は,まあこんな風にはやらないよ。アナタ,割と細かい性格なんだね。

[私] はあ,そうかも知れません。。。 

【医師】 まあ,これほど冷静に自分を観察する余裕があるんなら,身体の方はまだまだダイジョウブだ。 うん。

[私]  。。。。。

【医師】 会社の方は何で辞めたの?

[私] まぁ,いろいろありまして,耐えられなくなったもので。

【医師】 うんうん。何となくそういう性格みたいだね,アナタは。 他の人はやっていけるのに,アナタだけは耐えられずに辞めちまう。まあ,事情はよく分からないけど,要するに,かなり神経質なところがあるみたいだ。

[私] はぁ。

【医師】 今までの生活が急に変わったから,ストレスが出たのかも知れないな。

[私] いえ,わたしはむしろ,会社に居た時の方が,かなりストレスが溜まっていたように思いますけど。 

【医師】 いやいや,ストレスってのはね。仕事によるものだけじゃなくて,例えば失業による不安だとか精神的なものによる場合もあるんだよ。普通,新しい環境に適応できるようになるのは,大体2~3ヵ月くらいだからねえ。アナタ,会社辞めてどのくらいになるの?

[私] 完全に辞めたのは8月中旬ですから,だいたい3ヵ月になります。

【医師】 うーん,3ヵ月か。それじゃあ,そろそろ落ち着いてもいいハズだなあ。。。ちょっと血圧を測ってみようか。はい,上着脱いで。

(血圧測定の結果: 高:170mm/Hg,低:100mm/Hg)

【医師】 ちょっと血圧が高いねえ。 これは,前からこんなだった?

[私] 4~5年前に会社で健康診断をやった時も,血圧が少し高いと言われました。それから,10年くらい前に生命保険に入るときにやった検診でも,やっぱり血圧が高いと言われました。

【医師】 まあ,もっとも,それほど気にするほどには高くないし,人によっては測定の時に緊張して高くなることもあるし,今すぐ特にそのために薬を飲まなくちゃならない,ってもんでもない。
 ただ,もし気になるんだったら来週あたり改めて来て,もう一度血圧を測定してみたらいい。あるいはヨソの病院に行って診てもらってもいいけど。それから,食事の時に塩分をちょっと控え目にしたらいいかも知れない。
 どっちにしろ,まあ大したことないよ。

[私] そうしますと,今後どう対処していったらいいでしょうか?

【医師】 今後? そうねえ。。。 この「ワープロ仕事」ってのは,あんまりやらない方がいいなあ。アナタは好きなのかも知れないけどね。ほら普通,会社の事務の女の子だって,ワープロやるのは50分やって10分休み,とかいうでしょ。まあ,根を詰めるようなことは出来るだけ避けて,のんびり散歩したり,規則正しい生活をするようにした方がいいね。

[私] 顕微鏡を覗いたりすることも,イケマセンか?

【医師】 まあ,ワープロにしろ顕微鏡にしろ,ホドホドにね。

[私] 散歩していて「目まい」,ではなくって頭がフラフラしてきた時はすぐに休んだ方がいいですか?

【医師】 そりゃ,まあ,休んだ方がいいね。
 そういうわけで,大したことないからね! んじゃ。


[私] どうも,ありがとうございました!

--------ココマデ--------- (於:横浜市中区保健所/1987年11月9日)

 受付のオバちゃん(看護師だったか?)は,とても丁寧に当方を気遣いながら話を聞いてくれたのだが,その後に面会した肝心の医師の方ときたら上記のごとし,それこそ木で鼻を括ったように不愛想でブッキラボーな対応であった。ダメだ,こりゃ,ってな具合。あるいは彼は単なるババを引いた?腰かけ的な嘱託医に過ぎず,私の方でもタマタマそのババ?に当たっただけなのかも知らんが,いずれにしろ当時は,これが保健所という組織に属する医師の実態なのか~ぃ!といったシビアな現実を突きつけられちまってメマイ,ではないか,フラツキの方は一層助長されたような次第でありました。

 それにしても,その一方で同じ時代には,当該保健所からすぐ近くの寿町ドヤ街あたりで野本三吉さんが市の職員として精力的に,懸命に額に汗して働いていたであろうことを思うと,彼我の違いに何だかとても空しく淋しい思いがしたことも確かであった。まこと十人十色,人さまざまの世間なりけり。
 野本三吉さんについてはその頃何度かお見かけしたことがあったけれども,直接言葉を交わすまでには至らなかった。今でもまだお元気なのでしょうか? そうだ。その野本さんは,今から60数年前,42才の時に事故死した私の父と同郷(東京市本所区生まれ)の人なのだった。向島請地町にあった小っぽけな鍛冶屋のことを覚えてますか? ああ,こんなこともまた邂逅と離別,「人生の二重螺旋」なのか。 グスン。

 ところで現在では,横浜市の保健所においては,当時私が経験したような医療相談の類の業務は行っていないらしい。恐らくは市中に数多く存在する病院やクリニック,あるいは治療院などに,そういった役割を担わせ任せているのだろう。先ほどグーグルマップで確認してみたら,私が今から37年も昔に出向いた当時の保健所の建物自体はどうやらほぼそのままの形で残ってはいたものの,そこには何と「東京芸術大学大学院映像研究科」なる立派な看板が掲げられていた! 別途検索してみれば,東京芸大のキャンパスの一部(横浜キャンパス:元町中華街校舎)になっているということだ。 Que le temps passe vite!  医療から芸術への転換。こりゃまるでギリシア文明史だなぁ。 アハハ。 

 はいはい。既にしてマトモな文章が書けなくなっていることは百も承知です。そりゃ私とて,このまま無事に年を越すことができれば,来年は「後期高齢者」の仲間入りをする次第で,まさにボケ老人マッシグラな訳であろうし,そうそう,一昨日は火野正平@チャリ旅人の訃報なんぞに突然接したことでもあるし(すこぶる悲しい!) 私もそろそろ,盆地内のどっかで,電チャリに乗って往き倒れ(逝き倒れ)の身となるんかなぁ。。。

 (ということで,この与太話はさらに続く。。。 のか?)
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