モノを忘れてゆく,ということ C'est tout!

2022年06月30日 | 日々のアブク
 マルセル・ムルージ Marcel Mouloudji という名前が打鍵できない!という類の阿保らしいヒトリゴトを少々。

 最近では,いろんな物事をスッカリ忘れているスッカラカンの自分に改めて気付くこと屡々である。特に固有名詞を忘れる,人名を忘れる,地名を忘れる,お店の名前を忘れる,商品名を忘れる,等々。要するに ♪忘れっぽいのはステキなことです、そーじゃないですか〜♪ (by中島みゆき)てな具合で,それは加齢に伴う平常運転といえばそれまでのことなのかも知れないが,些かの擬かしさ(疼痛恢恢)とともに一抹の寂しさ(深渓幽峡)をも覚える昨今でアリマス。

 例えば昨日など,確か何年か前のNHKTV朝ドラのヒロインを演じていたと記憶している某女優の名前が出てこない。そのチャーミングな顔立ちや姿形などはハッキリと脳裏に浮かぶのだが,名前の方が全く浮かんでこない。朝から晩まで,折あるごとに彼女の名前を思い出そうと必死の思いで苦心惨憺,というほどのことでもないけれど,何とか思い出すべく試みてはみたのだが,虚しくも儚くも,頼りなくも情けなくも,ゼンゼン,チットモ、思い出せない。そうそう,その女性は少し前に某イケメン男優と結婚したそうだ。人も羨む美男美女のカップリング,とか巷間では喧伝されていた。そのイケメン男は確か本県茅ヶ崎市の出身で,当地に隣接する伊勢原市にキャンパスがある産業能率大(私が時々自転車で構内を通り抜けている馴染みの大学だ)を中退したように聞いていたが,あれれ,そっちの名前も出てこない。ウンウン唸って,多分はアタマの何処か未だかろうじて残存しているであろうと思われる種々雑多な記憶の引き出しをひっくり返したり捏ねくり回したりしてみても,嗚呼ナサケナキ哉,その解は全く得られないのだ。恐らく引き出し自体が既に粗かた錆び付いてしまっていて,マトモに開けることすらできなくなっているのだろう。。。 結局,最後はグーグル先生に頼り縋って,前者は戸田恵梨香,後者は松坂桃李であると即座に知ることが出来た。まことに御し易くベンリな世の中になったものだ。もっともそれはそれ,マコトに安易でアンチョコで味気ない世の中になったと言えるのかも知らんが。

 まあ,人の名前が出て来ないことなんて,それが有名人であろうが無名人であろうが,あるいは遠い知人であろうが赤の他人であろうが,基本的にはドーデモイイことである。あるいは,お店の名前だとか,ガッコーの名前だとか,さらには商品名,例えばクルマの名前やらクスリの名前やらオカシの名前やらにしたところが,それらを失念した,あるいは間違えたからと言って,現在の私の日常生活において何らかの利害が係る訳でもなし(多分は),特段重大な不都合が生じる訳じゃなし(恐らくは。。。) キレイな花だね~,キレイな女性だね~,洒落た建物だな~,不細工なクルマだな~,と それで十分。

 ただ,地名を忘れること,そのことに関してだけは,ワタクシ的には少々辛いものがある。いや,少々どころかスコブル辛く・侘しく・寂しく・悲しいものがある。自らの存在場所の消失,すなわちアイデンティティの喪失,といった思いをヒシヒシと実感する。

 近年では盆地を中心としてせいぜい半径10㎞圏内くらいを電動アシスト自転車でノンビリと徘徊する程度の,ごくごく限られたツマシイ日常生活を暮らしているに過ぎぬ我が身なれども,そのささやかなる自転車活動の折に,例えば,大倉(表丹沢登山基地)の近くで小さな沢を挟んだ南側,西山林道が通じている「森戸」という静かな集落だとか,東名秦野中井インターの近くの特徴的なモニュマン渦巻給水塔下手の「砂口」という場所だとか,渋沢丘陵の裏手の日陰道に沿うた「小原」という地味な集落だとか,あるいは国道246号善波トンネル手前の「斉玉」だとか,弘法山南麓の火祭りで有名な「瓜生野」だとか,そういった土地土地,ずっと以前から私にとっては馴染み深かった部落地名の多くが咄嗟には出てこないのだ。

 それらの地名はいずれも字(小字)名であって,かつての住居表示により町名が整理統合されるとともに字名は表向き消失し,そのため現在の一般的な地図にはほとんど表記されていない。ただし、国土地理院の2万5千分の1地形図には,今でも主たる字名はキチンと記載されているし,各地域の「自治会館」の名称にもそれらの地名は残っていることが多い。以前は当然のようにアタマのなかに染み付いていたそれらの地名を忘れてゆく自分が,辛く,侘しく,ちょっぴり悲しい。いずれは時とともに全てを忘れ去ってしまうのが人の世の定めであるとしても,何よりも先に,一切合切とっとと忘れてしまいたいモノドモが我が眼前には,ホレ,山ほど存在しているデハナイカ。物事には順序ってものがあるだろうが! 

 ここで余計を述べれば,ほんの数日前,小田嶋隆@辛口コラムニストの訃報に突然接した。享年65才だそうな。何かの病気による死亡らしいが病名は明らかにされていない(脳梗塞とか癌とかの憶測が飛び交っていたようだが)。30代の頃はナンシー関のコラムなどとともに彼の雑文を好んで読んでいたものだ。ただ,ここ10年ほどはネチネチした左巻きの度合いが顕著になったせいか目を通す気も起らなくなって,現在ではほぼ忘れかけた存在となっていた。そんな彼が,アッサリ死んでしまった。ま,それが彼の店名もとい天命だったのだろう。

 時代は変わってゆく。世の中は変わり,人々の暮らしも変わってゆく。そして当然ながら,ヒトそれぞれにオノレ自身だって変わってゆく。輪廻転生,一蓮托生。事実ハ雑文ヨリ奇ナリ。



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