ヘルマン・ヘッセの夏,リハビリ・セッセの夏

2019年07月30日 | 日々のアブク
 ヘルマン・ヘッセの名作『車輪の下』をはじめて読んで感激した幼い日から早や半世紀以上の歳月が過ぎてしまった。あぁ,五十年五ッ昔! その第二章冒頭の印象的な叙述は,現在の耄碌・委縮したアタマのなかの記憶からも未だ消え去ることがない。それどころか今でもほぼ諳んじることができるくらいだ。あぁ,甲斐性なし! 折しも当地では,遅まきながら昨日やっと「梅雨明けしたと思われる」との気象庁による公式発表があり,ようやく夏らしい夏が訪れた。年甲斐もなく,嬉しいではないか。ハンス・ギーベンラートとともに夏の到来を素直に喜びたい。


 夏休みはこうなくてはならない。山々の上にはリンドウ色に青い空があった。幾週間もまぶしく暑い日が続いた。ただ時折激しい短い雷雨が来るだけだった。川はたくさんの砂岩やモミの木かげや狭い谷の間を流れていたが,水があたたかくなっていたので,夕方おそくになってもまだ水浴びができた。小さい町のまわりには枯草や刈り立ての草のにおいが漂っていた。細長い麦畑は黄色く金褐色になった。あちこちの小川のほとりには,白い花の咲くドクゼリのような草が,人の背ほども高く繁っていた。その花は笠のような恰好で,小さい甲虫がたえず一杯たかっていた。その中空の茎を切ると,大小の笛ができた。森のはずれには,柔い毛のある,黄色い花の咲く,堂々としたビロウドマウズイカが長くきらびやかに並んでいた。ミソハギとアカバナ属が,すらりとした強い茎の上でゆれながら,谷の斜面を一面に紫紅色におおうていた。モミの木の下には,高くそそり立つ赤いジギタリスが厳粛に美しく異様にはえていた。その根生葉には銀色の柔い毛があって幅が広く,茎が強く,萼上花は上のほうに並んでいて美しい紅色だった。そのそばにさまざまの種類のキノコがはえていた。つやのある赤いハエトリタケ,肉の厚い幅広いアワタケ,異様なバラモンジン,赤い枝の多いハハキタケ,など。それから,一風変わって色のない,病的に太っているシャクジョウソウ。森と草刈り場の間の雑草のはえた境のところには,強いエニシダが真黄色に輝いていた。それから細長い薄紫のミネズホウ。それからいよいよ草刈り場。そこはもう大部分二度目の草刈りを前にして,タネツケバナ,センノウ,サルビア,松虫草などがはなやかにおいしげっていた。濶葉樹の林の中ではアトリが絶え間なく歌っており,モミの林ではキツネ色のリスが小ずえの間を走っていた。道ばたや壁のそばや,かれた堀では,緑色のトカゲがあたたかさに気持ちよさそうに呼吸しながら,からだを光らしていた。草刈り場をこえてずっと向こうまで,かん高い,うむことを知らぬセミの歌が響きわたった。
 (高橋健二・訳/新潮文庫1951)



 ローティーンの頃に新潮文庫で読んだのがハンスとの最初の出会いだった。いっときは本当に夢中になって,文庫本がボロボロになるまで読んだ。いや,そういった言い方は少々大袈裟かも知らん。若年時に私が所有していた本や雑誌の類など遠の昔に処分してしまい,今ではすっかり手元から消え失せてしまっているのだけれども(宮澤賢治や小林秀雄などのごく一部を除く),曖昧な記憶を辿ってみると,そのヘッセの文庫本は多分その頃の例にもれず新本ではなくって近所の古本屋で購入したものだったろうかと思う(つまり元々ボロだった!) 川崎市・新川通りの近代書房か,あるいは同じ通り沿いの他の古本屋で買ったのかな? 往時,川崎の街場には,それこそ数多の古本屋が軒を並べていたのです。需要があれば供給もあり。貧乏のなかにも贅沢アリ。下敷きのなかにも筆箱アリ。

 ちなみに,現在発行されている同文庫の改版は,当時のものと比較すると,多少語句を手直しした部分も見られるようだ(例えば「枯草や刈り立ての草」とあったのを「干草や二番刈りの草」と変えたり,あるいは「甲虫」に「かぶとむし」なんぞという余計なフリガナを付けてみたり)。ここでは,毎度々々のリハビリ・リハビリ,ということで,少年時代に私が読んだと思われる元版を探し出してきて,そこから一部を引用させていただいた。

 そして今になって改めて思うのだが,これはなかなかの名訳だと思う。子供ながらに物語のなかにスーッと気持ちよく入り込んでいけたような気がする(あるいは子供なればこそ,というべきか)。そうやって,めくるめくワクワク&ドキドキ感と,そしてホロリ&シンミリ感が幼い心にもたらされた。貧乏家庭の子にとって読書というのはまことに貴重かつ贅沢な娯楽でありました(別にダニエル・ギシャールDaniel Guichardの少年時代みたいに家にテレビが無いという訳ではなかったのだケレドモ)。 十四才,それはひとそれぞれの人生ってヤツのなかで大事な分岐点のひとつだったのかも知れないな。 おそらくは,昔も今も? そして,アナタもワタシも!

 なお,訳者である高橋健二さん手になる翻訳作品としては,ヘッセのほかにはエーリッヒ・ケストナーの小説や詩のいくつかを読んだくらいだが,それぞれの作品に共通する闊達な訳文,微妙な表現の機微といったものを子供心にも実感し,コトバ達者でこなれた上手い訳をする先生だなぁ,なんぞと生意気にも思っていた。その頃,同じような思いを中野好夫さんによるサマセット・モームの翻訳などからも感じていた。ただ,高橋さん訳のヘッセ本では,動植物名が怒涛のように列挙された,生き生きとした「生命の営み」を記述した部分については,訳出にかなり手こずり苦労したものと思われ,若干の違和感ないしギコチナサを感じておりました。そして,これは後年になってから思ったことであるが,このような種類の作品は,たとえば串田孫一さんのような,自然や博物学に造詣が深くかつ詩人の魂を持ったナチュラリストが訳者として適任なのではなかろうか,などど感じたことだった。もっとも私自身,串田さんの良き読者というか丹念なフォロワーではなかったので,もしかしたら串田孫一訳によるヘッセ作品が何かあったのかも知れない。あるいは,串田さん御自身が生前,出来ればヘッセを訳してみたいなどという気持ちを秘かに抱いていたのか知ら? ま,今更そんなことを詮索してもはじまらない。なべては歴史的必然として,ベトちゃんもシュバちゃんも,はやとおに死んでしまったわけで。。。

 さてさて,ここでの作業テーマは相も変わらず,リハビリ・リハビリ,セッセとリハビリ,なのであるからして,次なる話の流れとして,現在私の手元にある各種各様の『車輪の下』から,同じく第二章の冒頭部分を以下に引用しておきましょうか(刊行年の順に)。 問答無用の比較対象,では,タイピング・リハビリ,まいります。


◆ 夏休みというものは,こんなものであるに違いない。山の上にリンドウ色に蒼い空がかかり,幾週も暑い日が続き,ときどき激しく短い雷雨が襲って来た。川は多くの砂岩や樅の木蔭や狭い谷間を通って流れていたが,夕方遅くになってもなお水浴ができるほどに暖まっていた。町の周囲には乾草と刈り立ての草の香りが漂い,細い帯のような,若干の小麦畑は黄色や金褐色になり,小川のほとりには白い花の咲く,毒ニンジンのような草が背丈にはびこり,その花は笠のようで,いつも小さな甲虫がいっぱいにたかっていて,中が洞ろなその茎からは笛やパイプを作ることができるのである。
 (秋山六郎兵衛・訳/角川文庫1953)



◆ 夏休みというものは,こうでなければいけない。山の上のほうには,りんどう色の青空。何週間も,ぎらぎらするような暑い日がつづく。ただときたま,はげしい,束のまの雷雨がくるだけ。河は,多くの砂岩石塊や,もみの木かげや,せまい渓谷のあいだをとおって流れているのに,夕方おそくなってからでも水浴ができるほど,水があたたまっていた。この小都市は,ほし草と二番刈りの草のにおいに,ぐるりとつつまれていた。いくつものこくもつ畑の細いおびは,黄いろく,また金褐色になっていた。小川のほとりには,白い花をつけた,どくにんじんまがいの草が,人のたけほど高く生いしげっていた。その花はかさのような形で,いつも小さな小さなこがね虫が,いっぱいたかっていた。そしてこの草のうつろになっている茎を切ると,笛やパイプができるのであった。
 (実吉捷郎・訳/岩波文庫1958)



◆ これでこそ夏休みだ! 山脈の上にはリンドウの花のような青い空がひろがり,何週間も太陽が輝く暑い日が続き,ただ時折り激しく短い雷雨がやってくる。川への道は砂岩のかたまりがごろごろして,樅の木陰におおわれていたり,せまい谷間もあったが,それでも川の水はすっかりあたたまって晩方まで泳ぐことができた。町をめぐって干し草や二番刈りの草の山の香がただよい,あちこちの穀物畑の細い帯は黄金色に変わり,小川のほとりでは白い花をつけたドクゼリに似た草が人の背たけほども生い茂っていた。この花は傘のような形をしていていつもテントウムシがいっぱい群がっていた。なかに穴の通っているこの茎を切って草笛や呼子笛を作ることができる。
 (岩淵達治・訳/旺文社文庫1966)



◆ これでこそ,夏休みというものだ。山々の上にはりんどうの花のようなまっさおな空。何週間も照りつける暑い毎日。ただ,ときどき激しい夕立がさっとやってくる。ごろごろしている砂岩のあいだや,樅の木かげや,狭い渓谷を通って流れる川の水が,あたたかくなっていたので,夕方おそくまで泳ぐことができた。町のまわりには,乾草や刈りたての草の匂いがただよい,あちこちの細い帯を並べたような穀物畑は黄色や金褐色になっていた。小川のほとりには,白い花をつけたどくにんじんのような草が人の背たけほどに生い茂っている。傘状の花にはいつも甲虫がたかっていた。この草のがらんどうの茎を切っていろんな笛をつくることができる。
 (井上正蔵・訳/集英社文庫1992)



◆ 夏休みはこうでなくちゃいけない! 山々の上にはリンドウのように青い空が広がり,何週間も太陽の輝く暑い日々が続いて,ただときおり短く激しい雷雨があるだけだった。川の水は,たくさんの砂岩の岩壁やモミの木の陰や狭い峡谷を通って流れてきたにもかかわらず温まっていて,夜遅い時間になっても泳ぐことができた。小さな町の周辺からは,一番刈り,二番刈りの干草の匂いが漂ってきていた。細い帯のように続くトウモロコシ畑は色づいて黄色や金茶色になった。小川の岸辺には人の背丈ほどもある,白い花をつけるドクニンジンのような植物が繁茂していたが,その花はパラソルのように開き,小さなコガネムシがいつもびっしりとついていた。茎は空洞になっていて,切り取って笛やパイプにすることもできるのだった。森の端には綿のような黄色の花をつけた堂々たるモウズイカが長い列を作って咲き乱れ,ミソハギやヤナギランの花は細くて強靭な茎の上で揺れながら,斜面全体を紫がかった赤で覆っていた。森のなか,モミの木の下には,丈高くぴんと突っ立った赤いジギタリスが,けなげに美しく,エキゾチックな花をつけていた。その根元には銀の綿毛をつけた幅の広い葉が開き,茎は強く,杯のような形の赤い花が縦に美しく並んでいた。その横にはたくさんの種類のキノコがあった。赤く光るベニテングダケ,肉厚で幅広なヤマドリタケ,奇怪なバラモンジン,赤くてたくさん枝分かれしているサンゴダケ,そして奇妙に色のない,病的に太ったシャクジョウソウ。森と牧草地のあいだにある,植物が繁茂して野原のように見える畦道には,強靭なエニシダが炎のように黄色く燃えていたし,そのあとには赤紫のエリカの長い帯が続いた。それから,たいていはもう二度目の刈り取りを目前に控えていた牧草地が続くのだったが,そこにはタネツケバナやセンノウ,サルビアやマツムシソウが色とりどりに生い茂っていた。広葉樹の森ではズアオアトリが途切れることなくさえずり続け,モミの森では狐みたいに毛の赤いリスが梢を駆け回り,畦道や塀や乾いた溝のそばでは,緑のトカゲが気持ちよさそうに陽だまりで体を光らせ,牧草地の上には終わりのない蝉の歌が甲高く朗々と,疲れを知らずに響き渡っていた。
 (松永美穂・訳/光文社古典新訳文庫2007)



 諸先生方のそれぞれの訳についてワタクシ的に若干の言いたいことがない訳ではないけれど,ここで個々の小理屈もといコメントを述べるのは敢えて遠慮しておきましょう。何しろこの夏の蒸し暑さだし,取りあえずは早く部屋から飛び出して自転車に乗って,どこか山麓地の樹林帯の風通しのよい木陰道などをゆっくりと走り回りたい気分だ(ちなみに川には行きません)。 ただ一言だけ,最後の松永美穂さんの訳について触れておけば,さすがに五十年という年月をシミジミと感じざるをえないのだ。高橋健二さんの名訳から半世紀の歳月を経て,外国文学の翻訳という仕事はソレナリニ立派に進化してきたんだなぁ。と,そんなショーモナイ感想(老人戯言)をとひとこと申し添えてこの拙いリハビリ作業を終わりとしたい。もしタイピング・ミスなどありましたら平に御容赦の程を。 それにしても,夏は暑い!


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