長い月日が過ぎたようでもあり,アッという間の出来事のようでもあり,今あらためて振り返ってみても,種々雑多な営為や行動,充足や蹉跌や悔恨などなど諸々の記憶が徒に混濁するばかりで,既にして何だかヨクワカラナイ状態になっているのだケレドモ,とにもかくにも「電チャリ生活」の一年が経過した。はい,未だどうにか無事に生き永らえております。尤もこの間,丹沢山中で崖から転落して約3週間のブランク期間があった。詳細は避けるが,後学のために(?)あるいは単なるサルの反省として(!)ザッと記載しておくと,それは昨年夏の出来事だった。
軽トラやジムニーがやっと通れるくらいの,幅員2mにも満たない,通常はほどんどクルマなど通らない沢沿いの狭小林道でのことだ。現場の標高は約500m。少し先でクルマは通行止めになっており,そこから奥は山道へと続いていた。私が電チャリで漕ぎ上ってくると,前方に立派な大型バイクが停めてあった。それも道のド真ん中に,やや斜め向きで,あたかもバリケードのように置かれていたのである。 (アリャリャ,邪魔なバイクだなぁ) それでも,右の山腹側よりも左の谷側の方に通り抜けられそうなやや広いスペースが空いていたので,そちら側を通り抜けてさらに先へと進もうとした。 (それにしても高価そうなバイクだ,擦ったりするわけにはゆくまいぞ,クソッ!) ゆっくりと慎重にバイクの脇を通過しようとしたとき,道端の少し固く盛り上がった(と見紛えた)草付き部(実際にはユルユル)で前輪を取られ,ズズッと滑るように谷の方に少し傾いた。慌てて体勢を整えようとしたが,自転車の車重自体が私の精一杯の抗力よりも僅かに勝り(要するに非力老人のベクトルが負けたということですな),バランスを崩してスローモーションのようにゆっくりと,谷に向かって滑落していった。 (アワアワアワ!) 谷底までは約10mの高低差があったが,幸いその付近の崖斜面は大小各種の低木・灌木類で比較的密に覆われていたため,2mほど滑落しただけで木に引っ掛かって止まった。 (アイタタッ!) 咄嗟の判断で速やかに自転車から飛び降りて山側に身を預けるといった行動が取れなかったことは我が失態であったが,それでも,ごくごく緩慢に自転車もろとも落下していったことが幸いしてか,谷底まで落ちることだけは何とか免れた。 (それでも,アイタタ,タタタッ!!)
私と自転車とが落下してほどなく,やや離れた場所にいたらしい大型バイクのライダーと思しき人物が,スワ何事か! とばかり急いで駆け寄ってきた。そして,スミマセン大丈夫ですかぁ? と,こちらに向かって崖の上から大きな声を掛けてきた。一応は自分のバイクが道を塞いで邪魔をしていたために落下したようだと了解したらしい。年の頃は50がらみの,体格良さげな中年男であった。すぐに上の道端から手を差し伸べて,まずは自転車(車重23kg)を苦労して引き上げ(同時に私は自転車を下から押し上げ),それから次に満身創痍の私自身(体重57kg)の身体を慎重に引き上げてくれた。 (複雑な思いを抱きつつも,取りあえずは感謝多謝) ライダー氏の方といえば,すこぶる恐縮した様子で当方の具合を心配して下さり,身体は大丈夫ですか?救急車を呼びましょうか?などと,哀れな転落老人に向かって重ねて問いかけた。 (いえいえ,こちらの判断ミスですから。。。) で,改めて全身を一通り丹念に点検確認してみたが,どうやら骨折はしていないようで,主に手足部分の強い打撲及び擦過傷といった感じであった。サイクルヘルメットを被っていたので,頭部損傷だけは幸い免れた。次に,自転車の方も一通り点検してみたが,どうにか動きはするようだった。ただ,左側ブレーキレバーが大分ヒン曲がった状態になっており,また右側バックミラーもヒシャゲて取れかかっていた。それでも,ユックリ・ソロソロであれば,何とか自走して家まで戻れそうだ。
繰り返し恐縮の言葉を述べるライダー氏に対してこちらも丁重に礼を述べたのち,一足先に自転車に乗ってゆっくりと山を下った。途中,手足のあちこちがヒリヒリ,チクチクするように痛んだが,身体をだましだまし動かし続けながら,何とか自宅まで帰り着くことができた。
家に戻ってから,部屋のなかで改めて全身の損傷具合を点検すると,右足の脛の打撲ダメージが最も酷く,1.5倍ほどにも膨れ上がっていた。次いで,左の上腕部の擦り傷もかなりひどかったが,こちらの方は打撲についてはさほどでもないように見えた(ただし,翌日からは顕著な青痣が発現して,それは日を追うごとに拡がっていったのだが)。 打撲傷の応急処置にはRICEが肝心,ということは以前より知識として承知していた。取り急ぎシャワーを浴びて身体のヨゴレを落としたのち,改めてネット検索でRICEのやり方など確認して,それからはRest(休む),Ice(冷やす),Compression(圧迫する),Elevation(持ち上げる)の処置をしばらく続けた。ただそれでも,夜は身体のあちこちが痛んでほとんど満足に寝付けなかった。
翌日,家の近所にある整形外科クリニックを受診するため,ビッコ引きながらゆっくり歩いて出掛けた。以前から何度もお世話になっている(五十肩,頸椎症,槌指,鎖骨亀裂,等々で),私とほぼ同年代の恰幅のいい先生は,当方の様子を見るなり,また自転車ですか?と,呆れたような困ったような顔をされた。 (はいはい,幾つになっても因果な性分の困ったチャンでございます。。。) そして,この怪我は治るまでにはかなり時間がかかりますよ,しばらく自転車は封印ですよ,と厳かに宣告され,各種薬を山のように処方されて診療はあっさりと終了した。そしてそれから三週間,冬眠もとい夏眠状態で日々を過ごすことになったという次第でありました。
細部の詳細を避けて述べると概ねこんなところです。って,サルの反省にショーサイもオオムネもあるもんかい! あぁ,生きるという病気 Le Mal de Vivre!
軽トラやジムニーがやっと通れるくらいの,幅員2mにも満たない,通常はほどんどクルマなど通らない沢沿いの狭小林道でのことだ。現場の標高は約500m。少し先でクルマは通行止めになっており,そこから奥は山道へと続いていた。私が電チャリで漕ぎ上ってくると,前方に立派な大型バイクが停めてあった。それも道のド真ん中に,やや斜め向きで,あたかもバリケードのように置かれていたのである。 (アリャリャ,邪魔なバイクだなぁ) それでも,右の山腹側よりも左の谷側の方に通り抜けられそうなやや広いスペースが空いていたので,そちら側を通り抜けてさらに先へと進もうとした。 (それにしても高価そうなバイクだ,擦ったりするわけにはゆくまいぞ,クソッ!) ゆっくりと慎重にバイクの脇を通過しようとしたとき,道端の少し固く盛り上がった(と見紛えた)草付き部(実際にはユルユル)で前輪を取られ,ズズッと滑るように谷の方に少し傾いた。慌てて体勢を整えようとしたが,自転車の車重自体が私の精一杯の抗力よりも僅かに勝り(要するに非力老人のベクトルが負けたということですな),バランスを崩してスローモーションのようにゆっくりと,谷に向かって滑落していった。 (アワアワアワ!) 谷底までは約10mの高低差があったが,幸いその付近の崖斜面は大小各種の低木・灌木類で比較的密に覆われていたため,2mほど滑落しただけで木に引っ掛かって止まった。 (アイタタッ!) 咄嗟の判断で速やかに自転車から飛び降りて山側に身を預けるといった行動が取れなかったことは我が失態であったが,それでも,ごくごく緩慢に自転車もろとも落下していったことが幸いしてか,谷底まで落ちることだけは何とか免れた。 (それでも,アイタタ,タタタッ!!)
私と自転車とが落下してほどなく,やや離れた場所にいたらしい大型バイクのライダーと思しき人物が,スワ何事か! とばかり急いで駆け寄ってきた。そして,スミマセン大丈夫ですかぁ? と,こちらに向かって崖の上から大きな声を掛けてきた。一応は自分のバイクが道を塞いで邪魔をしていたために落下したようだと了解したらしい。年の頃は50がらみの,体格良さげな中年男であった。すぐに上の道端から手を差し伸べて,まずは自転車(車重23kg)を苦労して引き上げ(同時に私は自転車を下から押し上げ),それから次に満身創痍の私自身(体重57kg)の身体を慎重に引き上げてくれた。 (複雑な思いを抱きつつも,取りあえずは感謝多謝) ライダー氏の方といえば,すこぶる恐縮した様子で当方の具合を心配して下さり,身体は大丈夫ですか?救急車を呼びましょうか?などと,哀れな転落老人に向かって重ねて問いかけた。 (いえいえ,こちらの判断ミスですから。。。) で,改めて全身を一通り丹念に点検確認してみたが,どうやら骨折はしていないようで,主に手足部分の強い打撲及び擦過傷といった感じであった。サイクルヘルメットを被っていたので,頭部損傷だけは幸い免れた。次に,自転車の方も一通り点検してみたが,どうにか動きはするようだった。ただ,左側ブレーキレバーが大分ヒン曲がった状態になっており,また右側バックミラーもヒシャゲて取れかかっていた。それでも,ユックリ・ソロソロであれば,何とか自走して家まで戻れそうだ。
繰り返し恐縮の言葉を述べるライダー氏に対してこちらも丁重に礼を述べたのち,一足先に自転車に乗ってゆっくりと山を下った。途中,手足のあちこちがヒリヒリ,チクチクするように痛んだが,身体をだましだまし動かし続けながら,何とか自宅まで帰り着くことができた。
家に戻ってから,部屋のなかで改めて全身の損傷具合を点検すると,右足の脛の打撲ダメージが最も酷く,1.5倍ほどにも膨れ上がっていた。次いで,左の上腕部の擦り傷もかなりひどかったが,こちらの方は打撲についてはさほどでもないように見えた(ただし,翌日からは顕著な青痣が発現して,それは日を追うごとに拡がっていったのだが)。 打撲傷の応急処置にはRICEが肝心,ということは以前より知識として承知していた。取り急ぎシャワーを浴びて身体のヨゴレを落としたのち,改めてネット検索でRICEのやり方など確認して,それからはRest(休む),Ice(冷やす),Compression(圧迫する),Elevation(持ち上げる)の処置をしばらく続けた。ただそれでも,夜は身体のあちこちが痛んでほとんど満足に寝付けなかった。
翌日,家の近所にある整形外科クリニックを受診するため,ビッコ引きながらゆっくり歩いて出掛けた。以前から何度もお世話になっている(五十肩,頸椎症,槌指,鎖骨亀裂,等々で),私とほぼ同年代の恰幅のいい先生は,当方の様子を見るなり,また自転車ですか?と,呆れたような困ったような顔をされた。 (はいはい,幾つになっても因果な性分の困ったチャンでございます。。。) そして,この怪我は治るまでにはかなり時間がかかりますよ,しばらく自転車は封印ですよ,と厳かに宣告され,各種薬を山のように処方されて診療はあっさりと終了した。そしてそれから三週間,冬眠もとい夏眠状態で日々を過ごすことになったという次第でありました。
細部の詳細を避けて述べると概ねこんなところです。って,サルの反省にショーサイもオオムネもあるもんかい! あぁ,生きるという病気 Le Mal de Vivre!