『畑地の原典』とは何ぞや?

2007年11月30日 | 日々のアブク
 昨日,パソコンで雑文を物していたときのこと。文章中に高野悦子(@立命館大学全共闘)の本のタイトルを書こうとして「hatachinogenten」とキーボードで打ち,変換キーを押すと,ありゃりゃ,『畑地の原典』と変換された。もちろん正しくは『二十歳の原点』なのでありますが。

 ただし,これは巷間よくネタにされている「ヘンテコ誤変換」の類ではない。そんな風に言い切ってはパーソナルコンピュータ(ハード&ソフト)に対して失礼であろう。そもそも,一個人によって専有使用されるPCに組み込まれている仮名漢字変換システムの動態は,基本的にその当事者の経験履歴に基づくものであり,それはすなわち当人の性癖,思考ならびに行動の反映に過ぎないのであって,さらに言えば人格そのものなのだ。つまり私の拙い脳内思考において現段階で重きを置かれているキーワードは『畑地』であり『原典』なのである(田舎のカルヴィニスト,ってか?)

 それにしても,シャルル・アズナブールの《昨日,わたしは二十歳だった》(Hier encore)を好んでいたのは,さて,いつのことだったか? 今ではもう「青春」とやらをシミジミ懐かしむ余裕も余力も残ってはいないのだろうか? ダロウカ?
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ふと思い立って《宮沢賢治記... | トップ | “天之妙見宮”について »
最新の画像もっと見る

日々のアブク」カテゴリの最新記事