この4月から,毎週一回「山歩き」をすることにした。近年とみに衰えの著しい基礎体力の回復・維持,ならびに近い将来,本格的登山を再開する(カモ知レヌ)のに先立ってのウオーム・アップの意味も兼ねての歩行訓練のようなものである。もちろん「山を歩く」という行為自体に対する一種トキメキがその前提にあることは言うまでもないが。
記念すべき第一回目は,我が家の北方に連なる丹沢表尾根の前衛に位置する標高560mのランドマーク的な小高い山というか丘陵,その名を「菜ノ花台」あるいは地元の人は「三角山」とも呼ぶようだが,その低山地までの林道を踏破してきた。いやいや,それほど大層なものではない。いつもの近所の散歩が3~4時間と少々長時間になり,それに約400mの高低差が加わったという程度だ。ちなみに当日の朝,直前になって妻が一緒に行きたいなどと言い出したので同行二人とあいなった次第だが,平日の午前にデイパックを背負って二人で山の方へとノンビリ向かう様は,まるで隠居の老夫婦である(ただし,そのコドモらは未だ小学3年生と幼児園年長組ですけど)。
自宅(標高140m)から約15分で「羽根林道」の入り口に辿り着く。そこから菜ノ花台までは1時間半あまりの道のりである。一般車両通行止めの林道ゆえ,騒がしいクルマや人の気配はほとんどなく,山腹に沿って蛇行を繰り返す幅員約4mの緩やかな上り坂を気持ちよく歩いてゆくことができる。周辺の植生はスギ,ヒノキの人工植林が主体で,谷筋にはコナラ,クヌギからなる雑木林やケヤキ,モミジなどの落葉広葉樹の林分も一部に見られる。今の時期はとりわけ新緑が美しい。よく晴れたポカポカ陽気の午前,整備された林道の行く手には木々の緑がコントラストの強い迷彩模様の影を落とし,何種類かの知らない鳥たちが我らを囲むようにどこかで囀っている。
妻はしばしば路傍の草や花,あるいはキノコなどに引き寄せられるようにして立ち止まり,時にはしゃがみ込んで葉っぱをツンツンし始めたりする。三歩進んで二歩さがるの道程。ま,いつものことですけど。
途中,道端の斜面の一部を切り開いてペットの集団墓地なるものが作られている。周辺を粗末な木柵で囲い「○○地区以外ノ者,無断デ埋葬スルベカラズ」などと書かれた看板が立っている。里の人々は家で飼っているイヌやネコが死ぬと,わざわざこんな山の中腹まで亡骸を運んで供養するというわけだ(自宅の庭や畑にでも埋めればいいものを)。時にはフトドキな余所者も遠方から夜陰に乗じてやってきてコッソリと埋めたりもするんだろうか。でも後々の墓参りがちょっと大変そうだなぁ。
また道の途中で,地図にも載っていない新しい林道の分岐が忽然と現れたりする。法面を固めるコンクリート壁は分不相応なまでに堅牢強固で,未だ新しいコンクリートの無機的な白さが眩しく,周囲の景観にそぐわないことおびただしい。だからといって目一杯コストをかけて妙に豪華な「近自然的」カムフラージュ擁壁を作られても,これまた困るんですがね。しかし,こんなに立派な林道をいったい誰が利用するんだろうか。せいぜい送電線パトロールの諸君が楽チン出来るくらいのもんではないのかな。
さらにまた林道をすすむと,左手斜面の崖に岩盤がむき出しになった比較的大きな露頭があり,傍らには市の教育委員会による説明の看板が設置されている。いわく「この場所は輝石安山岩の岩脈です。丹沢山地の大部分は1,500万年前頃からの海底火山によって噴出した火山灰や軽石,岩片などが堆積してできた緑色凝灰岩(グリーンタフ)からできています。ここの輝石安山岩の岩脈は幅15mあります。緑色凝灰岩の間に地下の深い所にあった高い圧力のマグマが入り込み,冷え固まってできたと考えられます。云々」 ふむふむ,例の『南の海から来た丹沢』をこの辺りの地層がまさに証明しているって訳か。いや,勉強になるなぁ。けど実際のところ,カンジンの地元の子供たちのうち果たして何人ほどがこの露頭のことを知っているか,或いは見に来たことがあるか,ないしは見に来る予定があるのだろうかね。あんまり期待できそうにもないなぁ。
どうも例によってついつい小理屈をこねてしまう性分が我ながらナサケナイが,かように林道歩きとはいえ結構退屈しないものだ。
菜ノ花台に着いたのはちょうどお昼の時間であった。南に面した草地にじかに座ってお弁当を広げる。いや何,出がけに買ってきたコンビニ弁当ですけど。
ここから眺める風景は,まさに眺望絶佳という言葉どおりである。眼下には春霞にうっすら包まれた秦野盆地が一望のもとに広がり,さらに遠く大磯・二宮の丘陵地や相模川下流域の平塚・茅ヶ崎などの沖積低地帯,さらには藤沢や鎌倉・逗子方面へと続く湘南海岸に縁取られた先には相模湾がぐるりと見渡せる。穏やかな春の外海,のたりのたりと波頭のキラメキまでもが感じられるかのようだ。その沿岸部には,恐らく河川への遡上を真近に控えた体長4~5cm程の稚アユの大群が元気よく蝟集していることだろう。そう,まるで運動会で次の出場種目の出番をゲート付近でワクワクしながら待つ子供たちのように。私にとっての本来のフィールドである「川」の方もいよいよ賑やかな季節になってゆく。やはりこの国においては「春」こそが年度の初めとするに相応しい。
ひるがえって足元直下に目を転じれば,山麓には土色の田畑のそこここを切り取るように菜の花畑の鮮やかな黄色がカーペット状に区画分布し,そのやや後方には我が茅屋の姿だって何とかゴミ粒程度には確認できる。かくのごときジオラマ(地理学的箱庭)を体感すること,それはワタクシにとって幼少時から現在に至るまで絶えず変わらない至福の時として存在する。
約20分あまりの時間を菜ノ花台で過ごした後,後ろ髪を引かれるようにして,やおら家へと戻ることにした(あんまりノンビリしてるとコドモらが学校から帰ってくるのに間に合わなくなる!) 帰路は林道ではなく,普通の山道を下っていった。ほとんど人に歩かれていない道のようで,途中,踏み分け道を間違えて「ヤブ」に取り付いてしまったが,送電線の鉄塔を目印に何とか本来のルートに戻ることができた。家に着いたのは午後1時過ぎ,都合3時間半あまりの気持ちのよい低山徘徊であった。
それにしても,自宅のすぐ周辺で日常的にこのような山歩きを気楽に享受できるという住環境,これをして自然やら環境やらに造詣の深い世の識者たちは「里山暮らし」などと称するのだろうか? いやいや,違いますってば! そんなもの,せいぜいイデオロギーとしての「里山暮らし」の類に過ぎない。山里の生活・文化の多様性に“ほっかむり”して,表層的なレッテルだけを強調したいスケベ根性の表出に過ぎない。少なくとも私自身は,今後もそんなイデオロギーの押し売りだけは断じてすまいとシッカリ自戒したいもんである(ホントか?)
とか何とか申しましても,さぁて,これから先の山歩きが楽しみだなぁ。
記念すべき第一回目は,我が家の北方に連なる丹沢表尾根の前衛に位置する標高560mのランドマーク的な小高い山というか丘陵,その名を「菜ノ花台」あるいは地元の人は「三角山」とも呼ぶようだが,その低山地までの林道を踏破してきた。いやいや,それほど大層なものではない。いつもの近所の散歩が3~4時間と少々長時間になり,それに約400mの高低差が加わったという程度だ。ちなみに当日の朝,直前になって妻が一緒に行きたいなどと言い出したので同行二人とあいなった次第だが,平日の午前にデイパックを背負って二人で山の方へとノンビリ向かう様は,まるで隠居の老夫婦である(ただし,そのコドモらは未だ小学3年生と幼児園年長組ですけど)。
自宅(標高140m)から約15分で「羽根林道」の入り口に辿り着く。そこから菜ノ花台までは1時間半あまりの道のりである。一般車両通行止めの林道ゆえ,騒がしいクルマや人の気配はほとんどなく,山腹に沿って蛇行を繰り返す幅員約4mの緩やかな上り坂を気持ちよく歩いてゆくことができる。周辺の植生はスギ,ヒノキの人工植林が主体で,谷筋にはコナラ,クヌギからなる雑木林やケヤキ,モミジなどの落葉広葉樹の林分も一部に見られる。今の時期はとりわけ新緑が美しい。よく晴れたポカポカ陽気の午前,整備された林道の行く手には木々の緑がコントラストの強い迷彩模様の影を落とし,何種類かの知らない鳥たちが我らを囲むようにどこかで囀っている。
妻はしばしば路傍の草や花,あるいはキノコなどに引き寄せられるようにして立ち止まり,時にはしゃがみ込んで葉っぱをツンツンし始めたりする。三歩進んで二歩さがるの道程。ま,いつものことですけど。
途中,道端の斜面の一部を切り開いてペットの集団墓地なるものが作られている。周辺を粗末な木柵で囲い「○○地区以外ノ者,無断デ埋葬スルベカラズ」などと書かれた看板が立っている。里の人々は家で飼っているイヌやネコが死ぬと,わざわざこんな山の中腹まで亡骸を運んで供養するというわけだ(自宅の庭や畑にでも埋めればいいものを)。時にはフトドキな余所者も遠方から夜陰に乗じてやってきてコッソリと埋めたりもするんだろうか。でも後々の墓参りがちょっと大変そうだなぁ。
また道の途中で,地図にも載っていない新しい林道の分岐が忽然と現れたりする。法面を固めるコンクリート壁は分不相応なまでに堅牢強固で,未だ新しいコンクリートの無機的な白さが眩しく,周囲の景観にそぐわないことおびただしい。だからといって目一杯コストをかけて妙に豪華な「近自然的」カムフラージュ擁壁を作られても,これまた困るんですがね。しかし,こんなに立派な林道をいったい誰が利用するんだろうか。せいぜい送電線パトロールの諸君が楽チン出来るくらいのもんではないのかな。
さらにまた林道をすすむと,左手斜面の崖に岩盤がむき出しになった比較的大きな露頭があり,傍らには市の教育委員会による説明の看板が設置されている。いわく「この場所は輝石安山岩の岩脈です。丹沢山地の大部分は1,500万年前頃からの海底火山によって噴出した火山灰や軽石,岩片などが堆積してできた緑色凝灰岩(グリーンタフ)からできています。ここの輝石安山岩の岩脈は幅15mあります。緑色凝灰岩の間に地下の深い所にあった高い圧力のマグマが入り込み,冷え固まってできたと考えられます。云々」 ふむふむ,例の『南の海から来た丹沢』をこの辺りの地層がまさに証明しているって訳か。いや,勉強になるなぁ。けど実際のところ,カンジンの地元の子供たちのうち果たして何人ほどがこの露頭のことを知っているか,或いは見に来たことがあるか,ないしは見に来る予定があるのだろうかね。あんまり期待できそうにもないなぁ。
どうも例によってついつい小理屈をこねてしまう性分が我ながらナサケナイが,かように林道歩きとはいえ結構退屈しないものだ。
菜ノ花台に着いたのはちょうどお昼の時間であった。南に面した草地にじかに座ってお弁当を広げる。いや何,出がけに買ってきたコンビニ弁当ですけど。
ここから眺める風景は,まさに眺望絶佳という言葉どおりである。眼下には春霞にうっすら包まれた秦野盆地が一望のもとに広がり,さらに遠く大磯・二宮の丘陵地や相模川下流域の平塚・茅ヶ崎などの沖積低地帯,さらには藤沢や鎌倉・逗子方面へと続く湘南海岸に縁取られた先には相模湾がぐるりと見渡せる。穏やかな春の外海,のたりのたりと波頭のキラメキまでもが感じられるかのようだ。その沿岸部には,恐らく河川への遡上を真近に控えた体長4~5cm程の稚アユの大群が元気よく蝟集していることだろう。そう,まるで運動会で次の出場種目の出番をゲート付近でワクワクしながら待つ子供たちのように。私にとっての本来のフィールドである「川」の方もいよいよ賑やかな季節になってゆく。やはりこの国においては「春」こそが年度の初めとするに相応しい。
ひるがえって足元直下に目を転じれば,山麓には土色の田畑のそこここを切り取るように菜の花畑の鮮やかな黄色がカーペット状に区画分布し,そのやや後方には我が茅屋の姿だって何とかゴミ粒程度には確認できる。かくのごときジオラマ(地理学的箱庭)を体感すること,それはワタクシにとって幼少時から現在に至るまで絶えず変わらない至福の時として存在する。
約20分あまりの時間を菜ノ花台で過ごした後,後ろ髪を引かれるようにして,やおら家へと戻ることにした(あんまりノンビリしてるとコドモらが学校から帰ってくるのに間に合わなくなる!) 帰路は林道ではなく,普通の山道を下っていった。ほとんど人に歩かれていない道のようで,途中,踏み分け道を間違えて「ヤブ」に取り付いてしまったが,送電線の鉄塔を目印に何とか本来のルートに戻ることができた。家に着いたのは午後1時過ぎ,都合3時間半あまりの気持ちのよい低山徘徊であった。
それにしても,自宅のすぐ周辺で日常的にこのような山歩きを気楽に享受できるという住環境,これをして自然やら環境やらに造詣の深い世の識者たちは「里山暮らし」などと称するのだろうか? いやいや,違いますってば! そんなもの,せいぜいイデオロギーとしての「里山暮らし」の類に過ぎない。山里の生活・文化の多様性に“ほっかむり”して,表層的なレッテルだけを強調したいスケベ根性の表出に過ぎない。少なくとも私自身は,今後もそんなイデオロギーの押し売りだけは断じてすまいとシッカリ自戒したいもんである(ホントか?)
とか何とか申しましても,さぁて,これから先の山歩きが楽しみだなぁ。