恐らくまだ冬眠はしていないだろう。いや,当地のクマの話でありますが。
先週末,ある催しに出席して,クマの専門家といわれる某氏の講演を聴く機会を得た。丹沢のツキノワグマについての話をされるというのでイソイソと出掛けた次第である。演題は『丹沢に生きる動物たち~ツキノワグマを中心に~』というものだった。しかし何たることか,約2時間半の講演のなかで,「丹沢のクマ」について触れたのは,わずか15分だけであった(講演をレコーダーで録音しておいたので,その時間は間違いない)。タッタの15分,全体の10%ですぜ,アナタ。これじゃぁ「看板(演題)に偽りあり」ジャマイカ!
それでは,他の90%の時間,いったい何の話をしていたのかといえば,環境省の自然環境保全基礎調査(いわゆる「緑の国勢調査」)の話題,それもごく御座なりの一般論的内容解説が大部分で,そのなかでも特に大型哺乳類の全国分布状況について,さしたる興味を覚えることもないエピソードを交えつつメンメンと時間を費やして語られたのであった。要するに,講演の構成がまったくなってないし,話の内容も練れていない。分厚いレジュメを配布するんだったら,そこに時間配分も記載しておいて欲しかったくらいだ。
で,私が最も聞きたかった丹沢山塊のクマについてであるが,概ね以下のようなことが述べられた。
・丹沢の南麓地域では,最近クマが里に下りてくる事例が時折みられるが,昔はそんなことほとんどなかった。
・それは,山の環境が悪くなっているためだろう。具体的には山に餌が少なくなっているためだろう。
・現状を見る限り,クマの生息環境として丹沢山塊はかなり貧相・貧弱である。
・恐らく現在の個体群は近親交配を重ねていると思われる(すなわち,将来的に保護すべき価値に乏しい?)
ああ,そういうことですか。つまりは,丹沢のクマさんたちは現状では専門家から半ば見捨てられた存在となり仰せているというわけか。既にして生物学的価値はなく,生物指標としての評価も得られず,残された道は有害獣としてのアイデンティティ,というか,山地と里地との狭間を彷徨うこの危ういケモノタチと我々は今後いかにして折り合いをつけて共存・共生していったらいいか,などという不毛な議論のツマとしての存在,といったところが精々なわけか。
ま,ショーガナイといえばショーガナイ。老兵は死なず。ただ消えゆくのみ。その最後のアガキ,風前のトモシビが里地における昨今のクマさん出没騒動なのだろう。クマだってニンゲンですから。ただ,それを言うなら,しょせん私とてクマのようなものだ(意味不明)。よーし,この冬は昨シーズンにも増して自転車で丹沢山中を走り回るぞー。ヤビツ詣でなんか目指さないぞー。ガタガタ林道,デコボコ山道をズンズン踏破するぞー。 なお,いちおうはハンドルにクマ鈴(日向薬師で買ったインド製?)なんぞを括り付けちゃったりしますが。
ところで,クマに襲われる確率と,クルマに襲われる確率と,さて,どちらのリスクが高いのだろうか? 申すまでもなかろう。クマによる年間死者数は限りなくゼロに近いのだ。たとい私が淵沢小十郎と同じ末路を辿ることになったとしても,いまわの際にはニッコリと微笑んで死ねると思う。生命連鎖の交流が,キットそこには介在するであろうと思う。 ただし,クルマじゃそうはいきませんぜ!
先週末,ある催しに出席して,クマの専門家といわれる某氏の講演を聴く機会を得た。丹沢のツキノワグマについての話をされるというのでイソイソと出掛けた次第である。演題は『丹沢に生きる動物たち~ツキノワグマを中心に~』というものだった。しかし何たることか,約2時間半の講演のなかで,「丹沢のクマ」について触れたのは,わずか15分だけであった(講演をレコーダーで録音しておいたので,その時間は間違いない)。タッタの15分,全体の10%ですぜ,アナタ。これじゃぁ「看板(演題)に偽りあり」ジャマイカ!
それでは,他の90%の時間,いったい何の話をしていたのかといえば,環境省の自然環境保全基礎調査(いわゆる「緑の国勢調査」)の話題,それもごく御座なりの一般論的内容解説が大部分で,そのなかでも特に大型哺乳類の全国分布状況について,さしたる興味を覚えることもないエピソードを交えつつメンメンと時間を費やして語られたのであった。要するに,講演の構成がまったくなってないし,話の内容も練れていない。分厚いレジュメを配布するんだったら,そこに時間配分も記載しておいて欲しかったくらいだ。
で,私が最も聞きたかった丹沢山塊のクマについてであるが,概ね以下のようなことが述べられた。
・丹沢の南麓地域では,最近クマが里に下りてくる事例が時折みられるが,昔はそんなことほとんどなかった。
・それは,山の環境が悪くなっているためだろう。具体的には山に餌が少なくなっているためだろう。
・現状を見る限り,クマの生息環境として丹沢山塊はかなり貧相・貧弱である。
・恐らく現在の個体群は近親交配を重ねていると思われる(すなわち,将来的に保護すべき価値に乏しい?)
ああ,そういうことですか。つまりは,丹沢のクマさんたちは現状では専門家から半ば見捨てられた存在となり仰せているというわけか。既にして生物学的価値はなく,生物指標としての評価も得られず,残された道は有害獣としてのアイデンティティ,というか,山地と里地との狭間を彷徨うこの危ういケモノタチと我々は今後いかにして折り合いをつけて共存・共生していったらいいか,などという不毛な議論のツマとしての存在,といったところが精々なわけか。
ま,ショーガナイといえばショーガナイ。老兵は死なず。ただ消えゆくのみ。その最後のアガキ,風前のトモシビが里地における昨今のクマさん出没騒動なのだろう。クマだってニンゲンですから。ただ,それを言うなら,しょせん私とてクマのようなものだ(意味不明)。よーし,この冬は昨シーズンにも増して自転車で丹沢山中を走り回るぞー。ヤビツ詣でなんか目指さないぞー。ガタガタ林道,デコボコ山道をズンズン踏破するぞー。 なお,いちおうはハンドルにクマ鈴(日向薬師で買ったインド製?)なんぞを括り付けちゃったりしますが。
ところで,クマに襲われる確率と,クルマに襲われる確率と,さて,どちらのリスクが高いのだろうか? 申すまでもなかろう。クマによる年間死者数は限りなくゼロに近いのだ。たとい私が淵沢小十郎と同じ末路を辿ることになったとしても,いまわの際にはニッコリと微笑んで死ねると思う。生命連鎖の交流が,キットそこには介在するであろうと思う。 ただし,クルマじゃそうはいきませんぜ!