さようなら,ミーシャ!

2004年12月27日 | ミーシャ!

 ここ数日のあいだ病に伏していたミーシャが,家族全員の切なる祈りの甲斐もなく,一昨日の未明にとうとう死んでしまった。15年と1ヶ月と5日の生涯,猫としては長いのかも知れないが,家族の一員としてみればそれはまことに短い命であった。12月25日,クリスマス。その日はタカシの13回目の誕生日でもあり,喜びと悲しみの交錯する辛い一日となった。

 死んでから2日が過ぎた今,改めてミーシャが写っている昔からの写真をあちこちから取り出し集めてはボーッとした気持ちで眺めている。生後2ヶ月に満たないヨチヨチした幼猫の頃からはじまって,元気いっぱいヤンチャな子猫,気紛れで自立心に富んだ若猫,物憂げでクールな成猫,悟りを開いた哲学者のごとき風貌の老猫にいたるまで,それはアナログからデジタルへと時代が変化してゆくのに歩を合わせたような,凡そ15年間に及ぶ個人と家族の慌ただしくも親しく懐かしい生の記録なのであった。

 その晩年,今夏に撮った写真などを見ると,そこに映じるミーシャは実に丸々と太っている。毛づやも良く,キリッとした眼差しはそこはかとなく気品すら漂わせる,まことに貫禄十分な老描だ。それが,先日も記したように,秋口になると徐々に食欲が減退し,動作や仕草も何となく緩慢になってきた。それでもいつものように家の中を意味もなくウロウロしたり,階段をドカドカ走り下りたり,時には戸外に出てノンビリ日向ぼっこなどもしていたので,それほど深刻な状態に陥っていたとは思いもよらなかった(今になって顧みれば,自らの無頓着さ,気配りの無さが悔やまれてならない)。

 師走に入ると,急に食べ物をほとんど受け付けなくなった。さらに,無理に食べては嘔吐するようなことも何度かあったため,これはオカシイということで慌てて動物病院に連れて行った。それが12月12日のことである。獣医師からは,いわゆる年齢(老衰)からくるところの肝機能の低下を指摘された。以後,2~3日おきに病院で点滴を受けたり,毎日薬を飲ませたり,時には医者に往診を頼んだりしたが,一向に改善する気配がなく,徐々に全身が弱っていく様子であった。

 クリスマス・イブの日,医者に行って診察を受けた際に,もうあまり長くないかも知れませんね,と,やんわり宣告された。ああ,そろそろ駄目なのかなぁ,と朧気ながら覚悟したが,それでも,夜寝る前にミーシャに向かって,明日の朝まではガンバルんだよ!明日はクリスマスで,それにタカシの誕生日なんだから,一緒にオメデトウの紙吹雪を舞わせてお祝いしようよ!と激励し,その体をそっとさすりながら手を握った。ミーシャはグッタリと横たわったまま虚ろな表情で,それでも弱々しくツメを立ててこちらに反応した。そんな様子を気に掛けた母が,今晩は何となく心配だから居間のソファーでミーシャの添い寝をするから,ということになった。

 明くる朝,やや遅くに目を覚ました父が紙吹雪の束を持参して階下の居間に下りてゆくと,母とタカシとアキラの3名が既にテーブルのまわりに座っており,そして皆一様にションボリしていた。聞けばミーシャはついに朝まで生き永らえることが出来なかったという。未明の4時過ぎ頃,母が気付いた時には既に息絶えていたという。眠るように,自然のままに死んでいったのだろう。その死顔はとても安らかだった。

 日頃よりミーシャを特に好きだったアキラは,朝からずっとグズグズ・メソメソ泣きどおしであった。誕生日を迎えたタカシも,自分がその日をどのように振る舞ったらいいのかわからずに,いささか戸惑っている様子だった。父はとりあえずタカシに小さくオメデトウを言い(紙吹雪は省略),そのあとアキラの肩を抱いて慰め元気づけ励ましにかからなければならなかった。

 それにしても,こんなクリスマスを迎えるのは初めてのことだ。今年は本当に辛い年になってしまった。生きるという悲しみ,運命というものの厳粛な定めを改めて感じてしまう。さもあらばあれ,やがて時は過酷にも無惨にも,死んでしまったミーシャの体を一個の小さな動物の死骸へと徐々に変えてゆくのだ。さて,ミーシャをこの後どうしたらいいだろう。どのようにすれば幸せな供養を施すことが出来るだろう。世間一般では死んでしまった家猫をどのように扱うのかよくわからないが,お寺や業者や霊園に頼んで焼いたりするのは断じてイヤだ!という母の強い希望を受けて,遺体はそのまま家の庭に埋めることにした。とはいっても狭い敷地ゆえ,埋めることのできる場所はごく限られている。三角庭[猫の額その1]か東庭[猫の額その2]のどちらかだ。若干の検討を行った挙げ句,最も相応しかるべき場所として東庭のヒメシャラの木の脇に埋葬することとした。墓穴掘りは父の作業になる。石礫や木の根が固く詰まっていて少々難儀したが,ジョルジュ・ブラッサンスの歌《可哀想なマルタンPauvre Martin》のシーンなどを思い浮かべつつ,ちょっぴりセンチな気分に浸りつつ,ともかく何とか深さ80cmほどの穴を掘ることができた。

 昼過ぎ,それまで居間の一隅にブランケットでくるんで安置していたミーシャをそっと抱えて外に運び出し,玄関脇の三和土のうえに移した。それから皆で囲むようにして,それぞれミーシャの体のあちこちにキャット・ミントの花や葉を何本も置き,最後に一輪の大きなバラを添えた。そして,しばしの礼拝。それから埋葬。その後は親も子もただ黙々と土を被せてゆくのみであった。やがて完全に土に隠れて見えなくなってしまった。さようなら,ミーシャ。

 さて,お墓はどうしよう。翌日になると,さっそくそんな事を考えてしまう。年末の繁忙期,身過ぎ世過ぎとはいい条,やることだけはキッチリとやらねばならない。インターネットなどで少し調べてみると,昨今のペット・ブームを受けて大層豪華で立派なペット墓標なるものが数万円から数10万円もの結構な値段で売られているようだ。けれどミーシャはペットなんかじゃないからそんなものはイラナイ。それでもやはり,ミーシャが気に入ってくれるような素敵なお墓を作ってあげたいな。それで今日の昼間,ミーシャのお墓,というかモニュメントを買い求めに,母と父の二人で木村植物園という名のガーデニングの店に出掛けた。園内をあちこち物色して回ったところ,猫三匹がジャレるように遊んでいる小さな石の置物があって,それがなかなか良さげであった。ただしよく見れば一匹の耳が大分欠けている。店の人に聞くと,外国製につき別途取り寄せは出来ないし今後再入荷の予定もないという。それでその現物を半額の2,100円にしてもらって購入した。さらに,猫の台座としてぴったりのクラシカルなプランターも併せて買った。そちらは2,200円だったので合計で4,300円だ(安上がりに済ませてゴメン)。

 家に帰ると,さっそく母は欠けた耳の補修にとりかかった。コンクリの粉を練り固めて,時間をかけて丁寧な作業で復元した結果,一部の欠落した石像は立派なモニュメントとして生まれ変わった。うん,これならミーシャもさぞかし喜ぶことだろう。そしてその石像はミーシャの埋葬地にしっかりと設置された。周囲には二,三の草本も植栽された。

 そういうわけで,これからは毎日,家の出入りをするたびに私たち家族4名ミーシャの傍らを通り過ぎることになる。通るときにはちょっとした日常の挨拶のような,何か軽い言葉をかけてあげよう。あるいはニッコリと微笑んであげよう。15年間のたくさんの思い出に感謝を込めた,それは残された者としてのささやかな供養であると思う。ミーシャはこうして死んでしまったけれども,私たちは何とかまだ生きているし,これからも今暫くは生きていかねばならないのだから。 あらためて,ありがとうね,ミーシャ。
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