昨年の暮れ,我が家にカラオケ・マシンが導入された。いえいえ,そげん大層なモノではございません。タカラのe-kara webというごく慎ましい玩具商品で,主として子供らの娯楽のために,従として親らの慰安のために,まるでサーティーワンのアイス(コーンタイプ)でも買うように,ちょいと気軽に購入したまでのことであります。ただし,若干の下心めいた目論見がなかったといえばウソになるのであって,それは昨今の我家の家庭内事情,つまり子供らの成長ならびに親らの高齢化に伴い,構成員個々の感性が特化し,趣味嗜好が乖離し,知力は拡散され,体力は徒に浪費され,挙げ句の果てに日々の営みも徐々に殺伐として義務的となり,時としてツッケンドンにもなりがちな家族内交流をここらで多少とも修復し,今一度平凡にして古典的な一家団欒なるものをつかのま呼び戻したい,などという幻想願望を一部の関係者が抱いていたこともまた事実なのであります(嗚呼,ナサケナヤ)。繰り返すが,父は永遠に悲劇的な存在である。
ところで,この製品のウリは,空のカセット・メモリにインターネットから好きな曲をダウンロード出来るというところで,いかにも今風のオモチャらしい。カセット1本に28曲ダウンロードが可能なので,ひとり当たりの持ち歌は7曲という勘定になる。当の商品がヨドバシカメラの通販センターから届いた日,さっそく本体をPCに接続し,アプリケーション・ソフトを導入し,それから各人それぞれ好みの曲をネットで検索してダウンロードにとりかかった。
タカシが選曲したのは,『花』(オレンジ・レンジ),『サボテン』,『アゲハ蝶』(ポルノグラフィティ),『正夢』(スピッツ),『青いベンチ』(サスケ)などなど,なかなかに時代の先端をつっ走っている。というか,それは単に流行の尻馬に安易に乗っかっているだけだとも見為せるわけで,とにかく最近のタカシの日常ときたら,昨年暮れのクリスマスにサンタさん(改め父・母)よりポータブルMDをプレゼントされて以来,ほとんど音楽漬けの毎日なのである。自室にいるときも居間にいるときも,たいていはヘッドホンを装着してフンフン鼻歌を唄っていることが多い。閉ざされた音楽世界への没入。それはまた,ヒトリヨガリの世界,シカトの世界への移住とも置き換えられる可能性が大なわけで,まことによろしくない傾向だ。まだ下手なカラオケで大声張りあげてくれた方がマトモである。
タカシに比べるとアキラの選曲の方は,『島人ぬ宝』(Begin),『夢の中へ』(井上陽水),『地上の星』(中島みゆき)などと,ウーン,こちらは例によってマイペース。10才の子供にしては嗜好ないし思考回路が少々ズレテいるような気がする。所詮アキラ的世界にあっては,世の流行とは異次元の祭事,天空の流れ星のごときで存在でしかなく,それゆえに決して歌は世に連れないのである。それはそれでひとつの見識だろう。少なくとも,例のアホダラ経を唱えているようなラッパー・シンガー達の真似をしないだけ健全か。ただ,そんなアキラにしてからが,最近ではタカシに多少とも影響されてか,あるいはタカシと張り合ってか,流行歌にも興味を示し始めているようだ。先日も「アゲハ蝶・バトル」なるものがタカシとの間で発生した。委細は省略させていただくが,要するに「砂場のケンカ」です。
ところで親の方はどうかといえば,父の選曲は『俺たちの旅』(小椋佳),『晴れたらいいね』(ドリカム),『青空,ひとりきり』(井上陽水)といった調子で,アキラに比べてさらにさらに流行感覚がズレテイルのは明らかだ。本当は荒木一郎とかを歌いたいんだども,そったら古いマイナーな歌,タカラのネットDBに入っているわげもないっす。要するに,今という時代が見えていないのであるが,ま,そこらあたりは年齢に免じて許していただきたい。だからというて,ヨシダタクローだらチューリップだらは真っ平御免ですけんどネ。なおまた,残るもう一人のコラボレーターたる母が選んだのは,とりあえず『春よ,来い』(ユーミン)の1曲だけですと。アイアイ,父に負けず劣らずズレテイルじゃあないか。
かように,時代をまったく読めないオロカな父母の元にありながらも,カラオケを団欒の友としつつ,子供らは曲がりなりにも成長してゆくのでありましょう(楽観的かつ希望的観測)。でもあまり極端には曲がり過ぎないでおくれ。そういえば「曲」という字には「変化に富んでいて面白味のある技芸」という意味もあるそうな。その行く先に待ち受けるであろうロング・アンド・ワインディング・ロードを,頼りない親などあてにせず,自らの強い意思と溢れる旋律と美しい声色とで突き進んでいって欲しい。要するに「選曲が大事」ってことです,コドモたちよ!
ところで,この製品のウリは,空のカセット・メモリにインターネットから好きな曲をダウンロード出来るというところで,いかにも今風のオモチャらしい。カセット1本に28曲ダウンロードが可能なので,ひとり当たりの持ち歌は7曲という勘定になる。当の商品がヨドバシカメラの通販センターから届いた日,さっそく本体をPCに接続し,アプリケーション・ソフトを導入し,それから各人それぞれ好みの曲をネットで検索してダウンロードにとりかかった。
タカシが選曲したのは,『花』(オレンジ・レンジ),『サボテン』,『アゲハ蝶』(ポルノグラフィティ),『正夢』(スピッツ),『青いベンチ』(サスケ)などなど,なかなかに時代の先端をつっ走っている。というか,それは単に流行の尻馬に安易に乗っかっているだけだとも見為せるわけで,とにかく最近のタカシの日常ときたら,昨年暮れのクリスマスにサンタさん(改め父・母)よりポータブルMDをプレゼントされて以来,ほとんど音楽漬けの毎日なのである。自室にいるときも居間にいるときも,たいていはヘッドホンを装着してフンフン鼻歌を唄っていることが多い。閉ざされた音楽世界への没入。それはまた,ヒトリヨガリの世界,シカトの世界への移住とも置き換えられる可能性が大なわけで,まことによろしくない傾向だ。まだ下手なカラオケで大声張りあげてくれた方がマトモである。
タカシに比べるとアキラの選曲の方は,『島人ぬ宝』(Begin),『夢の中へ』(井上陽水),『地上の星』(中島みゆき)などと,ウーン,こちらは例によってマイペース。10才の子供にしては嗜好ないし思考回路が少々ズレテいるような気がする。所詮アキラ的世界にあっては,世の流行とは異次元の祭事,天空の流れ星のごときで存在でしかなく,それゆえに決して歌は世に連れないのである。それはそれでひとつの見識だろう。少なくとも,例のアホダラ経を唱えているようなラッパー・シンガー達の真似をしないだけ健全か。ただ,そんなアキラにしてからが,最近ではタカシに多少とも影響されてか,あるいはタカシと張り合ってか,流行歌にも興味を示し始めているようだ。先日も「アゲハ蝶・バトル」なるものがタカシとの間で発生した。委細は省略させていただくが,要するに「砂場のケンカ」です。
ところで親の方はどうかといえば,父の選曲は『俺たちの旅』(小椋佳),『晴れたらいいね』(ドリカム),『青空,ひとりきり』(井上陽水)といった調子で,アキラに比べてさらにさらに流行感覚がズレテイルのは明らかだ。本当は荒木一郎とかを歌いたいんだども,そったら古いマイナーな歌,タカラのネットDBに入っているわげもないっす。要するに,今という時代が見えていないのであるが,ま,そこらあたりは年齢に免じて許していただきたい。だからというて,ヨシダタクローだらチューリップだらは真っ平御免ですけんどネ。なおまた,残るもう一人のコラボレーターたる母が選んだのは,とりあえず『春よ,来い』(ユーミン)の1曲だけですと。アイアイ,父に負けず劣らずズレテイルじゃあないか。
かように,時代をまったく読めないオロカな父母の元にありながらも,カラオケを団欒の友としつつ,子供らは曲がりなりにも成長してゆくのでありましょう(楽観的かつ希望的観測)。でもあまり極端には曲がり過ぎないでおくれ。そういえば「曲」という字には「変化に富んでいて面白味のある技芸」という意味もあるそうな。その行く先に待ち受けるであろうロング・アンド・ワインディング・ロードを,頼りない親などあてにせず,自らの強い意思と溢れる旋律と美しい声色とで突き進んでいって欲しい。要するに「選曲が大事」ってことです,コドモたちよ!