あるオジイサンの死

1997年12月06日 | タカシ
 昨日,近所のおじいさんが亡くなった。ほとんど面識はなかったが,一応隣組ということで今晩のお通夜にはタカシと2人で出掛けた。タカシも来年はもう小学校なのだから,いろんな社会経験を少しずつ積ませてゆくことが必要であろうという理由で一緒に連れていくことにしたのだ。本人もそれほどイヤなそぶりは見せなかったしね(アキラの方は幸いなことに(!)朝から風邪で寝込んでしまったので,母とお留守番)。葬祭場までの車の中でタカシと死についての会話を少々交わす(やや誘導尋問的ではあったが)。


 『人はね,年をとるとみーんな死んじゃうんだよ。』

 『え?おばあちゃんも,おじいちゃんも?』

 『うんそうだよ,でもおばあちゃんはまだ64才だから,死ぬのはずーっと先だね。多分80才くらいまでは死なないよ。』

 『それじゃあ,どんなふうに死ぬの?』

 『それはね,苦しくて苦しくて死んじゃったり,身体のあっちこっちがとても痛くなって死んだり,頭がボーッとしてきて死んだり,それから,昼寝をしてたらそのままずーっと寝たまんまで起きなくなって死んじゃったり,いろんな死に方があるんだよ.....』

しばし沈黙の後

 『その昼寝のがいいなー』

とタカシ(何せ“痛がり屋さん”ですから)。


 通夜の席で子供はタカシひとりだけであった。長い読経の最中,おおむね行儀よく椅子にじっと座っていたのは意外であった(時々小声で話しかけてきたりはしたが)。そして,お祈りするときはオトウサンがやることを真似するんだよ,と事前に言い聞かせおいた上で一緒に焼香をする。ぎこちない手つきではあったが,結構神妙な面持ちで父のやる通りに無事焼香をすませた。その幼い参会者の挙動は,恐らく周囲の人々の鬱屈とした気持ちをいっとき和らげたのではないかと思う。退席後,タカシがこのような通過儀礼を無難にこなせたことに対して多少の満足感をおぼえ,帰り路に本屋に寄り道してポケモン本を買ってあげてしまった(相変らず甘い父である)。
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