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丘陵地を走りながら ミズムシAsellus hilgendorfii のことなどを思う

2009年12月28日 | 自転車ぐらし
 昨日の午後,渋沢丘陵・栃窪の八国見山(標高319.4m)から大井町・高尾の竹山(標高307.8m)方面へと延びる丘陵の尾根路を自転車で辿った。と申したところで,こんな辺鄙な山道,ほとんど誰も知らないでしょうケレドモ。何しろ道中に名所旧跡があるというわけでなし,といって特段素晴らしい絶景が拝めるわけでもない,ただの凡庸なウネウネとしたサトヤマ道に過ぎないのでありますからして。それゆえに,昨今渋沢丘陵界隈ではその徘徊ぶりが眼に余る,といっては失礼か,渋沢丘陵一帯を平日休日を問わず賑やかに和気藹々と往来しているジジババ・ハイカー軍団御一行様もこちらの方まで足を伸ばすことはほとんどないだろうし,またそもそも地元の農業・林業従事者にしてからがそう滅多には通らぬ道であろうと思われるし,加えて付近一帯は禁猟区(特定猟具使用禁止区域)に設定されているので剣呑なハンター連中だってやって来ないだろうし(いや,本当に来ないで下さいネ!) と,そんな「忘れられた山道」なのである。もっとも,物好きな輩はどこにでもいるもので(他人のことはとやかく言えませぬが),ネットでちょいと検索してみると,以前このルートに足跡を残した記録をしたためている方が幾名かはおられるようです。

 私自身は数年前の夏に一度だけ,この道を今回と同じMTBで通ったことがあった。その時はヤブの繁茂がひどくて所々でゆく手を阻まれ,また少し前の雨でぬかるんだ道のコンディションも悪く,かなり往生したことを覚えている。けれども,今の季節はその夏の状況とは全然違っていて,とても気持ちよく走ることができた。落葉がタップリ敷きつめられたシングルトラックのカソケキ小径を,幅広ブロックタイヤを装着した愛車のMTBでユックリユックリ辿って行く。カサコソとざわめくような山肌の呼吸する音,落葉した木々の幹が清々しく屹立するさま,しっとりした下草や土壌の柔らかな感触,それらを通じて山というものの温もりがじかに伝わってくるようだ。少しぐらい転んだってヘッチャラさ。灌木と落ち葉と関東ローム層とがこちらの身をフンワリと受け止めてくれる(谷底に落ちさえしなければ,ネ!) ああ,いい気持ちだなぁ。身体と自転車との一体感。決してリッパとは申せぬ低価格スポーツ自転車ですけど,私にはこれで十分だ。そもそもランドナー?とかシクロクロス?とかいった高級スポーツ自転車なんぞは分不相応だし,この山域にだってそれはある意味不似合いだろう。んなわけで当方,何処ぞの著名なバカタレ先生がヒステリックに糾弾するところの「ジャイアンツ」を長年続けているような次第であります。 ま,それはさておき。

 峠方面から電波塔(栃窪無線中継所)までは尾根伝いにクルマ1台が何とか通れる細道が付けられているのだが,昨日私が選んだアプローチはそちらではなく,栃窪の谷戸のドンヅマリにある放棄畑の脇を過ぎて八国見山の東に張り出している枝尾根を巻くように登って行く山道の方だった。ここもほとんど誰も通ることがない無名道なのだろう,最近歩かれたような形跡もなく,ともすれば山腹に消え入りそうな頼りない小径である。それでもメゲルことなく,のんびりと漕いだり押したり担いだりしながら尾根の上を目指してユックリユックリと上っていった。電波塔の手前でいったんクルマ道に合流し,そこから先は再び山道となって南に向かう。

 いつの頃からか「大磯丘陵」などという固有名称を冠せられるようになったこの地域一帯の土地が有している本来の姿,自然と人文とが精妙に混交するプリミチブな様相,とりわけそのdélice topographique(地形的醍醐味)を味わおうとするには,ここはとても良いルートだ。たかだか標高200~300mの低山ではあるが,大地の表面に長い歴史が刻んできた皺のような轍のような地形起伏がウネウネと連なり,丘があり谷があり,植林地があり耕作地があり,沢が流れ小径が通じる。あちこちに谷戸が複雑に入り組んだ多面的な土地の相貌は,何やら出口の見えないラビリンスに迷い込んだようでいて,しかしそれは決して険しくもなく厳しくもなく,他所から訪れる者をしてどこか心安らぎ穏やかな気持ちにさせてくれるのだ。風景に親しみ,土地を愛でる。そして,MTBという一種無骨で,しかしながらすこぶる活動的で魅力的なヴィークルの助けを借りて山々の小径を通りゆくその絶妙なスピード感というのがまた,私の脳内につかのま時空を超えたテレポーテーション的感覚を呼び起こす。そう,まるで森や林を日々の住処として野山を縦横に行き交う小型哺乳類にでもなったような,そんな軽やか気分のワタクシがそこにいるのである(中型哺乳類が,何言ってんだか)。それは,例えば徒歩による低山徘徊などからは決して得られない感覚である。脳内活性化とは,所詮,外界との交流手段ならびに感応レベルに強く依存した想像力発現の多寡を指しているに過ぎないのではなかろうか(何言ってんだか,意味不明)。最近,山中で時折出会うトレイル・ランナーたちも,恐らくこれに近い気分感覚で山を感じ,山道を上り下りしているのだろう。身一つで軽やかに山を駆け抜けてゆくヒトビト。現代版の千日回峰。それはそれで私などからすれば実にウラヤマシイ限りである。ただ軟弱者たる私の場合,いい年こいて山中を走ったりしたら忽ちのうちにアゴが上がってしまい,のみならず心肺機能に重大なSOSを来す恐れも十分に考えられるので,ここはやはりMTBに乗って呑気にマイペースで走っているのが分相応であると思う。

 そんなシアワセな時間の流れのなかで,それなりに活性化された私の老いたる脳内は,さて一体なにをテツガクしているのかと申せば,例えば川のことなどを考えているのです。 山といえば川! ってなもンで。

 丹沢山塊・表尾根の主峰たる塔ノ岳にその源を発する水無川,我らが盆地を日々はぐくみ育てている母なるその川は,秦野盆地の中央部を貫流したのちに本流である金目川に合流し,その後,大磯丘陵の北縁を巻くようにして南東から南に流下し,座禅川,鈴川,渋田川などの支川を合わせながら大磯町・高麗山の東側で相模湾に注いでいる。この水無川が,かつては現在の大磯丘陵の中心部を貫流して,中村川,葛川などとともに二宮町付近で海に流れ込んでいたということなのだ。もっともそれは今から5万年以上もの昔の話なんだケレドモ。不勉強につきそのことは比較的最近になって得た知識であって,以前はそんなこと思いもよらなかった。いずれにしろ私にとっては大変興味深い「河川史」の一断面である。

 大磯丘陵は,更新世中期の時代,今から30万年ほど前から徐々に隆起をはじめたという。いわゆるプレートテクトニクス理論による地殻変動の一過程である。そして,約5万年前に渋沢断層の活動に伴い大磯丘陵の隆起が一層盛んになるとともに,それまで丹沢山塊から南の方向に流れ下っていた水無川や金目川,四十八瀬川はやがて南下を阻まれ,今から約2万年前には四十八瀬川は西に流路を変じて酒匂川水系に,水無川および金目川は東に流路を変じて現在の金目川水系に流れるようになっていたとされる。すなわち,現在,大磯丘陵を流れている中村川,藤沢川,葛川,不動川などの中小河川は,かつては丹沢山塊の幾多の頂きから千数百mの高低差を一気呵成に落下しながら相模湾へと流れ下る大河ないし複合河川の一部であったのだ。集水域の広さから考えても,さぞや水量豊富で豪快・立派な川であったことだろうと想像する。それが今では,まるで取り残されたクリークのように,穏やかな春の小川のように,丘陵地内を慎ましく細々と流れる独立小河川になってしまった。いわゆる「河川争奪」の一例だろう。

 ミズムシAsellus hilgendorfiiという小型甲殻類がいる。水の中に住むダンゴムシの仲間,と考えていただければよい。河川の中流から下流にかけての水域ならどこにでも普通に見られる水生動物である。そのミズムシの生息分布状況について,以前に少し調べたことがある。その結果,金目川水系に生息するミズムシと中村川水系に生息するミズムシの外部形態を相互比較してみると,部分部分に少なからぬ相違が認められて驚いたものだった。もともと本種は日本全国に広く生息する広域分布種とされているが,地方による形態変異はしばしば認められる。ただしそれは例えば東北地方と近畿地方といったレベルでの話である。具体的なデータを示さない議論は不適切との誹りを受ける恐れがあるため詳細はここでは述べないが,将来的には亜種ないし別種として複数種が記載される可能性は十分にありそうだ。それはさておき,「金目川ミズムシ」と「中村川ミズムシ」は上述のように元々は同一水系に由来する地域個体群であることを考えると,この形態変異ぶりは一層腑に落ちないことになる。たかだか数万年(!)のあいだに,生物というのはそんなに変わるものなのだろうか。大磯丘陵の隆起に伴う環境の急激な変化により,かつて今西錦司御大が提示した「小進化」が発現したのだろうか。してみれば,現代社会における環境の激変ならびに個の多様化は,あらたな種の出現に向けての進化スピードを促すに充分なものではなかろうか? そういえば最近では,私の身辺周囲のそこかしこに明らかに「別種」と見られるような若令個体が時折ウロウロするようになってきたゾ。

 。。。と,そんなショーモナイことをあれこれアタマの中で考えながら,中村川源流域付近の尾根路を自転車で走っていたのであります。頬を切るような冷たい冬の風は今も昔も変わりはしない。ミズムシたちの生活自体もまた,昔も今も恐らく変わることはない。単にチョットだけ環境が変わったに過ぎないのだ。しかり。いま私は数万年前から現在に至る大地動乱の時代の痕跡をたどっているのである(相も変わらず,何言ってんだか~ぃ!)

 ああ,それにしてもオンボロMTBによる山野渉猟は楽しいなー。少なくともクルマとの遭遇がないだけでも嬉しいナー。剣呑なクルマたちが繁く往来するツルツル舗装道路を毎度毎度天竺鼠のようにチョコマカ走ってるピカピカ高価格ローディー諸氏には,この気持ちワカルカナー。ワカンネーダローナー。
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