“天之妙見宮”について

2007年12月04日 | 日々のアブク
 秦野盆地の南側を縁取る渋沢丘陵の一角,ちょうど市立渋沢中学校の裏山頂上付近(標高約280m)の山中に,地図によると《天之妙見宮》と記されている宗教的施設?が存在する。お宮さんを名乗るからには「誰か」を祀ってあるものと思われるが,カミさまやホトケさま関係に疎い無知無分別の不肖私にとっては,これがどうもよくわからない。まさか,天から舞い下りた童子を祀っているのではないだろう。

 標高200~300mの渋沢丘陵を東西に縦走するハイキング・コースのルートから,そのお宮は少しだけ外れたところにあるので,一般のハイカー達に知られることはほとんどないように思われる(道に迷ったりすれば別だろうが)。ただし,少々気になるのは,同ハイキングルートのなかでこの付近の数100mだけがすこぶる道が悪いということだ。樹林は鬱蒼として昼なお暗く,道は木の根があちこちに張り出し,加えて雨水によって溝を穿たれて凸凹となり,また傾斜もかなり急で,歩くのによほど難儀する細道である。その前後の明るく気持ちのよい山道,里道と比べると違いは際立っている。まるで,ここは通っちゃいかん!とナニモノかが暗に申し渡しているかの如くにも思えてくる。10数年前に歩いたときはそれほどヒドい道ではなかったように記憶しているが,少なくとも現在ではそういう状態にある。これを,例えば市の観光協会あたりが道路行政方に働きかけてこの部分の散策ルート整備を行うといった措置はなされないのだろうか。単なる予算不足?あるいは,私有地につき勝手に改変することができない?

 私自身,今述べたように10数年前に1度,それから6~7年前に1度,渋沢丘陵のハイキングを行っており,いずれも“天之妙見宮”のすぐ脇の道を歩いて通り過ぎたのだが,その時はお宮の存在すら知らなかった。それが,今年になって近在の山々や丘陵地を好んで自転車で走り回るようになってからは,GPS及び詳細地形図のコピーを携えて走行することが多いので,当地周辺の地形・地質・人文等に対する理解度も以前に比べればそれなりに深まったように思う。その付近の細道も計5~6回は走っている。そのうちの一度は,迷い込んだ振り?をして,お宮のすぐ前まで行ってみた。周囲には細々と畑地が耕作されていた跡があり,そして高い柵と塀とに囲まれた一角の奥には本殿建屋らしきが望まれたが,なにやら全体がバリケード状態?で封印されているようにも見えた。奥のほうからは何となく「生体反応」らしきがあったように思う。それも高等動物の反応だ。けれども私は元来が好奇心希薄な者ですゆえ,それ以上の観察を続けることはせずに「サワラヌ神にタタリなし」とばかり,そこで速やかに踵を返してしまったのであります。いや,単に臆病風に吹かれただけですかネ。

 試みにインターネットで“天之妙見宮”とググってGgoogleみれば,わずか2件ばかりがヒットする。その1件目は,鎌倉方面に在住する老名士(某大手コンサルの元社長)が数年前に渋沢丘陵にハイキングにやってきた時の記録の中に見出せる。そこでは「社屋はない(焼失したのか?)」という意味のことが書かれている。その推測は多分間違っていると思われるが,それにしても,この元気老人は渋沢丘陵ハイキングに際してどんな地図を持参したのだろう? 私が今までに確認した限りでは,同宮の名称が記載された地図は,「ワイドミリオン全神奈川1/1万」(東京地図出版),秦野市発行の「1万5千分の1地形図」(製作:(株)パスコ),それと「ゼンリン住宅地図(4千分の1)」の計3種くらいしか見当たらない(丹念に探してみれば他にもまだあるだろうが)。恐らく第1の地図の該当部分をコピーして持って行ったのだろう。もし第2の地図を持って行ったということであれば,御老人なかなかの地図通である。まさか第3の地図ということはあるまい。 

 もう1件のネット記載例は,神奈川県内におけるムササビ生息分布調査(by神奈川ムササビ調査隊)において調査対象となった社寺林のひとつとして記録されている。もっとも,ムササビはそこでは未確認であったらしい(恐らく何らかの理由によりじっくり腰を据えて観察するのは憚られたのだろうと推察されるが。。。)

 以上は,別に「他人の庭」を詮索することを目的とした記事ではない。小閑人の凡庸なる日々のなかで一寸疑問に感じたことを記しただけである。言葉を換えれば,インターネットという膨大な情報のカオスから漏れ落ちている「知られざる現実」というものが,この世間には未だ山のように存在している,ということを言いたかったまでであります。事実は小説よりも奇なり。現実は人知の及ばざるとこと多々なり。当然といえば当然のことだろう。たとえ近い将来,“天之妙見宮”と再度ググってみるとヒット数が3件に増えていたとして,それが何だというのだ!
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