昨日(5.14)の、フィギュアスケートジャパンオープン2006という長ったらしいタイトルの大会で、真央ちゃん復活しましたね。体が大きくなって心配されたジャンプも高さがあり、これならもう少し身長が伸びても大丈夫でしょう。復活と言えば、ホッカイドウ競馬のコスモバルクがシンガポールのGⅠを勝って復活です。コスモバルクは、古代史(『私だけの古代史第二部・エジプト編』第11章7項~飛鳥の名前、その三)の方で謎解きのヒントとして登場します。その時に名馬と書いているのですが、実はまだGⅠを勝っていなかったので見切り発車の表現でした。これでようやく原稿の書き直しをしなくて済みそうです。
話を真央ちゃんに戻すと、真央ちゃん関係の掲示板でこのブログが紹介されていました。それを見て訪れてくれた読者の中に、「真央ちゃんが好きでも嫌いでもなかったけど応援したくなった」という書き込みがありました。このような素直な反応を見ると、日本もまだまだ捨てたものではないと感じ、また書いて良かったと思うことが出来ます。
素直と言えば、僕の独自の人相学では、素直と美人、あるいは純粋と美人は同じものを指します。また、絵を教えて分かるのですが、美人は概して絵の上達が早いのです。天は二物を与える傾向にあるのです。ところが、テレビでは滅多に美人が映りません。大半は整形したタレントや女子アナだし、整形していない人は素直と純粋から程遠い感じの人ばかりです。それで、もしかしたら、日本中の美人は僕が行く先々に備えられているのかもしれないと思うほどです。それだけ僕は美人と縁があるのですが、僕の行く先に美人が待っている理由は、僕が誰よりも素直で純粋だからということになります。花を花らしく描ける素直さと、スーパーコンピューターが発熱しても到達できないデッサン力を有する人間は、日本中=世界中探してもいないと断言できます。僕の古代史は、実はそういう資質から生み出されたものなのです。
東京芸大の美術学部というと、何も知らない人は競争率で卒倒します。しかし、大半は受験しても無駄な、その他大勢に過ぎません。実質競争倍率は二倍程度でしょう。でも、教授陣に変な人がいると、その他大勢から合格者が大量に出ることになります。僕が入学した世代はまさにこれで、芸大史上最低のクロップと言われています。僕の目から見て、トップ10以内で合格すると思われていた美人も二人落ちました。
芸大日本画の試験は、変な癖のない素直さが要求されると言われてますが、それも欺瞞でしか有りません。素直そうに見せるテクニックが有れば合格するのです。それは、教授陣に見る目がないのでなく、才能のない者が教授をする必然として、自分と同じように才能のない人間を無意識で選択するからです。そういう意味では、吉田善彦教授が良識の最後の砦ではなかったでしょうか。
素直さという美徳は、現代の日本では受け入れられ難い資質なのです。もともと素直だった人も、それが通用しない世界に毒されると美徳を失います。また、もともと素直でない人は、命と引き換えるくらいの覚悟がないと、自分を変えることは出来ません。素直で純粋な人は、天然記念物のように貴重です。でも、そのような人でなくては神の国に入ることは出来ません。自分を変えることが出来ない人は、チャンスを来世に求めるため、生れ変わりという妄想を抱きます。でも、生れ変わりはありません。この世での人生は一度だけ。だからこそ神に選ばれるのは大変なのです。
エフライム工房 平御幸
話を真央ちゃんに戻すと、真央ちゃん関係の掲示板でこのブログが紹介されていました。それを見て訪れてくれた読者の中に、「真央ちゃんが好きでも嫌いでもなかったけど応援したくなった」という書き込みがありました。このような素直な反応を見ると、日本もまだまだ捨てたものではないと感じ、また書いて良かったと思うことが出来ます。
素直と言えば、僕の独自の人相学では、素直と美人、あるいは純粋と美人は同じものを指します。また、絵を教えて分かるのですが、美人は概して絵の上達が早いのです。天は二物を与える傾向にあるのです。ところが、テレビでは滅多に美人が映りません。大半は整形したタレントや女子アナだし、整形していない人は素直と純粋から程遠い感じの人ばかりです。それで、もしかしたら、日本中の美人は僕が行く先々に備えられているのかもしれないと思うほどです。それだけ僕は美人と縁があるのですが、僕の行く先に美人が待っている理由は、僕が誰よりも素直で純粋だからということになります。花を花らしく描ける素直さと、スーパーコンピューターが発熱しても到達できないデッサン力を有する人間は、日本中=世界中探してもいないと断言できます。僕の古代史は、実はそういう資質から生み出されたものなのです。
東京芸大の美術学部というと、何も知らない人は競争率で卒倒します。しかし、大半は受験しても無駄な、その他大勢に過ぎません。実質競争倍率は二倍程度でしょう。でも、教授陣に変な人がいると、その他大勢から合格者が大量に出ることになります。僕が入学した世代はまさにこれで、芸大史上最低のクロップと言われています。僕の目から見て、トップ10以内で合格すると思われていた美人も二人落ちました。
芸大日本画の試験は、変な癖のない素直さが要求されると言われてますが、それも欺瞞でしか有りません。素直そうに見せるテクニックが有れば合格するのです。それは、教授陣に見る目がないのでなく、才能のない者が教授をする必然として、自分と同じように才能のない人間を無意識で選択するからです。そういう意味では、吉田善彦教授が良識の最後の砦ではなかったでしょうか。
素直さという美徳は、現代の日本では受け入れられ難い資質なのです。もともと素直だった人も、それが通用しない世界に毒されると美徳を失います。また、もともと素直でない人は、命と引き換えるくらいの覚悟がないと、自分を変えることは出来ません。素直で純粋な人は、天然記念物のように貴重です。でも、そのような人でなくては神の国に入ることは出来ません。自分を変えることが出来ない人は、チャンスを来世に求めるため、生れ変わりという妄想を抱きます。でも、生れ変わりはありません。この世での人生は一度だけ。だからこそ神に選ばれるのは大変なのです。
エフライム工房 平御幸